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それからみんな、とにかくたくさん話しかけてくれて、私はそれに一つずつ、ゆっくりと答え、誰もが焦らずじっくり話を聞いてくれて(ゆきのんだけは命令するように急かしてきたけど)。『指さしゲーム』という遊びもした。『古今東西ゲーム』に動作をつけたような遊びだ。
「指さしゲーッム!」
「「「いえーっ!」」」
「い、いえー」
みっちゃんの号令にみんなで答える。そしてみっちゃんはゆきのんを指さして「梅」と言った。お題は『おにぎりの具』なのです。
ゆきのんは「おかかっ!」と言いながらリュウを。指す相手は誰でも良かった。指された人間はテンポを崩さないようにお題に合う単語を言いながら誰かを指す。
リュウ「ツナマヨ」→くぼじゅん「牛しぐれ」
渋い……と思ったときには遅かったりもした。指されていたのは私だったのです。
「はい! あかちゃん、×イチねっ! ×三つで罰ゲームだから!」
ゆきのんが楽しそうにそう言って、私は落ち込んだ。くぼじゅんが優しく慰めてくれる。
「大事なのはテンポだから。思いついた言葉を言えばそれで大丈夫よ。例え、変な答えでもね」
良く意味がわからなかったけど、次は何でもいいから言ってみようと思った。またみっちゃんの号令でゲームが始まる。
みっちゃん「明太子」→リュウ「たらこ」→ゆきのん「くちびるっ!」
……え? く、くちびる? 唇が『おにぎりの具』なんですか? 誰かが、にやりとして、でもゲームは続く。
くぼじゅん「リップクリーム!」→リュウ「生クリーム!」→みっちゃん「そば!」
もはや全然『おにぎりの具』なんかじゃなかったけど、ゲームは続く。そしてみっちゃんが指したのは私だった。
「う、うどん!」
目を瞑って正面にいたゆきのんに指さす。ゆきのんがぎゅっと目を瞑って、私のものまねをしながら続ける。
「か、かぼちゃ!」→リュウ「パ、パン」→みっちゃん「お、おでん!」→私。
みんな目を瞑っておどおどしながら指を指す。私はなんだかちょっとムッとして
「きつねうどん大盛りっ!!」と私にしては大きな声でくぼじゅんを指しました。
「ピラミッド大盛りっ!!」→ゆきのん「笹かま大盛りっ!!」→リュウ「プランクトン大盛りっ!!」→ゆきのん「……え? あっ!」
今やったばかりだというのにまた指されたゆきのんがリズムを崩す。こうなるとゲーム終了らしい。
「えーっ! 今のはずるいわよ! 私まだ目を瞑ってたもの!」
「いや、目を瞑らなきゃいけないルールなんてないから」
リュウのまっすぐなツッコミを受けてゆきのんはブーブー言いながらも「私、×いち!」とムキになって吐き捨てた。
このゲームがどうして演劇の練習になるのかはわからないけど(もしかしたら私がいたから楽しい遊びをやってくれただけなのかもしれないけど)とにかく……楽しかった。思い出しても思わず顔がほころんでしまいます。結局ゲームはゆきのんの負けで、罰ゲームは腹筋二十回。私はブーブー言いながらきちんとこなすゆきのんを眺めて、それから帰宅した。みんな「また明日ね」と言ってくれました。次の本番が近いとかで毎日練習をするらしいのだ。その言葉が嬉しくて、でも、無理だろうなと思った。
門限が五時だったのです。でも練習は七時まで。練習に参加するならお母さんにお願いするしかない。私は小さくため息を吐いた。
「……あ、あれ?」
な、なんで私、入団するの前提で考えているの? む、無理だって! 無理だから!
「ああああああああ! 無理無理無理ぃーっ! バカー! バカさくらーっ! 身の程を知るのです!」
ゴロゴロゴロー。ガチャ。
「さくらー、ご飯、でき……なにやってんの?」
ベッドで『亀の助(大きな亀のぬいぐるみです)』を抱きしめて転げ回っていたら、引きつった顔のお母さんと目が合いました。
「ま、まあ、その、気が済んだらおいで」
「お母さん! これは――」
パタン
私はベッドから降りると今閉じたばかりの扉を開けてリビングへと向かった。
「……」
「……」
お父さんはまだ帰ってきていない。二人だけの食卓。私はさっきの恥ずかしい行動を見られたということは一先ず置いておいて席に着いた。
「いただきます」
箸を持つ。今日はハンバーグだ。
ハンバーグは好きだったけど、何となく箸が進まない。それはさっきの行動を見られたのが恥ずかしいからじゃなくて、悩んでいるから。――なんで私、どうしたら練習に行けるかなんて考えていたの?
「どした? また調子悪い?」
お母さんがちょっと心配そうに首を傾げた。
「う、ううん。へーき」
私は慌てて答える。あまりお母さんに心配かけたくない。
「……そういえば今日、帰り遅かったね。何かあったの?」
何も心配してないよ。そう言うかのようにお母さんは気軽に言った。だから私はとても心配させてしまっていることに胸が苦しくなる。
……昨日の朝、つい言ってしまったのです。「学校に行きたくない」と。
新しい学校。知らない人ばかりの世界。そんな中で私なんかに友達を作ることができるだろうか? そういう不安、恐怖、諦め。そんなものが私の中に重く居座って。
もちろん「具合が悪いから」だとすぐに付け足した。でもお母さんはすぐに見破って、「さくらなら友達、できるよ。だってこんなに良い子なんだから。頑張るんだ!」と背中を叩いてくれた。
正直に言ってしまえば全然嬉しくなかった。酷い! とも思った。『頑張る』という言葉、私はそれが嫌いなのです。特に他の人から言われると泣きたくなる。『私はこんなに頑張っているのに、どうしてもっと頑張れっていうの?』と。
でも……今はお母さんの言うとおりにして良かったと思ってる。学校に行かなければ舞台にも行けなかっただろうし、今日の出来事だって起きなかった。
「演劇、してきたの」
「ふーん、演劇……。は? してきた? さくらが? 演劇?」
「……うん。学校の子が昨日の舞台に立ってたんだって。それで誘われて」
私はどう言ったらいいか整理がつかなかった。だから自然と声は小さく。
「へー。さくらが演劇ねぇ」
対してお母さんは面白いオモチャを見つけた子供のように笑う。
「で、さくらは楽しかったんだ」
「え? なんで?」
「だってだからテンション収まりきらずにベッドで暴れてたんだろ?」
「ち、ちが! あれは悩んでたの!」
私は声を大にして異を唱えました!
「あれ? 違うの? 納得だったんだけどなぁ」
お母さんは予想を外したのがよほど意外だったのか、ちょっと落ち込んでハンバーグを口にした。……私、悩んでるって打ち明けたはずなんだけど。あー、聞こえてなかったのかな? そうだよ。聞こえてなかったんですよね?
「お母さん。私、悩んでるんだよ?」
「そうか」
「……」
「……パクッ」
「……」
「……ずずっ」
「なんで普通にご飯食べてるの!? 私、悩んでいるの!」
私は立ち上がって抗議する。けど、お母さんは今気づいたとばかりに「お、おう。そうか。悩みねー。うーん、どうしたらいいんだろうなぁ」しかも完全な棒読みです。演技するにしてもせめてもうちょっと! どうにか! というか内容ぐらい聞いてから考えて!
「まあ、そう怒るなって。お母さん、さくらが悩んでいるようには見えなかったからさ」
「何それ! ひどいよ!」
ぶんぶんと振る頭をポンと叩かれた。
「いや、本当の話。さくらのその悩みって実はもう答え出てるんじゃないか? さくらの中で」
……そんなわけがない。いや……私が舞台に立つのは無理に決まってるんだ。だったら答えも――
「大事なのはさ。『どうするか』じゃない。『どうしたいか』なんだよね。その答えである『こうしたい』っていうのが決まって、やっと『どうするか』を悩めば良いんだよ。でも、その頃には悩みも終わってることが多い。『こうしたい』と思ったことがそのまま『こうする』ってことに繋がることが多いからさ」
『どうしたいか』……私は、多分、あの場所にいたい。また明日ね、ってみんなが言ってくれた。楽しかった。こんな私でも迎えてくれた。歓迎してくれた。あの場所――『劇団くるみの森』に入りたい! ……でもっ!
「まだ何か?」
やれやれとばかりにお母さんが首を傾げる。うん。ごめんお母さん。私、自分でも勇気のない子だと思います。
「怖いの」
「そりゃ怖いさ。新しく何かを始めるってのはそういうもんだもん」
「無理だと思う」
「試してみてから判断しても遅くはないさ」
「でもみんなに迷惑かけちゃう」
「どうせ今日も『おどおどさくらちゃん』だったんだろ? それ見て誘ってくれるんだから向こうも承知の上だろうよ」
私のネガティブな問い掛けを切り捨てるようにお母さんは答えた。
「……なんか冷たい」
「あたしの言うこと間違ってた?」
「……全然」
そう、お母さんの言うことは正しい。納得できる。多分私は怖いだけだ。勇気がないだけだ。だって私には雪乃ちゃんみたいな堂々とした演技は無理だもん。穏やかで強くてかっこいいお姫さま。すごい迫力だった。私もああなりたいと思った。演劇をやったらなれるのだろうか? 本当に? 私が? ……いや、やっぱり無理です。
「あー! もうっ! あたしの娘なのにどうして、そーウダウダするかねぇ!」
お母さんが自分の髪をかき乱して声を荒げた。ドンッ! と拳がテーブルを叩く。
「ひとまず! 一度やってみればいい! それでやっぱりダメならやめればいい! やる前から『できる』『できない』なんてのは、みんなわかんないの! はい決定! 演劇やってこい!」
私は飛び上がった身体を硬直させたままお母さんの視線から目が離せなかった。お母さんの眉が持ち上がって「へ・ん・じ・は?」と妙に貫禄のある声で催促される。
「は、はい……」
「よろしい。頑張れ! さくら!」
途端に満面の笑みへと変わったお母さんは気分が良さそうに食事を再開した。……思わず頷いてしまいました。ちょっと、……怖かったよ。
私も食事を再開する。一応の方針は決まった。とにかく、やってみる。そう思うとお腹が空いてきて、ご飯が美味しく感じた。ハンバーグ、ちょっと冷めちゃったけど。
「あれ? ……私、演劇やるかどうかで悩んでるって言ったっけ?」
私のふと思いついた疑問にお母さんは得意げに返した。
「あたしはね。さくらのことなら大体わかるのさ。だって、お母さんだもん」
……ああ、やっぱりお母さんにはかないません。
「ありがとう」
ちょっと照れくさくて、それを隠すように笑顔を作った。お母さんはお味噌汁を飲みながらおざなりにVサインをする。
「じゃあ、明日から遅くなるね。稽古、七時までだから」
「コ、コホッ! ……え!? 七時!?」
むせて慌てて聞き返すお母さん。あ、あれ? やっぱりダメだったかな?
「あー、まあ、じゃあ、うーん……気をつけて帰ってこいよ? あとあれだ。週末空けとけ」
ちょっと納得しかねる感じで許可をもらう。……けど、なんで週末?
「携帯、買いに行くぞ」
「……誰の?」
「お前のに決まってるだろ。帰り遅いの心配だしな」
「本当ですか!?」
「……なんで敬語?」
思わず身を乗り出す。携帯電話。私、持ってなかったのです。六年生にもなるとクラスの子は大体みんな持っているんだけど、『小学生にはまだ早い! 中学になったら』という、うちの方針で一向に持たせてもらえなかったのです。
「じゃ、そういうことだから日曜な」
「う、うん! ありがとう!」
け、携帯電話……! メール! 電話! これで――。……だ、誰とメールすればいいんですか? 私、友達いないんでした……。
思わぬ攻撃に私はまた少し元気がなくなってご飯を食べる。お母さんはちょっと不思議そうにそんな私を見ていました。