3
「さて、まずは自己紹介かな? 俺は青木光雄。一応、この劇団の代表です。よろしくです」
ぺこりと頭を下げるこの人は『桜の森のお姫さま』で騎士さんの役をやった人だ。とにかく背が高かく、優しそうな話し方と知的な眼鏡がとても似合っていて、どこかのんびりとした空気を纏っている。
「みっちゃん、つまんねぇって。なんかやれよ」
青木さんの隣に座る魔王さんが言った。昨日の舞台で魔王役をやった人だ。
「ええっ!?」
驚く青木さん。
「そーよ! 何かやってよお兄ちゃん!」
さらにけしかける雪乃ちゃん。
「ええっ!?」
驚く私! お兄ちゃん!?
「あら? 知らなかったの? この劇団の代表のみっちゃんとゆきのんは兄弟なのよ?」
私は隣に座る雪乃ちゃんと青木さんの顔を見比べる。……あまり似ているようには思えない。顔もそうだけど、何より雪乃ちゃんはどーんって爆発するようなオーラだし、青木さんはサラサラーって流れる水みたいなオーラなのだ。
「じゃ、じゃあ……」
あ、青木さんが魔王さんと雪乃ちゃんの押しに負けて何かをするようです。私の方へと改めて向き直った青木さんは、手のひらで顔を隠して、ゆっくり開いて――
「僕、みっちゃん!」
……私は静かに目を逸らしました。
「さすがみっちゃん。大やけどだな」
魔王さんがドSです。さすが魔王さんです。
ところでこの自己紹介、別に私が劇団に入団するからやっているのではありません。……そりゃそうです。私に演劇をやれだなんて、もはや死刑宣告しているようなものです。私は必死に断って、何とかみんな理解してくれて、でもせっかく来たんだし一応見学でもしてったら? と言われ、じゃあ自己紹介を――という流れ。
ギャグ? がすべって泣き崩れた青木さんに変わって今度は魔王さんがこの場を取り仕切り始めました。
「で、僕は丸山龍太郎。『リュウ』ってみんなから呼ばれてる。そう呼んでくれ。ちなみに僕とみっちゃんは中学二年生で一番年上だから。よろしく」
魔王さん改めリュウさんは銀縁の眼鏡をクイッと押し上げると、微笑むとも違った不思議な笑みを浮かべた。『よろしく』と言われたのに『まあ、よろしくしてやってもいいよ』と言われたような気になる笑顔だ。……やっぱり魔王さんな気がします。舞台での雰囲気そのままだし。
「次は私ね。私は久保絵里。なんでなのかわからないんだけど、いつの間にか、みんなからは『くぼじゅん』って呼ばれてるの。呼び方はね、劇団員の中で統一するっていう変なルールがあるからそう呼んで? よろしくね」
「くぼじゅん……さん?」
私は誰にも聞き取れないほど小さくその名前を呟く。だと言うのにくぼじゅんさんは柔らかい笑顔を浮かべて首を振った。
「くぼじゅん、でいいのよ。さん付け禁止ね。もちろん、みっちゃんやリュウに対しても」
それはけっこうな難題だと思う。青木さんは『みっちゃん』、魔王さんに対しては『リュウ』って呼ばなきゃいけないってことですよね?……名前を呼ぶのも怖くなっちゃいそうです。
いや、それにしても、くぼじゅんの笑顔はとても優しいのです。まさに桜の精霊さんそのものだ。初めて会う人にこんなに優しく微笑んでもらったのは初めてかもしれない。私、くぼじゅんのこと好きになりそうです。
「で、ラストはもう知ってるよな?」
リュウさ――い、いや、リュウが顎で雪乃ちゃんのことを指す。雪乃ちゃんはコホンと咳一つして立ち上がった。私の方へ向き直って、息を吸って、口を開いて、でも何か言うのでもなく口を閉じると目を逸らした。
「……ん」
小さく口が動くのに合わせて、ぼそっと何かが聞こえた気がした。
「え?」
反射的に聞き直すと雪乃ちゃんは何度か瞬きをした後、叩きつけるように口にした。
「だから『ゆきのん』! 私のあだ名だから! 学校で言ったらばらすからねっ」
雪乃ちゃん……改め『ゆきのん』はそれきりそっぽを向いて座ってしまった。……いや、それよりばらすってなんだろう? 内緒にしてって頼まれてるのは私の方だし……。
「じゃ、最後、自己紹介お願いできるかしら?」
くぼじゅんが私に向かって微笑んでくれる。その笑顔に私は嬉しくなってしまい、頷いて、立ち上がって、すぐに気づいた。……みんなが私を見ていると。
「…………」
一転、心臓が早くなる。顔が熱くなる。胸から熱いものが迫り上がってきて、涙が出そうになる。スカートの裾を掴む。指に力が入る。つばを飲み込もうとして喉が渇いているのに気づく。どんどんどんどん悪い方へ。
「どうしたんだよ」
リュウに声をかけられる。ああ、きっと変に思われてるんだ。私はぎゅっと目を瞑って早くこの時間が終わってくれることだけを待った。
隣から大きなため息が聞こえた。
「ダメダメ。この子、転入してきたときもこうだったもの。恥ずかしがり屋なのよ」
……ああ、あきれられてしまった。こうなることはわかってて、私は何も言わず、言おうともせずに『早く終われ!』と願ったのだ。そう。全部、自分が悪い。きっとクラスに続いてここでも『変な子だ』と思われたはず。……最低だ。自分。
ぽん。両肩に優しい振動が走る。私は首を縮めて驚いた。怖々と覗き見るとゆきのんの苦笑いが目の前にあった。
「えいっ!」
ゆきのんはそのまま私の肩を揺らした。それはもう激しく! 首ががくがくと揺れて私は声にならない悲鳴を上げた。
「名前、言え!」
「ああああああああああ」
「言えばやめてあげるわっ!」
なんですかそれ! 酷いです!
「あかかぎぃいい、さぁあああくううらぁあああああっ!」
私は必死に自分の名前を言った。ぱっと手が離れて私はそのまましりもちをついてしまう。
「はぁはぁはぁ、うぅ……」
ふらふらする頭を抱えながら座り直す。
「ゆ、ゆきのん……やり過ぎじゃないかしら?」
くぼじゅんが引きつった笑みでゆきのんに問いかける。
「ちょうどいいのよ! あがり症には荒療治が必要なの!」
ゆきのんは仁王立ちのまま私のことを見下していた。
「趣味は?」
悪魔の笑顔で訊ねるゆきのん。私はもちろん、泣きそうになりながら首を振るのが精一杯で。でもそれじゃあ許してくれなくて。
「趣味は? ……もう一度やられたくなければ答えることね」
「お、お菓子作り!」
私はどもりながら必死に答える。
「何が得意なの!?」
「クッキーです!」
「おいしいの!?」
「はい! あ、たぶん!」
「昨日の舞台は楽しかった!?」
「はい!」
「私が一番うまかったでしょ!?」
「えっ? あ」
「わたしが一番うまかったでしょ……!?」
「……っはい!」
「本当に!?」
「はいっ!」
「本当にっ!?」
「はいっ!!!」
「入団する!?」
「はいっ!!!!! ……え?」
ゆきのんの唇がさらにつり上がる。
「……歓迎するわね?」
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」
なにそれ! なんですかそれ!! だからそんなの無理だって!
「聞いたわよね、みんな!」
振り返ってみんなに尋ねるゆきのん。みんなあきれ顔でため息を吐いていた。……なのに
「まあ、確かに言ったな。入るって」
……元祖悪の権化であるリュウがそんなことを言った。そして口々に
「言ったか言わないかって言ったらそりゃあ――」とみっちゃん。
「まあ……言ったわね」と、くぼじゅんまで!
なんで! 断りました! 私必死に断ったはずです! ええい! もう一回だ!
「むりっ! です……。わ、私無理です」
ぶんぶんぶん! 思いっきり頭を横に振る。
「さくちゃん、昨日の舞台、楽しくなかった?」
くぼじゅんがそっと尋ねる。私は目を逸らすと小さな声で「楽しかった」と答えた。
「じゃあ、あからちゃんには僕らは楽しそうに見えなかったわけだ」とリュウ。
「……楽しそうでした」
「でしょ? 俺らも楽しかったもん。ギサクも物語の中に入りたいとか思ったでしょ?」とみっちゃん。
「……思いました」
「それができる! 演劇という道具があれば!」
グッと拳を固めて力説するみっちゃん。 ……それより、さっきからそれ、誰ですか? みんな私の方を見て訊いてくるから思わず返していたけど、もしかして――
「ちょっと! みんな勝手にあだ名決めないでよ! 私が連れてきたんだから私が決めるわ!」
ゆきのんがそう言って壁際に置かれていたホワイトボードの方へかけていった。……やっぱり、あだ名なんですね? もう、みんな私のことこの劇団から逃がさない気だよぉ……。
「この子のあだ名は『あかちゃん』! ぴったりでしょ!? すぐ泣くところとか!」
『命名! 《あかちゃん》!』と書かれたホワイトボードを指さして宣言する。いじめですか? いじめですよね? 絶対いじめだよ……。
「ひどいよぉ……」
私が涙目で訴えるとゆきのんはうんうんと頷いて
「やっぱり『あかちゃん』に決定ね」
と満足そうに笑った。