定食屋攻防戦! ~場末と会員制と煮魚と~
暇です。
魔王様は「今日は魔王会議がある」と言っていたので、来店することはないでしょうし。『メルヴィの小さな定食屋』は見事に、完璧に、これでもかってほど暇でした。
「……この煮魚、夕飯に回しましょうかね」
仕込みすぎて余った煮魚定食を前に、私は呟きました。見た目も味もバッチリ、出汁もよく染みてます。でも、肝心のお客様がいません。静かな厨房、ゆっくりと漂う煮魚の香り。うん、これはもう今日の戦いは終わったと見ていいでしょう。
と、思った矢先。
――コツ、コツ、コツ……
村では珍しい、規則正しい革靴の音が聞こえてきました。
あれ? 革靴……?
村長は基本サンダルだし、道具屋のおじさんは長靴派。
となると、革靴なんて――まさか!
私は瞬時に危険を察知し、ダッシュで店の入り口を全力で押さえつけました。
「今日はもう終了しましたぁぁぁ!! お帰りください!!」
「嘘をつけェェェェェ!! 夕飯に回そうとしていた煮魚が余っているだろォォォ!!」
ぎゃあああ! なぜそれが分かるんですか!?
どれだけ地獄耳なんでしょうこの人は!!
「気のせいですよ! 私は煮魚なんて一言も言ってませんから!!」
「聞こえたぞォォォ! 『この煮魚、夕飯に回しましょうか』というお前の独り言がなァァァ!!」
「怖いですってば!! なんで独り言が完璧に聞こえているんですか!! 耳、良すぎでしょう!?!?」
グラフの鋭すぎる聴力に、私はもはや恐怖すら感じました。なんで魔族って、こうも無駄に高性能なのでしょうか!?
扉がガタガタと揺れ始めます。私は全力で押さえながら必死で叫びました。
「もう、諦めてください!煮魚はもう定食用から夕飯用のまかないに転職したんです!今更、再就職できません!」
「訳の分からん理屈を言うなァァァァァ!!煮魚の転職など認めんぞォォォォォ!!!」
「認めるも認めないもないですよ!!もう店じまいです!!今日は定食屋終了!お休み!!閉店ガラガラ!!!」
「煮魚一匹でなぜそこまで必死になるんだァァァァァ!!!」
「それはこっちのセリフです!!!」
結局、今日もまた、定食屋を巡る壮絶な攻防戦が繰り広げられるのでした。扉の向こう側から、グラフが苛立たしげに叫びます。
「おい! 前に『客として来てやる』と言っただろうがァァァ!!」
――あっ、確かに言ってました!?
けれど、ここで私があっさり負けるわけにはいきません。というか、何度もこの魔族を店に入れていたら、私の定食屋が持ちません!
「残念でした、グラフ! うちは今、会員制のお店になりましたぁぁぁぁ!!」
「……会員制だと?」
「そうです! 一般のお客様はお断りです! ですので、どうぞお引き取りを!」
私は声高らかに言いました。
ふふ、完璧な作戦ですね! グラフがどれだけ強引でも、「会員制」の壁を超えることは――
「……フン、笑わせるな! 場末の定食屋の分際で、会員制だとォォォォ!!?」
ひどい!!! どうしてそういうこと言うんですか!?
場末の店だって会員制くらいやっていいでしょうに!!!
「ば、場末の定食屋だからこそ、差別化ですよ! 差別化!!」
「何が差別化だァァァァ! ただ私を締め出したいだけだろうがァァァ!!」
バレてる!!!
いやいやいや! 一応、本当に会員制になったんです! 心の中で、今さっき!
「ともかく! 会員証をお持ちでない方は入店禁止です!!」
「会員証などあるのか?」
「……心の中に!!」
「ふざけるなァァァァ!!! そんなもので入れるかァァァ!!!」
「だから入れないんですよ!!!」
私は扉に渾身の力を込めて言い返しました。
今日の定食屋の扉は、会員制という名の鉄壁で固められているのです。絶対に譲りませんからね!!!
そんなやり取りを繰り広げている最中、ふわりとした声が割って入りました。
「おやおや、人間のお嬢さんと随分仲が良いのですね、グラフ?」
その穏やかな声色に、一瞬固まりました。
……ちょっと待ってください。
私、この声に聞き覚えがあります。この独特のゆったりとした口調、丁寧なのに妙に人をからかっているような感じ。これは間違いなく――
「おい、余計なことを言うな」
不機嫌そうに返すグラフの声に混じって、扉がゆっくりと開かれました。
「どうもこんにちは、人間のお嬢さん。お久しぶりですね?」
そこに立っていたのは、東の魔王エヴァンス様の側近、ディートリヒでした。
「あ、あの、ディートリヒさん、今日は一体どういう……」
私が戸惑いながら尋ねると、彼は穏やかな笑みを崩さず答えました。
「今日はグラフがどうしても『場末の店で定食が食べたい』というので、一緒に寄らせていただきました」
「……!?」
振り返ると、グラフが露骨に不満そうに腕を組んでいます。
「おい、ディートリヒ。誰がそんなことを言った!?」
「違いましたか? いつも『場末の店が場末の定食屋が』と熱心に語っているじゃないですか。私はてっきりお気に入りなのかなと」
「それは違う! この人間の女が生意気に反抗するから――」
「なるほど、つまり気になっていると?」
「全然違うわァァァ!!!!!」
私はその会話を聞きながら、思わず手で顔を覆いました。なんなんですか、この微妙に噛み合っていない魔族同士のやりとり……。
以前の記憶が、鮮烈に蘇ります。
そう、魔王様の健康を気遣ってヘルシーな定食を作ったら、このディートリヒが「これはもう、愛ですね」と爽やかに言い放ったあの日のことを。
その発言のせいで、バルゼオン様は謎の『牙の花』をお土産に持ってくるし、アモルテ様は「愛を感じた」と突然押しかけるし、挙げ句の果てにはグラフから『魔王様を誑かした女』扱いされて扉を吹き飛ばされました……!!
二人揃うと、災厄レベルが爆上がりです。
どうか今日という日が、穏やかに終わりますように――と、私は心の底から祈るしかありませんでした。




