第11話:納品へのカウントダウン
プロジェクトは佳境を迎えていた。 朝、オフィスにいつもの男が姿を現した。クライアント側から品質管理(PMO)として送り込まれてきた、黒須さんという男。
彼が常駐し始めてからというもの、フロアの空気が異様に張り詰めていた。完璧に整ったスーツ、一分の隙もない物腰。だが、俺の目には彼から発せられる『圧』が、ただのビジネスマンのものとは思えなかった。テツの言葉を借りるなら、あれは『システム側』の存在、つまり監査官(※1)だ。彼の一挙一動すべてが、俺というノイズ(※2)を監視し、スキャンしているように感じられた。
俺は、天宮の視界や黒須さんの感知システムから、自分という『ノイズ』を隠すため、スマートウォッチに仕込んだマニュアルチューン(※3)を極限まで酷使していた。常に波形を合わせ息を潜める作業は、コーディング以上のリソースを脳から奪っていく。少しでも気を抜けば、世界から弾き出されてしまうという恐怖があった。
その影響は徐々にコードにも表れ始めた。 「土屋さん、今日のコミットなんですけど……」 天宮が、俺が書いたソースコードを怪訝そうに見つめていた。 「アルゴリズムとしては完璧で美しいんですけど、なんていうか……まるで『世界の隙間を縫う』ような、不自然な空白がある気がして。私の気のせいでしょうか?」
彼女の直感が鋭くなりすぎている。スタンダードチューナー(※4)としての覚醒が近い証拠だろうか。 「気にしないでください。ちょっと特殊な最適化をかけただけですから」 俺はそれらしくごまかすしかなかった。後になって考えれば、当時の俺のコードは、普通のエンジニアのそれではなくなっていたのだろう。
そして迎えた納品日。 最後の納品物の検収印を黒須から受け取った天宮は、大きく伸びをした。 「戻ったら打ち上げだ!!」 その一声で、社内でピザパーティーが開かれることになった。
俺は照れ隠しに軽口を叩きながらも、立ち回ってピザを取り分け、皆に振る舞っていた。 プロジェクトを乗り切ったメンバーへの感謝を、一人一人に伝えていく。
『デザインチームも、あの無茶苦茶な変更によく耐えてくれたな。それから……』 ふと、口が滑った。 「あそこであの基盤が崩れなかったのは……小林さんは……」
口にした瞬間、自分の顔が強張るのがわかった。 視線の先で、ピザをかじっていた黒須さんの『目だけ』が、全く笑っていなかったからだ。ヤツの網膜の奥に、無機質なターゲティングの光が走った気がした。システムから抹消されたノイズの名前を口にすることは、自らがノイズであることを証明する行為に等しい。
幸い、皆が酔い始め、帰り支度をする者も出始めたことで周囲の注意は逸れた。 黒須さんはスマートフォンが鳴ると、小さく会釈をして退出していった。嵐が去ったような安堵があった。
危機は去った。明日からは、三連休なのだ。
【用語解説】
※1 監査プロセス / 監査官: システムにとって不要なバグ(ノイズ)を検知し、空間から自動的に排除(BAN)するために巡回しているシステム側の防衛プログラムのような存在。
※2 ノイズ: チューナーたちによる空間の固定(操作)を受け付けなくなってしまった人間のこと。システム側からは「不要なバグ」として検知され、物理的・視覚的に排除(BAN)される危険な状態にある。
※3 マニュアルチューン: ノイズとなってしまった人間が、自分を無理やりシステムに偽装・同調させるための自作ツールや行為。主人公の場合はスマートウォッチのメトロノームアプリを用いて、自身の波形をごまかしている。
※4 スタンダードチューナー: 世界の「上流工程」から、社会全体や空間の安定を調律・維持する正規のシステム管理者。適性のある人間が選出され、訓練を経て覚醒していく。




