第12.1話:赤い日
三連休の中日。
俺たちは上野の西洋美術館にいた。
「モネの『睡蓮』、やっぱり何度見ても素晴らしいですね。光の捉え方が……」
「そうですね。ただ、どうしても解像度の低さが気になってしまって……」
「……はい?」
「いや、対象をピクセル単位でサンプリングした結果、全体的に激しいブラー(※1)(ぼかし)処理がかかってるように見えまして。あるいは、限られた色数で無理やりグラデーションを表現しようとした結果のディザリング(※2)処理か、はたまたJPEGの圧縮ノイズか……どのみち、もう少しアンチエイリアス(※3)を効かせた方が滑らかな描画になるかと——」
「……土屋さん」
天宮は、呆れたような、それでいてどこか面白がるような目で俺を見上げた。
「印象派の巨匠に、画像処理エンジニアみたいなダメ出しするのやめてもらえます? まったく……あなたって本当に変な人ですね」
「すみません、つい職業病で」
彼女が小さく吹き出すと、張り詰めていた空気がふっと緩んだ。
根っからのエンジニアの悲しい性といったところか。
彼女は笑いながら、ふと並んで歩く俺の腕元に視線を落とした。
「あれ? そういえば土屋さんって、いつも着けてるスマートウォッチ、今日はしていないんですね?」
彼女の言う通り、俺の腕は空だった。
通知を逃すまいと常に手首を気にしている俺が、あえてそれを外していることが意外に思えたのだろう。
「休日は不要なんですよ」俺は笑って答えた。「あれがないと仕事に集中できないんですが、仕事から離れさえすれば、俺もただの人間ですからね」
……というのは建前だ。
テツから教わった知識だった。『祝日=チューニング不要の日』。カレンダーにおける『赤い日(※4)』には、この世界の物理的監査システムが停止、あるいは極端に緩和される。だから今日は、過酷なマニュアルチューンに意識を割かなくても、システムによってノイズとして物理削除(BAN)される危険性が低いのだ。
(とはいえ、この安息日が終われば、またあの綱渡りの日常が戻ってくるわけだが……。いや、それ以前に、チューナーとして覚醒しかけている彼女のそばにいるだけで、俺がノイズとして『弾け飛ぶ』リスクはある。今日は赤い日でシステム全体が眠っているからこそ、彼女の拒絶反応も起きないはずだと……俺は自分の命をテーブルに乗せて、この時間に賭けているのだ)
まあ、先の憂鬱は今は脇に置いておこう。
彼女と二人で過ごす休日は、システムのエラーもバグも関係なく、ただ純粋に心地よかったのだから。
【用語解説】
※1 ブラー: 画像や映像にわざと「ボカシ」を入れるエフェクトのこと。素早く動いているように見せたり(モーションブラー)、背景をぼかして人物を目立たせたりするのに使う。
※2 ディザリング: 使える色の種類が少ない時に、違う色の点を細かく交互に並べて、遠目から見ると「滑らかなグラデーション(別の新しい色)」に見せかける昔ながらの小技。
※3 アンチエイリアス: 画像の斜めの線にできる「ギザギザ(ジャギー)」を、中間色を混ぜて滑らかに綺麗に見せる魔法の処理。「アンチエイリアスを効かせる」と言う。
※4 赤い日(安息日): カレンダーの祝日など。一般人が活発に動くと発生する大量のノイズ(バグ)を抑えるため、古来のチューナーたちが定めた「人々を休ませる日」。この日は監査システムもスリープまたは緩和されるため、ノイズにとってはチューニング不要で生きながらえる特異日となる。




