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ダイアモンドクラス  作者: 優里
ダイアモンドラウンジ

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37/96

女王の好奇心





息を潜め、

宝来悠斗たちの足音が

完全に遠ざかったのを確認してから、

優里はようやく顔を上げた。


薄暗い備品室のなか。

埃の匂い。


そして、目の前にいる、

ありえない人物。


「……遥香様。どうして、ここに……?」


声はまだ震えていた。


恐怖の名残と、

それ以上に強い困惑。




ダイアモンドである遥香が、

なぜ、下位ランクの生徒たちが

いるような場所にいるのだろうか。



ダイアモンドである彼女が、

ブロンズのフロアにいる理由が、

どうしても理解できなかった。


ましてや、自分を助けるなど。





遥香は、

優里の純粋な視線を受け止めた瞬間、

わずかに言葉を失った。



探しに来た。

いなくなったから、気になった。



そんな本音を、

女王である自分が口にできるはずがない。



傲慢な女王のふりをしているから。


彼女のプライドが許さない。




遥香は視線を逸らし、

廊下の奥を見据えたまま、

冷たく言い放つ。




「…ただの、気まぐれだよ」



刃のように温度のない声。



まるで、

そこにいたのは全くの偶然であり、

優里のことなど、

微塵も気にかけていなかったと

言わんばかりの冷酷さだった。



「少し、このフロアの様子を見に来ただけ。」

「あなたたちが、いつもどんな騒ぎを起こしているのか、興味があったから」



遥香は、ありえない理由を、

もっともらしい口調で述べた。



自分でも分かるほど、出来の悪い嘘だった。



それでも、遥香はそれ以上説明しなかった。

否定することでしか、自分を保てなかった。


下位ランクのフロアの様子など、

これまで気にしたことなど一度もない。





優里は、遥香の冷たい言葉に、

わずかに顔を曇らせた。




優里は、その言葉に一瞬だけ表情を曇らせた。


期待してしまった自分が、

ほんの少し、恥ずかしかった。



たとえそれが、

ただの気まぐれだったとしても。



「…ありがとうございます、遥香様」



遥香は何も答えない。

ただ、無意識に、優里から離れなかった。



遥香は、扉から離れると、

優里をじっと見つめた。




沈黙のなかで、

遥香の視線が優里の制服、

白い粉に汚れた袖、

小刻みに震える指先をなぞる。


宝来悠斗たちの足音が遠ざかり、

静寂が戻った備品室のなかで、

優里はまだ、

遥香がなぜ自分を助けてくれたのか、

理解できずにいた。




「…いつも、ああいう日常なの?」


ぽつり、と落ちた問い。


同情でも、憐れみでもない。

ただの、純粋な疑問だった。




遥香にとって、

暴力や嫌がらせが

日常的に繰り広げられる世界は、

あまりにも遠い、未知の世界だった。



優里は少し肩を落とし、苦笑する。



「…はい。まあ、こんなものです。ダイアモンドのみなさまとは、無縁の世界でしょうけど」




自嘲気味にそう答えた。



自分の居場所と、遥香の居場所。


その距離を、改めて思い知らされる。




遥香が生きる、

完璧で、美しい世界。


自分の生きる、

醜く、残酷な世界の間に、

決して越えることのできない

壁があることを、改めて痛感した。




遥香の反応は、

優里の予想とは全く違っていた。



「楽しそう」



意外なほど

楽しそうな声でそう告げた。



その瞳には、初めて見る、

キラキラとした光が宿っていた。


「常に完璧な秩序と、退屈な日常。」

「私にとって、それが当たり前だった。」

「でも、あなたの世界は、予測不能で、混沌としている。」


「……それが、私には、とても新鮮で、…興味深い」


遥香は、そう告げると、優里に微笑みかけた。



それは、これまで優里に向けられた、

冷たい嘲笑や、憐憫の微笑みとは全く違う、

純粋な興味と好奇心に満ちた、

本当の微笑みだった。




遥香は、優里の世界を、

否定するのではなく、受け入れた。



そして、その混沌とした世界に、

新たな関心と好奇心を抱いていた。



それは、優里という少女が、

遥香の閉ざされた世界に、

大きな変化をもたらす、確かな予兆だった。





「遥香様は、完璧な世界で生きているから、私の日常が『面白い』ように見えるのでしょう。」

「でも、私にとっては、毎日が生きるか死ぬかの瀬戸際なんです。楽しそうなんて、そんな…」



優里の言葉に、

一瞬、言葉を失った。


彼女の完璧な世界には、

優里のような、

感情をありのままにぶつけてくる人間はいなかった。



優里の悲痛な叫びは、

遥香の心の奥底に、

また一つ、新たな波紋を広げた。




優里の不満げな表情を前に、

遥香は冷たいながらも、

どこか穏やかな眼差しで彼女を見つめた。



遥香は、しばらく黙ってから、静かに口を開いた。



「…そうね」


「あなたが一番最初、私の視界に入った時を覚えている?」



思い出に浸るように、

僅かにトーンを落とした。



「エントランスで、上位ランクの生徒から理由もないまま蹴り飛ばされて、あなたは地面に倒れ伏していた。膝を擦りむき、痛みに顔を歪めていた」


遥香は、優里が初めて自分の目に留まった

不運な光景を思い出しながら、

静かに続けた。



「私の周りの世界は、完璧で、秩序正しく、酷く退屈だった。すべてが予測可能で、何のサプライズもなかった」


遥香は、優里の瞳をじっと見つめた。


「それから少しして、あなたは、制服を着て、私にぶつかってきた。慌てて謝罪するあなたの姿は、不器用で、弱々しく、私の知る『普通』の生徒たちとは、明らかに異質だった」


遥香は、普段人に対して見せない感情を、

僅かに声に温もりを込めて言った。



「あの時も、そう。あなたの存在は、私にとって、単調な日常に現れた、予想外な色だった」



遥香は、優里の顔を注意深く見つめ、

本当の心の内を少しだけ明かした。


「あなたに出会うまで、私の世界は、色褪せた絵画のようだった。」

「でも、あなたが現れてから、絵画に、予想外のニュアンスや、予測不能な動きが加わった。」

「蹴り飛ばされて地面に伏せる姿も、破れた制服で慌てる姿も、今日のような消火器を勢いよく撒き散らす姿も…私にとっては、退屈な日常を、少しでも面白くしてくれる、貴重な出来事だったの」



蹴られて倒れる姿も。

破れた制服で慌てる姿も。

そして今日の、消火器を振り回す姿も。



冷酷ながらも、心からの告白だった。


彼女は、優里の不遇な状況を

憐れんでいるわけではない。


ただ、優里の存在が、

彼女の閉ざされた世界に、

かろうじて刺激を与えていることを、

正直に伝えようとしていた。



遥香の不器用ながらも、

一生懸命頑張る姿。



遥香の予想外の告白に、

優里は驚きを隠せないでいた。



自分の不運な日常が、

遥香にとっての「刺激」だったという言葉に、

優里は複雑な感情を抱いた。



遥香の瞳に宿る、

偽りのない光は、

彼女の言葉が本心であることを物語っていた。





二人の間に流れるのは、静かで、

しかし、どこか温かい空気だった。



その時、近くから、

数人の女子生徒の声が聞こえてきた。



「ねえ、聞いた? 遥香ってさぁ、ダイアモンドだから調子に乗ってるよね」


「わかる。ダイアモンドじゃなかったら、あんなに偉そうにできないくせに」


「無駄に顔がいいだけなのに、中身は空っぽなんでしょ」




遥香の表情が、ほんの一瞬、固まる。


優里は胸が締め付けられた。


……遥香が、傷ついている。




しかし、次の瞬間、話題は優里に移った。



「そういえばさ、最近遥香の隣にいるブロンズの女、あれなんなの?」


「ああ、あの宝来って子でしょ? 卑しい顔してるよね」


「ブロンズのくせに、なんで遥香様の隣にいるのかしら。身の程を知らないにもほどがあるわ」


「どうせ、媚びるのがうまくて、遥香様の同情でも買ったんじゃない? 悠様とも付き合ったらしいけど、誰にでも色目使ってるんじゃないかしら」



優里は、耳を塞ぎたかった。


しかし、足は凍りついたように動かなかった。


心の奥底に押し込めていた不安。

父親から言われた言葉。


そのまま彼女たちの口から飛び出してきた。


「まぁ、せいぜい遥香様の気まぐれに付き合わされてるだけでしょうね。どうせすぐに飽きられて、ゴミみたいに捨てられるんだから」


「そうそう。どうせいつもの『おもちゃ』よ。どうせすぐにまたブロンズに逆戻りして、ボロボロになっていくのよ」



冷たい鉛が落ちてきたかのように、心が重くなった。



遥香の悪口を聞いて遥香を心配していたはずなのに、

自分の悪口に変わった途端、

優里は自分のことで頭がいっぱいになってしまった。




遥香は、優里がひどく傷ついているのを感じ取っていた。




遥香は、優里の体を、

自分の腕の中に強く抱きしめた。


そして、まるで優里の耳を塞ぐかのように、

優里の頭を自分の肩に埋めた。





遥香は、自分の腕のなかにいる優里を、

静かに見つめた。



優里の表情は、明らかに傷ついていた。



その小さな体は、

悪意に満ちた言葉の刃に切り裂かれ、

震えている。


優里の瞳には、

今にもこぼれ落ちそうなほどの涙が溜まっていた。



「ブロンズのくせに」

「おもちゃ」

「ゴミみたいに捨てられる」。


遥香の耳にも、残酷な言葉が突き刺さる。


遥香は、自分が日頃から抱えている苦痛を、

今、優里も味わっていることを悟った。



遥香は、

優里の心が壊れてしまうのではないかと、

深い恐怖を感じた。


遥香は、ためらうことなく、

両手を優里の耳に当て、

その悪意に満ちた声を遮断した。



それは、遥香が、

これまでの人生で誰にも見せたことのない、

感情に満ちた行動だった。



遥香の手は、冷たい氷のようだった。


しかし、その手から伝わる温もりは、

優里の心を包み込み、

優里が抱えていた、

すべての不安と絶望を、

優しく溶かしていった。



遥香は、自分でも理解できなかった。


助けたつもりはない。

守るつもりもない。


なのに、

この子が壊れる気配だけは、

どうしても、許容できなかった。




遥香は、扉の向こうで

悪口を言い続ける生徒たちを、

姿は見えないものの、

鋭い眼差しで睨みつけた。


遥香の心のなかには、

優里を傷つけた者たちへの、

冷たい怒りが燃え上がっていた。




優里は、遥香の胸に顔を埋めながら、

静かに悟っていた。



もう、戻れない。



ブロンズの世界にも。

遥香を知らなかった頃の自分にも。


この人の孤独を見てしまった。

この人の怒りに、触れてしまった。




それでも。



(……それでも、いい)


遥香の腕のなかで、

初めて恐怖とは違う震えを感じていた。


「……遥香様」


小さく、けれどはっきりと。


「私、もう……元の場所には戻れません」


遥香は答えない。


けれど、腕を緩めることもなかった。


それが、

助けた自覚のないまま始まった拘束であり、

優里が覚悟を決めた瞬間だった。







優里は、遥香の言葉に耳を傾けながら、

これまでの彼女とのやり取りを思い出していた。



優しくされたかと思えば、

突き放すような冷たい言葉を浴びせられる。



心を閉ざしたかと思えば、

自分のためにドライヤーをかけ、

メイクまでしてくれた。



そして、今もまた、

冷たい言葉で突き放すようなことを

言ったかと思えば、



自分の日常を「面白い」と評し、

優しさを見せる。




優里は、遥香の顔をじっと見つめると、

少しふてくされたような表情で、

言葉を紡ぎ始めた。


「…遥香様は、ツンデレなんですね」



不満と、どこか嬉しさが混じっていた。



遥香は、予想外の言葉に、

一瞬、目を見開いた。



彼女の辞書に、

「ツンデレ」という言葉は存在しない。




彼女の完璧な世界には、

あり得ない、

混沌とした感情の表現だった。



「な…何を言っているの? 私が、ツンデレ…?」


遥香は、動揺を隠せないでいた。



彼女の完璧な仮面が、

優里の言葉によって、

ほんのわずかに崩れ落ちた。



顔を赤くし、視線をそらすその姿は、

いつもの冷徹な女王の姿とはかけ離れていた。



優里は、

そんな遥香の様子に、小さく微笑んだ。


「だって、そうじゃないですか。優しくしたと思ったら冷たくして、冷たくしたと思ったら優しくして…」


優里は、言葉を続けるたびに、

遥香の顔が赤くなっていくのを見て、

面白そうに目を細めた。



「でも…そんな遥香様も、私は…」


優里は、そこまで言うと、言葉を止めた。


その先にある言葉は、

まだ遥香には伝えるべきではない、と

本能的に感じたからだ。



遥香は、優里の言葉を

信じられないという表情で見つめていた。



彼女は、優里という少女の存在が、

自分の完璧な世界を、

根本から変えてしまうかもしれないという、

漠然とした予感に囚われていた。







宝来優里の心には、

常に遥香という存在が、

まばゆい光のように輝いていた。



いじめられ、孤独に苛まれていた優里にとって、

遥香は完璧で、

手の届かない「女王」であり、

その美しさ、品格、

そして内に秘められた孤独の影は、

優里の強い「憧れ」の対象だった。



優里は、遥香が抱える孤独を理解し、

彼女を救いたいと心から願っていた。



それは、自身が悠に救われたように、

遥香もまた、

誰かに救われるべき存在だと感じていたからだ。



優里にとって、遥香への感情は、

まさに「救済への衝動を伴う強い憧れ」であり、

それ以上でも、それ以下でもなかった。



悠が自身の孤独を癒してくれたように、

優里も遥香の孤独を癒したい。



その一心が、優里を突き動かしていた。





篠原悠は、

優里のその「憧れ」が、

単なる尊敬や救済への衝動だけではないことに

気づいていた。



優里が遥香について語る時の瞳の輝き。

遥香のわずかな表情の変化に一喜一憂する姿。


そして遥香の近くにいる時の優里の緊張と喜び。


誰よりも間近で見てきた。



悠は、

かつて自分が

優里の「孤独」を理解していたように、

今、優里が自覚していない、

その感情の真の正体を見抜いていた。




(それは……『憧れ』なんかじゃない)



悠は、心の奥底でそう確信していた。



優里が遥香に対して抱いている感情は、

一般的な憧れとは異なっていた。



それは、遥香の完璧さに惹かれ、

彼女の側にいたいと願い、

彼女の心に触れたいと願う、

紛れもない「感情」だったのだ。



優里自身は、

まだその感情が何であるかを理解していない。


あまりにも純粋で、

あまりにも献身的なため、

「救いたい」という大義名分のなかに、

その感情の正体を

無意識に隠してしまっている。



悠は、優里自身の感情の複雑さを理解し、

その純粋な「感情」が、

遥香の冷たい心をどう溶かすのか、


そして、遥香自身もまた

優里に特別な感情を抱いていることに

気づいていたからこそ、



その二人の関係の行く末を、

静かに見守ることに決めたのだった。



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