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ダイアモンドクラス  作者: 優里
ブロンズの少女

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20/96

完璧な日々の裏側





遥香の家は、常に静寂に満ちていた。


それは安らぎの静けさではなく、

一切の乱れを許さない、管理された沈黙だった。



広大な敷地に建つ邸宅は、

毎日決まった時刻に清掃が入り、

磨き上げられた床や調度品には、

埃一つ、感情一つ、落ちていない。



遥香が目を覚ます頃には、

すでに完璧な朝食が用意されている。



栄養バランス、盛り付け、温度。

すべてが「最適解」。



メイドが静かに紅茶を注ぎ、

淡々と今日の予定を告げる。



会話は最低限。

感情の往復は存在しない。



父も母も、ほとんど家にいない。


顔を合わせるとしても、それは家族の団欒ではなく、

「成果の確認」と「次の期待」を伝えるための時間だった。



「学園の成績は、引き続きトップを維持するように」

「ダイアモンドとして、常に模範でありなさい」



遥香は、ただ静かに頷く。

反論も、疑問も、そこには存在しない。



幼い頃から、彼女は知っていた。


自分は“愛される存在”ではなく、

“期待に応える存在”なのだと。



彼女の感情や本音に耳を傾ける者は、

誰もいなかった。







放課後、邸宅に帰っても状況は変わらない。


出迎えるのは使用人たちの礼儀正しい挨拶だけ。


彼らは遥香の世話はするが、

彼女の話を聞こうとはしない。


遥香にとって家は、

心を休める場所ではなく、

「完璧な令嬢」を演じ続ける舞台だった。




常に人はいる。

だが、誰も彼女の内側を見ようとはしない。


彼女は、完璧な日々のなかで、

本当の自分を押し殺し、

深い孤独を抱えながら生きていた。






遥香は、幼い頃から

「完璧」であることを求められてきた。


誕生日に贈られるのは、

ぬいぐるみでも、絵本でもない。



高度な教材。

語学用の端末。

将来に役立つとされる、高価な道具。




「ダイアモンドは、最高でなければならない」

「ダイアモンドは、常に最高のものを身につけ、最高の知識を持つべきだ」


その言葉と共に。





遊びたい盛りの頃、

公園で遊ぶことは許されず、

同年代の子供たちと笑い合うこともなかった。



代わりに詰め込まれる礼儀作法、語学、経営学。

分刻みで管理されたスケジュール。


無駄な時間は許されない。

そう教え込まれてきた。



成果を出せば褒められる。

だが、その褒め言葉はいつも決まっていた。



「すごいね、遥香ちゃん」

「さすが、ダイアモンドだ」


誰一人として、


「楽しい?」

「つらくない?」


とは聞かなかった。




「ダイアモンド」という言葉は、

いつしか彼女自身を縛る鎖になった。


それは、輝かしく、羨望の眼差しを集める称号。


だが、その内側では、

失敗も、弱さも、許されない。


完璧でなければならない。

それ以外の選択肢はない。



彼女は、自分自身の感情や弱さを、

誰にも見せることができなかった。


もし少しでも完璧な自分から外れれば、

その重圧から解放されるかもしれない。


しかし、そんなことは許されないと、

彼女の心は知っていた。



遥香は、自分の感情を誰にも見せなかった。

見せる方法すら、分からなかった。




幼い彼女は、

邸宅の窓から外を眺めていた。


楽しそうに走り回る子供たち。

その姿を、ただ遠くから見つめるだけ。



その小さな背中には、

すでに「ダイアモンド」という名の重い鎖が、

静かに巻き付いていた。




遥香が中学生になると、学園は変わり始めた。


恋愛の話題。

友人同士の秘密の会話。


だが、遥香の世界は変わらない。

相変わらず完璧で、孤独だった。



美貌と才能は、年齢と共にさらに際立ち、

告白は日常の一部になった。



告白されることは日常茶飯事。


ロッカーに手紙が入っていたり、

下駄箱に呼び出し状が挟まっていたり。



誰もが遥香に憧れ、

彼女の隣に立つことを夢見る。



だが、遥香はその告白の言葉に、

いつも同じ虚しさしか感じなかった。



「外見が好き」

「才能がすごい」

「ダイアモンドの令嬢だから」


誰一人として、

彼女の内側に触れようとしない。


言葉は違えど、

どれも遥香の「外側」を称賛する言葉ばかりだった。


彼女の本当の性格、

心の内、

孤独な一面に触れようとする者はいなかった。





彼らが愛しているのは、

遥香が身につけている

「ダイアモンド」の輝きであり、

彼女自身の内側ではない。



彼らが見ているのは、

“遥香”ではなく、“ダイアモンド”だった。


遥香は、告白の言葉に、

いつも完璧な微笑みを返したが、

その心は冷え切っていた。


彼女は、自分を愛してくれる人がいないことを、

幼いながらに悟っていた。


「結局、誰も私の中身なんて見ていない」





遥香は、受け取った手紙をゴミ箱に捨てると、

一人、ダイアモンドラウンジへと向かった。


彼女にとって、愛の言葉は、

ただのノイズに過ぎなかった。





ある日、ダイアモンドラウンジの窓から、

学園の中庭を見下ろしていた。


整えられた庭園。

活気ある生徒たち。


その完璧な風景の隅で、

一人、静かに佇む少女がいた。


優里。


ブロンズの生徒。


常に一人で、誰とも話さない。



優里は、いつも一人でいる。

友達もなく、会話を交わす相手もいない。


彼女の周りだけが、

まるで時間が止まったかのように静まり返っていた。



遥香は、その姿を淡々と見つめた。


特別な感情はない。

ただ、視界に入っただけ。


ブロンズ。

輝きを持たない存在。


そう認識し、

視線を外そうとした、その瞬間。


なぜか、胸の奥に、

ほんのわずかな違和感が残った。


理由は分からない。

深く考えることもなかった。


この時の遥香にとって、

優里はまだ「遠い存在」に過ぎなかった。



遥香は、やがて視線を優里から外し、

再び完璧な学園の風景へと戻した。


彼女の心のなかには、

優里という少女の存在は、

何の痕跡も残さなかった。


この時、遥香にとって、優里はまだ、

ただの遠い光景に過ぎなかった。







翌朝、優里は重い瞼をこじ開けた。

昨夜、眠りにつくことはほとんどできなかった。




テーブルの上の退学届が、

優里の心を締め付ける。



その白い紙を見つめるたびに、

遥香の瞳の奥に見た「孤独」と、

悠の投げかけた「量産型」という言葉が、

優里の脳裏をよぎった。



(このまま、終わってしまっていいの……?)



痛みと絶望に苛まれながらも、

優里の心には、

まだ微かな抵抗の火が燻っていた。




重い足取りで学園に向かった優里は、

教務室の扉の前で立ち止まった。


手には、まだサインをしていない退学届。

提出すれば、全てが終わる。


扉に手を伸ばせない。



その様子を、

遠くから篠原悠が観察していた。


望遠鏡越しに、

優里の小さな背中を見下ろす。


悠は、優里の存在を、

この退屈な学園に一石を投じる

「駒」として見定めていた。



(さて、どうするかな、ブロンズ)



「辞めるならそれまで。辞めないなら、ご褒美として助けてやろう」


悠は心のなかでそう決めていた。



彼の支援は、決して無償のものではない。


優里がカースト制度の現実を乗り越え、

自らの「憧れ」を貫く覚悟を示すならば、

彼は一歩踏み出す用意があった。



もし優里が諦め、

退学という安易な道を選ぶのならば、

悠にとってはただの「量産型」に過ぎない。


全ては、優里自身の行動次第だ。



(選べよ、ブロンズ)


辞めるか。

踏みとどまるか。


悠は、まだ手を出さない。




その頃、ダイアモンドラウンジで、

遥香は一つの報告を受けていた。


「宝来優里が、退学届を受け取ったそうです」


事務的な報告。

本来なら、何の意味もないはずだった。


ブロンズの生徒が辞めることなど、いつものことだ。



だが、遥香の胸が、わずかにざわついた。



「…そう」



そう答えるのが精一杯だった。


短く答え、

窓の外に視線を向ける。


優里は、彼女にとって、

まだ言葉を交わすこともない、遠い存在だった。


それでも、遥香は、時折中庭で見かける、

ひたむきに何かに取り組む優里の姿に、

なぜか目を奪われていた。



他の生徒たちとは違う、純粋な光を、

彼女の瞳に感じていたからだ。



遥香の心のなかには、

ずっと、誰にも打ち明けられない孤独が渦巻いている。


完璧な自分を演じ続け、

誰もが彼女の「役割」にしか興味を持たない世界。


そんななかで、

もし、もしも優里という存在が、

自分の本当の姿に気づいてくれるのではないか。


そんな淡い期待を、

遥香は心の奥底でひそかに抱いていたのだ。



その期待が、今、潰えようとしていた。


「…あの子が、この学園からいなくなる…」



彼女の完璧な世界に、たった一つだけ現れた、

予測不能な「面白い」存在。


その存在が、いとも簡単に、

彼女の前から消えようとしている。


遥香は、退学届を受け取った優里の姿を思い浮かべ、

小さく、失望を胸に感じていた。




あの場所に、あの少女はいない。


完璧な世界。

整った日常。


それなのに、

どこか、欠けたような感覚。


遥香は気づいていなかった。


それが、

初めて「失うかもしれない」と感じた存在だということに。



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