傷つけないで
パーティーの後。
ダイアモンドラウンジ。
いつものように静まり返っている。
山下遥香は、篠原悠の前に立っていた。
表情は相変わらず冷静。
だが、瞳の奥。
どこか決意のような、
切実な願いのような光が宿っている。
「悠」
「あの子を、これ以上傷つけないで」
普段の彼女からは想像もつかないほど、
感情が滲んでいた。
それは、命令ではなく、
遥香なりの「懇願」だった。
公衆の面前で「汚点」として立たされ、
その後ドレスアップさせられた一連の出来事。
目に宿る絶望と、
それでも消えない「憧れ」の光。
優里の存在が、
遥香の心を確かに動かしていたのだ。
悠は、面白そうに眉を上げた。
口元には、いつもの冷笑。
「どうして?」
悠は、皮肉を込めて問い返した。
「女王様にしては、随分と感情的な言葉だな。僕の『ゲーム』に、私情を挟むつもりか?」
悠の挑発に顔色一つ変えなかったが、
その表情は微かに硬くなった。
悠は、ソファからゆっくりと立ち上がると、
遥香の目の前に歩み寄った。
「まぁ。楽しみにいていて」
それだけ。
悠は、楽しそうに、ラウンジを出ていった。
翌朝。
優里の朝は、太陽よりも早く始まる。
カースト最下位のブロンズ。
ダイアモンドやゴールドの生徒が登校する前に、
目障りにならないための配置を完了させなければならない。
それは、この学園の見えない義務だった。
まだ夜明けの薄暗さが残る静寂な校舎の廊下。
足音を立てないように速足で歩く。
校舎に入る前から、
すでに心は重い空気に沈んでいる。
(誰もいない。でも、きっと誰かに見られている)
少しでも遅刻したり、ルールを破れば、
即座に悠斗たちによる苛烈な罰が待っている。
いつも、息を殺し、壁際に身を寄せて歩く。
その姿は、まるで捕食者から身を隠す
小動物のようだった。
一方。
ダイアモンドラウンジは、今日も静かだった。
柔らかな絨毯。
完璧に調えられた調度品。
外界の喧騒を遮断する、厚い扉。
山下遥香は、
ソファに腰を下ろし、
向かいに座るカウンセラーの声を、
半分も聞いていなかった。
「……ですから、山下さん。それは一時的なストレス反応で……」
大丈夫です。
気にしすぎです。
いつも通りの言葉。
遥香は、視線を落としたまま、
膝の上で制服の裾をぎゅっと掴む。
(……わかってる)
そんなことくらい。
(気にしすぎ?ストレス?一時的?)
知っている。
理解している。
分析もできる。
(努力してる)
(ちゃんと)
ダイアモンドラウンジから、
出られるように。
人前に立つために。
女王として振る舞うために。
なのに。
胸の奥で、何かが、
軋む音を立てている。
カウンセラーの声が、遠くなる。
「……自分を責めすぎないことが大切で…」
(責めてない)
(ただ……)
制服を掴む指に、力がこもる。
(壊れていくのが、分かるだけ)
感情が鈍くなっていく。
集中力が続かない。
人の声が、煩わしい。
そして、思考の中心に、
一人の少女が、
居座り続けている。
宝来優里。
(……やめて)
(考えるな)
そう命じるほど、
輪郭は鮮明になる。
(私は、女王)
(こんなことで、揺らぐはずがない)
カウンセラーが、穏やかに微笑む。
「今日はこの辺で。とても落ち着いていらっしゃいますよ」
落ち着いている。
その言葉に、
遥香は小さく、口角を上げた。
そう見えるでしょう。
壊れ始めていることを、
誰にも悟られないようにする訓練だけは、
完璧だから。
ラウンジの外。
扉に寄りかかるように立っていた日向朔也は、
なかの様子を、
ただ黙って待っていた。
声は聞こえない。
けれど。
(……今回も、ダメか)
扉の向こうの沈黙が、
それを物語っている。
そこへ、足音が近づく。
「いつものか?」
篠原悠の声。
隣には、宝来優里がいた。
「あぁ。今回も進展なしだろうな」
そう答えた直後、
扉が開き、カウンセラーが出てくる。
「どうでしたか?」
朔也が、抑えた声で尋ねる。
カウンセラーは、
少し困ったように笑い、
レポートを差し出した。
「現状維持、ですね。大きな後退はありませんが……」
進展がない。
それだけで、十分だった。
カウンセラーは丁寧に頭を下げ、
足早に去っていく。
残された沈黙。
そのなかで、優里が、
ぽつりと口を開いた。
「あのカウンセラー……」
「どうした、優里?」
「……変えた方がいいです」
朔也は、組んでいた腕をほどいた。
「何を言っている。俺が選んだカウンセラーだぞ?」
「遥香様に、合ってません」
「なにも見てないだろ」
「見なくても、分かります」
即答だった。
朔也の眉が、わずかに動く。
「……根拠は?」
優里は、何も言わず、指を伸ばした。
「ほら」
その先。
ガラス越しに見える、
ラウンジのなか。
ソファに深く沈み込み、
うなだれたまま、
床を見つめる遥香の姿。
まるで、
世界と切り離された人形のようだった。
朔也の舌打ちが、小さく響く。
(ブロンズごときに、何が分かる)
そう思った。
……が。
隣で、悠が、
楽しそうに笑った。
「ふふ……」
彼は、
朔也の手からレポートを奪い取り、
そのまま、優里の胸に押し付けた。
「じゃあさ」
「君がやればいいんじゃない?」
「……はい?」
優里が目を見開く。
「カウンセラーには、専門的知識が必要で……」
「それが役に立ってないから、困ってるんだろ?」
言葉を、遮る。
「……」
悠は、優里の胸元を、
指先で軽く叩いた。
「そのバッジは、何のためにつけてる?」
わかっている。
この子は、誰よりも。
遥香を救うため。
この閉じた聖域から、
引きずり出すため。
悠は、優里の背中に手を当てた。
「ほら。行こう」
「え、ちょ……」
抵抗する間もなく、
優里は前へ押し出される。
ラウンジの扉が、開く。
静かな空間。
そして、ソファに沈む、
女王の姿。
遥香が、顔を上げた。
その視線が、
優里を捉えた瞬間。
壊れかけた心臓が、大きく跳ねた。
悠は、その様子を見て、
満足そうに微笑んだ。
(……一線、越えさせてもらうよ)
誰も動かせないなら、
壊れる前に、
壊してしまえばいい。
女王と、ブロンズの少女。
その距離は、もう、
後戻りできないところまで、
縮められていた。
「……こっち、来ないで!!」
反射だった。
考えるよりも先に、
声が荒れて、
空気を切り裂いた。
宝来優里は、その場で、
ぴたりと足を止めた。
遥香は、
自分の喉から出た声の鋭さに、
一瞬だけ怯む。
(……違う)
(来ないで、じゃない)
(来て)
顔も見たくない。
存在してほしくない。
そう思おうとするたびに、
心の奥では、
真逆の願いが暴れている。
行かないで。
いなくならないで。
それを、
誰よりも自分が分かっているのが、
いちばん苦しかった。
(傷つければいい)
(突き放せばいい)
(どうせ、失望して去っていく)
今まで、それで世界は保たれてきた。
女王でいるための、
最も確実な方法。
なのに。
どうして。
優里は、逃げなかった。
怯えた様子も、
怒った顔も見せず、
ただ、その目で見てくる。
拒絶された人間が向けるはずのない、
あまりにも静かな眼差しで。
(やめて)
(そんな目で、見るな)
私は完璧なんかじゃない。
誰かに憧れられる存在なんかじゃない。
中身は、空っぽで、脆くて、
ひとりになるのが怖いだけの……
「……つらかったですね」
その、たった一言。
遥香のなかで、何かが、
音を立てて崩れた。
……むかつく。
どうして、
そんな簡単な言葉で。
どうして、
理解したような声で。
(わかったふり、しないで)
遥香は、衝動的に立ち上がった。
そして、優里の胸を、
ぽかぽかと叩く。
力は、ほとんどない。
痛みを与えるためのものじゃない。
怒りというより、
子どもが癇癪を起こすような、
拙い抵抗だった。
「……むかつく!」
ぽか。
「なんで……」
ぽか。
「なんで、私の前からいなくなるの!」
ぽか。
「むかつく!むかつく!むかつく!!」
叩きながら、声が震える。
優里は、抵抗しない。
止めもしない。
ただ、受け止めている。
(やめろ)
(言うな)
(これ以上、壊れるな)
頭では、必死に叫んでいるのに。
口から零れたのは、
ずっと、
必死に隠してきた言葉だった。
「……さみしかった」
声が、掠れる。
「……そばに、いてほしかった」
喉が、締め付けられる。
「……ひとりに、しないで」
その瞬間。
遥香が築いてきた
完璧な世界は、
音を立てて崩れ落ちた。
女王の仮面が、床に落ちる。
涙が、止まらなかった。
理由なんて、後付けだ。
肩書きも、立場も、正しさも。
全部、どうでもよかった。
会いたかった。
ただ、それだけだった。
遥香は、
その場に崩れ落ちるように、
泣いた。
優里は、迷った。
(……行ってはいけない)
そう、分かっていた。
これは、
越えてはいけない一線だ。
触れれば、戻れなくなる。
それでも。
思わず、手が伸びた。
震える遥香の背中に、
そっと触れる。
撫でるように、ゆっくりと。
「……そばにいます」
遥香の肩が、
びくりと揺れる。
「約束します」
優里は、逃げなかった。
「嫌われることには……慣れていますから」
その言葉は、遥香の胸を、
さらに強く締め付けた。
(そんなこと、言わせたかったわけじゃない)
(守りたかったのに)
ラウンジの外。
扉にもたれかかる朔也は、
目の前の光景を、
信じられずに見ていた。
ブロンズが、遥香を壊した。
ありえない。
誰がいても、何をしても、
崩れなかった女王が。
どうして。
こんなにも、簡単に。
その隣で、悠は、
にこりと微笑んでいた。
それは、救済者の笑みではない。
朔也へ向けた、露骨な挑発だった。
(ほらね)
(君たちが守ってきた世界は、もう、内側から壊れてる)
そして。
誰にも止められないところまで、
二人は、踏み込んでしまった。
泣き疲れて、
遥香はソファに座り込んでいた。
涙は止まったはずなのに、
胸の奥は、
まだざらざらしている。
さっきの言葉。
「ひとりにしないで」
思い出すたびに、
心臓がきゅっと縮んだ。
(最低だ)
(こんなの……)
依存だ。
分かっている。
誰かを、
自分の不安を埋めるためだけに
縛りつける行為。
かつて、自分が一番軽蔑してきたもの。
(だから、ダメなのに)
遥香は、膝の上で指を強く組んだ。
少し離れた場所に、
優里がいる。
立っているわけでもなく、
逃げる様子もなく、
ただ静かに、そこにいる。
まるで、
最初から「ここにいる役目」だったみたいに。
(……帰ればいいのに)
そう思うのに。
優里が、
扉の方へ視線を向けただけで、
胸の奥がざわつく。
足音を想像しただけで、
息が詰まりそうになる。
(行くな)
(置いていくな)
(また、ひとりにする気?)
理不尽だと、分かっている。
でも。
遥香は、
自分でも驚くほど小さな声で、
言ってしまった。
「……まだ、ここにいて」
女王の声色で、縛るように。
言ってしまった瞬間、
後悔が走る。
(ほら)
(やっぱり、最低だ)
優里は、一瞬だけ目を瞬かせた。
それから、困ったように、
でも、どこか柔らかく笑った。
「はい」
それだけ。
理由も、条件も、不満もない。
遥香は、その「はい」に、
胸を刺された。
(嫌じゃないの?)
(重いって、思わないの?)
「……依存、だと思わないの?」
思わず、口をついて出た。
優里は、少し考えるように首を傾げる。
「……えっと」
本当に、分からないという顔だった。
「今、遥香様がつらいから、そばにいたいだけです」
淡々と、事実を述べるように。
「それって……」
遥香は、言葉に詰まる。
「……重い、でしょう」
優里は、はっきりと首を横に振った。
「全然」
即答だった。
「むしろ、必要とされるのは、うれしいです」
遥香は、言葉を失った。
(この子……)
(私が何をしているか、分かってない)
いや、違う。
分かっていて、嫌悪しない。
それが、いちばん怖かった。
「……私は」
遥香は、目を伏せる。
「あなたを、離したくないだけ」
「守ってるつもりで、縛ってる」
「そんな自分が、嫌い」
言葉にするたび、胸が痛む。
優里は、
少しだけ間を置いてから、
静かに言った。
「じゃあ……」
遥香の顔を、まっすぐ見る。
「離したくない間は、離さなくていいと思います」
遥香の心臓が、強く打った。
「嫌になったら、そのときは言ってください」
「私は、そのまま聞きますから」
その言葉には、条件も、
見返りも、覚悟すらなかった。
ただ、受け入れるという姿勢だけがあった。
(……ずるい)
遥香は、目を閉じた。
こんなふうに
まっすぐ肯定されたら、
拒否のしようがない。
「……そばにいて」
願いだった。
優里は、少し微笑んで、
ソファの近くに腰を下ろす。
距離は、ほんのわずか。
でも、その距離が、
遥香の呼吸を、
確かに楽にした。
(これが、依存でも)
(歪みでも)
(今は……)
遥香は、そっと目を閉じた。
少なくとも、
この温度がある限り、
自分は壊れずにいられる。
そして。
その歪みを、
嫌悪しない存在が、
ここにいる。
それが、何よりも
危険で、救いだった。
ダイアモンドラウンジの扉の外。
朔也は、壁に背を預けたまま、
動けずにいた。
なかから聞こえるのは、
声ではない。
泣き声も、叫びも、混乱も。
ただ、静かな空気の変化。
それが、何よりも決定的だった。
(……落ち着いている)
あれほど追い詰められていた遥香が。
カウンセラーの前では、
制服を握りしめ、
視線すら上げなかった遥香が。
今は、壊れていない。
扉一枚隔てただけで、はっきりと分かる。
(……俺じゃ、なかった)
朔也は、ゆっくりと目を閉じた。
これまで、自分がしてきたことが、
頭のなかを巡る。
専門家を選んだ。
環境を整えた。
刺激を避けた。
無理はさせなかった。
「正解」を、一つずつ積み上げてきた。
なのに。
「大丈夫です」
「気にしすぎです」
その言葉を聞くたびに、
遥香の肩は、
少しずつ重くなっていった。
それに、気づけなかった。
(いや……)
(気づいていた)
でも、認めなかった。
“正しい方法”を疑うことを、
恐れていたから。
扉の向こうで、
小さな衣擦れの音がした。
優里だ。
その存在を想像しただけで、
胸の奥が、じくりと痛む。
(……ブロンズ)
学園の序列で言えば、
最下層。
権限も、
知識も、
立場もない。
カウンセリングの資格も、
処方箋も、
理論もない。
ただ、「そばにいる」だけ。
(それだけで、届いた)
朔也は、苦く笑った。
(俺は……)
(遥香を“治そう”としていた)
(あの子は、“一緒に壊れかけていた”)
その違いが、決定的だった。
遥香は、
誰かに引き上げられたかったんじゃない。
完璧に戻りたかったんじゃない。
ただ、
ひとりじゃないと、
感じたかっただけだ。
(それを……)
(俺は、与えられなかった)
自分が連れてきたカウンセラー。
自分が選んだ正解。
それらはすべて、
遥香の「世界」の外側にあった。
朔也は、拳を握る。
悔しさよりも、喪失感に近い。
(……俺は)
(あの子の、一番近くには、いられない)
その事実が、静かに、
確実に突き刺さる。
扉の向こうで、遥香の声がした。
小さく、でも、はっきりと。
「……そばにいて」
その言葉が、
誰に向けられたものか。
考えるまでもない。
朔也は、一歩、
後ろへ下がった。
(負けた、な)
勝ち負けで
測るものじゃないと、
分かっている。
それでも。
“届いた者”と
“届かなかった者”。
その線は、
残酷なほど明確だった。
しばらくして、
ラウンジの扉が、
静かに開いた。
悠が、穏やかな表情で出てくる。
二人の視線が、
一瞬だけ交わった。
悠は、何も言わない。
言わなくても、
全部分かっている顔だった。
朔也は、視線を逸らし、低く呟く。
「……俺じゃ、無理だった」
悠は、少しだけ目を細める。
「無理、じゃない」
「ただ……“違った”だけだよ」
その言葉が、
慰めにならないことを、
悠自身がいちばん理解していた。
朔也は、小さく息を吐いた。
(それでも……)
(遥香が、生きているなら)
それだけで、十分だ。
そう思おうとして、胸が痛んだ。
扉の向こうには、もう。
自分の居場所は、なかった。
そして、翌日。
ダイアモンドラウンジ。
いつも通り、
完璧に整えられた空間。
ソファの配置も、
照明の角度も、
空調の温度も、
すべてが“最適”。
なのに。
遥香は、ソファに座ったまま、
膝を抱えていた。
ドレスではない。
少しゆるいカーディガンに、
髪もまとめていない。
女王として、
決して人前で見せない姿。
「……ねえ」
遥香が、そっと声をかける。
「はい」
優里が応える。
「私ね」
声が、かすれている。
「強いふり、上手だったでしょ」
優里は、答えない。
ただ、否定もしない。
遥香は、小さく息を吐いた。
「朔也の前では……ちゃんとしてなきゃって思ってた」
完璧で。
理知的で。
冷静で。
壊れかけているなんて、
絶対に悟らせてはいけなかった。
「でも」
遥香の指先が、
カーディガンの袖を
ぎゅっと掴む。
「優里の前だと……それ、できなくて」
声が、わずかに震えた。
「弱いところ、隠そうとすると……余計、苦しくなる」
それは、朔也には
一度も言えなかった言葉。
彼を信頼していなかったわけじゃない。
むしろ、
信頼しすぎていたからこそ。
“壊れた姿”を見せられなかった。
優里は、静かに遥香の隣に座る。
距離は、ほんの数センチ。
触れないけれど、離れない。
「……逃げたくなったら」
「一緒に逃げます」
遥香は、はっと顔を上げた。
「でも」
「ちゃんと戻る時も、一緒です」
その言葉に。
遥香のなかで、何かがほどけた。
完璧じゃなくてもいい。
女王じゃなくてもいい。
強くなくてもいい。
一緒なら。
「……ふふ」
小さな、音にならない笑い。
次の瞬間。
遥香は、確かに笑っていた。
作り笑いじゃない。
社交用でもない。
威厳のためでもない。
ただ、安心した人間の笑顔。
それを。
ラウンジの入口に立つ
ダイアモンドメンバーたちは、
呆然と見ていた。
真佑が、息を呑む。
朔也は、言葉を失った。
(……ああ)
(その顔、俺には……)
見せなかった。
見せてくれなかった。
いや。
“必要とされなかった”。
その事実が、
胸に静かに落ちる。
朔也は、一歩、
後ろへ下がる。
扉に手をかけ、
振り返らずに言った。
「……ここは、任せる」
それは、
敗北宣言でもあり、
信頼でもあった。
悠が、
その背中を見送りながら、
小さく笑う。
「やっとだね」
ダイアモンドラウンジに残された者たちは、
まだ動けない。
女王が、笑った。
それだけで。
この学園の“常識”が、
音を立てて崩れていくのを、
全員が感じていた。
優里は、遥香の隣で、
その笑顔を見つめる。
(ああ……)
(この人、ちゃんと生きてる)
遥香は、もう一度だけ、
小さく笑った。
それは、
ダイアモンドの女王が、
“人間”に戻った瞬間だった。




