第10.3話:赤い日の真実と、反逆の兆し
深夜の退勤時。オフィスのビルから出て一人で駅に向かって歩いていると、突如、横の電柱の陰からノイズと共に『奴』が現れた。
「よぉ! 明日は待ちに待った休日(赤い日)だな〜!」
テツは両手を頭の後ろで組みながら、悪びれもなく並んで歩き始めた。
昼休みの裏路地から今まで、ずっと俺をストーキングしていたのだろうか。
「……何しに来た。ガジェットならもう返しただろう」
「ちげえよ。お前に大事なことを教えに来てやったんだ」
テツは立ち止まり、空を見上げた。
「赤い日ってのは、人間のための休みじゃねえ。『システム側』の定期メンテナンス日(計画停止)だ」
「……定期メンテナンス?」
「この箱庭を維持する巨大な演算処理のリソースを休ませて、キャッシュ(※1)をクリアするための日だ。だから明日は、俺たちみたいなバグを検知する監査プロセスも完全に休止してる。そのチートアプリを切って、少しは羽を伸ばせ」
IT屋の俺にとっては、あまりにも納得のいく例えだった。
「じゃあな」
テツはそう言うと、背負ったガジェットのバルブに手をかけた。シューッ、と排気音が鳴り、彼を覆う空間が再び陽炎のように歪み始める。その別れ際、彼の顔が再び真剣なものになった。
「だが、お前の周りにいる『天宮百音』には気をつけろ。あいつは世界を管理するチューナーに覚醒しかけてる。ノイズであるお前がそばにいれば、お前の体はあいつのシステムに自動的に拒絶されて、完全に弾け飛ぶぞ。……関わるな」
忠告だけを残し、テツの姿は深夜の闇の中にノイズと共に溶けるように消え去った。
一人残された夜道。
俺は自分の手首にはめられたスマートウォッチを静かに見つめた。
休日の間は、これを切っても安全。
スマートウォッチの画面をオフにする。
『天宮がチューナーに覚醒しかけている。関わるな』
テツの警告が、冷たい夜風とともに耳の奥で反響していた。
自分が世界から消えゆく「バグ」であることは、もう疑いようがない。離れるのが一番の正解なのだろう。
彼女が、感情のないシステムの管理者になってしまう?
俺の脳裏に浮かんだのは、甘い笑顔やふとした気遣いなどではない。
あの過酷なデスマーチで、絶望的なデッドロックに陥った俺たちを涼しい顔で救ってくれた、彼女の神がかったタイピングの後ろ姿。
そしてその後、疲れ果ててデスクで眠っていた無防備な姿だ。
「……冗談じゃない」
俺は忌々しそうに、暗い夜道に吐き捨てた。
「あんな優秀なヤツを、得体の知れないバグだらけの『システム』なんかの部品にされてたまるか。」
なぜ自分が、消滅するリスクを負ってまで彼女に執着するのか。……恋愛感情? ふん、馬鹿馬鹿しい。
俺の胸に込み上げていたのは、ただの義憤だ。
自分たちを救ってくれた優秀な相棒を理不尽に奪われることへの、エンジニアとしての強烈な損失感と反発だ。
そして、人の人生を弄ぶシステムへの意地だ。
自分が「ノイズ」として消されるリスクはあるかもしれない。だが、彼女をシステム側へ堕とさせないための方法があるんじゃないか?
俺はマンションのエントランスに向かって、静かに、だが確かな足取りで歩き出した。
【用語解説】
※1 キャッシュ / キャッシュクリア: スマホやブラウザが「次からはもっと早く表示しよう」と一時的に保存しておくデータがキャッシュ。これが溜まりすぎたり古いままだったりするとおかしくなるので、「キャッシュをクリア(消去)」すると直ることが多い。




