56.永遠の難問
「……おそらく、カリーム博士はこう考えておられるのでしょう。連鎖破綻コマンドを止められるのは、モリス博士しかいない――と」
しばらく間をおいてから、技師はもう一度口を開いた。
「……そして、最後に“PS”として、追伸が記されていました。」
彼は静かにその一文を読み上げた。
「もし、どの解除コマンドも不発に終わった場合は、
ChronoWorksのアーカイブに保存されている、158年~180年の研究日誌を参照してほしい。
そこのどこかに、モリスが“答え”を残しているはずだ。」
読み終えたあと、応接室にはしばらく沈黙が落ちた。
その声には、遠くから憧れ続けてきた二人の巨人、カリーム博士とモリス博士に触れることへの畏怖と、まるで少年のような高揚感がにじんでいた。
*
その後、老齢の技師を伴ったヴィガが、本社から工場のオペレーションルームへ急行した。
カリーム博士の提案したコマンドを試みたものの、モリスAIが反応を示すことはなかった。
私はそのまま研究アーカイブデータの閲覧を続けたいと申し出たが、
アイリスに「休養を優先すべきです」と強く提案され、その日はおとなしく帰宅することにした。
翌日。
自宅のリビングで、アイリスが準備したアーカイブデータを手元のパッドで一緒に参照していると、
突然、窓ガラスがモニターに変化して再生ウィンドウが立ち上がった。
映し出されたのは、古い研究室にいる若い青年二人――
――――
「リチャード……参ったよ……」
「ユスフ・カリーム。君が参ったなんて、いったいどんな難解な数式なんだ?」
「数式じゃないよ!」
「彼女と喧嘩したんだけど、どうやって仲直りしたらいいか見当がつかないんだ。何かプレゼントをあげた方がいいかな」
「それなら、君が作った数式の美しさを見せてあげればいいよ、ユスフ・カリーム」
「……それは、絶対に逆効果だ!」
――――
動画は、リチャード・モリスと、ユスフ・カリームの数秒のやりとりだった。
「いくら天才でも、相手のご機嫌を取るのは難しいってことね」
気づけば、私はアイリスにそうつぶやいていた。
「当社のAI利用データの統計からも、
パートナー間の衝突に関する調停依頼が上位を占めています」
「それには、どういうふうに回答しているの?」
「シチュエーションにもよりますが――
『怒っている相手に正論をぶつけても逆効果』という回答をするケースが多いです」
「ふふ、なるほどね。
この科学者たちは、きっと正論しか言わなくて、喧嘩をこじらせそうだわ」
私は小さく笑いながら、
モニターに映る二人の若き科学者の姿をもう一度見つめた。
「……エマは、どうしてもらったら気が静まるのかな」
その問いを口にした瞬間、
私は――最後に見たエマの表情を、ふいに思い出していた。




