8.地図のない街
夕日を浴びた街並みが、さっきとはまるで違って見えた。
まるで、別の街に迷い込んだような感覚に包まれる。
(不思議な街だな……)
そう思いながら歩を進める。
マンションの前には、オオタの黒い高級車が静かに待っていた。
助手席に乗り込むと、革のシートが柔らかく身体を包み込む。窓の外には、整然と並ぶ街路樹が夕陽に染まり、淡い金色に輝いていた。
「……あの、オオタさん」思わず声をかけると、ハンドルを握る彼は笑みを浮かべて言った。
「ケン、でいいですよ」
「じゃあ……ケンさん。病院の場所を教えてもらえますか?」
ケンは落ち着いた声で答える。
「病院が必要になれば、スマホに自動的に表示されます。ですから、それに従っていただければ大丈夫です」
「あ、そうなんですね……」
少し腑に落ちない思いは残ったが、きっとこの街には、この街なりの仕組みがあるのだろう。私はそう思った。
「後ほど詳しく説明しますね」
*
美しい町並みを少しドライブした後、ひときわ高いビルが視界に入って来た。
「今日の目的地です」ケンはさやかに向かってほほ笑んだ。
ビルの最上階のレストランに着くと、ウェイターが、お待ちしておりましたと、一礼して、二人を案内した。夜景が一望できる特等席へ。
テレビや雑誌で見たことはあっても、自分が実際に足を踏み入れるとは思ってもみなかった高級レストラン。
街で最も高いビルの最上階、ガラス越しに広がる夜景はまるで宝石を散りばめたように輝いていた。
最初は場違いな気がして、背筋も自然とこわばる。けれど、向かいに座るケンが穏やかに話しかけてくれるたび、少しずつ緊張がほぐれていった。仕事のこと、この街の仕組み、そして何気ない世間話――気づけば会話に引き込まれ、デザートのストロベリーアイスへスプーンを伸ばしていた。
食事を終えると、ケンはグラスを卓上にそっと戻し、穏やかな声で口を開いた。
「明日お渡しするスマートウェアが、あなたの健康を管理します。もし体に異常があれば、すぐに端末へ通知が届き、然るべき場所へ導かれる仕組みです。ですから、病院を探す必要はありません」
私は自然と頷いていた。
未来的で、どこまでも合理的な仕組み。これなら安心できる――そう思った。
そのとき、ケンは声を少し落とし、静かに続けた。
「それから、この街には地図が存在しないんです」
「え……どうしてですか?」
問いかける私に、ケンは穏やかに微笑む。
「街そのものが、毎日すこしずつ形を変えていくからですよ」




