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ダイアモンドクラス  作者: 優里
ダイアモンドラウンジ

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28/96

孤独の理解者





ダイアモンドラウンジ。



遥香は、ソファーに優雅に座り、

いつも通り紅茶に口をつけていた。



味は、変わらない。


香りも、温度も、完璧だ。



なのに。


(……静かすぎる)


ラウンジから、

ある“ノイズ”が消えていた。




書類を運ぶ足音。

控えめに下げられる視線。


こちらを見ないようにしながらも、

どこか必死に仕事をこなしていた、あの気配。



優里は、必要以上に近づかなくなっていた。



遥香が「話しかけないで」と言った言葉を、

彼女は一言一句、忠実に守っている。


それは、

遥香が望んだ結果だった。



(距離を置かせた。正しい判断)



感情に振り回される存在は、排除する。


それはダイアモンドとして、

何度も繰り返してきた選択だ。



なのに。


視線が、無意識に探してしまう。


優里がいない場所を、

“確認する”ように、目でなぞってしまう。


(……どうして)


胸の奥に、

言葉にできない違和感が溜まっていく。


優里は、もう踏み込んでこない。

期待も、感情も、すべて引き上げている。



それなのに遥香のなかでは、


「これでよかった」


と、完全には言い切れなかった。



正しさのはずなのに、

心が、妙に落ち着かなかった。




悠は、遥香の目の前で、

あえて優里に声をかけた。



「今日は少し早めに上がっていいよ。恋人として、デートの時間を確保しないと」



その言葉は、

ラウンジの空気に、わざと投げ込まれた。


優里は一瞬戸惑い、

それから小さく頷いた。


「……はい。ありがとうございます」



距離は、礼儀正しく。

視線も、必要最低限。



触れない。



悠はそれを確認し、

遥香の方をちらりと見た。


遥香の指が、カップの縁で止まっている。



「……ずいぶん強調するね。“恋人”だと」


「事実だからね」


悠は淡々と言った。


「彼女は今、“恋人”に徹してる。君に嫌われたと思い込んでるから」


遥香の眉が、僅かに動いた。


「思い込む?私は、事実を伝えただけだよ」


「うん。でも彼女は“拒絶された”と受け取った」


悠は視線を逸らさない。


「距離を取るのは、彼女なりの誠実さだよ。」


「壊れないためじゃなく、君を煩わせないためにね」


遥香の胸が、わずかに軋んだ。


「……だから何?」


「だから、これ以上“正しい判断”を続けると」



「彼女は、君の世界から完全に消える。」


「それでも“正しかった”って言える?」


遥香は、答えられなかった。


“恋人”という言葉が、

こんなにも苛立ちを伴うとは思わなかった。





優里は、遥香から距離を取った。


それは、逃げではなく、決意だった。



嫌われたのなら、仕方ない。

邪魔になるなら、下がるべき。



そうやって、

これまで何度も生き延びてきた。



けれど。


遥香の姿を、遠くから見るたびに、

胸の奥で、別の声が囁き始めていた。



(……私が離れたら)


遥香は、誰にも本音を見せない。

誰も、真正面から触れない。



ダイアモンドの女王。

完璧で、孤独で、

誰にも助けを求めない人。



(誰が、あの人を助けるんだろう)




自分がこのラウンジから消えたら。

遥香の前から完全に姿を消したら。


何事もなかったように、

日常は続くのだろうか。



(この人、壊れる)


今日じゃない。

明日でもない。


でも、

いつか必ず。


感情を押し殺し続けた先で、

誰にも気づかれないまま、

静かに、取り返しのつかないところまで。


その未来が、

ありありと見えてしまった。




自分は、選ばれていない。

好かれてもいない。


それは、分かっている。



でも。




遥香が感情を乱した瞬間を、

確かにこの目で見たのは、自分だけだった。


冷たい言葉の裏に、

怯えがあったことも。


排除のなかに、

迷いがあったことも。



遥香が、自分で自分を壊さないように。


誰にも見えない場所で、

一人にならないように。



優里は、拳をぎゅっと握った。




嫌われてもいい。

拒絶されてもいい。


それでも。



距離は取る。

踏み込まない。


けれど、

“見捨てる”ことだけは、しない。


それが、

優里なりの答えだった。






優里は、ブロンズフロアでの授業を終えると、

すぐにはダイアモンドラウンジへ向かわない。


中庭のテラスで真佑を待っていた。



遥香の心を理解するために、

親友である真佑に

どうしても聞きたいことがあった。




「優里ちゃん、おまたせ!」


「あの…真佑様。」


「遥香様は、どうしてあんなに、ダイアモンドラウンジにこもっているのですか?」



わからなかった。


遥香が常に完璧な世界に身を置き、

他の生徒たちと距離を置いている理由。




真佑は、優里の問いかけに、

どこか寂しそうな表情で、遠い目をしていた。



「遥香はね、昔はそうじゃなかったの。」


「誰にでも優しくて、笑顔で、分け隔てなく接する……本当に温かい心を持った子だった」




今の遥香からは、想像もつかない姿。



「でも…その優しさが、何度も利用されたの。」


「笑顔で近づいてきた人に、何度も裏切られて…心を深く傷つけられてしまった」



「一番悪い人ほど、ニコニコして近づいてくる。純粋そうなふりをする…遥香は、そう思うようになってしまったの。」


「だから、心を閉ざして、誰にも傷つけられないように、ダイアモンドラウンジという完璧なお城に、自分を閉じ込めてしまった」




胸が締め付けられるような思いがした。


遥香の冷たい態度の裏に、

悲しい過去が隠されていたことを知った。




「遥香は…優里ちゃんのことが、怖いのかもしれない」


「優里ちゃんの、真っ直ぐで、純粋な笑顔が。予測不能な行動が。」


「また、遥香を裏切るのではないか、また心を傷つけるのではないか…そう、不安にさせているのかもしれない」



遥香が自分に対して抱いている

不安の正体を知った。



遥香の言葉。


行動の裏に隠されていた、本当の気持ち。



優里を受け入れることへの、恐怖だった。



そんなにも深い傷が隠されていたとは、

想像もしていなかった。



「…真佑様。どうすれば、遥香様に、私のことを信じてもらえるのでしょうか?」


迷いや不安はなく、

ただ、ひたむきな決意。



遥香の心を癒すためなら、

どんなことでもする覚悟。




「遥香は、言葉よりも、行動でしか信じられないの。」


「嘘や偽りがない、本物の行動で…」








中庭のテラスで真佑と別れたあと。


優里は、しばらくその場を動けずにいた。



胸の奥が、

ぎゅう、と音を立てて縮む。



(……怖い、よね)



遥香が自分を警戒する理由が、

ようやく分かった。



純粋そうな笑顔。

真っ直ぐすぎる言葉。

計算も、見返りもない行動。



それは、

遥香にとって“希望”であると同時に、

“最も信用してはいけない危険物”だった。


(嫌われても……仕方ない)



優里は、

自分がどれだけ遥香を追い詰めていたかを、

初めて理解した。


それでも。


足は、ダイアモンドラウンジへ向いていた。


ラウンジの扉を前にして、

優里は一度、深く息を吸った。



ここに来るたび、心臓が痛む。



拒絶されるかもしれない。

無視されるかもしれない。


もう、二度と視線すらもらえないかもしれない。



それでも。


(……逃げない)


そう決めたのは、

遥香のためだけではなかった。





ダイアモンドラウンジ。


遥香は、教科書に目を落としているふりをした。


でも。

意識の一部で常に優里のことを考えていた。



最近、かすかなことに気づき始めていた。




優里は、遥香の前以外では、

ほとんど笑っていない。



優里の表情は驚くほど無表情か、

冷たい眼差しをしていることが多かった。



親愛の情の見せかけはあるものの、

心からの温もりは感じられない。



何度か、優里が悠と話している場面を目撃した。


それでも、

優里が微笑むことは非常に稀だった。



もし微笑んだとしても、

それは表面的で、冷たいもの。







優里は、

自分が“笑わない人間”であることを、

誰よりもよく知っている。


笑ってはいけなかった。


笑えば、叱られた。


楽しそうな顔をすれば、

「調子に乗るな」と言われた。



笑わないし、笑えなかった。



彼女の出生は、

笑うことを許さない、厳しい環境だった。


優里の世界では、

笑顔は“許可制”だった。


だから、

自然に笑うことを、とうの昔に諦めた。


心を許せる人など、一人もいなかった。



誰かと話すときは、

無表情で。


感情は、見せない。


期待もしない。


そうやって生きてきた。



……それなのに。



遥香の前でだけ、

自分は笑ってしまう。


無意識に。


止めようとしても、止まらずに。


(……ずるいよ)


遥香の存在は、

優里にとっても危険だった。


封じ込めていた感情を、

勝手に引きずり出してくる。



でも。


だからこそ、優里は知っていた。


遥香も、同じ檻のなかにいる。



遥香の閉ざされた心を、他人事だとは思えなかった。



遥香の完璧な仮面の奥に隠された、深い孤独。



自分と同じように、

誰にも心を許すことができず、

ただ一人、完璧な世界に閉じこもっている。






ラウンジの奥。


遥香は、書類に視線を落としたまま、

一度もこちらを見なかった。



その背中は、

完璧で、

孤独で、

誰にも触れられないように見えた。


(……笑ってほしい)


その願いは、祈りではなかった。


お願いでも、

見返りを求める感情でもない。



(私は、笑えない)


それは事実だ。



でも。


(だからこそ、この人には、笑ってほしい)



自分が持てなかったものを、

この人には取り戻してほしい。



自分が奪われた“当たり前”を、

この人には失ってほしくない。


それが、優里の選んだ立ち位置だった。



遥香が、ふと視線を上げる。


一瞬だけ、優里と目が合った。



すぐに逸らされる。


冷たい。

拒絶。

壁。


それでも、優里は目を伏せなかった。



笑わなかった。


ただ、そこに“いる”ことを選んだ。


逃げない。

追い詰めない。

期待もしない。


それでも、消えない。


それが、優里なりの「行動」だった。



(私は、この人の光を、奪わない)


(私が笑えないからこそ、この人の笑顔を、守る)



それは、恋でも、依存でもない。


生き方だった。



遥香は、なぜか胸の奥が、

ひどく落ち着かなかった。


何も言われていない。

何も触れられていない。


それなのに。


“逃げない存在”が、そこにいる。



ただそれだけで、心が揺れた。


(……何なの、この子)


遥香は、その感情に、

まだ名前をつけられなかった。


そして優里は、初めてはっきりと理解した。



自分は、「報われる側」にはならない。


「笑わせてもらう側」にもならない。



笑ってほしいと願い、

その場に立ち続ける側なのだと。


逃げないことが、優里に許された、

唯一の選択だった。





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