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娘、襲来・2

「やっとマーシャおばさんの家に行けるんだあ! 楽しみ~!」

「そうねえ~」


 ルルの浮かれた声に、私はちょっと憂鬱な生返事をした。そう。今、私とルルはマーシャさんの住む森に向かう馬車の中にいる。その森は隣町のはずれにあるが、今はまだ城下町の途中。目的地に着くまで小一時間はかかるだろう。

 私はルル越しに窓の外に目を向けた。そこでは傭兵のハルトが馬で並走してくれている。今は真昼間で魔獣も出ないし、馬車には魔獣除けもついてるし、私一人で行くならわざわざ頼まないのだけど。今日はルルがいるから念のために護衛を雇ったのだ。


 これまでは、マーシャさんがまれに城下町へ来た時に家に招待し、一緒に食事をしていた。ルルは彼女が持ってくる花のお茶や森の中の話が大好きだったので、時々森に行く私についてきたがっていたのだが、危険だからとギルド長の家に置いてきていた。今回はルルが「私ももう少しで十一歳だし、いいじゃん!」と駄々をこね、その上ギルド長の奥さんが用事で不在だったので、連れてきたのだ。…正直、私も今回は一人で行くのが何となく億劫だったのもある。上機嫌でハルトに手を振っている娘を確認し、私は聴こえないようにため息をついた。


 あの日から数日後。ギルドには、クリフさんとセイラさんが一緒に掲示板を眺める姿があったそうだ。依頼の吟味の仕方を教えていたのだろう。周りの傭兵は彼らを興味深そうにみていたが、一人が話しかけると、クリフさんは隠すことなく「自分の娘だ」とセイラさんを紹介した。からかっても特に反応のないクリフさんに、野次馬根性の傭兵たちも関心を失って、騒ぎは自然と収束した。…と、その日受付だったロベール君が教えてくれた。

 そうして次に私が受付の時、セイラさんが依頼書を私のところに持ってきた。隣にはクリフさんがいて、その様子を見ている。

「これ、お願いしまーす」

「はい、ミルレム伯爵家の依頼で、所領内の山に出る魔獣の素材集めですね。クリフさんとお二人で受ける、ということでよろしいですか」

 私はいつも通りサクサクと依頼主と連絡を取って手続きを進める。S級とA級の組み合わせを多少疑問に思われたようだが、クリフさんが「新人指導も兼ねてる。報酬は提示通り、俺一人分で構わない」と答えたので、問題なく契約となった。

 セイラさんを先にギルドから出して、クリフさんが私に声をかける。

「一ヶ月くらいかかると踏んでる。時々、マーシャの様子みてくれるか」

「それはいいですけど、納得してくれたんですか?」

「ああ、まあな…。なるべく早く帰ってくる」

 なんとなく煮え切らない感じの表情でそう答え、彼はもう一度「頼むな」と言って出て行った。


(今日で二週間かあ。マーシャさんと暮らし出してから、クリフさん、一週間以上の依頼は受けてなかったんだけど)


 マーシャさんは一人でしっかり生きてきた、自立した人だ。心配ではあっても、傍に夫がいないからって落ち込むなんて想像できない。想像はできないんだけど…。

 そんなことを考えていたら、横からルルの弾んだ声が聴こえてきた。

「あっ ねえねえお母さん、森が見えてきたよ! あれがおばさんのいる森?」

 ルルの傍に寄って外を見ると、そこは確かに町はずれの森。隣の領…私の生まれた、コルテス領にも繋がる広大な森だった。

(ほんとに…私、どうやってあの森まで辿り着いたんだろ)


 実家を後にして、森に行くまでのことはあまり覚えていない。ただ朧げに、母の話し通り死んでしまおうと思っていた記憶がある。そうして気づいたら目の前に、手ごろな木があった。そう。紐をひっかけるのにちょうどいい、高さの木が…


 陽が沈みかけた空、闇に沈みそうな森、絶望して見上げた木の枝。その記憶がバッと蘇って、悪寒が走った。思わず隣のルルに手を伸ばす。

「わっ どしたの?!」

 急に抱きしめられたルルがびっくりして私を見上げる。

「揺れでよろけちゃった、ごめーん」

 そう言って、私は笑顔を作った。



「それじゃ、帰る一時間前にギルドに連絡しますね」

「了解~」

 マーシャさんの小屋のある敷地の前で馬車から降り、ハルトにはいったん帰ってもらう。小屋の方を向くと、ルルが興味津々の顔で敷地を見渡していた。

「お母さん、おうちが二つあるよ?」

「うん、目の前の古い方がマーシャさんのおうち。左の新しい方がクリフさんのおうちね」

 二つの小屋の間には、薬草畑がある。いつもルルが塗ってる保湿剤はあそこの薬草を使ってるんだよ、と話をしていたら、左の小屋から一人の子どもが出てきた。

「えっ 男の子が出てきたよ?」

「え?」

 ルルと同じくらいの背のその子は、手に大きな篭を持っていた。薬草畑に向かう途中で私たちを見つけて立ち止まり、ずんずんとこちらに歩いてくる。

「お前たち、客か?」

 そう言いながら歩いてきた彼は、顔の見える位置まできて、突然立ち止まった。目を見開いて、びっくりした表情で固まっている。その視線は、私の隣の斜め下…ルルに釘付けだ。

(ははーん、これは…)

 私はニヤッとしてルルと男の子を交互に見た。


(フッ…また男の子の初恋を奪ってしまったか。我が娘ながら罪な女…。しかしね少年、城下町には君の恋敵が既に山ほどいるのだよ)


 私は内心そう言って前髪をかき上げながら、ニコリと笑んで話しかけた。

「こんにちは。私はアルテ。この子は娘のルル。今日は薬を買いに来たんじゃなくて、マーシャさんに会いに来たのよ。あなたは? なんていうの?」

「お…俺はカイ、だ。マ、マーシャに聞いてくるから、ちょっと待ってろ」

 ルルにじっと見つめられて顔を赤くしたカイ君は、身を翻してマーシャさんの小屋に駆けて行った。しばらくすると、小屋の扉がギイッと開いて、中から黒いケープに身を包んだマーシャさんが現れた。並んだ私とルルを見て、少し目を見開く。

「おや、ほんとにルルも来たのかい。よく来たね。入りな」

 そう言って家に入ったマーシャさんは、ちょっと不愛想で淡々としていて、いつもと変わらないように見えた。



 薬屋になっている小屋の中は、天井からぶら下がっている薬草や花の匂いでいっぱいだ。なのに不快なこともなく、落ち着くんだから不思議。カウンターの奥の棚には、マーシャさんお手製の薬が入った壺がたくさん並んでいて、窓辺には小さな丸テーブルと二脚の椅子。客として来た人がみられるのはここまでだ。でも。

 店の中を目をきらきらさせて見回していたルルが、そこを指さして言った。

「ねえ、あの扉の奥は何があるの?」

 薬棚の隣にある扉。その奥は、マーシャさんの居住スペースだ。入ってすぐ右に彼女の寝室があり、廊下の反対側には湯浴みの部屋がある。一番奥の大きい部屋は、壁いっぱいに本棚がある書斎だ。そう、私はこの小屋の中をよく知っている。森で倒れて意識を失った私が次に目覚めたのは、この小屋の寝室、マーシャさんのベッドの上だったから。それから一ヶ月。私はここで泣いてわめいて、食べて寝ることを繰り返し、何とか生きて行こうと思い直した。全部全部、マーシャさんのおかげだ。

 マーシャさんは黒いケープを脱いで無造作にカウンターに置くと、お茶の用意をしながらルルに応えた。

「ルルが喜ぶようなものはないと思うけどねえ。行ってみるかい? カイ、ルルを書斎に連れていってやりな」

「お…おう!」

「やったあ! よろしくねカイ!」

 ちょっと耳を赤くしたカイと満面の笑みで駆けだしたルルは、扉を開け放して奥の書斎に消えて行った。私とマーシャさんはそれを見送って、丸テーブルに移動する。お手製の香草茶を入れてくれる彼女を見て、私は口を開いた。

「それにしても、マーシャさんが子ども引き取ったなんて知りませんでした。いつからいるんですか? あの子」

 そう言うと、マーシャさんは肩をすくめた。お茶の入ったマグを私の前に出しながら答える。

「引き取ったつもりはないんだけどねえ。成り行きでね。クリフと暮らし出した時からだから、もう一年になる」

「ええ? そうだったんですか」

 私は驚きながらマグを受け取った。カイ君は元々、マーシャさんからスリをしようと森に入り込み、狼に襲われたのを彼女が助けてあげたらしい。すぐに逃げるだろうと思っていたら居ついてしまって、今ではクリフさんの小屋で寝泊まりするようになったそうだ。

「へえええ…まあクリフさんって面倒見良さそうですもんね」

「それがカイ相手だと、意外と大人げないんだよ。スリは嫌いだ、子どもの頃に散々()られて悩まされたって言い合いばっかして。まあ今は、それなりに上手くやってるけどね」

 呆れ声で言う彼女の顔は、それでも口角が上がってる。私は、今なら話を出していいかなと思い、少し緊張気味に口を開いた。

「あの…セイラさんのこと、大丈夫ですか?」

 するとマーシャさんは眉を少し上げて、肩をすくめた。

「あいつに様子見て来いって言われたのかい?」

「う、まあそうですけど…そうじゃなくても来ましたよ」

「相変わらず義理堅いねえ、あんたは」

 彼女はまた呆れ声でそう言って頬杖をつくと、反対側の手の平を上にあげる。

「生き別れの娘がせっかく会いに来たのに、力になるな、なんて言うわけないだろ。あいつが何もしてやらないなんて言ったら、かえって怒ったしガッカリしただろうよ」

「…そう言うと思いましたけど。さすがマーシャさん」

 私がふう、と息をつくと、マーシャさんはフッと窓の外をみつめた。

「けど、あたしも意外と動揺してたみたいでねえ…」

 彼女には珍しく、自嘲気味に笑う。

「娘が会いに来たって聞いた途端、『それで? ここを出ていきたいって?』って言っちゃったのさ」

「ええ? あちゃあ…」

 ついこぼしてしまい、しまったと手で口を押さえる。マーシャさんはクスッと笑って許してくれた。

「そんなこと言うつもりなかったんだけどね。あいつ、『そんな訳ないだろ』ってすごく怒ってね。あたしもすぐ謝ったんだけどさ」

「……」

 何と返していいかわからないでいる間に、マーシャさんは一口お茶を飲んでマグをテーブルに置いた。…なんだか、彼女を取り巻く空気が、少しだけ儚げだ。それは私の知らないマーシャさんだった。彼女はいつだって少しピンと張り詰めていて、意志のはっきりした人だ。クリフさんと暮らすようになって、少し柔らかい雰囲気をまとうようになったとは思っていたけど…。彼が少し遠くにいる、それだけでこんなふうに変わるなんて。

「ふん…アルテ、たまにはあたしの昔話でも聞くかい?」

「もちろんです」

 私が勢い込んで応えると、マーシャさんは少し口端を上げて、椅子に背を預けた。

「…あたしの父親も、若い頃のクリフみたいに、滅多に家にいない男だったんだよ。で、帰ってこないまんま事故で死んだ。でも生きてた頃も、あたしは探しに行こうとは思わなかった。子どもだったのもあるけど、会うのがなんだか怖かったんだよ。帰らないのはあたしを棄てたからだろうと思ってたし、それを確認したくなかった」

「…そうですよね…」

 そうだ。実際私は家族を棄てて、図々しくも会いに行って、今度は親から棄てられた。そういうことだってある。…期待通りにいかないのが、現実だから。

 マーシャさんはふう、と息をついてまた頬杖をついた。

「まあクリフの場合、棄てられたのはあいつの方だけど。だからその分、娘をどう思ってるかなんて娘の方にはわかんないだろ。なのに会いに来たんだ。セイラって子は強い子だと思うよ。…ま、あたしとしては信じて待つしかできないさ。このまま娘と旅に出るって言われても、そりゃしょうがないって諦めるしかないけどね。娘の方が大事なのは、当たり前だよ」

「そんな…」

 マーシャさんがこんなだから、クリフさんはあんな顔して出発したのだ。私が彼女の言葉を否定しようとしたところで、部屋の奥から声が聴こえた。

「別にクリフがいなくたってかまわねーよ。俺がいるんだから」

 私たちが振り向くと、扉の前にカイ君とルルが立っている。ルルは本を胸に抱えていた。書斎で読みたい本を見つけたのだろう。カイ君はズンズンとテーブルまで歩いてきて、マーシャさんを見上げた。

「問題ねーよ。俺の方が薬草づくりも手伝えるし、役に立つだろ!」

 マーシャさんは嬉しそうに目を細めた後、ニヤッと笑ってカイ君の方へ身体を向け、足を組んだ。

「あらまあ、いっちょ前に。例のやつ、今ここでしてやろうか?」

 するとカイ君はカッと顔を赤くして慌てだした。

「ちょっ…かんべんしろよ! ルル、ケトルと遊ぼうぜ!」

 そう言って玄関へ駆けだすカイ君にマーシャさんが声を投げる。

「カイ! ルルもいるんだから敷地から出るんじゃないよ」

「分かった!」

 ルルも本をテーブルに置くと、走ってカイ君を追いかけていく。二人が小屋を出てバタンと扉が閉まったのを確認して、私はマーシャさんを振り返った。

「ケトルって誰ですか?」

「ククリの子どもだよ。カイが来てすぐ仲良くなってね。しょっちゅう遊びに来てる」

「えー、ククリちゃん、子どもいたんですね」

 ククリというのはこの森の主みたいな大狼だ。森に長く住むマーシャさんとはお友達…のようなもの。毛が真っ白でモフモフで、人間の三倍くらい大きくて、私もここに居た時は時々背に乗せてもらった。賢くてマーシャさんにとても従順なので、その子どもならルルと遊んでも大丈夫だろう。私は少し安心して、もう一つ気になったことを訪ねた。

「例のやつってなんですか?」

 するとマーシャさんはニヤッと面白そうな顔をした。

「あの子、親の顔も知らない上に一人でスリしてて、大人に抱きしめられたことなかったらしいんだよ。あたしが狼から庇って抱きしめたときの感覚が忘れられないらしくて」

 身を乗り出してきて、こそっと言う。

「たまに二人だけの時、頼んでくるんだよねえ、『あれやって』って」

「か…」

 私は思わず両手を合わせて胸に当てた。ななな、なんて、なんて…!!


「可愛いいいいい~!! なんですかそれえ~!!!」


 胸がキュンキュンして止まらない。あのちょっとぶっきらぼうな少年が?! 抱きしめて欲しいって?! うぎゃあ何ですかその健気さは。私の中の母性メーターが爆上がりなんですけど?! 


 私が止まらないトキメキに悶えていると、マーシャさんは笑って足を組みなおした。

「アハハ。子どもと暮らしたいなんて、思ったこともなかったんだけどねえ。今はわりと、助かってるよ。特に今みたいなときはね」

 そこで私は我に返って、へへっと笑った。

「…そうですね。そうですよね」

 窓の外を見ると、ルルとカイ君が自分と同じくらいの背丈の白狼とじゃれあっている。私はそれを見ながらつぶやいた。

「私も助かってます、ルルがいてくれて」


 私は、十二年前にここでマーシャさんに言われたことを思い出した。


『妊娠初期でそんな旅して、流れてないのは奇跡みたいなもんだ。でも、あんたが望むなら堕胎薬を作ってもいい。どうする?』


 今なら堕ろすこともできるよと言われて、正直私は迷った。

 そして散々迷っても、最後まで、産みたい、と思えた訳じゃなかった。ただ、堕ろすのが怖かった。

 …そう。私はただ…怖かっただけ。ラファエルを好きになった自分も、家族が許してくれると思っていた自分も信じられなくて、自分の判断が信用できなくて、決められなかっただけ。流されるしかできなかっただけ。

 ごめんね、ルル。そんな風にしか思えなくて。

 それなのに無事に産めて、ここまで育ててこれたのは、マーシャさんがギルドの仕事を見つけてくれて、ギルド長が自分の家の隣に住まわせてくれて、ギルド長の奥さんが産むことも子育ても教えてくれたから。‟子どものいる私”を、皆が支えてくれたからだ。私が一人でルルのためにがんばったわけじゃない。

 なのにルルは、そんな私を支えてくれる。

 何があっても、可愛いルルの顔をみてたら、これで良かったのだと思える。


(だからやっぱり…がんばらなくちゃ)


 将来ルルがどんな選択をしても、今度は私がちゃんと考えて、判断して、覚悟をして応援するのだ。

 それがたとえ、私にとって悲しい選択だったとしても。


 私はそんなことを思って、もう一度窓の外のルルを見つめた。

マーシャとクリフとカイの話は前作の第三話の後半にあります。

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