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ダイアモンドクラス  作者: 優里
ブロンズの少女

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17/96

変わることの恐怖





ダイアモンドラウンジは、

今日も変わらず静かだった。


完璧に整えられた空間。

磨き上げられた床。

柔らかな光を反射する調度品。



遥香はソファに腰掛け、

紅茶に口をつけながら、

ぼんやりと窓の外を眺めていた。




退屈。


それが、この学園での日常だった。



すべてが予定調和で、すべてが予測可能。



誰が誰に媚び、誰が誰を恐れ、

誰がどの地位に落ち着くのか。


それらは、初めから決まっているかのように見えた。



だからこそ、遥香はずっと、

この世界に強い感情を抱くことがなかった。






その“はず”だった。


「宝来優里」


その名前が、最近やけに耳に入る。


ダイアモンドラウンジで交わされる、

何気ない会話。



「最近、成績を伸ばしているブロンズがいるらしい」

「悠が少し関わっているとか」

「下位にしては、妙に目立つな」




(……まただ。)



遥香は、胸の奥に

小さな違和感が生まれるのを感じていた。



(どうして……?)



彼女が最初に見つけたのは、自分だったはずだ。



あの日、ほんの気まぐれで視線を落とした

エントランス。


誰にも見向きもされず、

ただ必死に立っていた、

あのブロンズの少女。



「面白い子がいる」



それは、誰かに何かを与えるための言葉ではなく、

ただ、自分のなかで完結した、小さな独白だった。



それなのに。



いつの間にか、悠が関わり、

いつの間にか、他のダイアモンドたちが“認識”し始めている。



(私が……見つけたのに)



その感情に、遥香自身が最初に戸惑った。



それは、独占欲でも、嫉妬でもない。


そう、思おうとした。





ラウンジの奥で、

玲司と朔也が低い声で何かを話している。


「例のブロンズの件だが……」

「遥香が興味を示したとなると、無視できないな」


その会話が耳に入った瞬間、

遥香の胸の奥が、きゅっと締めつけられた。



(“遥香が興味を示した”……?)



違う。



自分は、ただ見つけただけだ。



名前を呼んだこともない。

話したこともない。




なのに、


みんなは、まるで当然のように近づいていく。


悠は声をかけ、

他の者たちは、遠巻きに様子を窺い、


自分だけが、この場所から動かない。


ダイアモンドラウンジという、

最も高く、最も安全な檻のなかから。



(……腹立たしい)



その感情を、遥香は即座に否定しようとした。


感情的になる必要はない。


あの子はブロンズ。自分はダイアモンド。


交わるはずのない存在。



それなのに。


悠が優里といた光景が、 何度も脳裏に蘇る。


悠の声。


そして、

去っていく悠の背中に、

深く頭を下げる優里の姿。



(……何も、知らないくせに)



遥香は、無意識のうちに、

カップを強く握っていた。


自分は、あの子と話したことすらない。


声も、表情も、 直接見たことは一度もない。



なのに、


なぜ、他の人間が先に“触れている”のを見て、

こんなにも心がざわつくのか。





(退屈だったはずなのに)


遥香は、ふと気づく。


優里を見つける前の自分は、

こんな風に、誰かの行動を気にしたことはなかった。


誰が誰と話そうと、 誰が誰を救おうと、


すべては遠い出来事だった。



それが今は。



たった一人の、

名前を呼んだことすらない少女の存在が、


自分の日常を、確実に侵食している。



(……変わり始めている?)


その考えが浮かんだ瞬間、

遥香は、そっと目を伏せた。




いいえ。


そんなはずはない。


これは、ただの興味。


ただの、観察。


そうでなければ、困る。



ダイアモンドの女王が、

ブロンズの少女一人に、 心を乱されるなど。


あってはならないのだから。




それでも。


胸の奥に残る、その名もない感情は、

大きくなり始めていた。






一方。

優里はいつものように、

激しいいじめの後。


優里は身体の痛みに耐えながら、

埃っぽい物置小屋に身を潜めていた。


その扉が開き、現れたのは、篠原悠だった。




悠は小屋のなかへ足を踏み入れると、

優里の目の前にしゃがみ込んだ。


彼の顔が間近に迫る。


感情の読めない瞳が、

優里の傷だらけの顔を見つめていた。



「また、随分とボロボロだな。いつもいじめられてばかりじゃ、こんなもんだろうけど」



悠の言葉に、優里はぐっと唇を噛み締めた。


その通りだった。


いじめられ、逃げ場を失い、

一人で身を隠す自分は、哀れだ。


「……僕はこの学園で、退屈を凌ぐために人間観察をしていると言っただろ」



悠は淡々と言葉を続けた。



「特に君たちブロンズは、観察しがいがある。なぜだか分かるかい?」


「この学校のブロンズは、入れ替わりが激しいんだ」


悠は、まるで天気の話でもするように、平坦な声で告げた。


「毎年、何人ものブロンズが退学していく」


優里の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。



退学……。



「なぜだか、君は分かるかい?」



悠は優里の目を見つめ、問いかけた。


優里は首を横に振った。


分からなかった。


自分もいつかそうなるのだろうか。

漠然とした不安が胸に広がった。



悠は、冷たい目で優里を見据えながら、

淡々と、しかし容赦ない現実を突きつけた。



「簡単さ。ブロンズは最下位だから、すべてを上位に奪われる。学内でのいじめなんて生易しいものじゃない。お金も、地位も、権力も。時には親の会社まで潰される」



その言葉は、優里の耳には雷鳴のように響いた。


いじめの痛みなど、

比べ物にならないほどの衝撃が、

優里の全身を駆け巡った。



ただの学園のカーストではない。


この鳳凰学院は、文字通り、生徒の人生、

ひいては家族の人生までも支配する場所なのだ。



優里にとって、

その言葉はただの他人事ではなかった。



悠の表情には、何の同情も憐憫もない。

彼はただ、事実を告げているだけだった。




「君は、それに耐えられるのかい? このままいじめられ続け、いつか全てを奪われ、学園を去る。それが、君が望む未来なのか?」




その瞳の奥には、

優里の純粋な「憧れ」を試すような、

冷徹な光が宿っていた。



「あの…悠さん」


「なんだい?」


「皆さんは…ダイアモンドの皆さんは、どうして私に構うんですか? 私のような…ブロンズの、取るに足らない人間に」



遠慮と、拭いきれないほどの疑問が滲んでいた。


「理由は一つではない。遥香が君に興味を持った。それが始まりだ」



「遥香様が…?」



「彼女は、君のなかに何か特別なものを見出したのだろう。それは、私にもまだ完全に理解できていない。我々は、遥香の意思を尊重する。それが、一つの理由だ」



悠はそこで言葉を区切り、

優里の目をじっと見つめた。



「そして、もう一つの理由だが…それは、君自身がこれから証明していくことになるだろう」



悠の言葉は、優里にとって明確な答えではない。

同時に、自分にはまだ何か可能性があるのかもしれない、

というかすかな希望を灯すものだった。




「なぜ、君はいつも一人でいるんだい?」


「一人でいる方が、楽だからです」


「それは、楽ではない。ただの逃避だ」



悠の言葉は、優里の心を深くえぐる。


優里が今まで誰からも言われなかった、

彼女自身の弱さを指摘する言葉だった。



同情することも、

慰めることもなかった。



ただ、優里という存在を、

一人の人間として、

まっすぐに見つめていた。



「私…本当は、一人でいるのは、寂しいです。でも…誰かと一緒にいるのが、怖いんです」


優里の告白に、悠はただ静かに耳を傾けた。


「それは、勇気を出せば、変わるかもしれない」


優里は、悠の言葉を聞き、顔を伏せた。


「変わることなんて…できない。私には、そんな勇気…ありません」



彼女は、これまでのいじめや孤独な日々を思い出した。

胸の奥から湧き上がる恐怖を抑えることができなかった。



「私は…ただいじめられるだけのブロンズです。私のような人間が、変わることなんて、できるわけがないんです」



信じたい気持ちと、

長年の苦痛が植え付けた絶望の間で揺れ動く。



悠は、そんな優里の言葉を静かに聞いていた。


彼は、優里の絶望を理解しながらも、

彼女の心のなかに秘められた、

かすかな希望の光を見逃さなかった。


「君が変わるかどうかは、他人が決めることではない。君自身が決めることだ」



「だが、その変化のきっかけは、必ずしも自分自身から生まれるとは限らない」




悠は、静かにそう続けた。


彼の言葉は、優里の心を再び揺さぶる。



「君が憧れる存在。君が守りたいと思う存在。そういうものが、君に変化をもたらす原動力になることがある。君のその心に宿る、かすかな光を、誰かがきっと見つけてくれる」




悠は、遥香が優里に興味を持っていることを、

はっきりと口にしない。


しかし、彼の言葉の裏には、遥香という存在が、

優里の人生を大きく変えるきっかけになるという、

彼の確信が込められていた。



「君がこの学園に残り、自分を変えたいと願うなら、その『誰か』を信じて、一歩踏み出すことだ」







放課後、優里は一人、

都内のマンションの一室に戻っていた。



窓の外には、東京の夕焼けが広がり、

オレンジ色に染まった空が、

彼女の部屋にも静かに差し込んでいた。



制服のままベッドに腰掛けた優里は、

今日、悠に言われた言葉を何度も反芻していた。



「変化のきっかけは、必ずしも自分自身から生まれるとは限らない」

「君が憧れる存在…君が守りたいと思う存在」。



優里にとっての「憧れる存在」は、間違いなく遥香。



ダイアモンドの輝きを放ち、

誰にでも優しく、強い遥香。


彼女のような存在に、

自分が近づけるとは到底思えない。



「守りたい存在…?」



優里は、自分の胸に手を当てた。



いじめられ、誰からも必要とされなかった自分に、

守りたいと思えるものなどあるのだろうか?



孤独が染み付いた心には、まだ何も響かない。



窓の外の景色は、

次第に夜の色に染まっていく。


ビル群の明かりが、

まるで遠い星のように瞬いていた。


優里は、その光を見つめながら、深く考え込んだ。


悠の言葉が、彼女の心に小さな種を植え付けたように、

様々な思いが頭のなかで渦巻いていた。




本当に、自分は変わることができるのだろうか?


遥香のような存在に、

いつか近づける日が来るのだろうか?


そして、いつか、誰かを守りたいと思えるような、

強い心を持つことができるのだろうか?




マンションの静けさのなか、

優里は、まだ見ぬ未来への不安と、

かすかな希望の光の間で、

深く深く考えずにはいられなかった。



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