昇格と「復権」
宝来優里のシルバー昇格が発表された後、
ダイアモンドラウンジでは、
遥香の反応を伺うように、
周到に仕組まれた「会話」が繰り広げられていた。
その目的は、遥香の心の奥底に眠る優里への感情を刺激し、
彼女自身に優里との関係を再構築するきっかけを与えることだった。
その中心にいたのは、
見事な演技力を発揮する真佑だった。
彼女は、わざとらしく悲しげな声で、露骨な演技を始めた。
「優里がシルバーになっても、ダイアモンドラウンジには入れないよぉ~」
真佑の声には、
同情と残念がる気持ちがたっぷりと込められていた。
彼女の言葉は、まるで遥香の耳に
直接届くように計算されていた。
遥香は、ソファに座り、
書類に目を落としているかのように見えたが、
その耳は明らかに真佑の言葉を捉えていた。
そんな真佑に、日向朔也が、これまたわざとらしい声で続けた。
「でも、誰かのパートナーにならないと入れないんだよぉ~」
朔也の言葉は、優里がラウンジに入れない理由を明確にし、
同時に「パートナー」という言葉を強調することで、
遥香と悠、そして優里の間にあった
過去の関係性を想起させようとしていた。
その視線は、チラリと遥香の様子を窺っていた。
遥香の表情は相変わらず読み取れなかったが、
彼女の指が、持っていたペンを
僅かに強く握りしめたのが見えた。
真佑は、朔也の言葉を受けて、
ここぞとばかりに演技を続けた。
「朔也くんがそう言うならぁ~、どうしてパートナーを解消したのぉ~?」
真佑の問いかけは、
悠と優里のパートナーシップ解消という、
遥香にとっては都合の良い「真実」を、
わざと掘り返すものだった。
それは、遥香の心に、悠と優里の関係、
そしてそれが解消された経緯について、
改めて考えさせる意図があった。
朔也は、困ったような声で答えた。
「それは、優里に頼まれたんだから仕方ないだろぉ~」
朔也の返答は、
優里が自らの意思でパートナーシップを
解消したことを強調するものだった。
これは、遥香が「優里は私に遠慮したのだ」という
誤解を深める可能性もあれば、
逆に「優里は自らあの関係を終わらせたかったのか」と、
優里の真意について疑問を抱かせる可能性もあった。
この一連の芝居は、
篠原悠の指示のもと、周到に準備されたものだった。
遥香が優里への感情を自覚し、
行動を起こすように仕向けるための、
繊細で巧妙な策略の始まりだった。
悠は、遥香がこの会話を聞いていることを確信し、
彼女の反応を静かに待っていた。
真佑と朔也の、あまりにも露骨な芝居は、
確かに遥香の耳に届いていた。
彼女は、ソファに座り、
書類に目を落としているかのように振る舞っていたが、
その神経は、ラウンジに響く彼らのわざとらしい会話の
一言一句を逃さなかった。
真佑が「優里がシルバーになっても、ダイヤモンドラウンジには入れないよぉ~」と
わざとらしく嘆き、
朔也が「誰かのパートナーにならないと入れないんだよぉ~」と
続ける言葉は、遥香の心を直接えぐった。
優里が再びラウンジに入れなくなったのは、
他でもない悠とのパートナーシップが解消されたからであり、
その解消を望んだのは優里自身だと、遥香は信じていたからだった。
そして、真佑が「どうしてパートナーを解消したのぉ~?」と
問いかけ、
朔也が「頼まれたんだから仕方ないだろぉ~」と
答えるたびに、
遥香の胸の奥で、何かがチクリと痛みが生じた。
その言葉は、優里の自己犠牲的な性格を、
遥香自身の心に強く突きつけるものだった。
優里は、遥香と悠の「公認カップル」を邪魔しないために、
自ら身を引いたのかもしれない。
その可能性が、遥香の心のなかで、
これまで蓋をしてきた優里への複雑な感情を呼び覚ました。
遥香の表情は、
依然として冷徹な女王の仮面を保っていたが、
その指が、持っていたペンを強く握りしめ、
わずかに震えているのが見て取れた。
そして、書類を読む視線は、
もはや文字を追っておらず、虚空を見つめているかのようだった。
彼女の脳裏には、宝来優里の傷だらけの姿、
そして「ただの幻だったんです」と告げた
優里の絶望的な顔が、鮮明に蘇っていた。
遥香は、これまで自身の感情を押し殺し、
「ダイアモンドの女王」としての役割を完璧に演じてきた。
篠原悠への「恋心」も、
優里を守るという大義も、
全ては学園の秩序と、
自身の立場を守るための「ゲーム」の一部だと、
彼女は自分に言い聞かせてきた。
しかし、真佑と朔也の芝居は、
その硬い殻の奥底にある、
優里への庇護欲、
そしてそれを超えた「喪失感」に、
決定的な火を灯した。
(優里は……私が、守らなければならなかった……)
彼女の心のなかで、理屈ではない、
純粋な感情が膨れ上がっていくのを感じた。
優里がラウンジに入れず、
再び孤独の中にいるという事実が、
遥香の心を強く揺さぶった。
遥香は、一瞬、書類から顔を上げ、
ラウンジの入り口、
つまり優里がもう入ることのできない場所へと視線を向けた。
その瞳には、かつての冷徹さとは異なる、
優里への深い痛みと、
そして何としても彼女を取り戻したいという、
秘めたる決意が宿り始めていた。
真佑と朔也による露骨な芝居は、遥香の心に確かな波紋を広げた。
彼女の表情は変わらずとも、ペンを握る指の震えや、
ラウンジの入り口に向けられた視線は、
篠原悠の鋭い観察眼には明確に捉えられていた。
悠は、遥香が自身の感情を抑え込もうとしていること、
そして優里への「喪失感」が、
彼女の心を深く揺さぶっていることを確信した。
遥香が「別に」と突き放した優里の言葉、
「幻だった」という優里の絶望が、
遥香の心に深く突き刺さっていることを、
悠は見て取った。
「手応えはあったな」
悠は、ニヤッと口角をあげ、
真佑と朔也、そして鷹城玲司に静かに告げた。
彼の言葉には、
計画が順調に進んでいることへの満足と、
遥香の心の動きを正確に読み取った自信が滲んでいた。
「遥香は、優里の存在を失ったことに、想像以上に苦しんでいる。そして、優里が自ら身を引いた、と誤解している」
悠は、遥香の心理状態を分析した。
遥香は、優里が自分のために
身を引いたと信じているからこそ、
より一層の罪悪感と、優里への複雑な感情を抱いている。
この誤解を解き、二人の真の感情を繋ぐことが、
次のステップの鍵となると悠は考えていた。
悠たちは、互いにうなずき合う。
それはまるで阿吽の呼吸のようだった。
遥香の心の揺らぎを確信した上で、
次の手を打つことにした。
向井渉は、完全にダイアモンドに復帰し、
その情報収集能力を最大限に発揮することになる。
遥香と優里の学園内での行動パターン、
授業の移動時間、休憩場所、図書館の利用状況、
さらには個人的な趣味や興味に関する情報まで、
あらゆるデータを徹底的に収集する。
渉の猫耳姿は、学園中の注目を集める一方で、
彼の情報収集活動を
カモフラージュする役割も果たすことになった。
渉が収集した情報に基づき、
悠たちは、
遥香と優里が「偶然」を装って遭遇する機会を複数回、
戦略的に仕込む。
遥香がよく利用する場所や時間帯に
優里が通りかかるように誘導したり、
共通の興味があるようなイベントや
場所に二人が同時に居合わせるように手配したりすることを
計画していく。
ダイアモンドのメンバーたちは、
悠の指示のもと、
水面下でこの壮大な「お膳立て」を開始した。
彼らの目的は、もはや学園の秩序維持だけではなく、
女王とブロンズの少女の、
歪んだ関係を修復し、
真の幸福へと導くことへとシフトしていた。
優里がシルバーランクに復権昇格し、
忙しい日々を送るなか、
真佑は一人、優里に会うために学園内を歩いていた。
真佑は、優里がブロンズ時代から
優里に対して、
他の生徒とは違う態度で接してくれていた。
優里が他の生徒から冷たい視線を浴びても、
真佑はいつも優しく、分け隔てなく接してくれた。
真佑は、優里が向かっていた校舎の廊下で彼女を見つけた。
優里は、シルバーランクに復権昇格したことで、
少し戸惑ったような表情で歩いている。
「優里ちゃん、こんなところで何してるの?」
真佑が声をかけると、
優里は驚いて真佑に目を向けた。
「真佑様…!ごきげんよう。教室まで戻ろうかなと…」
「ふーん。ちょうどよかった!ちょっと私に付き合ってくれる?」
真佑は、優里の答えを待たずに、
優里の手を握った。
「えっ!真佑様…!?」
「大丈夫よ。私の言うこと、聞いてくれるでしょ?」
真佑は、そう言って優里を静かな中庭へと誘った。
中庭のベンチに座ると、真佑は優里に語りかけた。
「優里ちゃん、私ね、優里ちゃんに会いたかったの」
真佑の言葉に、優里は驚き、真佑の顔をじっと見つめた。
「…どうしてですか?」
「だって、優里ちゃんはブロンズの頃から、いや、誰がどんなランクでも、私に優しくしてくれた唯一の人だから。それに、この学園で、私を特別扱いしないのも、優里ちゃんだけだった」
真佑の言葉には、過去の孤独な日々が滲んでいた。
真佑は、常に「ダイアモンド」として見られてきた。
しかし、優里は、真佑をただの「真佑」として見てくれていた。
「…私、そんなこと…」
「いいのよ。優里ちゃんは優里ちゃんのままでいて。そして、変わらないで。いつでも、私の友達でいてくれる?」
真佑の言葉に、優里は、心から嬉しそうに頷いた。
「もちろんです!」
優里の笑顔に、真佑もまた、心から安堵した。
真佑と優里が、
静かな中庭で穏やかな時間を過ごしている頃、
その様子を、少し遠い場所から
遥香が一人、静かに見つめていた。
遥香は、優里がなぜ戻ってこないのか、
そして、なぜこれほどまでに時間がかかるのかと不満を募らせていた。
しかし、その答えは、少し離れた目の前にあった。
遥香は、真佑が優里の手をつなぎ、
優里を中庭へと誘う様子をじっと見ていた。
優里は、真佑に満面の笑顔を向け、楽しそうに話している。
その笑顔は、遥香に会いに来たときに見せる笑顔と同じくらい、
いや、それ以上に、心から楽しんでいるように見えた。
遥香の心に、冷たい氷のようなものが、
じわりと広がっていくのを感じていた。
それは、かつて心を閉ざしていた頃の、孤独な感情だった。
嫉妬
遥香は、怒りとも、悲しみともつかない感情に囚われていた。
(なぜ…なぜ、真佑にはそんな顔を見せるの…?)
遥香は、優里の純粋な笑顔が、
真佑に向けられていることに、強い嫉妬を感じていた。
優里は、自分のことには無頓着で、誰にでも優しく接する。
それは、遥香も知っていたはずなのに、
優里が他の誰かと親密にしている姿を見ると、
心臓を鷲掴みにされたような、苦しい気持ちになった。
遥香は、視線を外すと、そそくさと去っていく。
その様子に、ダイアモンドの他のメンバーたちが、
遥香に視線を向けた。
「…遥香…?」
朔也が、遥香の様子を心配そうに尋ねる。
遥香は、朔也の言葉を無視し、
歩いていこうとした。
「おい、どこに行くんだ…?」
玲司も心配そうに声をかける。
遥香が、振り返りもせずに呟いた。
その声は、かつての氷のように冷たい声に戻っていた。
「…べつに」
遥香は、そう言うと、歩いて行ってしまった。
遥香は歩きながら
人目のつかない場所で立ち止まる。
遥香の心は、優里への深い愛情と、
それゆえの独占欲で満ちていた。
彼女は、優里が、自分の人生に
光を与えてくれた存在だと知っていた。
だからこそ、その光を他の誰かに奪われることが、何よりも怖かったのだ。
優里は、遥香のこの深い嫉妬に、まだ気づいていない。
しかし、遥香の心には、
優里を誰にも渡したくないという、強い決意が芽生えていた。
優里と真佑がいる中庭に、ダイアモンドのメンバーが現れた。
「優里、久しぶり~」
悠はギューっと優里に抱き着いた。
優里は慣れているようにあしらっていた。
「久しぶりだな、優里」
朔也もつげる。
「優里がダイアモンドラウンジに入れないことで、こうして俺たちが会いに行かないといけない。これまではダイアモンドラウンジに閉じこもっていたが、こうして学内を歩くことによって、生徒の状況を知れる。助かっているぞ、優里」
玲司は感慨深そうにつげる。
「褒められてるんだか、けなされているんだか…」
優里は困惑していた。
真佑はあたりを見渡した。
いるはずのあの人の姿がない。
「あれ?遥香は?」
「あぁ…、ここに来る途中でどこかに消えた」
「女王様は自由だから」
朔也と玲司は苦笑いをしていた。
真佑は、ニヤッとして、静かに呟いた。
「…やっぱりね」
真佑の言葉に、
他のダイアモンドメンバーたちは顔を見合わせた。
「真佑、どういうことだ?」
朔也が、真佑に尋ねる。
真佑は、いつもの飄々とした態度で、
確信に満ちた口調で答えた。
「遥香、嫉妬してるんでしょ。そんなに露骨に感情を出すなんて、優里に夢中なんだよ」
真佑の言葉に、メンバーたちは驚きを隠せない。
遥香が、特定の誰かに嫉妬するなど、
これまでの彼女からは考えられないことだった。
「…確かに、遥香は優里には甘いけど、まさかそこまで…」
玲司が、信じられないといった表情で言った。
「遥香は、ずっと一人で生きてきたから、誰かに心を許すのが怖いのよ。でも、優里は、遥香の閉ざされた心を開いた。だから、優里が他の誰かに、自分と同じような笑顔を見せるのが、怖くて仕方ないんだと思う」
真佑の言葉は、遥香の心の奥底を正確に言い当てていた。
一方優里は、何が起こったのか全く理解できずに、
一人、ぽかんとしていた。
(…遥香様、どうしちゃったんだろう…)
優里は、遥香が他のダイアモンドのメンバーと一緒に
会いに来てくれるはずだったのに、
突然、自分に冷たい態度を取ったことに、深く傷ついていた。
何か気に障るようなことをしてしまったのだろうかと、
優里は、自分の行動を必死に思い返していた。
優里には、遥香が嫉妬しているなど、想像もできなかった。
しかし、遥香の冷たい態度は、優里の心を不安にさせた。
優里は、遥香が、
自分を拒絶しているのではないかと、涙が出そうになっていた。
優里の心は、何がなんだか分からず、ただただ困惑していた。
彼女は、遥香が、なぜあんな態度を取ったのか、
その理由を知る由もなかった。




