店長村長相談事件
魔王様が、私の定食屋にやってきた。
――という衝撃の出来事があったわけなのですが。
なんで私は普通に鯖味噌定食を提供してしまったのでしょうか。
いや、普通に考えておかしい。
魔王様といえば、ラストダンジョン「悠久の万魔殿」に君臨し、幾多の勇者たちを返り討ちにしてきた恐怖の存在なのです。
そんなお方に、なぜ私は丁寧に定食を出してしまったのか。
「まあ、こんな終わりでもいいか」などと、その場では諦めてしまいましたが、冷静に考えれば全然良くない。何が良いのか、何も良くない。
私が望んでいるのは、のんびりした定食屋経営であって、魔王様の胃袋を満たす仕事ではないのです。
というわけで、私は村長のところへ相談に行くことにしました。
この手の話は、村のまとめ役に相談するのが一番です。
村長の家は、私の店から少し離れた場所にあります。
この村の人口は少なく、道を歩いていても誰にも会わないことがほとんど。
なにせ、ラストダンジョン最寄りの村で、間違っても賑わっているような場所ではないからです。
私は扉をノックし、村長に会いに行きました。
「村長、相談があります」
村長は、穏やかで優しいおじいさんです。この村が村として機能しているのも、ひとえにこの人のおかげと言っていいかも知れませんね。
村長は、私の顔を見るなりゆったりと微笑みました。
「おや、メルヴィ。珍しいねえ。どうしたんだい?」
「その……ラストダンジョンの魔王様が、私の店に来ました」
「…………ほう?」
村長は一瞬、考え込むような素振りを見せました。
そして、しばらくの沈黙の後――。
「メルヴィ、疲れているなら休みなさい」
真顔で諭された。
えええええ!?!?!?
いやいやいや、そんな優しいトーンで済ませていい話ではないんですけど!?
魔王様が来たんですよ!? しかも定食を食べて、お金を払って帰って行ったんですよ!?
私の人生で一番理解が追いつかない出来事だったんですよ!?
「い、いえ、疲れているとかではなくて、本当に来たんです!!」
「うん、わかるよ。そういう夢を見ることもあるねえ」
違う違う違う!!!!
「そ、そんな話ではなく、本当に来たんですって!! しかも、定食を食べて、お代を払って……!」
「……ほうほう」
村長は私の話を聞きながら、静かに頷きます。やっと信じてもらえるのかな? と思った瞬間、優しく微笑んでこう言いました。
「メルヴィ、今日は店を休みなさい」
信じてない!!!!!!
ええええ!? いや、待ってください!?
もしかして私は今、疲れすぎて幻覚を見ている人という扱いをされているのでは!?
「魔王様が定食を食べるって……ほら、ちょっと……設定に無理があるじゃろう?」
いや、無理があるのはわかりますけど!!
でも本当に起きたことなんですってば!!
「いいかいメルヴィ、無理をしすぎると、こういうことが起きるんじゃよ……」
いやいやいや!!!
話が全然通じてませんよ!?
「とにかく、今日は休むことをおすすめするよ」
私は呆然としながら、村長の家を後にしました。
……もういい。
ここまで信じてもらえないなら、もういい。
今日は店を休もう。
家に帰って、寝よう。
そして、これは全部夢だったことにしよう。
そう決めて、私は店へと戻りました。
そうしたら――。
店の前に、魔王様がいる。
「…………………………」
私は、一瞬、世界の理が崩れたかと思いました。夢です。これは夢に違いありません。
なぜなら、魔王様が、私の店の前でうろついているから。
魔王様が。
ええ、ラストダンジョンの魔王様が!!!
「……えええええ?」
私は完全に理解が追いつかず、その場で頭を抱えました。
何をしているんですか魔王様!!!!???
魔王様は、そんな私の混乱など意に介さず、落ち着いた表情でこちらを見ました。
「……買い出しか?」
違う!!!!!!!!
私は思わず頭を抱えました。
違う、違うんです。
あなたのせいで私は人生の方向性を見失いかけてるんです!!
どうしてそんな『お、市場から帰ってきたのか?』みたいな軽いノリなんですか!?
「ち、違います!! 今日は、その、やす……」
「ならば開店はまだ先か」
「え、ええ、まあ……?」
「ふむ……」
魔王様は腕を組み、少し考え込むような仕草をしました。そして、納得したように頷きます。
「では、待つとしよう」
いや、待たなくていい!!!!
もうダメだ。
私はこの状況に、どう対処すればいいのかわからない。
村長に相談しても信じてもらえず、いざ店を休もうとしたら魔王様が待機していた。
……詰んでる。
私は、この日を境に確信しました。
魔王様は、本当にこの店の常連になってしまったのです。
定食屋メルヴィ、本日通常営業不可――でもやるしかない。
私の胃が痛くなるのは、まだ先の話でした。