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~ 伍ノ刻   探索 ~

 その日、晶は学校に着くなり、担任の教師に呼び出されて職員室に向かった。悪戯好きの晶のこと、こうして呼び出され、叱られることなど珍しいことではない。だが、今回ばかりは当の晶も、呼び出される理由がわからなかった。


 ここ最近、変態四天王は完全に活動を停止してしまっている。筆頭である晶のやる気がなくなって以降、彼らも積極的に悪戯をするようなことはなくなっていた。


「ねえ……。晶君、大丈夫かな……?」


 職員室の外で、晶を待つ秀人が清と直己に言った。


「さあな。ま、俺達にとっちゃ、職員室に呼び出されるなんて日常茶飯事みたいなもんだしな。たぶん、大丈夫なんじゃねえの?」


「でも、直己君。僕達、最近は女子に悪戯することもないし、普通に遊んでるだけだったよ。それに、晶君だけが呼び出されたのも、なんだかおかしいよ」


「そんなこと、俺に言われても困るぜ。俺達にできるのは、先生に叱られて戻ってきた晶をフォローすることくらいだろ」


 まだ、怒られたと決まったわけでもないのに、直己はそう言って秀人の背中を叩いた。弱気で心配性な秀人とは違い、直己は常に楽観的にしか物事を考えない。彼らしいと言えば彼らしいのだろうが、そんな直己の横では、清が珍しく難しい顔をして腕組みをしていた。


「おい、清。お前、どうかしたのか? 珍しく、難しい顔しちゃってさ」


「えっ……。ああ、別に大したことねえよ。ただ、晶のやつがどうして職員室に呼ばれたのか……。それを、ちょっと考えてた」


 直己に声をかけられて、清は初めて自分が思いの他に考えこんでいたことに気づかされた。直己や秀人の顔を見て「柄にもないことしたな」と思ったが、清が考え込んでしまうのも無理はない。


 晶を始めとした変態四天王である自分達自身、ここ最近は体育館で普通にボール遊びをしているに過ぎなかった。それなのに、晶が呼び出された理由は何か。いつもとは違った流れの空気が自分達の周りを漂っていることに、清は珍しく妙な違和感を覚えていた。


「あっ、晶君! 大丈夫だった!?」


 程なくして職員室から解放された晶に、秀人が真っ先に駆け寄った。しかし、晶は一言「ああ……」と口にしただけで、そのままとぼとぼと教室に向かって歩いて行く。


 いったい、晶になにがあったのか。秀人は清や直己と顔を見合わせると、三人で晶の後を追いかけた。先生から怒られたにしても、あそこまで落ち込んだ晶の姿は見たこともない。


「ねえ、晶君。本当に、大丈夫だったの?」


 晶に追いついた秀人が、その正面に回り込むようにして言った。晶の顔を覗きこんで見ると、やはりどことなく暗い。ここ最近は晶も随分と大人しくなっていたが、今の晶はそれ以上に暗く沈んでいた。それこそ、まるで牙を抜かれた狼のように、しょんぼりと項垂れているだけだった。


「なあ、お前ら……」


 突然、教室に向かって歩いていた晶が口を開いた。


「お前ら、香帆に起きたこと知ってるか?」


「紺野に起きたこと? いや、別に知らねえけど……」


「やっぱ、藤宮達も知らないか……。まあ、どうせ朝の学活で、先生から話があると思うからさ。詳しいことは、それから後で話すよ」


 相変わらず力の入らない口調で、晶は溜息交じりにそう言った。清もそれ以上は追及したいとは思わず、直己も秀人も無言のまま晶の後をついてゆくだけだった。


 紺野香帆に、何かよくないことが起きた。それは、今の晶の顔を見れば一目瞭然だ。では、それと晶が呼び出されたことに、いったい何の関係があるのだろう。晶は先生に呼び出しを食らわねばならないほどのことを、香帆にしてしまったということなのだろうか。


(まさか晶のやつ……俺達の言葉で焦って、本当に紺野の生チチ揉んだんじゃないだろうな……)


 自分の教室の扉が見えた辺りで、清はふとそんなことを考えた。だが、それに対する答えが晶の口から告げられることはなく、四人はなんとも微妙な雰囲気のまま、教室の扉を開けて自分達の席に座っていった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 朝の学活というものは、小学生にとっては退屈な時間の一つだ。大概は先生のお小言から始まり、場合によってはつまらない話を延々と聞かされる。その日の予定などについて言われることもあるが、それでも話が全体的に長くなることには変わらない。朝礼で行われる校長の話と同様に、生徒達にとっては苦痛を感じることの方が多い時間であった。


 ところが、そんな学活の時間でさえも、今日に限ってどこか違った空気が漂っていた。教室に入ってきた担任の顔はどことなく重苦しい表情で、最前列の机に座っている生徒達が、真っ先にそれを察してお喋りを止めた。


「先生……。なんか、今日はちょっと暗いですけど……なにかあったんですか?」


 教卓の前の席に座っている女子生徒が、心配そうに担任の顔を見て言った。担任の教師は空元気を出して作った笑顔でそれに答えると、一呼吸置いてから教室にいる生徒全員に向かって話し出した。


「皆さん。今日は、皆さんにとって残念なお話があります」


 今までざわついていた教室が、にわかに静かになった。担任の顔と体、その全身から発している空気を、子どもたちなりに悟ったのかもしれない。


 担任の口から語られたのは、他でもない紺野香帆についてのことだった。もっとも、当の本人は未だに学校に来ていない。いつもは香帆の座っている席が、そこだけ何かで切り取ったかのように空席となっている。


 担任の話では、香帆は重い病気に罹って入院したとのことだった。退院がいつになるのかもわからず、卒業式に出られるのかも定かではない。当然、学校で勉強などできるはずもなく、香帆とはもう一緒に過ごせないかもしれないとのことだった。


 担任からの話を聞いた生徒の中の何人は、香帆の見舞いに行きたいと言い出した。しかし、担任の教師はその提案をやんわりと拒否し、結局はクラス全員で手紙を書いて送るということで話をまとめてしまった。それほど香帆の病状は重く、皆で押し掛けても迷惑になるだけというのが担任の弁だ。


 朝の学活を終え、一時限目の始まりを伝える予鈴が鳴り響く。時間割の上では国語を勉強することになっていたが、今日は担任の提案で、急遽香帆への手紙を書く時間に当てられた。


 配布された手紙を書くための用紙とにらめっこしながら、清はふと周りの様子が気になって首を動かした。女子の多くは時にイラスト入りの華やかな手紙を書いていたが、男子の多くは何を書いてよいのかわからずに困っているようだった。現に、清もそんな男子の一人であり、当たり障りのない内容の文を、さして上手くもない字で書いただけに終わっていた。


 そういえば、晶の様子はどうだろうか。職員室から出て来た際に、晶は香帆に何が起きたのか知っているようだった。


 見ると、晶は柄にもなく、もらった用紙を埋め尽くさんばかりの勢いで手紙を書いていた。遠巻きに見ているだけでは何を書いているのかはわからないが、それでも国語の苦手な晶がこうまでして文章を書くことに一生懸命になるなど珍しい。


 やはり、晶と香帆の間には何かがある。そう直感した清は授業終了を知らせる予鈴が鳴ると共に、誰よりも早く晶のところへと駆けつけた。直己と秀人の二人も誘い、いつぞやの昼休みの時よろしく晶の周りに集まった。


「おい、晶。お前……今朝、職員室に呼び出されてたよな。あれ、結局何だったんだよ」


 開口一番、清は晶に詰め寄るような形で言った。別に責めているわけではなかったが、もう自分だけであれこれと考えるのは嫌だった。


「ああ、あれか。実は、香帆のことなんだけどさ……。あいつ、今朝になって学校の旧校舎で発見されて、そのまま病院に運ばれたらしいんだ」


「旧校舎!? おい、それってマジかよ!!」


「先生が言ってたから、たぶん間違いないだろ。この前の金曜日の夜、家から抜け出して旧校舎に行ったらしくって……土曜の朝になって香帆の父ちゃんと母ちゃんが気づいたら、もういなかったんだってさ。それで、警察に頼んで家の近くとか学校とか探してもらったら、なんか夜中に学校の近くで女の子を見たって話があったらしくてさ。俺達が学校に到着したくらいの時間に、旧校舎の中で見つかったんだってよ」


「なんだよ、それ……。でも、どうして紺野が旧校舎なんかに……」


「俺だって知らねえよ、そんなこと。俺が職員室に呼ばれたのだって、俺が香帆に何かしたんじゃないかと思われたからだぜ。最近、俺と香帆がラブラブだなんていう変な噂も流れてたから……たぶん、俺が香帆をそそのかして、夜の学校探検にでも誘ったと思ったんじゃねえの?」


 身に覚えの無い濡れ衣を着せられたことを、晶はさも腹立たしそうにして清たちに言った。確かに自分達は悪戯のエキスパートとして名を馳せているが、それでも境界線は知っている。深夜、家を抜け出して夜遊びをするような不良と一緒にされては、いくらなんでも心外だった。


「先生の話だと、香帆はそのまま病院に運ばれちまったらしい。原因はわかってないけど……見つかったときは、どんなにしても意識が戻らなかったって……」


「意識不明って……それ、なんかの冗談じゃねえのかよ!?」


 晶の口から語られた話を聞いて、清が思わず口にした。


 そういえば、今日は何やら学校の裏門の辺りが騒がしかったような気がする。あれはきっと、香帆を探している警察が学校にやってきたということだろう。そうでなければ、香帆を病院に運ぶために、救急車でも駆けつけたのか。


 しかし、それでも清は今の晶の話を頭から信じることはできなかった。いや、清だけでなく、直己や秀人もそれは同じだ。


 紺野香帆は、クラスの中でも真面目な優等生というイメージで通っている。学校の先生からの評価も決して悪くなく、晶や清たち≪火乃澤小変態四天王≫とは対極にいる少女だ。


 そんな香帆が、深夜に家を抜け出して学校の旧校舎に忍び込む。しかも、発見された際には意識不明で、そのまま病院に運ばれた。そんな話、にわかには信じられるものではない。


「なあ、晶……。もし、お前の話が本当なんだったら、先生はなんで、朝の会でそれを言わなかったんだろうな」


「さあな。たぶん、なんか知られちゃマズイことでもあるんじゃねえのか? 俺も職員室から出されるとき、この話はあまり他の人にするなって言われたし……」


「そうか。しっかし、それにしても災難だったな。こっちはなにもしてないってのに、職員室に呼び出されちまってさ」


「まあな。でも、そんなことは俺もそんなに気にしてねえよ。ただ……ちょっと、別のことで気になる話はあるんだけどな」


 どことなく意味深な口調で、晶は清達にそう言った。それを聞いた清は直己や秀人と顔を見合わせると、不思議そうに晶の方へと向き直る。あの、暇さえあれば下らない悪戯を考えていた晶にしては、妙に生真面目な態度が気になった。


「お前達、≪鏡さまの儀式≫って話、聞いたことあるか? なんか、この学校に伝わってる怪談話の一種みたいなんだけどさ」


「いや、知らねえよ。ってか、なんで急にそんな話をしだしたんだよ」


 紺野香帆の話から、いきなり学校の怪談の話になる。あまりに急な話の変化に清が突っ込んだが、晶はお構いなしに話を続けた。


「俺、この前の昼休みに香帆から聞いたんだけどさ……。この学校の旧校舎の東階段に、でっかい鏡があるみたいなんだ。その鏡の前で、深夜の二時に合わせ鏡をして真ん中に立つと、鏡さまっていうのが現れるらしいぜ。で、なんでも、一度だけ会いたい人に会わせてくれるんだってさ」


「なんだ、そりゃ? 晶……お前、まさかその話を信じてるんじゃないだろうな?」


「俺だって、そんなもん信じてなかったさ。けど、香帆は今日の朝、学校の旧校舎で見つかったんだぜ。きっと、あいつは≪鏡さまの儀式≫を試そうとして旧校舎に入ったんだ。そうに違いないぜ!!」


 最後の方は、きっぱりと言い切るような口調だった。その、晶のあまりの押しの強さに、清達は何も言い返すことができなかった。


 普通に考えれば、晶の言っていることは無茶苦茶だ。なんだかよくわからない儀式を試すため、クラスでも優等生で有名な香帆が深夜の旧校舎に忍び込む。しかも、それが原因で意識を失い、さらにはその事実を学校の先生が隠そうとしている。


 どこかの漫画の世界であれば、これが学校ぐるみの陰謀という流れで話が進んで行くのだろう。しかし、残念ながら、ここは東北の田舎町にある普通の小学校。いくら小学生とはいえ、六年生になってまでそんな妄想を信じる気には、清も直己もなれはしない。


 だが、それでも晶はどこか諦めのつかない様子で、なおも食い下がって主張した。紺野香帆は≪鏡さまの儀式≫を試し、それが原因で意識不明になった。香帆の意識がなくなったことについての理由は晶にもわからなかったが、少なくとも香帆が≪鏡さまの儀式≫を行わねばならないと思った理由については、思い当たることがあったからである。


 紺野香帆が≪鏡さまの儀式≫を行った理由。それは、弟のレオに会いたいということではなかったのだろうか。虐めを苦にして自殺してしまった――――学校は自殺ではなく事故と言っていたが――――香帆の弟のレオ。彼に会うために、香帆は深夜の旧校舎に忍び込んでまで、奇妙な儀式を試したのではないだろうか。


 昨日、屋上へ続く階段で、香帆から聞いた話を思い出す。鏡さまは、儀式を行った者が会いたいと思っている相手に会わせてくれるという力を持った存在だ。鏡を使って呼び出すくらいなのだから、きっと、相手も鏡に映るような形で現れるのだろう。そして、香帆の期待通りであれば、その相手は既に亡くなっている人間でもよいということになる。


 なにからなにまで如何わしい話だったが、それでも晶は香帆が≪鏡さまの儀式≫を行った結果、病院に運ばれることになったのだと信じて疑わなかった。呪いだの幽霊だのといった話を完全に信じているわけではなかったが、少なくとも今回の件は、そうでもしなければ晶の中で納得がいかなかった。


「なあ、藤宮。お前達……もしも俺が、香帆がおかしくなっちまった謎を解くって言ったらどうする?」


 どことなく遠慮がちに、しかしどこか決意を込めたような顔をして晶が清に尋ねた。


「紺野がおかしくなった謎を解く? それ、どういうことだよ」


「決まってんだろ、そんなの。今夜、俺達で学校の旧校舎に忍び込んで、≪鏡さまの儀式≫を試すんだよ。あいつが……香帆がやったみたいにさ」


「げっ、マジかよ……。お前、いつからそんな度胸があるやつになったんだよ……」


「別に、度胸試しとかそんなんじゃねえよ。ただ……実は俺、この前の昼休みに香帆から鏡を一枚もらっててさ。本当は、これを使って一緒に儀式を試して欲しいって言われたんだけど……結局、俺もそのときは信じてなかったしな。あいつには悪いけど、旧校舎を探検する約束をすっぽかしちまったんだよ」


「なるほどな。それでお前は、紺野が倒れたことに責任感じちゃってるってわけか」


 そこまで聞いて、清もようやく納得した顔をして頷いた。直己は相変わらず意味がわからないといった顔をしていたが、隣にいる秀人は清と同じように晶の言わんとすることがわかったらしい。


「そういうことだったら、ここは一つ、お前のために協力してやるよ。今日の夜、なんとか家を抜け出して、旧校舎の前で待ち合わせようぜ」


「藤宮、お前……本当にいいのかよ?」


「いいもなにも、お前から言いだしたんだろ? それに、お前は紺野にゾッコンみたいだからな。俺もたまには女子の胸触るだけじゃなくて、友達の恋路を応援したくなったんだよ」


 最後の方は、いつものように晶をからかうような口調で言う清。しかし、そんな言葉を聞いても晶は怒り出すことはなかった。


「それじゃあ、お前達も一緒に来るってことでいいよな? 嫌なら別に、無理しなくてもいいけどさ」


 後ろを振り返り、清は直己と秀人に尋ねた。二人とも、言葉で言う代わりに首を縦に振ってそれに答える。秀人の方は少しばかり怯えている様子だったが、それでもなんとか勇気を出して、清の言っていることに答えようとしていた。


「それじゃ、そういうことで決定だな。久々に、≪火乃澤小変態四天王≫の出動だぜ」


 晶の肩を軽く叩き、清がそう言ってにやりと笑う。別にエッチな悪戯をするわけではなかったが、清は変態四天王という言葉をあえて強調して言った。それは一重に、四人が仲間であることを意識したものだったのかもしれない。


 次の授業の開始を告げる予鈴が鳴り、四人の話はそこで終わった。まだ話足りないことはあったものの、それでも晶は清や直己、それに秀人のことを、改めて大切な友達だと思っていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 その日の晩は、月も出ていない暗い夜だった。


 東北の冬は、曇天になることが極めて多い。夏に太平洋側の地域で雨降りの日が多くなるのと同じように、冬の日本海側は雪雲で空が覆われてしまうことが多いのだ。そのため、新月でないにも関わらず、今日は月も星も全て雲に隠されて姿を消していた。


 深夜、学校の旧校舎の前で、晶は他の仲間達を待っていた。手には一枚の鏡が握られ、闇夜の中で静かな輝きを湛えている。香帆から学校の屋上に続く階段でもらった、あの青い錦模様の鏡だ。


 香帆は、旧校舎の東階段にある大鏡の前で、この鏡を使って合わせ鏡を作ると言っていた。そして、夜中の二時、その合わせ鏡の間に立つことで、鏡さまの力が大鏡に宿るとも。


 話を聞いたときは、晶も半信半疑な思いしかなかった。所詮は小学校に伝わる程度の低い学校の怪談。いくら小道具を使って話を本物らしくしたところで、他愛もない噂話の類であることに変わりはない。そう思い、香帆の話を適当にしか聞いていなかった。


 香帆は≪鏡さまの儀式≫を試すと言っていたが、まさか一人で旧校舎に忍び込むはずはないだろう。そんな軽い気持ちで、晶は香帆との約束を反故にした。自分が行かなければ、香帆も諦めて妙なことはしないに違いない。そう思って、香帆に言われた時間に旧校舎に行くことはしなかった。


 もっとも、今では自分の行いが、何の役にも立たなかったと晶は知っている。


(俺があのとき、もっとちゃんと止めてれば、香帆は……)


 今更後悔しても遅いということは、晶もわかっていた。だが、それだけに、今度は自分が香帆の身に起きたことの謎を解かねばならないという想いにも駆られていた。


 香帆は、≪鏡さまの儀式≫を試すために旧校舎に忍び込んだ。これは間違いないだろう。そして、そこで儀式を試した結果、意識不明の姿となって発見された。


 儀式の際、香帆に何が起きたのか。それは晶にもわからない。ただ、一つだけ言えることは、香帆が学校に来られなくなった理由が病気などではないということだ。少なくとも、学校の先生が朝の会で話していたことが、全て真実だとは思わない。


 香帆が病院に運び込まれた原因は、間違いなく≪鏡さまの儀式≫にある。証拠などなにもなかったが、晶はそう信じて疑わなかった。今までは学校の怪談など馬鹿にしていたが、あんな妙な話を聞かされた後で、その話をした人間がおかしな姿で見つかったとなれば別だ。


 それに、証拠はこれから自分達で見つければよい。どうせ大人は信じてくれないだろうから、自分達で香帆に何が起きたのかを探るしかない。その上で、もしも幽霊だの妖怪だのといったものが現れたら……そのときは、さすがに近所のお寺や神社に逃げ込むしかないだろう。


 幸い、この火乃澤町には、古くから街を守ってきたとされる神社がある。お化けの仲間が出て来た場合は、その証拠を引っ提げた上で神主さんにでも相談すればいい。


(俺だって、香帆のために何かしてやるんだ。スカートめくりだけが能じゃないってこと、あいつにもわかってもらいたいしな)


 空を見上げると、灰色の雲が物凄いスピードで流れているのが目に入った。気がつけば、風も徐々に強くなっているような気がする。下手をすると、このまま雪にでもなるのかもしれない。


 冬場にしては妙に生温かい空気が頬を撫で、晶は何かを払うようにして自分の顔を叩いた。こうして旧校舎の前で待っているだけでも、目に見えない何者かに触られているようで嫌だった。


(な、なにビビってんだよ、俺……。あいつだって……香帆だって、一人でこん中に入ったんだぞ……)


 朽ち果てた校舎が巨大な怪物のように思え、晶は自分に言い聞かせながら気持ちを落ち着けた。だが、次の瞬間、後ろを振り返った自分の前に現れた者を見て、晶は思わず声を上げて尻もちをついた。


「どわっ!!」


「よっ、晶。約束通り、来てやったぜ」


「な、なんだ、藤宮かよ……。脅かすなっての」


 そこにいたのは清だった。懐中電灯を顔に当て、いきなり晶の目の前に現れて驚かせたのだ。


「なんだよ、お前。もしかして、柄にもなくビビってんのか?」


 けらけらと楽しそうに笑いながら、清は晶のことを見降ろして言った。その後ろには、一緒についてきたと思しき直己や秀人の姿もある。


「それじゃ、さっさと旧校舎に潜入して、お前の言ってた≪鏡さまの儀式≫ってやつを試そうぜ。紺野がいなくなった理由、俺も少しは気になってたしさ」


「あ、ああ……。でも、それよりも、お前達は大丈夫だったのかよ。俺はこっそり抜け出せたけど……秀人の家とか、親はけっこう厳しいんじゃねえの?」


「その辺は大丈夫だろ。夜中の二時にもなってりゃ、いくら大人でも大抵は寝てるしさ」


 まだ小学生であるにも関わらず、深夜に家を抜け出したことをさらりと流す清。もっとも、そんな清でさえ、別にいつも夜遊びをして回っているわけではない。ただ、親の寝ている時間に家を抜け出して旧校舎の探検に出掛けるという行為が、どこか彼の頭を興奮させて、妙な自信を持たせている節はあったが。


 晶、清、直己、秀人の四人は、曇天の空の下にそびえる旧校舎を改めて見上げた。


 ぼろぼろに朽ち果てた木造の壁に、埃を被って向こう側の様子さえわからなくなっているガラス窓。かつては通用口だった場所は厳重に封印され、そこから中に入ることは適わない。窓も全て中から鍵がかかっているようで、一見して進入できそうな口は見当たらない。


「おい……。とりあえず、早く中に入れるところを探そうぜ……」


 四人の中の誰かが、呟くようにして口にした。風がサァッと吹いて、校舎脇にある木々の梢を揺らす。冬場でも緑の葉を湛える針葉樹の枝が、ザワザワと音を立てて不気味に鳴った。


 このまま寒空の下で校舎を眺めていても仕方がない。晶達はそれぞれが懐中電灯を片手に、旧校舎に入るための入口を探しだした。


 通用口は、随分と前から重たい南京錠による固い封印が施されている。雨風にさらされた南京錠は酷く錆びついており、これでは合鍵を持って来ても封印を解けないのではないかと思ってしまう。いくらなんでも、あれを壊して中に入るのはさすがに無理だろう。


 校舎の裏側に回るようにして、晶達は手ごろな窓を探して歩き回った。香帆が旧校舎に侵入できたことから考えて、恐らくはどこかに中へ入るための場所があるに違いない。扉の類は全て封印されていることを考えると、窓から入った可能性がもっとも高かった。


 古びた旧校舎の裏手は、正面から見たときよりも更に不気味だった。ぼろぼろに朽ちた壁にはところどころ蔦のようなものが這っており、冬だというのにやけに濃い緑色をした葉をあちこちに広げていた。


 窓ガラスにも亀裂が入り、裏からガムテープで止められているものもあった。もっとも、さすがに窓を壊して入ろうとは思わないため、侵入の役には立ちそうにないが。


「おっかしいなぁ……。香帆のやつが入れたんだから、どっかに入れそうな抜け穴とかあってもいいはずなんだけど……」


 懐中電灯で旧校舎を照らしながら、晶はぼやいた。校舎の周りを回っているだけで、いつまで経っても中に入れないことに、少々苛立っているようだった。


「ま、仕方ないんじゃねえの? 紺野が旧校舎で見つかったってんだったら、警察とか学校の先生が、入口みたいなもんを全部塞いじまったとしてもおかしくねえし」


 懐中電灯を持ったまま後ろ手に腕を組んで言ったのは清だ。落ち着いて考えてみると、確かに清の言っていることはもっともだった。


 香帆が旧校舎で見つかったのは、恐らく偶然のようなものだったのだろう。深夜、学校へ向かう姿を目撃していた誰かの情報を手掛かりに、警察や教師が学校の中を捜索した。その際、万が一のことを考えて旧校舎を調べたら、たまたま香帆が見つかったのではないか。


 だが、例え香帆が見つかったとしても、学校側としてはこれ以上の不祥事を避けたいという考えもあったに違いない。なにしろ、数日前に香帆の弟であるレオが――――あくまで公にされている事実では――――屋上から転落して事故死。その上、今度はその姉が、立ち入り禁止の旧校舎で発見されたのだから。


 大人の難しい話は晶にもわからないし、学校側の事情なども知ったことではない。ただ、そんな晶でも、学校がこれ以上の事故を防ぐため、立ち入り禁止の場所への侵入を防ごうとしているのはわかるような気がした。香帆が旧校舎に侵入する際に使った入口も、その際に封じられてしまったに違いない。


 どちらにせよ、このままでは旧校舎の中に入ることさえままならない。早くも諦めに似た気持ちが晶達の間に漂いつつあったが、それを破ったのは、意外にも四人の中で最も大人しい秀人だった。


「ね、ねえ、晶君。あれ……」


 秀人の持った懐中電灯の指す光の先。そこにあったのは、ガラスの割れが特に酷い窓だった。窓は校舎の二階にあるもので、その向こう側は階段になっているようだ。どうやら、一階と二階を繋ぐ階段の、踊り場に設置された窓らしい。


 野球のボールでもぶつかったのか、それとも誰かが気まぐれに石でも投げつけたのか。とにかく、そこの窓だけは、他のものよりも酷い割れ方をしていた。一階の窓ガラスが小さな穴やひび割れ程度の損傷しかないのに対し、二階のそれは一目見ればわかるほどの大穴が空いている。


「なるほどね。あの窓だったら……もしかして、穴から手ぇ突っ込んで鍵外せば、開けて中に入ることができるかもしれねえな」


 割れたガラスを照らしながら、晶も秀人が何を言わんとしていたのか理解して言った。ガラスに空いた穴は都合よく、窓の鍵の近くに位置している。泥棒が家に侵入するときのように、あそこから手を入れて中の鍵を外せば、もしかすると中に入ることができるかもしれない。


 問題なのは、窓の場所が一階ではなく二階にあるということだった。普通に考えれば生徒が二階から侵入することは考えにくいため、穴も放置されていたのだろう。が、それは晶達にとっても、あの穴から校舎の中に入るのが極めて難しいことを意味している。脚立でもあれば話は別なのだろうが、生憎と晶達はそんなものを持って来ているわけでもなかった。


「なあ、どうするんだよ、晶。あそこの鍵外すって言ったって……俺達じゃ、二階にジャンプして上がるってわけにもいかないだろ?」


 そもそも、二階にジャンプしただけで飛び上がれる者などいるはずがない。そんなことはわかりきっていたが、それでも清がやや誇張した表現を使って晶に尋ねた。


「ま、大丈夫だろ。たぶん……あれに登ってひさしの上に乗っかれば、後は鍵の部分にも手が届くってね」


 そう言って、晶は自分の懐中電灯で何かを照らす。それは、校舎脇に生えた一本の木。葉こそ全て落ちていたものの、それでも十分に頑丈そうな枝を張った落葉樹だった。


「この木に登って、そっから校舎に飛び移ればなんとかなるだろ。後は、そいつが一階に行って、下の教室にある窓の鍵でも開ければいいじゃんか」


「そりゃ、確かに名案かもしれないけどさ。でも……いったい誰が、その役を引き受けるってんだよ」


 晶の口から出た提案に、清が改めて周りの人間の顔を見回しながら言った。その言葉の意味がわかっているのか、すぐさま反論しようと言う者は出てこない。


 清は頭こそ晶よりきれることがあるものの、運動神経はそれほどよいわけではない。秀人に至っては清よりもさらに悪く、木登りさえまともにできるかどうかわからない。


 直己は運動神経の良い方だったが、残念ながら性格はガサツそのものだ。木に登るまではいいとして、その後のことまで上手く行くとは限らない。注意力が足りないばかりに枝を折って木から落ちることも考えられたし、窓ガラスの穴から手を入れて鍵を開けるときに、何かの拍子で自分の手を切ってしまうかもしれなかった。


 結局、この中で最も役に適しているのは、言い出しっぺの晶しかいなかった。晶もそれは承知しているようで、自分の考えに水を指した清に対し、あれこれと文句を言うことはしなかった。


 もとより、自分が行こうと思っていたところだ。そう割り切って、晶は目の前にある木に登りだした。木登りなど久しくやっていなかったが、それでも体のどこかで覚えていたのか、そこまで登ることに苦労は感じなかった。


 天を貫くようにして真っ直ぐに伸びる針葉樹とは違い、あちこちに枝を張るようにして伸びている広葉樹である。足をかける場所を間違えなければ、そうそう落ちるものではない。冬なので毛虫と鉢合せすることもないだろうし、手足の先にだけ集中できるというのはありがたい。


 唯一の不安は夜のため視界が悪いことだったが、それは下にいる仲間達が助けてくれた。晶の登る先を示すようにして、清や直己が懐中電灯の明かりを当ててくれるのだ。正直、この暗闇の中で、これはとても助かった。


「おい、直己。下から照らすのはいいけど、そのまま調子に乗って、俺に浣腸かましたりすんじゃねえぞ」


「こんなときに、そんなことするわけないだろ。いいから早く、お前は二階に飛び移れよ」


 仲間の協力を得て、少しは緊張が解けたのだろうか。晶は下にいる直己に冗談を飛ばしながら、太い幹を離れて二階のひさしに伸びる枝の上を這っていった。


 幹と違い、横に張り出された枝は細く折れやすい。晶は大柄な体格ではなかったし、枝も剪定された街路樹のそれとは異なり頑丈そうだったが、それでも慎重に進まねばならないのは確かだ。


 できるだけ太そうな部分を選んで、晶はそろそろと枝の上を進んで行った。途中、風が吹いて枝を揺らすと、それだけで下に落ちそうになり手に汗がにじむ。


「駄目だな、こりゃ。これ以上進んだら、枝が折れちまうぜ、きっと」


 枝の真ん中辺りまで進んだところで、晶はそう言って悪態をついた。二階のひさしまではもう少しで届きそうだったが、このまま進めば枝の方が先に折れてしまいそうだ。


「おい、大丈夫か、晶。駄目なら駄目で、早く降りてこいよ」


「ああ。でも、ここまで来て諦めるのも勿体ないじゃん。駄目もとで、もうちょっと粘ってみてもいいだろ?」


 下から声をかけて来た清に対し、晶はそう答えて木の枝の上に立った。周りに張り出された他の枝をつかみながらバランスを取り、なんとか二本の脚だけで枝の上に立つ。木の節目のできた瘤と枝の分かれ目に足をひっかければ、両手が空いていてもなんとか立てた。


「おい、どうすんだよ、晶! まさか、お前……」


「決まってんだろ、藤宮。今からあっちへ飛び移る」


「なっ……。やめとけって! いくらお前でも、落ちたら怪我じゃすまねえぞ!?」


「いいから、いいから。この程度なら、お前には無理でも俺には飛べる」


 そう言って、晶はにやりと笑いながら木の上で膝をゆっくりと屈めた。下では清や秀人がまだ何か言っていたが、晶は無視して枝を蹴った。


 みしっ、という音がして枝が揺れるのと、晶の身体が中に浮くのが同時だった。次いで、乾いた音が深夜の学校に響き渡り、落葉樹の枝がバサリと折れる。あまりに大きな枝が落ちて来たことで、下にいた清達は思わず後ろに下がって言葉を失った。


「うわ……。枝、折れちゃったよ……」


 自分の身の丈ほどもある枝を懐中電灯で照らしながら、秀人が気まずそうにして言った。学校の木の枝を折ったということに対する罪悪感もあったのだろうが、それ以上に、晶のことが心配だった。ここまで派手に枝を折ってしまって、果たして晶は大丈夫だったのだろうか。


「おい、晶のやつはどうなった!?」


「し、知らないよ……。僕も、晶君が飛んだ後は、枝しか見えなかったし……」


「マジかよ……。まさか、枝と一緒に落っこちたなんてことはないだろうな」


 清が慌てた様子で懐中電灯を振り回し、晶の姿を探した。万が一、あの枝と一緒に落ちていたら、いくら晶でもかすり傷で済むはずがない。下手をすれば、足の骨を折ってしまう可能性もある。


 やはり、あの時に強引にでも止めておくべきだったか。そんな考えが清の頭をよぎったとき、旧校舎の壁の方から聞き慣れた声がした。


「おい、藤宮。なにやってんだよ、そんなところで」 


 穴の開いた窓ガラスのある、旧校舎の二階。その横に張り付くようにして声をかけてきたのは、先ほど木の上から跳んだ晶だった。


「なっ……! お前、無茶苦茶なことすんなよな! こっちはマジで心配したんだぞ!!」


「悪ぃ、悪ぃ。ま、俺は逃げ足の速さと身軽さだけが取り柄みたいなもんだからさ。とりあえず、ひさしに飛び移れたんだから結果オーライだろ」


 下から懐中電灯の光に照らされて、にやりと笑いながらブイサインを送る晶。相変わらずのお調子者だと清達は思ったが、それは自分たちも同じである。


 なにはともあれ、晶は旧校舎に飛び移れた。後は、晶が窓の鍵を開けて中に入り、それから別の場所の窓を開けるだけだ。


 留守中の家に侵入する泥棒のようにして、晶は割れた窓ガラスの穴から手を突っ込んで鍵を外した。長らく使われていなかった鍵は固く、なかなか回すことができなかったが、それでも何度か手を動かしている内に、うまく外すことができたようだ。窓ガラスの破片などで手を切らなかったことは、不幸中の幸いである。


 ボロボロの窓ガラスを開け、晶は暗闇の広がる旧校舎の中へと足を踏み入れた。その際、下にいる仲間達から、自分の懐中電灯を放ってもらうことも忘れなかった。昼間ならいざ知らず、夜の旧校舎の中は完全なる闇だ。


 窓枠を乗り越えて中に入ると、その瞬間にカビ臭い空気が晶の鼻を刺激した。同時に床に積もっていた埃が舞い上がり、懐中電灯の明かりの中で白い煙のように舞っている。


(うわぁ……。外から見ても不気味だったけど、こうやって中に入ると、マジでおっかねえな……)


 踊り場から上に続く階段を眺めながら、晶は自分の手にじっとりと汗が滲み出てくるのを感じていた。冬だというのに、既に寒いという感覚はない。むしろ、真夏の蒸し風呂にでも入ったかのように、べっとりとした汗が背中から噴き出している。


 暗闇の中、晶は懐中電灯の明かりを下に向けて歩き出した。上の階に何があるのかも気になったが、今は一階にある教室の窓を開けることが先決である。それに、こんな不気味な旧校舎の中を、いつまでも一人で歩き回りたくもない。


 階段を下るたびに、ぎしっ、ぎしっ、という嫌な音が晶の耳に響いた。その音は無人の校舎の中で反響し、自分以外にも誰かが階段を下っているのではないかという錯覚を抱かせる。怖いと思ってはいけないとわかっているのに、こんなときに限って本で読んだことのある学校の怪談話を思い出しそうになるのだからたまらない。


(な、なにビビってるんだよ、俺……。あいつは……香帆は、この校舎に一人で忍び込んだんだぞ……)


 弱気になりそうな自分自身に、晶はそう言い聞かせて足を進めた。気が強いとはいえ、自分と同じ小学六年生。それも女子にできたことが、自分にできないはずがない。身体は震えていたが、そう思わねば途端に足が動かなくなりそうで怖かった。


 古い木の板の軋む音だけが、晶の神経を刺激する。ほんの短い階段のはずなのに、このまま地獄の底まで繋がっているのではないか。そんな不安が常に頭のどこかで危険信号を発している。


 もう、これ以上は限界だった。晶は階段を駆け降りると、そのまま脇目もふらずに近くの教室に飛び込んだ。中には木製の机や椅子がそのまま積み重ねられていたが、そんな物を気にしている場合ではない。


 自分の目の前にある数枚の窓ガラス。その鍵に手を伸ばして外すと、晶は中から身を乗り出して仲間を呼んだ。


「おい、藤宮! 教室の鍵、開けたぞ!!」


 自分でもびっくりするくらい、大きな声が出た。怖さをかき消すためとはいえ、これは晶自身、失敗だったと思う。この声を誰かに聞かれたら、今まで順調に運んで来た事が水の泡だ。


「馬鹿! お前……声がでけえよ!!」


 案の定、外にいた清に怒られた。しかし、晶はそれに反論することなく手招きすると、再び大きく息を吸い込んで吐きだした。


 旧校舎の中に広がるカビ臭い空気とは違い、外の空気は新鮮だ。窓を一枚隔てているだけとはいえ、中と外ではこうも空気が違うものなのか。


 程なくして清達も集まり、晶は再び旧校舎の中に首をひっこめた。それに続くようにして、清、直己、秀人の三人も校舎の中に乗りこんで来る。


「ふぅ……。とりあえず、これで潜入成功ってか?」


 懐中電灯を振り回しながら、直己が能天気な口調で言った。気弱な秀人などとは違い、直己には怖いと感じる気持ちが弱いようだった。いつもは四人の中でも最も無神経な発言が目立つ直己だが、今回ばかりはそんな彼のことも少しばかり羨ましく思えてくる。


「と、とりあえず、これから全員で東階段の大鏡の前に行こうぜ。みんな、勝手に歩いてはぐれたりすんなよ」


「わかってるぜ、晶。なんか、床とか腐ってるところもありそうだしな。皆の明かりを集めて、注意しながら行こう」


 清が晶の言葉に答え、残る二人もそれに頷く。懐中電灯の光を束ねるようにして床を照らし、四人はそっと教室を出た。


 ぎしぎしと、再び嫌な音が校舎の中に響く。頼りになるのは、手持ちの懐中電灯の明かりのみ。これがなくなれば、辺りは一瞬にして闇に支配される。


 校舎の中に入るまでは口数の多かった清も、なぜか今では静かになっていた。秀人に至っては完全に怯えているようで、なんとか勇気を振り絞って晶についてきている様子である。下らない冗談を言わないことからして、直己も先ほどとは違い緊張しているのだろうか。


 無言のまま、懐中電灯の僅かな光りだけを頼りに、四人は旧校舎の廊下を進んで行った。校舎の中は殆どの物が取り払われていたが、中には使用されていた当時の啓示物などが、そのまま残っている壁も存在した。もっとも、今では完全に朽ち果ててしまい、当時の面影など欠片もない。


 これが昼間のことだったならば、壁の落書きや残された啓示物などを見て、妙にノスタルジックな気持ちになったことだろう。自分の父や母の世代の人間が学んでいた学び舎で、両親の子供時代を想像する。そんな余裕もあったはずである。


 だが、今の自分達がいるのは真夜中の旧校舎。全てを飲み込まんとするほどに暗く、大きな闇に包まれ、いつ何が現れても不思議ではない、不気味な空気が漂う場所。その上、そんな旧校舎で級友から聞いた如何わしい儀式を試そうというのだから、恐怖を感じないという方が嘘になる。


 そう言えば、自分が小学校に上がったばかりの頃、晶はこんな話を聞いたことがある。


 深夜、火乃澤第二小学校の旧校舎に、戦時中の兵隊の霊が出る。彼らは未だに成仏できず、夜中になると校舎の中で行進を続けている。そして、その霊の行進を見た者は、一緒に霊界に連れていかれて兵隊の仲間にされてしまうというものだ。


 初めてこの話を聞いた時、晶はそれを鼻で笑い飛ばした。そんな話は馬鹿げている。幽霊なんているはずがない。いくらなんでも、この程度の子供騙しで怖がるほど臆病ではないと。ただし、その話を今この場所で、このタイミングでされたならば、話はまったく違っていたのだろうが。


 廊下を一歩進むごとに、木の板が軋む音が大きくなってゆくような気がした。この足音は、果たして本当に自分達だけの立てているものなのだろうか。もしかすると、あの噂話にあった兵隊の霊が、自分達の頭の上を行進している音ではないか。そんな考えが、嫌でも頭をよぎってしまう。


(お、落ちつけ、晶……。俺は、香帆が病院に運ばれた理由を突き止めるって決めたじゃないか……。ここで逃げ出したら、そんなのはさすがに男じゃねえぞ!!)


 恐怖に打ち負けそうになる自分に檄を飛ばしながら、晶はふと壁の方に懐中電灯の光を向けた。何気なく、本当に何も考えずにやったことだったが、次の瞬間、晶はそこに映し出された物を見て思わず声を上げた。


「うわっ!!」


「ぎゃぁっ!!」


 晶の声に釣られ、残りの三人も声を上げて跳び上がる。彼らの前に現れたのは、紙で作られた奇妙な仮面。画用紙を切り抜いて作っただけの簡素の物で、当時は純白だったはずの表面も黄色く汚れている。昼間に見れば大したことの無いものだったが、この状況で目にするにはあまりに刺激の強過ぎるものだった。


「な、なんだ……。ただの紙のお面じゃねえか……」


「ったく、驚かしやがって! なんでこんなもん、わざわざ残した状態で新しい校舎なんか作ったんだよ……」


 壁にかかった仮面が作り物だとわかり、清と直己が悪態をついた。もっとも、ここであれこれと言ったところで、仮面を生徒に作らせた上、それを廊下に飾って放置したのは当時の先生だ。既に学校から去った先生の考えなど、今の清達にはどうでもよいことだった。


「おい、遊んでないで行くぞ。もう少しで、大鏡があるっていう東階段だ」


 仮面の正体がわかって現実に引き戻されたからだろうか。晶は俄然強気を取り戻し、残る三人に手招きしながら先を急いだ。


 旧校舎の中に、再び木の軋む音が響く。音はやがて校舎の上へと登って行き、それは二階と三階の間辺りまで来たところで急に止まった。


「あった……。これだぜ、たぶん」


 程なくして、晶達は階段の踊り場にある大鏡の前にやってきた。先ほど、晶が侵入する際に使ったのは西階段の窓。つまり、旧校舎の長い廊下を渡り、反対側まで来たことになる。


「この鏡と、香帆にもらった鏡を使って合わせ鏡にすればいいんだな。だったら、簡単だぜ」


 ポケットから青い縁取りの鏡を取り出して、晶はそれを階段の踊り場にそっと立てた。次いで、自分が鏡と鏡の間に立つと、あらかじめ腕に巻き付けておいた腕時計を見て時間を確認する。


 香帆の話では、鏡さまが現れるのは午前二時。時計を見ると、まさに時刻は二時になろうとする寸前であった。一瞬、慌てる晶だったが、どうやらなんとか予定の時刻には間に合ったらしい。


 時計の秒針が音を立てて時を刻むのを眺めながら、晶は香帆から聞いた≪鏡さまの儀式≫の話を思い出していた。


 深夜の二時、学校の旧校舎にある東階段の大鏡の前で、古びた鏡を使って合わせ鏡を作る。その鏡の間に立って自分の一番会いたい人を思い浮かべると、鏡さまが一度だけその人に会わせてくれるという話だ。


 そこまで思い出して、晶は自分が大切なことを忘れていたのに気がついた。


 鏡さまは、会いたい人に一度だけ合わせてくれる神様だ。実際のところ、神なのか妖怪なのかはわからないが、とにかくそういう話だった。


 儀式を試した香帆は、恐らくは亡くなったレオに会いたいと願ったのだろう。だが、そんな香帆とは違い、晶は今すぐに会いたい人など存在しない。家族は全員が元気に過ごしていたし、祖父も祖母も健在だ。遠く離れた土地に友達がいるというわけでもなく、幼くして離れ離れになった親友がいるわけでもない。


 こうしている間にも、時計の針はどんどん二時に近づいている。このまま待っているだけでは、旧校舎に忍び込んでまで試そうとした≪鏡さまの儀式≫が失敗してしまう。


(こうなったら……やっぱり、あいつのことを考えるしかないよな)


 躊躇いは、既に晶の中でなくなっていた。


 晶が会いたいと思った相手。それは、他でもない香帆だった。弟を亡くし、その後に≪鏡さまの儀式≫を試して意識不明になった香帆。そんな香帆の元気な姿をもう一度見たい。そう願って、じっと合わせ鏡の中心で待つ。


(さあ、来やがれ、鏡さま……。俺に香帆を……元気だった頃の香帆を、会わせてみやがれってんだ!!)


 そう、晶が心の中で呟いたのと、時計の針が二時を指したのが同時だった。


 階段の踊り場に設置された大鏡と、晶の置いた青い錦模様の小さな鏡。二枚の鏡は互いに共鳴し合うかの如く不気味に輝き、どんよりと濁った紫色の光が溢れ出す。


「あ、晶!!」


 自分の後ろで誰かが名前を呼んだ気がしたが、晶はそれが誰の声なのかもわからなかった。鏡から溢れ出した光は瞬く間に晶の視界を包み、今は何も見る事さえ敵わない。


 この光はいったい何で、自分は今どうなっているのか。いや、そもそも鏡さまとは何者で、自分の行った儀式は成功したのか。


(くっ……。香帆……!!)


 薄れゆく意識の中、それでも晶は香帆の名を呼び、本能的に右手を前に伸ばした。が、その途端、さらに強い光が晶を包み、彼の意識はそこでふっつりと途切れてしまった。

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