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ダイアモンドクラス  作者: 優里
ブロンズの少女

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18/96

隔絶された世界






彼女は今日も、ブロンズの生徒として

誰にも見向きもされない一日を過ごしていた。


教室の隅、図書館の奥、廊下の端。


目立たず、静かに、存在しないもののように振る舞うこと。

それが、彼女がこの学園で身につけた処世術だった。


だが、その「何も起きていないはずの日常」を、

確かに観察している存在があった。


ダイアモンド、篠原悠である。




放課後。

ブロンズ用図書館の奥まった一角で、

優里は参考書を広げていた。


ページの端は何度もめくられている。


(……ここまでは分かる。でも、その先が……)


数式を睨みつけたまま、優里は小さく息を吐いた。

そのとき、影が差す。


「その問題、解けるか?」


低く落ち着いた声に、優里は肩を震わせた。

顔を上げると、そこに立っていたのは、

ダイアモンドの制服を完璧に着こなした悠だった。



「い、いえ……途中までは……」



優里は戸惑いながらも、自分が考えた過程を言葉にする。


間違いを指摘されるのではないか、

嘲笑われるのではないか。


そんな不安を抱きながら。


だが悠は、否定も肯定もせず、ただ静かに聞いていた。

そして、ほんの数言だけ口を開く。


「着眼点は悪くない。ただ、そこは逆だ」


それだけだった。


だが。


霧が晴れるように、

優里の頭のなかで絡まっていた思考が、

一気にほどけていく。



悠が立ち去ったあと、

優里は半信半疑のまま式を書き直し、計算を進めた。


すると、先ほどまで歯が立たなかった問題が、

嘘のように解けてしまった。


「……あ」


思わず声が漏れる。


努力でどうにかなる範囲を、明らかに超えていた。


本人は必死に考えているつもりなのに、

結果だけを見れば、

まるで最初から答えを知っていたかのような速さだった。



(さすが……ダイアモンド……)



悠は、優里がどこで躓き、何が足りず、

何を与えれば理解に至るのかを、瞬時に見抜いていた。


その日を境に、優里のなかで、何かが変わり始めた。






授業中。

これまで意味の分からなかった言葉が、

自然と繋がっていく。


板書の内容が、ただの文字ではなく「構造」として理解できる。


放課後は図書館に通い詰めた。



遥香への憧れ。


ただそれだけを胸に、

「変わりたい」と強く願いながら。


そして、結果は如実に現れた。


難しいとされていた課題を、

誰よりも早く、正確に仕上げる。


周囲のブロンズ生徒が頭を抱える問題を、

優里は少し考えるだけで解いてしまう。


まるで、眠っていた才能が目を覚ましたかのようだった。


本人だけが、その異常さに気づいていない。



優里は、その変化に戸惑いながらも、

密かに喜びを感じていた。



これは、遥香に近づくための、

自分なりの第一歩なのかもしれない。



悠との出会い、遥香への強い憧れが、

彼女の内に秘められた才能を、

確実に開花させていた。



一方。

ダイアモンドラウンジ。


悠は優里の成績データを眺めていた。



そこには、ブロンズの最下層にいるとは思えない、

驚異的な成長の軌跡が記録されていた。


急激すぎる成長曲線。

努力や環境では説明がつかない。


「…ありえない。ここまで急速な成長は、常識では考えられない」



努力でもない。

指導者でもない。

偶然でもない。



残る答えは一つしかなかった。



才能だ。



彼は、優里の成長を、

彼女の才能という未知数でしか説明できないことを、

内心で苛立たしく思っていた。



「本当に…彼女はブロンズなのか?」



遥香から「面白い子がいる」と聞かされた時、

ただのブロンズの少女だと軽視していた。



しかし、優里がブロンズの生徒たちをいとも簡単に追い越し、

プラチナの生徒たちと肩を並べ始めた今、

その疑問は確信へと変わりつつあった。



優里の持つ才能が、

彼女の出自や階級を遥かに超えている。



悠はさらに情報を掘り下げた。


画面には、「宝来優里」という名前と共に、

彼女の学籍情報、成績、過去の生活記録などが表示される。



幼稚園からの成績推移、生活態度の評価、提出物の状況。



「ブロンズ…特筆すべき才能は見当たらない」




初期のデータを見る限り、

優里はごく平凡な生徒。


むしろ、成績は下位に属し、

目立った活動記録もない。



家族構成、経歴、背景。


そのなかで、一つの不自然さに行き当たる。


「宝来グループ関連会社の役員」。


悠の鋭い洞察力が、この情報に引っかかった。



なぜ、大企業の役員の娘が、

ブロンズの階級にいるのか?



通常であれば、プラチナ、

あるいはコネクションを利用して、

ゴールドに属するのが自然なはず。




母親の死因に関する記述を見た時、

悠の思考は一つの仮説へと向かい始めた。



「宝来グループ本家の令嬢、故人」。


「父親は婿養子…母親は出産時に死去…そして、この不自然なまでの低い階級」



いくつかの点が線で結びつき始めた。



遥香が優里に興味を持った理由、

そして優里がブロンズにいる理由。


それらは、単なる偶然ではない。


「……意図的に、低い場所に置かれている?」


「もし…彼女が、宝来グループの本当の跡取りだとしたら…」



悠の思考は、優里の才能と、

彼女の出自の持つ意味を、一つの線で結びつけ始めた。


愛されることなく育ち、

期待もされず、才能すら見落とされた少女。






宝来優里の父は、

妻である宝来家の婿養子。



妻は由緒ある宝来家の令嬢であり、

優しく聡明な女性だったが、

生まれつき体が弱かった。



優里を身ごもった際、

医師から「薬を使うと胎児に危険が及ぶ可能性がある」と告げられた。



妻は、迷うことなく自分の命よりもお腹の子の命を優先した。


「この子が無事に生まれてきてくれるなら、私は…」


そう言い残し、

優里を出産した直後、静かに息を引き取った。



最愛の妻を失った父の悲しみは深く、

その矛先は、

妻の命と引き換えに生まれてきた娘、

優里へと向けられた。



優里を見るたびに、

彼は失われた妻の面影を思い出し、

拭いきれない喪失感と後悔に苛まれた。



幼い優里にとって、

父親はいつも冷たい存在だった。


抱きしめられることも、

優しい言葉をかけられることもなく、

父親の視線はいつもどこか恨めしそうだった。



「お前さえ生まれなければ…」


言葉こそ口に出さないものの、

その瞳の奥には、明確な拒絶の色が宿っていた。



優里が何か話しかけても、父は生返事をするか、

無視することがほとんど。


誕生日やクリスマスのプレゼントも、

もらったことはなかった。



成長するにつれて、

優里は父親に話しかけることを諦めるようになった。


彼女にとって、父親の存在は、温かい家庭の象徴ではなく、

常に冷たい影を落とす、遠い存在。



この父との冷え切った関係が、

優里の孤独をさらに深める大きな要因となっていた。





数日後。

学園の庭で、優里と悠は向かい合っていた。


「君は、遥香に憧れているのか」


突然の問いに、優里は驚きながらも、はっきりと頷いた。


「はい。遥香様は……私にとって、希望です」


強さ。優しさ。迷わず進む姿。


「持っていないからこそ、惹かれる。……そういうことか」


悠は短く頷いた。


「その憧れは、君を変える」


それは予言ではなく、観測に近い言葉だった。






ダイアモンドラウンジ。


悠の報告を聞いた遥香は、

しばらく沈黙したあと、静かに微笑んだ。


「秩序を乱す可能性、ね」


不安ではない。拒絶でもない。


期待。


「なら、見ておく必要があるわ」


宝来優里という存在が、どこまで変わるのか。


そして、誰の手によって、誰のものになるのかを。


女王の瞳は、確かに獲物を見定めていた。










遥香は、生まれた時から

「ダイアモンド」だった。


幼稚園の頃にはすでに、

彼女の周囲には自然と人が集まり、

誰もがその存在を中心に世界を回していた。


学業、運動、芸術、社交。


どれを取っても遥香は突出しており、

努力すら当然のものとして受け止められていた。


彼女が頂点に立つことに、

疑問を抱く者はいない。


それが、この学園の「正しさ」だった。





一方で、優里は最初から「見えない側」にいた。


ブロンズ。


学園ヒエラルキーの最下層。


教室は隔てられ、

通る廊下も違い、

同じ空気を吸っていても、交わることのない存在。


優里は、幼い頃から学んでいた。


目立たないこと。

逆らわないこと。

存在を消すこと。


それが、自分が生き延びるための唯一の方法だと。





幼稚園から高校生に至るまで、

ブロンズの生徒とダイアモンドの生徒は、

物理的に隔絶されていた。



教室の配置、食堂、

さらには特定の校舎への立ち入りが制限されるなど、

二つの階級が自然に交流する機会はほとんどない。



お互いの世界があまりにも違いすぎたため、

接点を持つことは不可能だった。




優里が宝来グループの令嬢であるという事実は、

父の意図によって隠されていた。


優里が目立つことを望まず、

彼女を影の存在として扱った。


そのため、優里が遥香に近づくことは、

父の意図に反することでもあった。





はずだった。


遥香を知るまでは。




あの日。


ダイアモンドラウンジの扉の向こうで見た、

完璧で、孤独で、誰にも触れさせない女王。


その背中に、

自分と同じ「孤独」を見てしまった瞬間。


優里のなかで、何かが壊れた。


(あの人は、一人だ)


そう思ってしまった。


思ってはいけなかった。


ブロンズが、ダイアモンドの女王に、

心を向けてはいけない。


それは、この学園の絶対的な禁忌だった。





それからの日常は、以前と同じ…、

いや、以前よりも残酷だった。


この学園のカースト制度は、想像以上に深く、

冷酷な現実を突きつける。



遥香への「憧れ」だけが、

優里を辛うじて繋ぎ止めていた。


宝来悠斗のいじめは、露骨になり、

逃げ場は確実に削られていった。




放課後。

人気のない旧校舎の裏。


壁際に追い詰められ、

数人の生徒に囲まれた優里は、

いつもなら俯いて、嵐が過ぎるのを待っていた。



「お前が俺に逆らった罰だ、ブロンズ。この学園で、貴様がどれほど無力か、よく分からせてやるよ」



悠斗の言葉に、優里の心臓が恐怖で凍り付いた。


彼は生徒たちに指示を出し、

優里の身体を押さえつけた。


抵抗する優里の服に手が伸び、

ビリッという音と共に、

紺色の制服のシャツが引き裂かれる。



でも。

その日は違った。


遥香の姿が、脳裏をよぎった。


誰にも触れさせず、

誰にも頼らず、

完璧な孤独を背負って立つ女王。



冷たい空気が肌を晒し、

優里は必死に身体をよじり、もがいた。


恐怖と屈辱が、涙となって溢れ出す。



(私は……)

(このままで、いいの?)


胸の奥が、熱を持った。


これまで押し殺してきた感情が、

初めて、言葉にならない叫びとなって溢れ出す。


「動くなよ、ブロンズ」


悠斗の声が聞こえた瞬間、

優里は、初めて、逃げた。




考える前に、身体が動いた。


誰かの手を振り払い、走った。


制服が裂ける音も、

背後の嘲笑も、

全部置き去りにして。


ただ、ここから逃げたい。


このまま壊される自分から、逃げたい。




曲がり角を、全力で曲がった、その瞬間。


優里の身体は、

硬い壁にぶつかったかのように跳ね返された。


どん、と。


硬い衝撃。

跳ね返される身体。



「っ……!」




顔を上げた先にいた。


そこに立っていたのは、

信じられないほど整った、完璧な姿。


山下遥香。


女王だった。




遥香は、突然ぶつかってきた存在を見下ろしていた。


破れた制服。

乱れた髪。


涙と恐怖で歪んだ顔。


視線が、一瞬だけ鋭くなる。



遥香の冷たい視線が、

優里の晒された肌と、

恐怖に怯える瞳を捉えていた。





破れた制服、乱れた髪、

涙と恐怖に濡れた顔の優里と、

完璧な姿のままの遥香。


その時、遥香がゆっくりと口を開いた。




「…汚い」


凍えるような冷たさ。

まさしく、氷の女王の言葉だった。



全身の血の気が引いていくのを感じた。


優里の心が、音を立てて砕ける。


(やっぱり、そうだ。ブロンズは、汚い。)




しかし。

次の言葉は、予想と違っていた。



「その服で歩き回るな。学園の品位が落ちる」



彼女は一歩、優里に近づくと、

その透き通るような瞳で、

優里の乱れた姿を上から下まで見つめた。



「そこを動くな。誰かに見られる前に、着替えを用意させる」



そう言い放つと、冷たい視線のまま、

ポケットからスマートフォンを取り出した。


そして、誰かに電話をかけ始めた。


「…すぐに、旧校舎裏まで来なさい。緊急よ。それと、替えの制服も用意して」




遥香の声は事務的で、

優里への個人的な感情は一切感じられない。



冷徹で、合理的で、女王らしい判断。



しかし、その行為が、

優里にとってどれほどの救いになるか、

遥香は知る由もなかった。



優里は、ぼうぜんと遥香の背中を見つめていた。


優里がこの上なく必要としていた

「救いの手」でもあった。



優里は理解してしまった。


見捨てられなかった。


理由なんて、どうでもよかった。





数分後、慌てた様子の執事が

替えの制服を持って駆けつけてきた。


ダイアモンドラウンジにいる専用の執事なのだろう。



遥香は執事に簡潔に指示を出し、

その場を去っていった。



執事に促され、

近くの空き教室で制服に着替えた優里は、

破れた服を抱きしめ、

熱いシャワーを浴びたかのように汗ばむ身体を震わせていた。


遥香の「汚い」という言葉は、

確かに優里の心を深く傷つけた。


しかし、その後に続いた

「着替えを用意させる」という行動は、

優里の心に微かな、希望の光を灯した。



(遥香様は、私を、見捨てなかった……)



優里は、破れた制服をきつく抱きしめた。


身体に残るいじめの痛みは、

遥香への「憧れ」をさらに燃え上がらせる燃料となった。



このままカーストの底辺で耐え続け、

いつか全てを奪われ、

学園を去る。


悠の言葉が脳裏をよぎる。



そんな未来は、絶対に受け入れられない。



遥香様を救うどころか、

自分自身がこの学園に潰されてしまう。



(私にできること、何をすればいいの……?)



優里の頭の中には、遥香の完璧な横顔と、

悠の冷徹な問いかけが交錯していた。



彼女は、この状況を打開するためには、

何かしなければならないと強く感じていた。



この日を境に、優里は決めた。


もう、耐えるだけの日常には戻らない。


誰にも頼らない。

誰にも奪われない。


自分の足で、

あの女王のいる場所へ行く。


遥香の孤独に、

もう一度、触れるために。




その頃、ダイアモンドラウンジの片隅で、

篠原悠は、タブレットを閉じて小さく笑った。



そこに映し出されていたのは、

まさしく旧校舎裏の光景。


宝来悠斗と数人の生徒が優里を囲み、

彼女の制服が引き裂かれる、

目を覆いたくなるような場面だった。



いじめの始まりから、

優里が必死に抵抗し、逃げ出す瞬間まで。


悠はその一部始終を冷静に、

まるで映画でも見るかのように眺めていた。



(へえ、逃げ出したか。面白い)



退屈そうな瞳の奥で、確かな興味が灯る。


この学園に、

初めて“計算外”の歯車が噛み合った瞬間だった。




その時、ラウンジの重厚な扉が開き、

山下遥香が戻ってきた。



彼女はいつも通り完璧な姿で、

室内へと足を踏み入れる。



悠はタブレットの画面を消し、テーブルに置いた。



遥香が自分の定位置である窓際のソファへ向かう途中、

面白がるように彼女に話しかけた。



「やあ、女王様。こんな時間に、一体どこへ行っていたんだい?」



遥香は悠の声に振り返ることなく、

無表情なまま答えた。



「あなたには関係ない」


「そう冷たく言うなよ」


悠は肩をすくめた。


「面白いものを見つけてね。ちょっと君にも見せてあげようかと思ったんだが」



遥香はソファに腰を下ろし、資料に目を向けた。


悠の言葉には全く興味を示さない。


悠は構わず続けた。


「カーストの底辺で、必死にもがいているブロンズがいるんだ。」


「彼女は君のことを『孤独な女王』だと見抜いたらしい。しかも、君に並々ならぬ『憧れ』を抱いている。なかなか面白い存在だろう?」



遥香の手がわずかに資料の端を掴んだ。



「…無駄なことに興味はない」



遥香は静かに言い放った。



「そうかな?」


悠は意味深な笑みを浮かべた。



「僕が今見ていた映像には、あのブロンズが旧校舎裏で酷い目に遭わされそうになって、必死に逃げ出す姿が映っていたんだ。そして、偶然君にぶつかり、君が彼女を助けた」



遥香の完璧な無表情が、

ほんの一瞬、凍り付いたように見えた。



自分が優里を助けたことまで知っていることに、

遥香は驚きを隠せない。



「君は、そんな下賤なものに手を貸すなんて、珍しいこともあるんだね。」


「いや、まさか『学園の品位を保つため』、なんて言い訳はしないだろうね?」



悠はニヤリと笑い、遥香の反応をじっと見つめた。



「僕は、この退屈な学園に、ちょっとした刺激を与えてくれる存在だと見ているけどね」



悠の言葉は、まるで遥香の完璧な日常に、

小さな石を投げ込むかのようだった。



その石が、やがて大きな波紋となり、

遥香の世界を変えることになることを、

この時の二人はまだ知らない。



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