第13.1話:完璧すぎる視界
(※本話は天宮 百音の視点)
翌日からのオフィスも、何事もなかったかのようにデスマーチが続いている。
「あー……もうダメです。目が乾きすぎて、エクセルがただの緑色のモザイクに見えてきました……」
隣の席で、佐々木が机に突っ伏した。彼女のデスクには、すでに空になったエナジードリンクの缶が三つ、危ういバランスで積み上がっている。
「あと少しだから頑張って。ほら、目薬」 「ありがとうございますぅ……先輩は平気なんですか? 昨日も終電だったのに……」 「平気よ。というか、なんだか今日はすごく調子がいいの」
私はいつものように優しく微笑み、後輩を労う言葉をかけた。私の中の「人間としての感情」は確かに残っているし、佐々木に対する思いやりも嘘じゃない。 だが、私の視界には、明らかな『異変』が起きていた。
パソコンの画面、会議室の空気、メンバーたちの会話。 そのすべてに、うっすらと「空間の波長」や「最適化のルート」がオーバーレイ(※1)して見えるようになっていたのだ。 複雑なソースコードの最適解が、自動的にハイライトされて網膜に直接浮かび上がってくるような感覚。
私はため息をつく間もなく画面に向き直り、山積みになった課題リストを処理し始めた。 ——カタカタカタカタカタッ、ターン! カタカタカタカタカタッ……!
「……えっ?」
隣で目薬を差そうとしていた佐々木の手がピタリと止まった。
「せ、先輩? 今、マクロも組まずに一万行のデータ目視でソートしてませんでした……?」 「うん? そうね。手でやった方が早いから」 「いやいやいや! 早いからってレベルじゃないですよ! キーボード叩く音が機関銃みたいになってますって! 指から火吹いてませんか!?」 「吹いてないわよ、もう大げさなんだから」
私は笑い飛ばすが、自分でも恐ろしいほどの処理能力を発揮している自覚はあった。 感情や迷いといった「無駄なプロセス」が一切介在しない。次に打ち込むべきキーの手動入力すらもどかしくなり、頭に浮かんだ数式のようなルートに沿ってただ指を滑らせるだけ。
「……まるで、未来が見えてるみたいですね」
佐々木の呟きに、私の指がほんの一瞬だけ止まった。 彼女の憧れと怯えが混ざったような瞳の奥に、「ロボットを見るような違和感」がよぎったのを見逃せなかったからだ。
自分の中の何かが、確実に『システム』へと作り変えられている。 その実感は、音もなく私の足元を冷たく浸食し始めていた。
【用語解説】
※1 オーバーレイ: 「上に重なって表示される」こと。例えばゲーム画面で、実際の景色の手前にHPゲージやマップが薄く重なって表示されている状態がオーバーレイ。




