魔王様が定食屋に通う理由を私は知らない
魔王様がまた私の店にやってきました。
いや、もう慣れましたけれども。
最初は驚きましたし、二度目は戦慄しましたし、三度目は「まさかこれ定期的に来るパターンなのでは?」と気づき、四度目には諦めました。
で、今は十回目くらいです。
完全に常連。
――よりによって、魔王様が。
私は定食屋の女主人、メルヴィ。
このラストダンジョン最寄りの村で、細々と「メルヴィの小さな定食屋」と言うお店を営んでいます。
たまに勇者様や冒険者が立ち寄る程度の、まあのんびりした生活を送っていたはずなのですが、いつの間にか魔王様の胃袋を支えるという謎の使命を背負ってしまいました。
「メルヴィ、本日も来たぞ!」
知っておりますとも。
美しい黒髪をなびかせ、血の如く紅いルビーの瞳を向けながら堂々と店に入ってこられたら、いやでも気づきますとも。
というか、いい加減に覚えてほしいのですが――。
ゴンッ
「あいたっ……」
また角をぶつけましたね?
魔王様の額には一角獣のような立派な角が生えておりまして、ここに通うたびに入り口の戸枠にぶつけるというお約束の流れがございます。
いや、もう何回目ですかそれ。
もはや「魔王様ご来店!」の合図みたいになっていますよ?
「魔王様、いい加減に屈んで入ってください…」
「ふむ、そうか……そうだな」
そう言いながら、慎重に身をかがめ、今度は無事に店内へ。いや、それができるなら最初からやってくださいよ。
魔王様はカウンター席にどっかりと座り、私をまっすぐ見つめます。
いや、そんな『我、使命を帯びし者なり』みたいな真剣な顔をしないでください。ここ、定食屋ですから。
「今日の日替わりは?」
「本日は、山賊焼き定食でございます」
「それを頼む」
即決。
迷いなし。
さすが魔王様、決断力の塊ですね。
私は慣れた手つきで調理を開始します。すでに下味をつけておいた鶏肉を取り出し、フライパンへ。
ジュワァァ……!
熱されたフライパンの上で肉が弾け、にんにくと醤油の香ばしい香りが広がります。
焦げ目がつくまでしっかり焼き上げ、表面をカリッと仕上げるのがポイント。皮はパリパリ、中はジューシー――そんな理想的な状態に仕上げるため、私は慎重に火加減を調整します。
「ふむ……」
魔王様の鼻がピクリと動きました。
いや、気持ちはわかりますよ?
美味しそうな匂いがしているのはわかりますけどね?
「……」
でも、そんなにじっと見つめられると、なんだかこちらが落ち着きません。
魔王様の赤い瞳が、まるで『力量を計りながら勇者と闘う刻』のような鋭さになっております。
あの、ちょっと怖いんですけど。
「……」
いや、目を輝かせても何も出ませんよ?
「……」
無言の圧をやめてくださいませんか?
「……」
私は微妙に距離を取りつつ、山賊焼きを仕上げます。
そして、小鉢と味噌汁、ご飯を添えて、お盆に乗せました。
「お待たせしました、魔王様。山賊焼き定食でございます」
「おお!」
魔王様の瞳が、一瞬で「宝箱を開けた冒険者」みたいな輝きを放ちました。
いや、そんな大げさな……。
しかし、そんな私の心の声など気にする様子もなく、魔王様は豪快に箸を手に取り、一口目を頬張ります。
「……うまい!」
ありがとうございます。
毎回同じ感想ですが、嬉しいものですね。
「ふむ、やはりメルヴィの定食は絶品だ」
「恐れ入ります」
「しかし、どうしてこれほど美味いのだ?」
え、困ります。
そんな真剣な顔で「美味しさの秘密を教えよ」みたいな空気を出されても、こちらは普通に作っているだけですので。
「秘訣は……丁寧に仕込むこと、でしょうか?」
「ほう、仕込むとは?」
「お肉の下味をしっかりつけて、一晩寝かせることで、味がよく染み込むんです」
「寝かせるのか」
「そうですね、じっくりと時間をかけることで、旨味が引き出されるんですよ」
「……なるほど」
魔王様は、何か深遠なる真理を悟ったかのような顔で頷きました。
え、なに? そんなに大げさな話でした?
「ならば、私も学ばねばならんな」
「えっ?」
「メルヴィよ、我に料理を教えよ」
いや、待ってください。
なぜそうなるのです?
いやいやいや、魔王様が料理を学んでどうするのです?そもそも、あなたラストダンジョンに住んでいるんですよね? キッチンあるんですか?
「……魔王様、自炊されるんですか?」
「いずれな」
いずれ!?
未来の話ですか!?
「それまでは、ここで食べる」
「アッそうですか……」
ああ、もうこれは完全に常連ですね。
というか、魔王様の胃袋を支え続ける未来が確定しました。
私は遠い目をしつつ、次の日の仕込みに取りかかるのでした。
定食屋メルヴィ、本日も通常営業です。