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ダイアモンドクラス  作者: 優里
ダイアモンドラウンジ

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27/96

ラウンジの始まり






遥香がダイアモンドラウンジに籠るようになったのは、

中学生から高校生へと上がる、

心が最も柔らかく、

最も傷つきやすい時期のことだった。




鳳凰学院はエスカレーター式の名門校。


遥香は中等部の頃にも、その中心にいた。




生まれ持った美貌。

努力によって磨かれた才能。

そして、揺るぎない家柄。




気づけば彼女の周りには常に人がいた。


告白されることも、

「好き」という言葉を向けられることも、

日常の一部になっていた。





けれど、

その言葉のどれ一つとして、

遥香の心には届かなかった。


誰も、彼女の内面を見ていなかったからだ。



「綺麗だね」

「すごいね」

「さすがだね」



すべてが、

彼女の内面ではなく、

外見や家柄といった表面的な部分に

惹かれたものばかり。


彼女は、そのことに深く傷つき、

人の言葉を信じることができなくなっていった。




遥香は、次第に気づき始めていた。


自分が見られているのは“人”ではなく、

「ダイアモンド」という”称号”なのだと。



それでも、心のどこかで、

ほんのわずかな期待を捨てきれずにいた。


…もしかしたら、違う人もいるかもしれない。



そんな淡い希望を、

完全に砕いた出来事があった。



その決定的な出来事が、

遥香の心を完全に閉ざすきっかけとなった。






ある日、ひとりの男子生徒が遥香に告白してきた。

彼は、これまでの相手とは少し違っていた。




遥香の好きな本の話。

音楽の趣味。

些細な癖まで、よく覚えていた。


「君のそういうところが好きなんだ」



その言葉に、遥香の胸は、かすかに温かくなった。


……初めてかもしれない。


……私を、私として見てくれる人。



そう思った。





しかし、その期待は、あまりにも簡単で、

あまりにも残酷な形で裏切られることとなる。




数週間後。


遥香は、偶然、

彼が友人たちと話している場面を耳にしてしまう。





「遥香を落とせば、グループのコネが手に入る。これで将来は安泰だ」




笑い混じりの声。

軽く、無邪気で、あまりにも現実的な言葉。


遥香の世界は、その瞬間、音を立てて崩れた。




(……やっぱり、そうなんだ。)



胸の奥が、冷たく凍りつく。


彼が語っていた「好き」は、

彼女自身に向けられたものではなかった。



彼女が持つ立場。

権力。

「ダイアモンド」という肩書き。


それを利用するための、

手段でしかなかった。



その瞬間、遥香は悟った。


これまで向けられてきたすべての好意も、

形は違えど、本質は同じだったのだと。





その日以来、遥香は学園の最上階。

ダイアモンドラウンジに籠るようになった。




外部との接触を最小限にし、

表面的な人間関係を、

完全に切り離すために。


そこは、彼女にとって唯一、

心を保てる場所だった。




同時に、

誰にも踏み込ませないために築いた、

孤独な城でもあった。




もう、信じない。

もう、期待しない。



そう決めたはずだった。


それなのに。


遥香は、目の前にいる優里の笑顔から、

どうしても目を逸らせずにいた。




優里の笑顔は、あまりにも純粋だった。


見返りを求めず、

計算も、欲も、感じられない。


だからこそ

遥香は、怖かった。




遥香は、幼い頃から何度も裏切られてきた。



かつての遥香は、

誰にでも分け隔てなく優しかった。



その優しさは、常に利用の対象となった。


誰にでも優しくすれば、

その優しさは当然のように消費され、

踏みにじられた。




ニコニコと近づいてくる人ほど、

最後には必ず刃を向けてきた。


遥香のなかには、

一つの確信が刻み込まれている。



「一番悪いのは、ニコニコして、純粋そうな顔をして近づいてくる人間」



だから、優里が怖かった。


優里は、遥香の知るどの人間とも違う。


行動は予測不能で、

常識も、計算も、通じない。



退学届を受け取ったと思えば、目の前に現れ。


拒絶しても、消えず。

突き放しても、諦めず。



(この笑顔の裏に、何を隠しているの……?)





遥香は、優里の純粋さの奥に、

何か恐ろしいものが潜んでいるのではないかと、

漠然とした不安に囚われていた。



また、信じてしまったら。

また、期待してしまったら。



その先に待っているのは、

きっと、耐えられないほどの痛みだ。



それでも……


優里という存在は、

遥香の冷え切った孤独を、

確かに温め始めていた。


癒しであり、

同時に、最も恐ろしい存在。



優里は、

遥香の閉ざされた心に差し込む光であり、

再び奈落へ突き落としかねない、

両刃の剣だった。



遥香は、

その光から目を逸らしながら、

同時に、強く惹かれている自分自身に、

まだ気づいていなかった。







それからの数日間。


遥香は、意識的に

優里を視界から外そうとしていた。




ダイアモンドラウンジ。


いつもと変わらない景色。

書類の山、静かな空気、紅茶の香り。


完璧で、秩序だった世界。



……なのに。



(……また)



ふと顔を上げると、

視線の先に、優里がいる。



悠の隣。


少し緊張した面持ちで、資料を抱え、

必要以上に音を立てないよう気を配りながら歩いている。




見ない。



そう思って、視線を戻す。


書類に集中する。

数字を追う。

いつも通りのはずなのに。



文字が、頭に入ってこない。




(……何をしているの)



優里は、悠に何かを小声で報告している。


悠は、いつもの飄々とした笑みでそれを聞き、

軽く頷いている。


それだけの光景。


それだけなのに。



遥香の胸の奥が、

わずかに、ざわついた。



(……近い)



距離が。

声のトーンが。

自然すぎる。



「パートナー」という関係だから。


そう、分かっている。


分かっているはずなのに。



(……必要以上に、親しそうじゃない?)



自分でも驚くほど、

幼稚な感想が、心に浮かぶ。


遥香は、カップを持つ指に、

無意識に力が入っていることに気づいた。



……苛立ち。



理由の分からない、不快感。



(私は、関係ない)



そう言い聞かせる。


優里が誰と話そうと、

誰の隣に立とうと、

自分には関係ない。



ただのブロンズ。

ただの、悠のパートナー。


……そのはずだった。







ある日の昼下がり。


ラウンジの一角で、

悠が珍しく立ったまま、優里と話していた。



「ここ、間違ってませんか?」


優里が資料を指差す。


「……ほんとだ。ここは、数値が一日分ズレているな」



優里は慌てて修正案を出す。

悠はそれを見て、楽しそうに笑った。


「へえ。よく気づいたね」


「い、いえ……悠様の資料が丁寧だったので……」


そのやりとりが、

あまりにも自然で。



遥香は、その場の空気が、

自分の知らない

“温度”を帯びていることに気づいた。



(……何、その顔)



優里は、

遥香の前では見せない表情をしていた。



少し安心したような。

少し嬉しそうな。


誰かに認められたときの、素直な顔。



(……私の前では、そんな顔しないくせに)



胸の奥が、ちくりと痛む。



……違う。



遥香は、すぐに否定する。


優里が誰にどう接しようと、

自分には関係ない。



自分は、

人に期待しない。

人に求めない。


それが、これまで築いてきた、

“安全な距離”のはずだった。


なのに。


悠が、優里の頭に軽く手を置いた。


「頑張ってるね」


その一言。


その仕草。



遥香の思考が、

一瞬、完全に止まった。


(……触らないで)


心のなかで、

誰にも聞かれない声が漏れる。



……なんで?


……なんで、そんなこと、思うの?



自分でも理解できない感情が、

胸の奥で、はっきりと形を持ち始める。



不快。

苛立ち。

焦燥。


そして。


(……嫌だ)




自分の知らない場所で、

自分以外の誰かに向けて笑っているのが。



遥香は、

ゆっくりと視線を逸らした。



これ以上見てはいけない。


見れば、

自分のなかの何かが、

壊れてしまう気がした。


(……私は、何を)






その夜。


一人きりのラウンジで、

遥香はふと、気づいてしまう。



苛立ちは、ただの不快感じゃない。


これは、感情だ。


認めたくない名前が、

喉元まで迫ってくる。


(……嫉妬?)


その言葉を、

遥香は、まだ口にできなかった。



ただ、胸に残るのは、

悠の隣にいる優里の姿と、

そこに自分が入れないという、

理解しがたい痛みだけだった。


ダイアモンドの女王は、

初めて、自分の感情から、

目を背けることができなくなっていた。





そんな翌日。


ダイアモンドラウンジ。


遥香は書類に目を落としたまま、

背後の気配に、微かな苛立ちを覚えていた。


悠と、優里。


二人が並んで歩いてくる足音。

距離感。

呼吸のリズム。


(……近い)


「遥香」


悠が、いつもより少しだけ軽い声で呼ぶ。


「今日の企画資料、優里がまとめてくれたんだ。確認してもらえる?」


遥香は顔を上げ、

差し出されたファイルを見る。


……優里。


視線を合わせる前に、

無意識に、一瞬だけ目を逸らしてしまった。


「……置いて」


声が、少し冷たくなったことに、

遥香自身が気づく。


優里は、慌ててファイルを机に置いた。


「失礼します……」


その声。


(……それ)


なぜか、胸に引っかかる。


悠は、それを見逃さなかった。


「そういえばさ」


悠は、あえて軽い調子で続ける。


「優里、昨日も遅くまで一緒に作業してたんだよ。”恋人”としては、なかなか健気でさ」


……恋人。


その単語が、

遥香の思考を、強制的に止めた。



(……今、わざと言った)



確信がある。


悠は、

こちらを見ていないふりをしながら、

確実に“刺しにきている”。


「……そう」


遥香は、感情を押し殺して答えた。


「”設定上”は、そういう関係でしょう」


「設定?」



悠は、楽しそうに微笑った。



「建前でも、事実は事実だろ?今の彼女は、僕の“恋人”で、パートナーだ」



……それ以上、言うな。



喉元まで出かかった言葉を、

遥香は無理やり飲み込む。


(……何を、私は)


悠は、さらに一歩踏み込む。


「それにさ。優里、最近は僕の方を見る時間の方が長いかもしれないね」


優里が、驚いたように悠を見る。


「えっ、そ、そんな……!」


「冗談だよ」


悠は笑う。


けれど、その視線は、

遥香の反応を一瞬たりとも逃していなかった。



苛立つ。



胸の奥が、確実に、熱を持つ。


(……うるさい)


「業務の話が終わったなら、下がって」


遥香は、はっきりと言った。


「二人とも」


空気が、一瞬、張りつめる。


優里は、慌てて頭を下げた。


「し、失礼します……!」


悠は、去り際に、

遥香にだけ聞こえる声で囁いた。


「ほらね。ちゃんと、感情はあるじゃないか」


「……っ。」


扉が閉まったあと、

遥香は、机に置かれたファイルを、

しばらく見つめ続けていた。


胸の奥に残るのは、


不快感。

焦り。


そして……


(……奪われる、みたいな)


認めたくない感情。






翌日。


遥香は、自分でも分かるほど、

機嫌が悪かった。


理由は、考えないようにしている。



考えたら、負けだ。



「遥香様、次の会議資料ですが……」


優里が、いつもより慎重に声をかけてくる。


その態度が、

なぜか、癇に障った。



「……遅い」


遥香は、資料に目を通しながら言う。


「昨日の段階で、ここは詰めておくべきでしょう」


優里の肩が、びくりと震えた。


「す、すみません……!」


(……言いすぎ)


一瞬、そう思った。


けれど、

口は止まらない。


「それと、この数字。確認不足」


「はい……」


優里は必死にメモを取る。



その姿が。


(……可哀想、なんて思わない)


そう言い聞かせるのに、

胸が、ちくりと痛む。



「……パートナーなんでしょう?」


思わず、口に出てしまった。


優里が顔を上げる。


「悠の……」


「恋人の“建前”なんだから、これくらいは完璧にこなして」


空気が、凍る。


優里の表情が、

一瞬だけ、分からなくなる。


「……はい」


その返事は、どこか、遠かった。



(……何を、しているの)


自分で自分が、理解できない。


優里が悪いわけじゃない。


分かっている。




……分かっているのに。



“悠の隣にいる”


その事実だけが、

遥香の心を、乱してくる。






優里が去ったあと。


遥香は、一人になったラウンジで、

ゆっくりと息を吐いた。



(……無意識、か)


悠の言葉が、蘇る。




………ちゃんと、感情はあるじゃないか。



遥香は、机に手をついた。



(……認めたくない)


けれど。


優里に向けた厳しさが、

ただの指導ではないことを、

もう否定できなかった。



それは、

奪われたくない、という

感情の裏返しだということを。







ダイアモンドラウンジに入ることが、

いつからこんなにも怖くなったのだろう。



以前は、視線を向けてもらえないだけでも、

「同じ空間にいられる」ことが救いだった。



けれど今は、その“見てもらえなさ”が、

刃物のように胸を刺す。



遥香様は、私を見ると、

ほんのわずかに視線を逸らす。


それだけなのに、

心臓がぎゅっと掴まれる。



(……嫌われたんだ)




理由なんて、いくらでも思いつく。


ブロンズのくせに近づきすぎた。

憧れなんて言葉を、勝手に押し付けた。

ダイアモンドラウンジという“神域”を、汚した。



きっと、全部正しい。


だから遥香様は、

私を排除しようとしている。




話しかけないで。

邪魔。

消えて。




直接言われたわけじゃない。


でも、言われなくても分かる。



私はもう、

ここにいてはいけない存在なのだ。




胸の奥で、何かが静かに崩れていく。


音を立てない崩壊は、いつも一番痛い。



(……これ以上、嫌われたくない)



それは逃げではなく、防衛だった。


これ以上近づけば、完全に壊れてしまう。



優里は、その日から、

自分から一歩下がることを選んだ。



遥香に話しかけない。

視線を追わない。


ダイアモンドラウンジでも、

端の席に座り、存在を消す。



それが、唯一残された

“自分を守る方法”だと思ったから。







その変化に、最初に気づいたのは悠だった。



優里が、遥香を見なくなった。


正確には、

「見ないようにしている」。


それは、よく知っている反応だった。


壊れる一歩手前の人間が選ぶ、

静かな撤退。




ある日の放課後。



悠は、ダイアモンドラウンジの窓際に立つ

遥香の背中に声をかけた。



「……このまま続けるつもり?」



遥香は振り返らない。


「何の話?」


「分かってるはずだよ。あの子にだけ、明らかに厳しい」


「秩序を守っているだけ」



即答だった。


けれど悠は、その言葉に頷かなかった。


「それ、感情だよ」



空気が、凍った。


「君が“何も感じていない相手”に、あんな態度は取らない」



遥香の指先が、わずかに震える。


「……あの子は、私に執着している」


「違う。あの子は“嫌われた”と思ってる」


遥香が、初めて悠を見る。


「嫌われたと思った瞬間、人はどうなると思う?」


「怒らない。縋らない。ただ、自分から壊れにいく」


遥香の胸に、重い沈黙が落ちる。


「あの子、もう距離を取り始めてるよ。君を困らせないために」


「……それは、正しい判断だと思う」


そう言った遥香の声は、少しだけ掠れていた。


悠は、ため息をついた。


「ねえ、女王様」


その呼び方は、久しぶりだった。


「これ以上やると、壊れるよ」


「誰が?」


「優里が。……それから、君も」


遥香は何も言わない。


「失ってもいいなら、続ければいい」


悠は、突き放すように、

逃げ道を残すように言った。


「でも一度壊れたものは、元には戻らない。君が一番、知ってるだろ」


悠は、それだけ言ってラウンジを出ていった。


残された遥香は、

窓の外を見つめたまま、動けずにいた。



自分が突き放したはずの存在が、

自分から離れていく恐怖を、


このとき初めて、

はっきりと自覚してしまったのだった。




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