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ダイアモンドクラス  作者: 優里
ダイアモンドラウンジ

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24/96

女王とブロンズ





遥香は、いつものように、

完璧な姿勢でダイアモンドラウンジの書類に目を通していた。


その思考の片隅で、

優里というブロンズの少女のことを考えていた。


事務方から優里の退学届を受け取ったという報告以来、

彼女の心は、得体の知れない失望感、

予期せぬ敗北感のようなものに支配されていた。




……ただのブロンズの生徒が去っただけ。



そう理性では理解しながらも、

遥香の完璧に整えられた世界に、

彼女の存在は、小さく影を落としていたのだ。





その失望は、一瞬の内に吹き飛ばされた。


悠の隣に立つ、見慣れた少女。



宝来優里が、再び遥香の前に現れたのだ。


しかも、ダイアモンドの

篠原悠のパートナーになった。




思わず手にしていた書類を落としそうになった。



その完璧な表情の奥に、

微かな動揺が稲妻のように走る。



退学届を受け取った者が、なぜ、この場所に?


しかも、ダイアモンドの悠と共に。




遥香の視線は、優里の胸元に吸い寄せられた。



そこには、ダイアモンドが正式に認めた

パートナーにしか身につけることが許されない、

まばゆいパートナーバッジが輝いていた。



(あの子は……このバッジが、どれほどの代償を伴うか、知らないのだろう)



冷たい哀れみが込み上げてきた。


彼女がブロンズの生徒であることは、

この学園の誰もが知っている。


そんな彼女が、このバッジを身につけることが、

どれほどの波紋を呼び、どれほどの苦難をもたらすか。


遥香は、そのすべてを予見することができた。



その哀れみの奥底には、

以前のとは違う、別の感情が芽生え始めていた。



それは、再び現れた「面白い」存在への、

抗いがたい期待だった。



遥香は、言葉を交わすことなく、

優里をじっと見つめていた。


彼女の瞳には、

まだ女王としての冷徹さしか映っていなかったが、

その心の奥底では、

かすかに、燃える炎があった。




優里が、この場所で、

このカーストの頂点で、どのような光を放つのか。




その光が、自分の心を、

この孤独な檻から本当に解放してくれるのか。



遥香は、優里という少女の行動を、

これまで以上に注意深く見守ることを決意した。



それは、女王としての義務ではなく、

一人の囚われた人間として、

純粋な興味から来るものだった。







ダイアモンドラウンジで、優里の姿を見た瞬間、

遥香の理性は即座に警鐘を鳴らした。


この場で相対することは避けなければならない。


予測不能な存在。


篠原悠の隣に立つ、

あの光を纏ったブロンズと対峙すれば、

自らの完璧な均衡が崩れる。



遥香は、滑らかに立ち上がった。


重厚なラウンジの扉へと向かう。


今は一刻も早く、この空間から逃れなければ。




遥香は、ラウンジの扉を閉めたあとも、

しばらくその場から動けなかった。



重厚な扉の向こうで、どんな表情が生まれているのか。


考える必要すらないはずだった。


ブロンズが傷つこうが、

泣こうが、絶望しようが、

それは学園の日常だ。



自分には関係がない。



……そのはずだった。




(うるさい……)



胸の奥が、わずかにざわついている。



「消えて」



自分で放ったその言葉が、

思った以上に強く、鋭く、重く、

まだ遥香自身の内側に残っていた。




あれは正しい判断だった。




ブロンズがダイアモンドラウンジに入り込み、

衆目の前で女王に向かって

『憧れている』『孤独を理解したい』などと告げる。




秩序を守るためにも、学園の品位のためにも、



そして何より……


(……私自身のためにも)



排除する以外の選択肢はなかった。



遥香はゆっくりと息を吐き、窓際へと歩いた。




ラウンジの高い位置から見下ろす学園は、

いつも通り、整然としている。



誰もが自分を見上げ、

羨み、恐れ、崇める。




それが“氷の女王・遥香”という役割だ。



(……役割)



胸の奥で、その言葉がひっかかった。




本当は、ダイアモンドなど、なりたくなかった。




特別な才能も、完璧な容姿も、 誰もが羨む称号も、

最初から欲しかったわけじゃない。



普通でよかった。



放課後に誰かと寄り道をして、

成績も容姿も話題にされず、

「遥香」ではなく、「一人の生徒」として扱われる。



そんな当たり前の人生を、

一度でいいから生きてみたかった。



だが現実は違った。



誰もが、最初に見るのは“顔”。

次に見るのは“肩書き”。



近づいてくる人間は、

羨望か、利用価値か、優越感のためか


期待して、 信じて、

そして必ず、失望する。



それを何度も繰り返すくらいなら、

最初から誰とも近づかない方がいい。



だから遥香は、

ダイアモンドラウンジという安全圏に逃げた。



完璧でいればいい。

感情を見せなければいい。


誰にも心を触れさせなければ、傷つかない。




……そのはずだった。



(なのに……)



脳裏に浮かぶのは、

ブロンズの少女、宝来優里の顔。



破れた制服。 隠しきれない傷。


それでも、真っ直ぐにこちらを見ていた目。



(どうせ、権力目当て)



そう思った。



ダイアモンドに近づけば、 いじめから守られる。


地位が上がる。 注目される。


ブロンズがダイアモンドに媚びる理由など、

いくらでもある。




なのに。



エントランスで、 ただ気まぐれに、

上から見下ろしただけだった。


視線が、合った。




……それだけ。



それだけだったのに。



(……見抜かれた)



自分でも気づかないように、

奥底に押し込めていたものを。


あの一瞬で、 正確に射抜かれた。



『寂しそう』 『孤独を抱えている』



そんな言葉を向けられる資格は、

誰にもないはずだった。



理解されたくない。


知られたくない。



完璧な仮面の内側を、

覗かれるなんて、許されるはずがない。




だから……


(……だから、消えろと言った)



あれは拒絶だ。



同時に、


“触れるな”という悲鳴でもあった。



もし、あのまま彼女を近づけていたら。

もし、言葉を交わしていたら。


もし、


(……期待してしまったら)



また同じことを繰り返す。



信じて、 裏切られて、


「やっぱり、外見と肩書きしか見ていなかった」


そう思う未来が、 手に取るように見えた。



だからこそ、


強く、冷たく、

完全に切り捨てる必要があった。



「消えて」



それは彼女のためではない。


……自分を守るための言葉だった。



遥香は、無意識のうちに胸元を押さえていた。



心臓が、わずかに速く打っている。


(……厄介だ)


ブロンズ一人に、

ここまで思考を乱されるなど、 前代未聞だ。



なのに、

脳裏から離れない。



まっすぐな視線。

震えながらも告げた言葉。


拒絶されたあとも、 立ち尽くしていた姿。



(……なぜ)


なぜ、目が離せなかったのか。


なぜ、切り捨てたはずなのに、

心に引っかかり続けるのか。


その答えを、 遥香はまだ認めることができなかった。




ただ一つ、確かなことがある。


あのブロンズは、 他の誰とも違った。



それが、 氷の女王の完璧な世界に生じた、

最初の“亀裂”だった。






誰にも邪魔されず、誰にも触れられず、

完璧な自分でいられる場所。


それが、ダイアモンドラウンジだった。


”完璧な逃げ場”だったはずなのに。


その場さえ、脅かされる。



自分で言った言葉だ。


それで終わるはずだった。






遥香は苛立ちを誤魔化すように、足を速めた。



ラウンジから出て、専用廊下を進む。


息もつかせぬ速さで階段へと向かうつもりだった。


しかし、行動には移せなかった。



遥香は歩き出してから、三歩で足を止めた。



この先を降りれば、教室フロア。


普通の生徒たちの世界。



紛れ込めば、

束の間、静寂を取り戻せるはずだ。





(……行けない)




心が拒絶した。


脳裏に、鮮明な映像がフラッシュバックする。


ダイアモンドである自分が、

普通の生徒のなかに紛れた瞬間、


期待され、持ち上げられ、

そして、失望される。



過去に、何度もあった。



“遥香なら出来るよね”


“遥香は特別だもん”




そう言って近づいてきた人間ほど、

期待通りでないと分かった瞬間、

一番残酷な目を向けてきた。





だから。



(私は、降りられない)



そう思った、次の瞬間。


足が、動かなかった。



指先から、冷たさが広がる。

膝が、わずかに震えた。



(……っ)



遥香は、思わず手すりに掴まった。



喉の奥から小さな音が漏れる。


急に視界が歪み、

階段の段差が際限なく続く深い奈落のように見え始めた。



トラウマが、

完璧にコントロールされていたはずの身体を、

暴力的に支配し始める。



胸郭が締め付けられ、肺が空気の流入を拒絶した。


「はっ……ひゅ……」


呼吸が浅くなり、細く喉を鳴らす。


冷や汗が背筋を伝い、

完璧に巻かれた髪の下で肌が粟立つ。


恐怖で動けない。



この一段を踏み外せば、

またあの地獄の底へ突き落とされる。



そう、身体が警告していた。



女王の冷徹な仮面は剥がれ落ち、

そこには、ただ過去に怯える、

脆弱な少女が立っているだけだった。



情けない。





荒い呼吸を隠すように奥歯を噛みしめた。



逃げる。逃げなければ。


しかし、その足は、

階段を前に一歩も動けなかった。


ダイアモンドの女王が、

ただ階段を降りるだけで、

立ち止まっている。




(……どうして)




答えは分かっている。





“普通”の場所に行けば、

また誰かと目が合う。




そして、

あのブロンズの少女のように、

自分の内側を見抜かれるかもしれない。





それが、怖かった。




……怖い?



自嘲が込み上げる。



(……私が?)



遥香は唇を噛んだ。




完璧であることに慣れすぎた結果、

不完全を見られることに、

耐えられなくなっていた。



……だから、排除した。




近づいてきた存在を、

早い段階で切り捨てた。



それが、

あの「消えて」という言葉だった。



(……それなのに)




排除したはずの存在が、頭から離れない。




ブロンズ。


最底辺。





そう分類したはずの存在が、


遥香の思考を占領している。




苛立ち。混乱。


そして、



(……視線)



自分が、

無意識に“探している”ことへの、

決定的な嫌悪。



遥香は、ぎゅっと目を閉じた。



(見ない。考えない)



そう言い聞かせても、

脳裏には、

涙を堪えながら立っていた優里の姿が浮かぶ。





トラウマに支配され、

階段の前で立ち尽くす遥香の荒い呼吸だけが、

静かな廊下に響く。




一瞬、遥香の心に、

あり得ないほどの淡い、砂のような期待が湧き上がった。




あのブロンズの少女なら、

もしかしたら、この自分自身の孤独と、

この学園の冷酷さを、誰よりも純粋な目で見て、

理解できるのではないか。


彼女が持っている、あの盲目的なまでの憧れは、

この息苦しい檻を打ち破る力を持っているのかもしれない。



その微かな光は、即座に過去の冷酷な記憶によってかき消される。



(無理だ)



過去、カースト下位の、

かつて「友人」と呼ばれた生徒たちは言った。



「遥香なんだから大丈夫」

「女王様なら、これくらい乗り越えられるはず」


彼らは、自分を崇拝する偶像としてしか見ていなかった。



学園のカウンセラーも同じだ。


優雅な笑顔で言われた。


「そんなプレッシャーを抱えないで、自然体でやればいいんですよ」



彼女が背負う「女王」という名の十字架の重さを、

寸毫も理解していなかった。



みんな同じだ。



誰も、この完璧な仮面の下にある、

怯える一人の少女を救おうとはしない。


誰も、自分に与えられた役割を降りることを許してはくれない。



(誰も、助けてはくれない)



淡い期待は、瞬時に絶望へと反転した。




唇を噛みしめ、

湧き上がった期待の感情を無理やりねじ伏せた。



もう、誰にも期待したくない。

この苦痛と孤独が、自分の運命なのだ。



一生、このままでいい。


この冷たい頂点で、誰にも触れられずに生き続けていく。


それが、女王としての唯一の安息だった。




だから、あの言葉を言った。



(……消えて)




自分に言い聞かせるように、

心のなかで繰り返した。




私の世界に、


“例外”はいらない。




けれど。



その言葉が、

誰よりも自分自身に向けられていることを、

遥香は、まだ認められずにいた。





排除したはずの存在を、心に抱えたまま。



それが、

遥香自身の“異変”の始まりであることに、

まだ気づかないまま。



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