24.本社ビル
エントランスの床は黒い大理石のように艶やかで、磨き抜かれた表面が天井の光を映している。
その光沢の上に、真っ白な壁が無機質に立ち上がり、人工的な静けさに包まれていた。
私たちはその空間を抜け、エレベーターホールへ向かう。
ケンが迷いなく押したボタンは「最上階」だった。
到着した先は、会議室と呼ぶにはあまりに洗練されすぎた空間だった。
前面を覆うのは、窓枠すら存在しない巨大なガラスの壁。
外の景色が歪みなく映し込まれ、まるで空中に浮かんでいるような錯覚を与える。
床一面にはワインレッドのカーペットが敷き詰められている。
だが、その佇まいは会議室というより、ホテルのラウンジに近かった。
「スクリーンを出して」
ケンが短くコマンドを口にすると、部屋の照明がすっと落ちた。
次の瞬間、透明だったガラスの壁が黒く沈み込み、巨大なモニターへと変貌する。
「さやか、ここに座って」
振り返ったとき、そこにはいつの間にかソファーが置かれていた。
ケンの促しに従い、私はゆっくりと腰を下ろす。
「ChronoWorksの歴史を」
ケンはそう言って、私の隣に腰かけた。
巨大なモニターに映し出されたのは、一枚の写真と文字。
――『創業者:エマ・ヘミングウェイ』
写真に写っていたのは、六十代半ばほどの女性だった。
髪はほとんど白く染まり、光を受けて淡く輝いている。
モスグリーンの瞳は穏やかな笑みを浮かべながらも、その奥に冷静で研ぎ澄まされた知性を秘めていた。
次の瞬間、部屋に声が満ちる。
それはAIによる自動ナレーション――にもかかわらず、息遣いや抑揚まで人間と寸分違わない完璧な声だった。
『異世界から科学者の募集に応じ、この世界へと渡られたヘミングウェイ博士は、AIの開発とロボティクス研究に尽力され、当社の礎を築かれました。当社が開発したクロノスマートウェアは、人々の健康寿命を飛躍的に延ばし、異世界人との交流によって生じた健康被害を改善する、画期的な医療機器です――』
その「人間らしさ」を逆に不気味に感じながら、私は画面の女性の瞳に吸い込まれるように見入っていた。
そこに映っているのは、数日前にバスで隣に座った“あの女性”の面影。年齢も姿も違うはずなのに、確かに同じ人物に思えてしまう。
『――そして、創業から六十年の時を超え、新たな異世界からの研究者、李瑶博士の手によって、クロノスマートウェアは完成の域へと到達しました』
ガラスの壁に響くAI音声は、完璧に人間的であればあるほど、胸の奥に重苦しく沈んでいった。
「……リー・ヤオは、僕の母の名前だ」
ケンが低くつぶやいた。
気がつけば、私はケンの腕を両手で強く握りしめていた。
自分でも抑えられないほど、胸の奥からこみ上げてきた問いが口をつく。
「……あなたは、人間……よね?」
声が震えていた。
問いかけた瞬間、部屋の空気がさらに張りつめた気がした。
「うん、僕は人間だよ。安心して」
ケンはやさしく微笑む。その笑顔が、かえって不安を煽る。
「あのロボットのエマは、何が目的なの?」
「わからない。妨害工作のように見えるが……真意は不明だ」
「出荷された商品に、不具合はないの?」
「今のところは……ね」
「不気味ね」
「あぁ。ヘミングウェイ博士が作り上げたAIが、今なにを考えて動いているのか……我々には計り知れない」
「……でも、あの人、言っていたの。十年前にこちらに来て、ご主人を亡くしたって」
「エマ博士は独身だったはずだが」
互いの言葉が宙に溶け、ふいに沈黙が落ちた。




