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……確かに私は雪乃ちゃんと約束した。約束してしまった。だけど、だけどですね? 約束したのは朝のホームルームが始まる前のこと。それから四時間も授業があって給食食べてまた授業。考える時間なら山ほどあるのです。
……逃げたい。逃げたいんです私。つまりたくさん考えたら怖いことしか思いつかなかったのです。
だって! 会わせたい人って誰ですか!? なんでいきなり恥ずかしがり屋かなんて訊いたの!? それに、口止めとか言ってた気がするし。もしかしたら私はとても怖いお兄さんやお姉さんの下に連れて行かれて、ボコボコにされちゃうんじゃないかな……。い、いや、なんかもっととんでもないことされるかもしれない。万引きしてこいとか、言われるかもしれない。裸で踊れとか言われるかもしれない。……うぅ。やだよぉ……。
「ちょっと、なに止まってるのよ。早くしないと間に合わなくなるでしょ?」
少し前を歩いている雪乃ちゃんが不機嫌そうに振り返る。時間はすでに放課後。私は雪乃ちゃんに連れられ、見たことのない景色の中を歩き続けていた。と言っても普段の通学路とは違うだけで学校から約束の場所まではそう遠くないらしい。周りを見れば私たちと同じようにランドセルを背負ったままの子もちらほら。
「ほら、早く!」
私がもじもじと立ち止まっているのに見かねたのか、雪乃ちゃんは私の手を取って歩き出した。ぐいぐいと引っ張られつつ、私は歩く。
「どこ、行くの?」
私の小さな声はどうやらちゃんと届いたようだ。雪乃ちゃんが足は止めずに振り返る。
「楽しいところよ!」
そう言った雪乃ちゃんの顔は……まるで悪魔のようでした。笑顔なんだけど、怖いのです。まるで『くっくっく。ほら、どんどんお食べ。まん丸に太ったら美味しく食べてあげるからね!』と笑う悪い魔女のようなその微笑み。……朝の笑顔はなんだったの! 騙されましたっ!!
逃げ出したい! という気持ちが急に大きくなったけど、手はがっちり掴まれていて解けそうにない。雪乃ちゃんはスキップでもするんじゃないかと思うほど、楽しげに歩く。……きっと私を食べる気なんだ。だからご機嫌なんだ。ああっ! 逃げたい! 誰か助けてっ!
「あそこよ」
雪乃ちゃんの指した先に視線を向ける。ただ、こぢんまりとしたビルが建ち並んでいるだけだ。……いや、ちょっと待ってください。人と待ち合わせるのにビルってなんですか? 普通はマックだったり、公園だったり、駅前だったりするよね? なんでお店ですらないの? ビルなの? 何ビルなの? ……怖い人のお家だったりします? ま、まさかね。
「っとっとと。どうしたのよ。急に立ち止まったりして」
雪乃ちゃんが不思議そうな目で私の顔を覗き込む。
ぷるぷるぷるぷる。
私は泣きそうなのを我慢しながら首を小さく、でも何度も振った。
「はぁ……あのね、紅木さん。ここまで来たら覚悟を決めなさい。大丈夫だってあなたにも、きっとできるわ」
……できる? 今、できるって言ったよね? な、何をやらせるつもりなの? やっぱり私、何かやらなきゃいけないんですか? 嫌です! 怖いです! 無理です!
涙が出るのを我慢ができなくなってきたその時、私達は後ろから突然に声をかけられた。
「あら、ゆきのん。友達連れてきたの?」
思わず背筋が伸びる。……この人だ。この人と雪乃ちゃんは待ち合わせしてたんだ。きっと振り返ったら金髪でピアスでタバコ吸ってて目つきの怖いお姉さんが目の前に……っ!
「あれ……この子……?」
肩に手をかけられ、振り向かされる。心臓がドクドクいってまるでスローモーションのように景色が回り――
「あーやっぱり! この子昨日舞台を見に来てくれた子ね?」
「せ、精霊さん!!」
思わず私は大声を出してしまいました! 想像してた人と全然違う。綺麗なストレートの黒髪、いつもニコニコとしてそうな朗らかな表情。のんびりと聞きやすい声。そしてその顔は知っている顔でした。なんと昨日の舞台で受付と『桜の精霊』役をやっていたお姉さん!
ど、どういうこと? 私が雪乃ちゃんと精霊さんの顔を交互に見ているとお姉さんは一人で納得したようにポンと手を打った。
「あ、もしかして入団希望とか?」
「当たりよ!」
……にゅうだんきぼう? え? ……え? え?
「すごーいっ! よくやったわ。ゆきのん!」
「えへへー。早くみんなのところに連れて行くわよ!」
雪乃ちゃんに手を引っ張られ、精霊さんに背中を押され、私の足は意思とは関係なくどんどん歩く。というより、もはや走っている。古びたビルに入り、階段を上って三階へ。目の前の扉を開くと
「やっと来たか」
「アレ? ゆきのん、その子は?」
教室ほどの部屋で出迎えてくれたのは私より年上だろう二人の男子。そして私の隣の雪乃ちゃんが満面の笑みで声高らかに宣言したのでした。
「じゃーん! 新しい劇団員よ! ようこそ!『劇団くるみの森』へ!」
雪乃ちゃんの手はまるで二人に見せつけるかのように私の肩に置かれていた。
げきだんいん? 劇団員? ……私が?
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」