娘、襲来・1
ルルの十一歳の誕生日まで、あとひと月というある日のこと。
その嵐はやってきた。
午前の終わり頃、ごった返してきた傭兵ギルド。本日受付の私アルテも、フル稼働で並ぶ傭兵をさばいている。そんな中、ギイッと扉を開けて一人の女傭兵が入ってきた。
(あれ、見ない顔… 新規登録かな)
書類にサインをする目の端で彼女を観察する。まだ若い、二十代初めくらい? 豊かで大きくウエーブした、柔らかいベージュの髪。灰色の目。ほんの少し垂れた目に、好奇心強そうな上がった眉毛は…なんか、どこかでみたような。豊かな胸、スタイルがいいなあ。露出強めの服装だし、これは気をつけないと傭兵同士でトラブルが…
そんなことを思っていたら彼女はちゃんと列に並んだので、いったん全意識を目の前の依頼書に集中させた。次の傭兵が持ってきた依頼書に対応する。何人かして、列の最後、彼女の番がやってきた。ちょうど休憩前最後で、後ろは居ない。
「こんにちは。ご用はなんでしょう」
私が言うと、彼女は口角を上げて言った。
「人を探してるんだ。傭兵のクリフって男を知らない? 歳はたぶん四十三、四と思う。灰色の目、らしいんだけど」
(んん? ヤケに当てはまる人がいるんだけど? でも時々いるんだよねえ、追っかけとか、力試しに戦えとか…紹介していいのかな? でもまあクリフさんなら問題なく対処できるか…)
そう思っていると、ギルドの扉が開いて、クリフさんが入ってきた。そうだ、彼は今日午後の守衛だった。私は顔を彼の方に向けると、言った。
「あの人がクリフさんですよ」
「!」
彼女は目を見開くと、パッとクリフさんの方を向いた。そしてカツカツと大股で彼の方に歩いていくと、真正面から彼を見上げた。
「あんた、ちょっといい?」
「ん、なんだ、新人か?」
彼はいつものようにさっぱりした顔で口端をあげる。女傭兵は真剣な顔で続けた。
「マニロア村、エミリィって名に覚えある?」
「…なんだと?」
クリフさんの表情が変わった。それをみて、女傭兵の顔がパアッと輝く。さらに一歩踏み込み、勢い込んで口を開く。
「あたしはセイラ。わかる?」
「…!!」
驚愕に目を見開いた彼に、彼女は破願した。
「初めましてだね、父さん!」
「「父さん?!!」」
周りから上がった大声で、ギルド中の視線が二人に集まる。私もさすがに驚いて大口を開けてしまった。
(ど、ど、どういうこと⁈ クリフさんて子どもいたの?)
クリフさんはこの辺りじゃ名の知られた傭兵だ。彼が最近事実婚したことを知っている傭兵たちは、面白いことになったと目を輝かせて寄ってきた。や、やばい。このままだとギルド中が大騒ぎになってしまう。
「とっ…」
私はバッと手を出し、二人に向けて叫んだ。
「とにかく個室へ!!! どうぞ!!!」
セイラさんは「あ、はいはい」と言って私の手の先にあるドアにスタスタと歩いていく。クリフさんは受付に走り寄ると、ダラダラと冷や汗をかきながら私に懇願の眼差しを向けた。
「アルテ、同席頼めるか」
「ええ⁈」
「マ、マーシャに説明せにゃならんだろ、お前も聞いといてくれ、頼む」
「う…」
巻き込まれたくない。でもそれを言われるとつらい! 前にも言ったがマーシャさんは私の大恩人だ。恩を返すべく、全力で彼女をフォローする使命が私にはある。でも正直、家庭の修羅場に巻き込まれるのはつらい! 絶対めんどくさい! そう思っていたら、後ろからポンと肩を叩かれた。
「主任…受付代わりますから行ってきてください」
振り向けば、いつの間にか事務所から出てきた後輩のマイクが背後に立っている。彼は、野次馬根性いっぱいで成り行きをみている傭兵たちに向かって言った。
「すいませんが、どなたか午後の守衛やってくれませんかー」
すると、バッと一人の男傭兵が手を上げる。
「おっ 俺やるぜ、その代わり事の顛末教えろよ」
「いやいや、それは別の話でしょ。はいはい、その他の皆さん、ギルドは昼休憩なんでいったん外に出てくださーい」
傭兵たちをいなしながら、マイクは私の背中をつついて個室へ促す。私はまだ動揺しながら、今までみたことないほど困惑した顔のクリフさんと一緒に、個室に入って行った。
***
個室の中には、四人がけのテーブルがひとつ。そこに向い合わせでクリフさんとセイラさんが座っている。二人の隣の位置にいる私は、どういう顔していいんだかわからずに真正面を向いて固まっていた。しばらく手を頭にやって考え込んでいたクリフさんは、数分後、ふう、と大きく息をついた。手を降ろし、顔を上げ、覚悟を決めたようにセイラさんを見つめる。苦笑気味だが、その顔は穏やかだ。そして眼差しには、娘に対する愛情が滲み出ていた。ゆっくりと、感慨深そうに口を開く。
「……よく来たな。今はもう…二十くらいか?」
「そ、二十一だよ」
セイラさんは嬉しそうに口角を上げる。きっと複雑な事情があるだろうに、まっすぐクリフさんをみて笑う姿をみると、とても素直な女の子なんだろうなと思う。
「その恰好…傭兵してるのか」
「うん、だけど別に父さんを真似したんじゃないよ。父さんのことはママから全然聞いてなかったし。聞いたのは二年前くらい」
「そうか…。エミリィ…母さんも元気なのか」
そう聞かれると、セイラさんは少し肩をすくめて椅子の背にもたれかかった。
「うん。父さんは知らないだろうけど、ママは今のパパと一緒に父さんのとこを出たんだ。パパは、父さんの留守中家に来てた商人だったんだってさ。それからずっと三人で一緒にいたし、あたしも二年前までパパを本当の父親だと思ってた。父さんには悪いんだけど、あたしたちはずっと幸せだったよ。今も二人であたしの帰りを待ってる」
それを聞いて、クリフさんはホッとしたように肩の力を抜いた。
「…そうか…俺が家を空けてばかりで、エミリィには寂しい想いをさせたが…やっぱり、出て行ったあいつが正しかったな」
自嘲気味に苦笑した彼は、気を持ち直すように一呼吸して再び娘に向かい合った。
「それで、お前は俺を捜してくれたのか。嬉しいが、なんでだ? 幸せだったんだろう」
「ああ、それそれ。本題に入らないとね」
「ん?」
セイラさんは椅子をガタンと前に寄せて、ここまでのいきさつを話し出した。
セイラさんは十三歳で教養学校を卒業した後、一回は商学院に進んだのだそうだ。しかし計算が性に合わず、一年でやめてしまった。一方小さい頃から身体を動かすのは好きだったので、護身のためと言って拳法を習いに行った。そしてさらには、狩りのためと言って弓を習った。実際に森で狩りをして生活を助けていたので、両親も許していたそうだ。
ところが十八歳になり、拳法と弓の腕を生かして傭兵をやってみたいと言いだしたら、母が大反対。何でそんなに反対するのかとケンカして問い詰めたら、本当の父親が傭兵だったからだと打ち明けられたらしい。そこで初めて、クリフさんのことを知ったのだと。『大事な人が出て行ったきり、いつ帰ってくるかわからない。そんな思いをまたするのは嫌』という母を何とか説得して地元の傭兵ギルドに登録し、長くても二、三日で終わる近場の依頼を受けていたという。
私は生き生きと語るセイラさんにしばらく魅入り、その後ふと、クリフさんに視線を移した。彼の表情は、彼女の話が進むにつれて、どんどん優しく…そう、父親の顔になっていった。察するに、セイラさんのとても小さい頃、クリフさんの記憶が残らないほど小さな頃に、二人は離れ離れになったのだろう。なのに、再会してこんな短時間で、クリフさんは父親としての自分を取り戻し始めている。それが見ていてわかる。セイラさんもそう感じているのか、話し続ける彼女の声色も、どんどんリラックスしたものになっていった。
「あたしは地元の町も好きだよ。でもやっぱり、広い世界を見てみたくなってさ。とりあえず一年だけって約束して地元を出てきたんだ。…途中のギルドで聞いたよ。父さん、ここ何年もずっとS評価で、いろんな領を渡り歩いてきたんだろ? だからあたしに、傭兵の仕事いろいろ教えてよ。今まで父親らしいことできなかった詫びと思ってさ。どう?」
(自分で言うんだ。さばけた子だなあ)
茶目っ気のある表情で父親を見上げる彼女を、私は半ば感心してみていた。クリフさんは腕を組んで、少し困ったように首を傾げる。
「…傭兵なんて危険な仕事、本当は俺だってさせたくないんだが…。お前の感じからすると、どうせ俺が教えなくてもそのうちやるようになるんだろう」
「わかってるじゃん。さすが実の父親」
「わかった…と言いたいとこだが、ちょっとだけ待ってくれ」
「ん?」
クリフさんは少し姿勢を正し、咳払いをした後、真剣な顔でセイラさんを見つめた。
「お前はもう大人だから、正直に言おう。俺は今、女の人と暮らしてる」
「…ふうん。まあそうかもって思ってた」
セイラさんはギイッと椅子に背を預け、今日初めて、多少複雑そうに口端を上げた。だけどクリフさんはそれにひるまず、しっかりした口ぶりで続ける。
「だからその人に話をして、分かってもらうまで待ってくれ。傭兵業務を一通り教えるには、しばらく日数もかかる。家を少し空けることになるからな」
「…ん、わかった。近くの月影の宿ってとこに泊ってるから、話しついたら来てよ」
「わかった」
クリフさんが頷くと、セイラさんはガタッと席を立ってニッと笑った。その顔が本当にクリフさんに似ていて、複雑な気分になる。
「じゃあね、お邪魔しましたー」
間髪入れずに背を翻し、ドアを開け放して出て行った彼女をただただ見送る。幸い、まだ昼休憩でギルドはほとんど誰もいない。少ししたらマイクがやってきて、ひょいと部屋を覗いた。まだ放心した私たちの顔をみて苦笑し、「主任、今日は終業まで俺が受付でいいです。じゃあごゆっくり~」と言いながら、ドアをゆっくり閉めた。バタンという音がした途端、クリフさんが「ああ…」と大きなため息をつきながらテーブルに突っ伏した。内心よっぽど緊張していたんだろう。いつも頼りになる彼の、こんな姿を見たのは初めてだ。私もハアァと息をついて緊張をほどいた。なんかもう…ちょっと休みたい。
「…お茶でも飲みます?」
「すまん…頼む」
突っ伏したまま言われ、私は肩をすくめて事務所でお茶を入れてきた。マーシャさんから買った、心が落ち着く香草茶だ。クリフさんは一口飲んですぐにそうだとわかったようで、少し眉尻を下げてゆっくりカップを置いた。
「…マーシャには、今夜話す」
「娘さんのこと、マーシャさんは知ってるんですか?」
「同居する前に一回話したが…そこまで詳しくは話してない。事情を話せばあいつは了承するだろうが…。あいつ、変に強がりなところがあるからな。俺がいないときに凹んだりするかもしれん。その時は頼む」
「了解です。さて…裏口から出ます?」
「そうするわ。悪いな…」
ぐったりとした顔で出ていくクリフさんを見送って、私もはあっとため息をつく。マーシャさんはクリフさんより少し年上だったはず。これまでずっと独りで、森の奥で薬師をしてきた。
(…やっと出会えたパートナーの、生き別れの娘が出てくるなんて…マーシャさん、大丈夫かな)
そうやって、恩人のことを心配する気持ちと同時に。
(…エミリィさんは今、どんな気持ちなんだろう…)
胸の奥がザワザワしだして、私はお茶を飲み干した。
***
「お母さん、お肉もう焦げそうだよ?」
「えっ?! やだホント?!」
私は慌てて竈から鍋を降ろし、肉を裏返してみる。ちょっと焦げたけど許容範囲だ。うん、いける。私はルルに苦笑いして、肉を皿に滑らせた。添え物の野菜を載せて、スープを注ぐ。夕食の支度を整える間にも、ふとした瞬間に考えに耽ってしまう。
元夫と同じ仕事に就こうとする娘。元夫を捜して頼った娘。育ててきたのは自分なのに。エミリィさんは、夫を棄ててきた自分を責められているような気持になったんじゃないだろうか? それに、人の妻子を奪ったとはいえ、愛情込めて育てた養女が自分の仕事じゃなく実の父親の仕事を選んだことを、養父はどう感じただろう。二人がセイラさんの選択を認めて温かく送り出したのなら、それは何てすごいことだろう。…私なら、どうしただろう。そんなこと、できるだろうか…。
「お母さん、今日はすごい疲れてるね」
いつもの二倍くらいゆっくり食べる私を見て、ルルが首を傾げる。…ああ、いけない。またやってしまった。ここまで様子がおかしくて、何も話さないのも不自然だろう。私は噛み過ぎて味がなくなっていた肉を飲み込むと、にかっと笑った。ルルの立場だったらきっと、セイラさんの話の方が喜ぶだろう。
「ああ、うん。なんかねえ。今日凄く印象に残る女の人が来てね…」
「女の人? 傭兵さん?」
「そう、二十歳くらいなんだけど…。勢いが良くてね。でもすごいのよ、一度は別の学校に入ったけど、辞めて、自分の好きなことで仕事しようって思ったみたいでね」
そこは本当にすごいなと思った、嘘じゃない。だからルルにも話してあげたい。私は、セイラさんが体術や武器の経験を積み上げていって、親に反対されながらも理解してもらえる範囲で傭兵の仕事をしてきたことを話してあげた。ルルは好奇心いっぱいの目で私の話を聴いている。一通り話したところで、私はふと気づいた。
「…そういえばルル、最近歌手の話しないわね」
「あー…うん…」
ルルは表情を曇らせ、スープマグを持ち上げてずずっと吸った。
「ん? どうしたの?」
「んー…なんかお母さん、歌手の話すると微妙な顔するから…」
「…!!」
私は愕然としてフォークを持つ手を止めた。マグを持ったまま、いじいじとテーブルに目をやるルルに呆然と問いかける。
「わたし、微妙な顔、してた…?」
「んー、なんか元気なさそうで。だから歌手はダメなのかなって…」
「……」
私はしばらくショックで言葉を失って、ゆっくりとフォークを降ろした。胸の奥で大きく懺悔のため息をついて、ルルの顔を見つめる。
「ごめん、違うの」
違わない。でも、こんなダメな母親の中途半端な思いで、娘に気を遣わせて夢を諦めさせるなんて、そんなことあっていいわけない。
「ダメじゃないのよ? でもほら、お母さんまだルルがちゃんと歌ったとこ聴いたことないし」
そう言うと、ルルは頭をぴょこんと上げて私を見た。
「あれ? そうだっけ?」
「そうよー。鼻歌はいっつも歌ってるけど、ちゃんと歌ったの聴いたことないわ。ルルの歌がすごく素敵だったら、お母さんも説得できちゃうかもよ? 今日の傭兵のお姉さんみたいに」
「そっか!」
ルルは目を輝かせてシャキンと背を伸ばすと、パクパクと夕飯の残りをかけこみだす。そして「ごちそうさまでした!」と席を立って寝室に駆け出した。私はその背に向かって首を傾げる。
「あれ? 歌は聴かせてくれないの?」
そう聞くと、ルルはくるっと振り返って得意そうに顎を上げた。
「ふふん。今は聴かせてあげないもん。ちゃんと練習して、とっておきのをとっておきの時に聴いてもらうんだからね!」
その顔があまりにも可愛くて、私は笑顔にならざるを得なかった。
今日一日の興奮も、驚きも、憂いも不安も、衝撃も罪悪感も、全てがシャボン玉のように弾けて、消えて行った。