アイリスの依頼・3
アイリスさんの夫、シャルルさん。
背丈はアイリスさんより頭半分くらい上で、男性としては低い方だろう。
茶の髪に茶の小さな目で、少し丸顔。ぼうっとしてはないが賢そうでもない、人の良さそうな感じの人だった。まあ、クールな美人タイプのアイリスさんから、‟平凡”と言われるのもわからないではない。
三か月前はいかにも淡白にそんな評をしていたアイリスさんが、今は彼にぴたりと寄り添って立っている。目は輝き、表情も前より生き生きしている。二人の少し後ろに控えているロミアは、フリル多めのメイドエプロンがよく似合って、とても嬉しそう。髪だって肌だって前から綺麗だったけど、今はたてて加えて素晴らしく艶がいい。…なんだなんだ。ホントに何があったんだ!
「ま、まあ立ち話も何ですから個室へどうぞ」
私は受付をエリーに任せ、ギルド長と一緒に彼らを個室へ案内した。ロミアは客なのに、いつの間にか事務所で紅茶を入れてきて、慣れた手つきで皆にサーブしている。手際良すぎる。
(いやーアナタ、もうどこからどうみても貴族のメイド。こっちの方が向いてたんじゃない?)
私が感心していると、アイリスさんはそんな彼女を振り返ってフフッと笑う。
「魔術師ギルドには先ほどお礼に行きました。評価はSで、追加報酬も払わせていただいたわ。依頼は終了したけれど、ロミアにはこのままうちで働いてもらいます。本人の希望もありますから」
「そうですか。良かったわねロミアさん」
そう言うと、彼女は本当に嬉しそうに頷いた。もともと貴族の専属を目指していたのだから、本望だろう。
「傭兵ギルドには魔術師ギルドから紹介料が支払われたそうですけれど、こちらからも追加報酬をお渡ししますわ」
「お、おお、それはありがたいですな…。それも、わざわざこちらにまでお越しいただいて」
ギルド長が若干戸惑いながら返す。そりゃそうだよね、前と態度があまりに違うから。私もなんだか落ち着かない気分で彼女を見ていると、アイリスさんはニッコリ笑って私たちを見回した。
「今日はお礼かたがた、皆さんにもぜひロミアの雄姿をみていただきたくて。…ロミア」
「はい、奥様」
ロミアは持っていたカバンから水晶玉を取り出すと、窓際でふわりとそれを浮かせた。彼女の口が小さく何かを唱えたかと思うと、水晶玉の上に四角いスクリーンが現れて、パッと映像が映った。
「これは、先日エルファレル家で行われたパーティの映像です」
ロミアが言うと、いったん映像を止め、アイリスさんが説明してくれた。
ロミアは、休暇に入ったアイリスさん付きのメイドの代わり、ということでエルファレル家に入ったそうだ。すぐに嫌がらせし返すと警戒されて決定的なチャンスを逃すと思ったので、ロミアとアイリスさんはしばらく魔術具で嫌がらせを回避しながら、機会をうかがっていたそうだ。そんなある時、とうとうチャンスがやってきた。
アイリスさんは男爵様に相談して、コレル家具店の新作お披露目パーティを催すことにした。エルファレル家のパーティに新作家具を使い、気に入った貴族が直接その場で注文すれば店の売り上げが上がるし、家具の材料である木材を店に売ればエルファレル家の金庫が潤うというものだ。パーティでは、他の貴族が平民の富豪との繋がりを求めてエルファレル家に近づいてくることも考えられる。アイリスさんは、義姉が大きな嫌がらせを仕掛けてくるならそこだと思ったそうだ。
「大勢の前で私に恥をかかせて家の体面を潰せば、御義父上…エルファレル男爵が後悔するだろうと。義姉ならそう思うと思ったの。では続きを」
アイリスさんがそう言うと、ロミアは少し得意そうな顔で私たちを見回した。
「皆さん、目を閉じてください。ちょっとびっくりすると思いますが、大丈夫なので目を開けないでくださいね」
「?」
映像を見るんじゃなかったの? 私が不思議に思いながら目を閉じると、ロミアが何かの呪文を言ったのが聴こえた。その途端、頭の中にぶわあっと映像が浮かんできた。
「うわっ なんだこりゃ!」
ギルド長の声が慌ててる。それはそうだろう、目は閉じているのに、自分の全周囲がさっき見た映像なのだ。華やかなホール、立派な家具に美味しそうな料理、まるでその場に自分がいるような。…そう、いうなれば、夢の中にいるみたいだった。少し遠くからロミアの声が聴こえる。
「ただ映像をみるだけではつまらないと思って。魔術具の映像を魔術で変換して、人の認識に作用させているんです。続きをどうぞ」
(ほえ~! ロミアすごいじゃない! やっぱり生活に余裕ができると才能も伸びるのかしら?)
そんなことを思いながら、私は頭の中で周囲を見回してみた。これは、エルファレル家のホールの入り口だろうか。きらびやかな服装に身を包んだ貴族たちが、続々と入場していっている。扉の前でウェルカムドリンクを配っているのはロミアだ。
「誰が義姉上様の指図で嫌がらせしてくるかわからないので…入ってくる人全員に、アイリス様への反射の魔術をかけたんです、ドリンク渡しながら。…ちょっと疲れました」
苦笑したロミアの声が聴こえ、ホールの扉が閉まると、エルファレル男爵がパーティ開始の挨拶を述べた。音楽が奏でられる中、貴族たちは点々と置かれているコレル家具店の新作ソファに座って、会話を楽しみ始める。アイリスさんは上品なブルーのドレスを着て、今日一番上位の客に挨拶している。それを遠目で見ている女性客たちの会話が、頭の中に聴こえてきた。
『あの方がシャルル様の奥様ね。平民から入られたっていう…』
『なかなかお綺麗な方ね。着こなしもまあ見苦しくはなくてよ。最近の若い貴族令嬢の方が嘆かわしいくらいだわ』
『まあ、ホホホ』
おお、なかなかの評判、さすがアイリスさん、と思ったのもつかの間。後から、二十代後半くらいの金髪女性がスッと会話に入ってきた。
『…でも、やはりお育ちのせいか、なかなか貴族の生活にお慣れでないようですわよ』
『あら、そうなんですの?』
周りの女性たちがキラリと目を光らせると、金髪の女性は得意そうに続けた。
『ええ、上品なお食事はお口に合わないらしくてお腹を痛められるようですし、お靴も合わないみたいで時々何もないところで転ばれるそうですわ』
『まあ、なんてこと、おほほほほ』
『今日はお転びにならないといいわねえ』
こんな内輪の話を人に漏らせるのは身内しかいない。ということは… そう思っていたら、アイリスさんの声が聴こえた。
「この金髪の方はラスティ子爵家のエリス様よ。義姉のお友達」
「では、これがお義姉様の仕込んだ嫌がらせのひとつなんですね。また床にロウを…」
と言いかけたら、さっそく反対の方で悲鳴が上がった。
『きゃあああ』
振り向くと、茶色の髪の女性がすってーんと転んで仰向けになったところだった。周りの人は唖然とした後、扇で口元を隠してクスクスと嗤っている。
「あれが義姉。すごいわよね、悪意の元にちゃんと反射するんだもの、感心したわ」
「恐れ入ります」
アイリスさんの賞賛にロミアが嬉しそうに答えたのが聴こえた。ホールでは、まだ呆然としているお義姉様を使用人が慌てて助け起こしている。アイリスさんとシャルルさんが心配そうに近寄っていくと、彼女は彼らをキッと睨んで立ち上がる。そこにぬっと現れたロミアが、落ちたハンカチを拾って渡すその間際、あの恐ろしい微笑を…。お義姉様は案の定、『ヒッ』と声を上げて去って行った。しかし、それからがまた災難だった。
アイリスさんがワインを飲もうとしたらお義姉様が子どもにジュースをひっかけられ、アイリスさんが椅子に座ったら、別の椅子に座ろうとしたお義姉様が他の人に押しのけられ、その勢いでまた転んだ。
度重なる失態に、お義姉様はもう顔が真っ赤で、ちょっとかわいそうなくらいだ。見かねたエルファレル男爵が『今日は体調が悪いようだな、自室で休んでいなさい』と言いに来て、彼女はホールを退室していった。
「ワインも椅子も、元々は義姉さんがなんか仕込んでたってことかあ? じ、自業自得とはいえ、義姉さんもちょっと気の毒な…」
ギルド長が最後ボソッと言って、私は苦笑する。
「ええ、まあ…でもこれのおかげで、アイリスさんへの嫌がらせもなくなったということですよね? もう目を開けてもよいですか?」
私が言うと、ロミアの慌てた声が聴こえた。
「あーッ ちょっと待ってください! これからがいいところなんです!」
「へ?」
お義姉様はいなくなったのに、まだ何かあるの? 私が消えない映像の中で首を傾げていると、ある長椅子に集まって会話を楽しんでいる男女の声が聴こえてきた。シャルルさんと同じくらいの年の男性が、周囲の人を見回しながら話し始める。
『それにしてもアイリスさんは素晴らしいな。平民出身とは思えないほど所作が美しいし、会話にも教養が感じられる。私たちの爵位と領地のことをよく勉強しているようだ』
『そうね、実家の家具を紹介はしてらっしゃるけど、さりげなくて嫌味がないわ。成り上がり平民にありがちな態度の大きさもないし』
『エルファレル家は賢い選択をしたかもしれないわね。ご次男の奥様が平民でも、ご長男の奥様は貴族令嬢だから、本家の血筋には影響ないもの』
(お、おお? 急にアイリスさんの旗色が良くなってきたぞ?)
私が戸惑っていると、少し向こうで突然大きな声が聴こえた。
『いやあ、シャルル殿は本当に素晴らしい。御父上を良く助け、このように素晴らしいパーティを準備されるなど、なかなか普通の令息に思いつくものではない。今まで貴方の才能を存じ上げなかったことが恥ずかしいよ』
『え、いえ、今回のことは主に妻が…』
『もちろん奥方も素晴らしいが、誇り高く隣に立つ君のその風格が…』
(風格? うーん、人は良さそうでも、あまり風格があるようにはみえないんだけど…)
少し大袈裟で唐突ともいえるその言いように私が首を傾げていると、隣のギルド長が声を上げた。
「…ん? まさかこれも反射ってやつか?」
「ええ?」
「ギルド長さん、ご明察です! 皆さん目を開けてください」
言われてパッと目を開けたら、そこには真っ赤な顔でテーブルを見つめるシャルルさんと、隣でニコニコ彼を見つめているアイリスさん。…なんだこれ。
「あの、説明をお願いしても…?」
私が苦笑すると、アイリスさんは嬉しそうに旦那様に呼びかける。
「ほら、あなた説明して差し上げて」
「しかし、さっきも魔術師ギルドで話したじゃないか、恥ずかしいよ…」
「いい話は何度でも聴きたいものなのよ、ね、お願い」
「うう、君がそう言うなら…」
シャルルさんはまだ赤い顔をしながら、ちらちらと私たちを見つつ説明をし始めた。
「妻から義姉が嫌がらせしてくると聞いたので、私は使用人に聞き取りをしたのですよ。そしたらやはり、義姉の使用人が動いていたようで。私としても、結婚を破綻させられたくはなかったので、パーティで妻を賞賛してくれるようにと、友人に頼んでいたのです。そしたらその意思が反射されることに…。ロミアの魔術のことを、私は知らなかったものですから」
「まあ、奥様の味方になってくださるなんて、さすが旦那様ですね!」
私は素直に褒めたのだが、アイリスさんは物足りなさそうに夫を見ている。
「あらあなた。なぜ結婚を破綻させたくないのか、その動機まで話さないと」
「いや、あれもまた話すのかい⁈」
慌てて妻を振り返るシャルルさんをみて、ロミアが楽しそうに言う。
「なら旦那様、あの時のことも観てもらいましょう! 皆さん目を閉じて!」
「えっ⁈ ちょ…」
シャルルさんの焦った声を聴きつつ目を閉じた途端、再びぶわっと頭の中に映像が拡がり、私は知らない部屋の中にいた。ここはアイリスさんの私室だろうか。高そうな家具が置かれた、上品な貴族の部屋だ。目の前には、シャルルさんとアイリスさんとロミアの三人が立っている。アイリスさんが驚いた顔でシャルルさんを見ていた。
『貴方がご友人に頼んでくれるなんて思わなかったわ。私は実家のためにも結婚を継続するつもりだけれど、貴方にとっては所詮お義父様の決めた結婚だったでしょう? お義姉様のこともかばっていらしたし』
『…違うよ』
『え?』
シャルルさんは赤い顔でアイリスさんをチラッと見ると、窓の方を向いて話し出す。
『この結婚を進めたのは私だったんだ。姉が君にしたことは酷いけれど、姉は私の我儘のせいで望みもしない平民との結婚の可能性が出てしまったのだから、申し訳ないと思ってもいるんだよ。だから姉にやり返すよりは、君が賞賛されて受け入れられるようにと、そう思って…』
アイリスさんは小首を傾げて彼を見ている。
『…貴方が進めた結婚?』
シャルルさんは困ったように手を頭にやり、ぼそぼそと続けた。
『…父と私がコレル家具店に行くと、奥方と一緒に君も挨拶に出てきただろう?…ずっと前から、君に想いを寄せていたんだ』
『…え。ええ?』
『でも私はこの通り、特段優れたところのない人間だから…。君の義兄上は容姿端麗で優秀だし…そんな家族が傍にいた君に、私のような者が求婚しても無理だろうと思った。だから父を説得したんだ。これからは豊かな平民の力も取り込んで、家を栄えさせていくべきだと…』
『……まあ……』
そこで映像はふわっと消え、私は目を開けた。そこにはさっきより真っ赤な顔で下を向くシャルルさんと、輝く笑顔のアイリスさんが。私は感動の余り、声を上げた。
「なんて…なんて素晴らしいお話でしょう!!」
「うふふ、そうでしょう? 私も驚いてしまって。この人は兄と自分を比べてあんな風に言ったけれど、兄は家業のために好きな人を諦めたのよ。私はそれも仕方ないことと思っていたわ。なのにこの人は、想い人を得るために家まで動かした。本当に大した人だと思って。心から夫を見直したの」
「アイリス…」
シャルルさんが嬉しそうに彼女を振り返る。アイリスさんも応えて微笑んだ後、少し視線を落とした。
「…私、好きと結婚は違う方がいいと思っていたのだけれど…」
顔を上げて、夫を見つめる。
「一緒でも、いいのかもしれないわ」
「アイリス…!!」
(ななな、なにこれ~!!! 尊すぎるでしょ~!!!!)
見つめ合う若い二人を見る私の心中は、大喜び、大興奮の大騒ぎ。
満面の笑みで、依頼書に‟完了”のハンコを押したのだった。
***
「いやはや、感動のお話でしたね~」
「最初はどうなることかと思ったが、おさまったもんだな~」
アイリスさんの差し入れのタルトケーキを食べながら、事務所でギルド長と感想を言い合う。シャルルさんとアイリスさんは、お義姉様が望まぬ結婚をしなくていいように、男爵様に話してみるそうだ。貴族社会の中では、家のために結婚するのが当たり前なのだけど…。今回のことを思えば、シャルルさんならなんだかんだと理由をつけて、お父様を説得できるかもしれない。
しかし、人は見かけによらないものだ。あの、人が良さげで平々凡々な印象のシャルルさんが、好きな人を得るために家まで動かしてしまう人だったとは…。
…私も、そうすればよかったんだろうか。逃げるのでなく、捨てるのでなく…。
ふとそんな思いが浮かんで、私は窓の外を見つめた。
難産だった…。次回は回想回。