魔王様、ご来店(衝撃の初対面編)
私は定食屋をやっています。
それはもう、何の変哲もない定食屋です。
「ラストダンジョン最寄りの村」という多少特殊な立地を除けば、特に変わった点はありません。
この村に人が来ることも、滅多にありませんが。
なにせラストダンジョンのすぐ近く。
「悠久の万魔殿」という、いかにもラスボスが住んでいそうな名前のダンジョンが、ほんの徒歩15分の距離にある時点で、察してほしいものです。
この村に来るのは、ほぼ二種類の人間だけですね。
ひとつは、通りすがりの冒険者。
彼らはたいてい間違えてここに来ます。道に迷った末に、どこかの分岐を間違えてこの村へ辿り着き、地図を見ながら青ざめます。「あれ? ここって、もしかしてラストダンジョンの近くじゃない?」「え、マジ? え、やばくない?」と、お決まりのパターンで。
もうひとつは、実力派の勇者様ご一行。
彼らはここを「最終決戦の拠点」として使います。しばらく滞在し、準備を整え、満を持してラストダンジョンへと挑む――が、帰ってきた者は一人もいません。
そのたびに、私はカウンターを拭きながら、少しだけため息をつくのです。
「強い勇者様でも、魔王は倒せないんだなあ……」
いや、それどころか――魔王は倒せないどころか、討伐不可能とすら言われているのです。
討伐不可。
この言葉の恐ろしさが、分かるでしょうか。
倒せない、ではなく、討伐不可。
つまり「挑むだけ無駄」と、最初から認定されているのです。
そんな魔王の人相書きを、私は店の壁に貼っています。あくまで「心の準備」として。
その人相書きには、こう書かれていました。
魔王バルゼオン
・夜の如き黒髪、紅玉の赤き瞳を湛える者
・常に漆黒のマントを纏い、戦場を血に染めし者
・気紛れなる絶望
・一角獣の角を持ち、かの者を見た者は帰らず
……うん、怖い。すごく怖い。
「かの者を見た者は帰らず」って、言い切られてますけど!?
そんなの、遭遇した時点で終わりでは!?
私は人相書きをチラリと眺めながら、鍋の蓋を開けました。
ふわっと湯気が立ち上り、甘じょっぱい味噌の香りが広がります。煮込んだ鯖の身がほろりとほぐれ、いい感じに味が染み込んでいるのがわかります。
「うん、今日もいい感じの鯖味噌だなあ」
などと、のんびり考えていたその瞬間。
ゴンッ!
「……?」
鈍い音が、店の入り口から響きました。
私は目を瞬かせます。
え? 何? 今の音?
外で誰かが転んだ? いや、ちょっと待ってください。この村、普段はほとんど人が来ないはず……。
強い勇者様ご一行が来るにしても、もっと静かにやってくるのが普通なのに。
では、一体……?
私が恐る恐る店の入り口を覗くと。
すると――そこにいたのは――
額からまっすぐに伸びた、一角獣のような角。
漆黒のマントを纏い、紅い瞳は深く澄んでいて、まるで心の奥を見透かすようで。黒髪は艶やかに肩にかかり、整いすぎた顔立ちが人間離れしていて、まるで、まるで――
待ってください。
これ、私がさっきまで眺めていた人相書きの人じゃないですか??
――魔王、降臨。
いや、なぜ!? どういうこと!?
というか、ちょっと待ってください!?
まず、そこにいるのが魔王であることは確定なのですが、問題は――
彼が、入り口の戸枠に角をぶつけて悶絶しているという事実でした。
「……いったぁ……」
え、ええええ!?
魔王なのに、角ぶつけたんですか!?
私が恐怖と混乱で固まっていると、魔王は眉間にシワを寄せ、片手で角を押さえながら、ゆっくりと顔を上げました。
「……ふむ、入り口が思ったより低かったな」
そういう問題ではない!!!!
いや、確かに私の店は村人や冒険者向けの食堂とはいえ、特別天井が高いわけではありません。
ですが、まさか魔王が入り口で「ごちん」とやるとは思いませんでした!!
いやいや、討伐不可ですよ!?
勇者たちが恐れ、決して敵わぬ最強の存在ですよ!?
それが、まさかの入店失敗!?
「……」
私は目を疑いましたが、現実は変わりませんでした。
魔王は気を取り直したように咳払いをひとつすると、今度は慎重に屈んで、店の中へ。
そして、何事もなかったかのようにカウンターに座ると、こちらを見上げてこう言いました。
「本日より、ここで昼食をとる」
ちょっと待ってください。
え、何!? もう決定事項!?
何!? そんな「お世話になります」みたいなノリで!?
この瞬間、私は悟りました。
定食屋メルヴィ、存続の危機――というより、世界の危機。
そして、私は思いました。
……あの、魔王様って、なんで定食屋に来たんですか???




