ダイアモンドの降臨
宝来優里の抵抗は、ついに完全に封じられた。
ゴールドクラスの生徒たちの悪意は止まることなく、
優里は、自分の尊厳が、存在そのものが、
この薄暗い場所で無残にも踏みにじられていくのを、
ただ受け入れるしかなかった。
彼女の瞳は、絶望と恐怖、
そして諦めで完全に濁っていた。
身体に走る屈辱の感触、耳元で響く下卑た笑い声、
そして「ダイアモンドにしたみたいに」という
汚らわしい言葉が、優里の意識を深く、
暗い淵へと引きずり込んでいく。
優里の心は、もはや悲鳴を上げる力さえ失っていた。
遥香の優しい笑顔も、悠の冷静な言葉も、
今は遠い幻のよう。
この学園で得た、全てのかけがえのない絆が、
この瞬間に無に帰すような感覚に囚われた。
(ああ、これで、終わりだ……)
彼女の意識は、ゆっくりと遠のいていった。
光は届かず、音も聞こえなくなり、
優里の存在は、
そのまま闇の中に溶けて消えてしまいそうだった。
身体に押しつけられる悪意、耳元で響く下卑た言葉、
その全てが優里の魂を深く深く蝕んでいた。
(ああ、もう……何もかも、どうでもいい)
シルバークラスへの昇格も、全てが遠い幻のよう。
この学園で掴みかけたはずの輝きは、
偽りだったのだと、優里は絶望的な確信を抱いた。
全てが麻痺していく中で、優里の意識は、
底なしの闇へと沈んでいった。
まるで、彼女の存在そのものが、
この場所から、この世界から、
完全に消え去ろうとしているかのように。
優里の瞳から、最後の光が失われようとしていた。
彼女は、このまま全てを奪われ、
鳳凰学院の闇に葬られてしまうかに見えた。
まさに優里の意識が闇に沈み、
全てが終わろうとしたその瞬間、
旧体育館の裏に、騒然とした足音が響き渡った。
「おい! 何をやっている!」
その場に、篠原悠の怒りの声が轟いた。
その声に、優里の意識は、かろうじて意識を取り戻した。
重たい瞼をゆっくりと開けると、
逆光の中に、見慣れたシルエットが見えた。
悠だ。
そして、その後ろには、
信じられない光景が広がっていた。
山下遥香、宮瀬真佑、日向朔也、鷹城玲司、
そして向井渉までもが、そこに立っていた。
率先して駆けつけたのは、紛れもなく悠だった。
優里がダイアモンドラウンジを避ける理由を
深く憂慮した悠は、
他のメンバーに「優里の様子を見に行く」と提案した。
最初は乗り気でなかったメンバーたちも、
悠の強い態度に渋々ながら従ってきた
矢先の出来事だった。
悠は、目を疑う光景を目の当たりにし、
激しい怒りを露わにした。
地面に押し倒され、服を剥ぎ取られそうになっている優里の姿。
そして、彼女を取り囲み、
下劣な笑みを浮かべるゴールドクラスの生徒たち。
悠の顔は、見たこともないほどに歪んでいた。
「貴様ら……!」
悠の声が、怒りに震える。
その異様な雰囲気に、ゴールドの生徒たちは動きを止め、
驚愕の表情でダイアモンドメンバーを見つめた。
学園の頂点に立つ者たちが、
なぜこんな場所に?
そして、
なぜ、あのブロンズ上がりの生徒のために?
遥香の顔もまた、怒りと悲しみで蒼白になっていた。
彼女は、自分の庇護下にある生徒が、
こんな酷い目に遭っていたことに、言葉を失っていた。
朔也と玲司も、事態の異常さに息を呑んでいた。
そして、向井渉の顔は、
驚愕と焦りで複雑に歪んでいた。
優里の瞳に、乾ききっていた希望の光が、
再び灯り始めた。
絶望の淵で掴んだ、奇跡的な光。
ダイアモンドメンバーの登場は、
彼女にとって、
まさに天からの救いの手だった。
篠原悠の怒号を皮切りに、
ダイアモンドメンバーそれぞれの個性が、
この場で発揮され始めた。
悠は、一瞬の躊躇もなく、
優里を囲んでいたゴールドの生徒たちに
猛烈な勢いで詰め寄った。
「貴様ら、一体何をしているか分かっているのか!」
その双眸は冷酷な光を放ち、
ただならぬ威圧感を放っていた。
「優里が誰のパートナーであるか、まだわかっていないのか?」
優里は悠のパートナーである。
ゴールドの生徒たちは、
その迫力に恐れをなし、後ずさりした。
次に動いたのは、遥香だった。
彼女は、自分のブレザーを脱ぎ、
優里にそっと羽織らせた。
その表情は、女王としての威厳を取り戻しつつあったが、
優里への深い心配の色が滲んでいた。
「優里、大丈夫だよ。もう心配ない」
その声は、優しくも力強く、
優里の凍りついた心に光を灯した。
鷹城玲司は、冷静に状況を分析していた。
彼は、ゴールドの生徒たちの顔を一人一人見据え、
その行動の意図を読み取ろうとしていた。
「状況を説明しろ。言い訳は許さない」
その低い声には、逆らうことを許さない
絶対的な支配力が宿っていた。
日向朔也は、事態の深刻さを理解し、
すぐに学園への連絡を取り始めた。
「この場を完全に封鎖しろ」
その指示は的確かつ迅速で、
事態の収拾を図ろうとしていた。
そして、向井渉は、青ざめた顔で、
事態の成り行きを静観していた。
自分が扇動したとはいえ、
まさかダイアモンドメンバー全員が
駆けつけるとは予想しておらず、
その事態に完全に動揺していた。
一方、ゴールドクラスの生徒たちは、
突然のダイアモンドメンバーの登場に、
完全に戸惑っていた。
彼らは、口々に言い訳を始めた。
「違います! 僕たちはただ……優里さんと少し話が……」
「誤解なんです! ただ、ちょっとからかってただけで……」
「あいつが、その……ダイアモンドに取り入ったとか言うから……」
彼らの言い訳は、どれも稚拙で、
事態をごまかそうとするのが見え見えだった。
自分たちの卑劣な行為を正当化しようとする言葉は、
ダイアモンドメンバーの冷たい視線に晒され、
虚しく空気を漂うだけだった。
悠は、彼らの言い訳を一蹴した。
「貴様らの言い分など、聞くまでもない! この状況が全てを物語っている!」
彼の怒りは収まることなく、
ゴールドの生徒たちを睨みつけていた。
「貴様らは、1人の生徒よりも、多数の生徒たちのほうが助かると思っているのか?たとえほかの学校ではそうであったとしても、ここでは違う。勘違いするな、貴様らは、ただの人間に過ぎない。ゴールドだろうが、助かるなんて思うなよ」
ダイアモンドメンバーの登場により、
優里を襲っていたゴールドの生徒たちの暴挙は、
完全に停止された。
しかし、彼らが犯した罪は重く、
この後、学園からどのような裁きが下されるのか、
そして、優里の心に刻まれた深い傷が癒えるのかは、
まだ分からなかった。
悠は、怒りに燃える瞳で
ゴールドの生徒たちを睨みつけ、
彼らの震え上がる姿を一瞥すると、
すぐに優里へと向き直った。
優里は、屈辱と絶望に打ちひしがれて、
ただ震えるばかりだった。
悠は、躊躇することなく優里を抱き上げた。
それは、まるで壊れ物を扱うかのような、
しかし揺るぎない力強さを持ったお姫様抱っこだった。
優里の身体は、ひどく冷たくなっていた。
悠は、彼女の顔を自分の胸にそっと引き寄せ、
その場から立ち去ろうとした。
その光景を見た遥香の胸が、
ぎゅっと締め付けられた。
遥香の脳裏には、ある日の記憶が鮮明に蘇っていた。
それは、優里がブロンズだった頃のこと。
劣悪な授業環境で、消火器の粉を浴び、
全身真っ白になってうずくまっていた優里を、
あの時も悠が、同じようにお姫様抱っこで連れて行った。
(あの時も……)
遥香の胸は、複雑な感情で満たされた。
当時の彼女は、ダイアモンドの立場から、
ブロンズである優里に手を差し伸べる悠の行動に、
言い知れぬ違和感を覚えていた。
なぜ悠が、あそこまで優里に肩入れするのか。
そして、そんな悠と優里の関係に、
遥香自身の心がざわつくのを感じていた。
それは、嫉妬にも似た、
しかしもっと深い、正体不明の感情だった。
そして、今。同じように悠に抱えられ、
意識を失いかけている優里の姿を見て、
遥香の胸は再びぎゅっと締め付けられた。
目の前の光景は、過去の記憶と重なり、
あの時と同じ、いや、それ以上に
複雑な感情が遥香の心を覆った。
悠が優里を大切にしていることへの、
どこか切ない思い。
そして、優里をこんな目に遭わせてしまったことへの、
激しい後悔と自責の念。
遥香は、唇を強く噛み締めた。
もう、二度と優里を一人にさせない。
そう、心に誓った。
悠に抱えられ、優里はダイアモンドラウンジへと戻された。
普段の華やかな雰囲気が嘘のように、
ラウンジには重い空気が満ちていた。
悠は、優里をソファにそっと寝かせ、
遥香が素早く自分のブレザーを広げ、
優里の服の上に優しくかけた。
優里は意識を取り戻し、ゆっくりと目を開けた。
まだ焦点が定まらない目で、
彼女は自分を見下ろす
ダイアモンドメンバーの顔をぼんやりと捉えた。
その瞳には、恐怖と混乱、
そして微かな安堵が入り混じっていた。
遥香は、優里の震える手を握りしめた。
その顔には、優里を
こんな目に遭わせてしまったことへの深い後悔と、
女王としての激しい怒りが浮かんでいた。
「優里…ごめん。私が、気づいてあげられなくて…」
遥香の声は震えていたが、
その瞳には、もう二度と
優里を傷つけさせないという
揺るぎない決意が宿っていた。
彼女はすぐに救急箱を運び、
優里の身体に目立った傷がないかを確認した。
悠は、優里のそばに膝をつき、
その顔を静かに見つめていた。
彼の表情からは感情は読み取れないが、
その瞳の奥には、
優里をここまで追い詰めた者たちへの
冷たい怒りが燃え盛っていた。
彼は、ゴールドの生徒たちの
暴挙を許すつもりはなかった。
悠の頭の中では、すでにこの事件を
学園全体にどう波及させ、
向井渉とその背後にいる存在にどう裁きを下すか、
新たな「ゲーム」の筋道が立てられ始めていた。
真佑は、優里の変わり果てた姿を見て、
息を呑んだ。
彼女の優しい顔には、
優里への深い悲しみと憐憫が浮かんでいた。
彼女はそっと優里の髪を撫で、
「怖かったわね、優里ちゃん」と
優しく声をかけた。
そして、遥香に
「大丈夫よ。私たちがついているから」と、
女王としての重圧に苦しむ遥香を
支えるように寄り添った。
朔也は、優里の惨状を目の当たりにし、
驚愕に目を見開いていた。
彼は、すぐにスマートフォンを取り出し、
事態の背景にある情報を集め始めた。
特に、ネット上のデマがどれほど広がり、
学園内でどのような影響を与えているのか、
その詳細を把握しようとした。
「こんなことが起きていたなんて…」
彼は、自身の認識の甘さを悔やんでいた。
向井渉は、ラウンジの隅で、
青ざめた顔をして震えていた。
自分が扇動した嫌がらせが、
まさかここまでエスカレートし、
ダイアモンドメンバー全員が動く事態になるとは、
彼にとって完全に予想外だった。
悠の冷たい視線が彼に向けられるたび、
向井の顔は引きつり、自分の破滅を予感していた。
優里は、ダイアモンドメンバーたちの対応に、
わずかながら安心感を覚えた。
しかし、彼女の心に刻まれた傷は深く、
回復には時間がかかるでしょう。
この事件は、鳳凰学院の階級制度と、
そのなかで生きる生徒たちの歪んだ現実を、
改めてダイアモンドメンバーに突きつけることになった。
優里がソファに横たわり、
僅かに意識を取り戻したなかで、
悠は静かに優里を見つめていた。
彼の表情は、普段の余裕綽々としたものではなく、
どこか苦渋に満ちていた。
悠は、優里の身に起きたこと全てを、
自分の責任だと感じていた。
彼が仕掛けた「ゲーム」により、
優里はシルバーに昇格することもできたが、
同時に、優里をこんなにも
危険な状況に追いやってしまった。
その事実に、悠は深い後悔の念を抱いていた。
悠は、優里のそばに膝をつき、
その震える手をそっと取った。
そして、絞り出すように、真剣な声で告げた。
「優里、ごめん」
その短い一言には、
悠のこれまでの人生では滅多に見せることのない、
心からの謝罪が込められていた。
彼は、優里の純粋さを利用し、
彼女を危険な盤面へと誘い込んだことを悔いていた。
しかし、優里の反応は、悠の予想とは異なった。
優里は、悠を見つめ、力なく首を横に振った。
「悠様……いつものことだから、気にしないでください」
優里の言葉は、まるで感情が抜け落ちたかのように、
静かで、諦めを含んでいた。
彼女にとって、いじめや嫌がらせは、
鳳凰学院に来てからずっと、日常の一部のようなものだった。
ブロンズ時代も、そしてシルバーに上がった今も。
この屈辱的な体験さえも、
「いつものこと」として受け入れてしまうほど、
優里の心は深く傷つき、絶望に支配されていた。
その言葉は、悠の心に、さらに重くのしかかった。
優里がこれほどまでに感情を麻痺させ、
自身の苦痛を「日常」として受け入れていることに、
悠は強い衝撃を受けた。
彼の謝罪は、優里の心の奥底にまでは届いていない。
その事実が、悠の心を激しく揺さぶった。
それは、悠の謝罪を拒絶するものではなく、
優里がどれほどの孤独と苦痛を
「日常」として受け入れてきたかを示す、
あまりにも重い言葉だった。
悠は、優里の手を握ったまま、顔を伏せた。
彼の脳裏には、初めて優里に目をつけたあの日のこと、
彼女をブロンズの底から引き上げ、
遥香との「ゲーム」に巻き込んでいった一連の出来事が、
走馬灯のように駆け巡った。
(俺のせいだ……)
悠の胸に、かつてないほどの後悔の念が込み上げた。
彼は、学園のシステムを弄び、
人間関係を「ゲーム」と捉え、
自身の退屈を紛らわせるために
多くの生徒を駒として扱ってきた。
しかし、優里は違った。
彼女の純粋さ、そしてどんな逆境にもめげない強さは、
悠の予想をはるかに超え、
彼の心を揺り動かしてきたはずだった。
それなのに、その優里が、
今、こんなにも深く傷つき、
感情を麻痺させてしまっている。
それは、全て悠が、優里の純粋さを利用し、
この汚れた学園の暗部に巻き込んだからだと、
彼は痛感した。
彼の「ゲーム」は、
優里を階級の底から救い上げたかに見えたが、
同時に彼女を、より陰湿で残酷な
悪意の渦へと引きずり込んでしまった。
そして、悠自身がその異変に気づくのが遅すぎた。
悠は、強く拳を握りしめた。
彼の心には、優里を苦しめる者たちへの
激しい怒り、そして何よりも、
自分自身への深い自責の念が渦巻いていた。
この瞬間、悠の「ゲーム」は、
単なる暇つぶしや
面白半分のものではなくなった。
優里の痛みは、悠自身の痛みとなり、
彼に新たな、そして絶対的な使命を与えた。
悠の行動は、かつての「ゲーム」とは一線を画していた。
彼の瞳には、遊びの要素は一切なく、
ただ冷徹な決意と、
優里を守るという強い使命感が宿っていた。
鳳凰学院は、優里の身に起きたこの事件を機に、
大きく揺れ動くことになる。
悠は、優里の受けた屈辱と痛みを、
決して許すつもりはなかった。
ラウンジに戻った後、
彼はすぐに日向朔也を呼び出し、
冷徹な声で指示を始めた。
彼の瞳には、優里を傷つけた者たちへの、
底知れぬ怒りが宿っていた。
「朔也、優里へのデマを流した学園内SNSや匿名掲示板の全ての書き込みを、徹底的に収集・保全しろ」
悠の言葉に、朔也の表情が引き締まった。
普段の悠の「ゲーム」とは一線を画す、
真剣な空気がそこにはあった。
「投稿者の特定はもちろん、関連するIPアドレスやアクセス履歴まで、証拠として完璧に固めろ。学園のネットワーク管理者や、外部の協力が必要なら、あらゆる手段を使え」
悠の命令は具体的かつ容赦なかった。
鳳凰学院のネットワークは厳重に管理されているが、
ダイアモンドメンバーである悠と朔也の権限をもってすれば、
内部情報へのアクセスは不可能ではない。
必要であれば、学園外のプロのハッカーさえも
動員しかねない勢いだった。
そして、悠はさらに続ける。
「それだけじゃない。優里を襲ったゴールドの生徒たちの身元、過去の素行、そして彼らがプラチナクラスの誰に指示を受けていたのか、その背後関係まで洗い出せ」
悠の目的は、単に優里を襲った生徒たちを
罰することではなかった。
彼は、この事件の全ての黒幕、
つまりプラチナクラスの指示者、
そしてその背後に隠れているであろう
向井渉の存在を炙り出し、
彼らに徹底的な報復を加えるつもりだった。
彼の指示からは、
鳳凰学院の階級システムそのものへの挑戦という、
壮大な計画の片鱗がうかがえた。
朔也は、悠の尋常ではない決意を感じ取り、深く頷いた。
「承知した。すぐに取り掛かる」
彼の表情には、悠の意図を完全に理解し、
その指示を忠実に実行する覚悟が表れていた。
「優里は僕のパートナーだ。僕が選んだ存在だ。選ばれなかったゴミどもが、僕のパートナーをけがすなど、絶対に許さない。同じような苦しみを受けるだけで済むと思うなよ」
「地獄の果てまで追いかけて、優里が与えられた以上の苦しみを与えてやる」
悠は見えない場所で動く悪意の全てを暴き出し、
この学園の闇を白日の下に晒すことを決意した。
悠の冷徹な指示を受け、朔也は即座に行動を開始した。
彼の情報収集能力と、
ダイアモンドメンバーの権限は絶大で、
学園内のネットワークから
外部の匿名掲示板に至るまで、
あらゆるデジタル痕跡を徹底的に追跡した。
数時間後、朔也はラウンジに戻り、
悠と遥香、そして他のメンバーに、
収集した情報を提示した。
彼の顔には、驚きと確信の色が浮かんでいた。
「悠、遥香。デマを流していた主犯が、特定できた」
朔也の言葉に、ラウンジに緊張が走った。
「やはり…向井渉だった」
その名が告げられた瞬間、
向井渉の顔から血の気が引いた。
彼は、ラウンジの隅で震え上がり、
ダイアモンドメンバーに
自分の存在がばれないように、
悠の冷たい視線から逃れようとした。
朔也は、続けて詳細な調査結果を報告した。
「SNSや匿名掲示板の投稿履歴、IPアドレスの追跡から、向井の関与は明らかだ。彼は、優里のシルバー昇格直後から、計画的に『体を売ってダイアモンドに取り入った』という悪質なデマを拡散していた。その目的は、優里の評判を地に落とし、ダイアモンドのメンバーである遥香や悠との関係を断ち切らせることにあった。」
朔也の報告は、さらに深掘りされていた。
「だが、優里を襲ったゴールドの生徒たちへの指示については、直接的な証拠は見つかっていない。彼らが動いたのは、デマに乗じて、自分たちの私利私欲のために優里を利用しようとした、偶発的な暴走の可能性が高い」
朔也の言葉に、悠は冷静に耳を傾けていた。
彼は、向井の狡猾さを知っていた。
「向井自身も、優里が襲われている現場に僕たちが駆けつけた時、ひどく動揺していた。彼は、デマを流すことで優里の名誉を傷つけ、学園内で孤立させることは企んでいたが、まさかそこから身体的な暴力にまで発展するとは、想定していなかったようだな」
つまり、向井の目的は、
優里を精神的に追い詰めることにあり、
直接的な暴行を指示したわけではなかった。
しかし、彼の流した悪質なデマが、
結果として優里を
極限の危険に晒したことは明白だった。
彼の悪意が、他の生徒の欲望と結びつき、
制御不能な形で優里を襲ったのだ。
この報告により、事件の全貌が明らかになりつつあった。
悠の復讐のターゲットは、
デマの首謀者である向井渉と、
そのデマに乗じて暴走したゴールドの生徒たち、
そして彼らを間接的に操っていたであろう
プラチナクラスの存在へと明確化された。
朔也からの詳細な報告を受け、
悠と遥香、そして他のダイアモンドメンバーの表情は、
それぞれに複雑なものとなった。
向井渉がデマの首謀者であることは確定したが、
彼が直接的な暴行を指示していなかったという事実は、
裁きの内容に影響を与えることになる。
しかし、優里を極限の状況に
追い込んだ向井の罪は、
決して軽いものではなかった。
まず、優里に直接手を下し、
卑劣な要求を突きつけた
ゴールドクラスの生徒たちへの裁きが下さた。
悠は、冷徹な視線で彼らを見据え、言い放った。
「貴様らの行為は、鳳凰学院の規律を著しく乱し、一人の生徒の尊厳を深く傷つけた。いかなる言い訳も通用しない」
鷹城玲司は、学園の規則に基づき、
彼らへの処分を告げた。
「お前たちには、即刻停学処分が下される。期間は無期限。学園長と理事長にも報告し、今後の進級にも影響が出ることを覚悟しろ」
玲司の言葉は、彼らの学園生活が
事実上終わったことを意味していた。
鳳凰学院において、無期限停学は、
事実上の退学勧告に等しい処分である。
悠は、冷徹な声で彼らに告げた。
「貴様らの行いは、決して許されるものではない。優里が受けた心の傷は、決して消えることはない。たとえ誰かが貴様らを許したとしても、貴様らの行いは貴様らの魂に刻み込まれる。決してその事実からは逃れられない。僕のパートナーを傷つけておきながら、貴様らに幸せが訪れるなどと思うなよ。地獄の果てまで苦しめてやる」
彼の言葉には、怒りだけでなく、
彼らへの強い憤りが込められていた。
ゴールドの生徒たちは、
ダイアモンドメンバー全員からの冷たい視線と、
学園からの厳しい処分に、顔面蒼白となり、
その場で崩れ落ちた。
彼らの暴挙は、学園の秩序を乱しただけでなく、
彼ら自身の未来をも閉ざす結果となった。
しかし、向井渉への裁きは、一旦保留とされた。
悠は、朔也の報告を聞き、
向井が直接的な暴行を指示していなかったこと、
そして彼自身も優里が襲われた現場で
動揺していたことを考慮した。
「向井渉については、一旦保留とする」
悠の言葉に、向井は安堵の息を漏らしましたが、
悠の冷たい視線が彼に向けられると、
再び身体を硬くした。
「デマの流布は明白な規律違反だ。だが、お前が直接暴行を指示していないことも分かった。しかし、お前の流したデマが、結果として優里を危険に晒した事実は変わらない」
悠は、向井の顔をじっと見つめ、
有無を言わせぬ口調で告げた。
「お前は、今後、我々の厳重な監視下に置かれる。もし、再び優里に、あるいは他の生徒に対し、何らかの悪意ある行動を起こせば、その時は容赦しない。その時は、ダイアモンドの地位であろうと、お前をこの学園から完全に排除する」
悠の言葉は、向井への明確な警告だった。
彼は、向井のダイアモンドとしての地位を
一時的に維持させることで、
学園内の他のダイアモンドメンバーへの影響を
最小限に抑えつつ、
向井を完全にコントロール下に置くことを選択した。
これは、悠の戦略的な判断でもあった。
悠の裁きは、ゴールドの生徒たちには即座に、
向井には保留という形で下された。
しかし、この事件は、鳳凰学院に大きな波紋を広げ、
今後の階級制度や生徒間の関係に、
決定的な変化をもたらすことになる。
優里がダイアモンドラウンジのソファで横たわる間、
悠は、彼女のそばから離れなかった。
彼は、優里の顔を覗き込み、静かに寄り添い続けた。
優里の心に刻まれた深い傷は、
決してすぐに癒えるものではなかったが、
悠の存在は、彼女にとって唯一の温かい光だった。
悠は、優里の頭をそっと撫でた。
彼の瞳には、優里への深い後悔と、
二度と彼女を傷つけさせないという
強い決意が宿っていた。
優里は、悠の温かい手の感触と、
その静かな存在に、
少しずつ安堵の息を漏らすようになった。
「優里は僕のパートナーだ。僕が認めた唯一の存在だ。」
「だから遠慮なく、僕を頼ってくれ」
彼女は、悠がそばにいることで、
恐怖と絶望の淵から
引き上げられていくのを感じていた。
その光景を、遥香は複雑な面持ちで見つめていた。
優里が無事であることに安堵し、
彼女をこんな目に遭わせてしまったことへの
後悔と怒りが遥香の心を占めていたが、
同時に、悠が優里に寄り添う姿に、
また胸がざわめくのを感じていた。
それは、優里が消化器まみれになった時、
悠が優里をお姫様抱っこで連れて行った時と同じ、
説明のつかない感情だった。
優里の安全を第一に願う気持ちと、
悠が優里に注ぐ特別な眼差しへの、
どこか切ないような、嫉妬のような感情が入り混じっていた。
遥香は、優里のそばに駆け寄り、
その手を握りしめたい衝動に駆られたが、
悠の存在が、彼女を一歩踏みとどまらせた。
悠と優里の間に流れる、
言葉にならない絆のようなものが、
遥香の心をざわつかせ、彼女自身の優里への感情を、
改めて深く考えさせるきっかけとなった。
優里の身体的な傷は幸いなことに軽微で、
数日で回復に向かった。
遥香は、学園の最高顧問医を
優里の元へ呼び寄せ、徹底的な診察を行わせた。
外傷だけでなく、精神的なショックによる
身体への影響がないかも詳細に確認させた。
優里は、ダイアモンドラウンジの特別室で、
手厚い看護を受けた。
学内にいる間は、
高品質な食事と十分な睡眠が与えられ、
身体の回復が促された。
真佑が優里のために温かい飲み物や
消化に良い食事を用意し、細やかな配慮を見せた。
悠は、診察やケアの
邪魔にならないよう配慮しつつも、
可能な限り優里のそばにいた。
彼の静かな存在感と、時折優しく頭を撫でる仕草は、
優里に大きな安心感を与え、身体の緊張を和らげた。
優里は、身体の傷が癒えるにつれて、
少しずつ、表情に人間らしさが戻っていきた。
彼女の心に再び、希望の光が灯り始めた。
優里のそばに寄り添う悠の姿、
そして悠が優里に向ける特別な眼差しは、
遥香の胸に、これまで経験したことのない
複雑な感情の波を立てていた。
優里が無事であることへの安堵、
彼女を救えなかったことへの後悔、
そして、優里に向けられた悪意への激しい怒り。
それら全ての感情の奥底で、
遥香は、自身の心がざわめく原因を探っていた。
悠と優里の間に流れる、言葉にはならない絆。
優里が消化器まみれになった時も、
そして今回も、悠が真っ先に優里を抱きかかえ、
その身を案じる姿。
その光景を見るたびに、遥香の胸は締め付けられ、
言いようのない切なさが募った。
遥香は、この複雑な感情を
必死に分析しようとした。
女王として、優里を守るべき責任感。
しかし、それだけではない、
胸の奥で渦巻く感情の正体は一体何なのか。
そして、遥香は、そのざわめきの原因を、
誤った方向へと解釈してしまいた。
(私が…嫉妬している?)
遥香は、その嫉妬の感情が、
優里へのものではない、と自分に言い聞かせた。
優里は、守るべき大切な存在であり、
妹のような存在だと。
だから、この胸の痛みは、
優里が悠に特別な感情を抱かれていること、
そして悠の心が優里へと向いていることに対する、
悠への恋心なのだと。
遥香は、自身の心が悠に惹かれているからこそ、
彼が優里に寄り添う姿を見て、
嫉妬を感じるのだと強く思い込んでしまった。
彼女は、優里への庇護欲と、
悠への淡い感情が入り混じった複雑な心の動きを、
「悠への恋心」というシンプルな答えに収めてしまい、
その感情の本当の源泉である
優里自身への感情である可能性に、
まだ気づいていなかった。
悠は優里に、
「優里はすごいよ。ここまで徹底的に排除の対象となる生徒を見るのは初めてだ」
「まるでシンデレラのようだな」
と、感慨深そうに告げる
優里はそんな悠に
「褒めてるんですか?けなしているんですか?」
と、笑いあっていた
そんな二人の様子を横目に、
遥香の心の中では、感情の誤解が起こり、
それは今後の彼女の行動、
そして優里と悠、三人の関係性に、
新たな波紋を広げることになる。




