アイリスの依頼・2
翌日。
私はギルド長に私の考えを話してみた。ギルド長も「ああ、そりゃあいいな。行ってこい」と言ってくれたので、受付を後輩のロベール君に任せて出発する。右手には昨日渡せなかった焼き菓子を持って。抱えたカバンには、アイリスさんの依頼書を入れて。
城下町を下って隣の町の境界近くに、その建物はあった。少し古めかしい灰色の石壁に、錆びたような碧の三角屋根。年代物の金属製の看板が下がっているそこは―…
「あら、こんにち…はって、アルテじゃない」
「こんにちは。ちょっと久しぶり、セシリア」
「そうね。ようこそ、魔術師ギルドへ」
そう。そこは魔術師ギルド。友人のセシリアはここの受付だ。
「今日は仕事の相談で来たの。はい、これ差し入れ」
「わお。ファリ菓子店のじゃない。ありがと。じゃあお茶入れるから、食べながら相談しよ」
「いいの? 仕事中でしょ」
「いいのよ、見ての通り今は誰もいないし」
その言葉の通り、ギルドの中は誰一人いない。受付代わりのテーブルセットの周りには、青白く光る四角い画面のようなものがいくつも浮いていて、その画面に文字が浮かんではフッと消え、そして金色の新しい画面が現れる。それが部屋の奥にある大きな魔石にシュッと吸い込まれていくのだ。
「…いつみても便利ね、さすが魔術師ギルド」
要するに青白い画面は依頼書で、魔術師たちは遠見魔術でギルドの依頼を見ては、自分で依頼人に質問書を送り、回答をみて合意できれば依頼書にサインする。成立すると依頼書が契約書に変化して金色に輝き、記録用魔石に吸い込まれて行っているのだ。普通の平民は魔術師に依頼するようなお金はないので、顧客は富豪か貴族。そんな人たちが依頼の為直接ギルドに足を運ぶことは少なく、通信用魔術具で連絡してくる。魔術師ギルドの受付は、まれに直接依頼しにくる人の対応と、この依頼受注魔術を維持するため時々魔石に魔力を注ぎ、何かしらエラーが起こった時に対処するのが仕事である。
「ん~、美味しいわね、さすがファリ菓子店。そうだ、ルルちゃんは元気?」
「うん、元気よ。アルファイド君はどう?」
「うん、うちのも元気よ。工学院楽しいって」
焼き菓子を食べながら、セシリアがウェーブがかった金髪を揺らして笑う。彼女とは、子どもがいて夫がいない者同士。私がギルドで働き始めた頃、ギルドの受付交流会で知り合って、町や育児のことをいろいろ教えてくれたのがセシリアだ。彼女の息子のアルファイド君は今年十三歳で、工学院の一年生。母親の魔力を受け継がず、でも彼女の作る魔術具が好きで、ものづくりの道に進んだ。尊敬される母親をしているセシリアを、私も尊敬している。
「さて、ごちそうさまでした。それで? 仕事の話って?」
セシリアがお替りのお茶を注ぎながら聞いてきて、私も仕事モードに戻った。
「傭兵ギルドに来た依頼で、魔術師ギルドに紹介したいものがあるの」
ギルドには傭兵や魔術師以外にも、商人、百姓、職人など様々な種類があるけれど、依頼する方はとりあえず、関わりがありそうなギルドに依頼を出す。でも中には、依頼されたギルドには適当でなかったり、一つのギルドでは対応できない依頼がある。そういう時に、他のギルドに依頼を紹介するのだ。紹介したギルドは紹介料をもらえるし、合同で契約すれば貢献度に合わせて報酬を分配する。なんだって世の中は助け合いだし、依頼人の役に立つことが一番だ。
今回のアイリスさんの依頼には、貴族社会の中で不自然じゃないあまり体格の良くない人の方がいい。魔術師は肉体労働じゃないので、見た目が優雅な人もいる。魔力は血筋で出ることが多いものの、貴族平民関わりなく突然変異で出たりもして、魔術師の中には意外と爵位の高い貴族がいたりする。そして、傭兵みたいに脳筋じゃなく、理知的な人が多い。魔術より魔術具づくりが好きな人には特に。だから、傭兵ギルドよりは魔術師ギルドに頼んだ方がいいと思ったのだ。
アイリスさんの依頼についてセシリアに話すと、彼女は「ふうん、なるほどねえ。そりゃそっちよりこっち向きだわ」と言って、思案し始めた。私は紅茶を飲みながら黙って待つ。しばらくして、彼女はポン、と手を打って私を見た。
「うん、ちょうどいいかも! アルテ、うってつけのがいるわよ」
セシリアは機嫌よく立ち上がり、鼻歌まじりに通信用魔術具を持ってきた。手をかざしてブウンと起動させると、大きな魔石が虹色に光りだす。
「カルテヒア魔術師ギルド受付セシリアより、エンダミア村の魔術師ロミアへ。ロミア、初受注のチャンスよ! 今すぐギルドまでいらっしゃい!!」
そう言ってフッと通信をオフにする。私は苦笑して紅茶のカップを置いた。全くセシリアってば、相変わらずちょっと強引なんだから。
「うーん、さすがに今すぐっていうのはムリじゃない?」
「大丈夫よ、どうせ普段は家に引きこもってるんだから。…あ、ほら来たわよ」
「え」
セシリアが玄関の方に目を向けたのに驚いて同じ方を向いたとき、コンコンとノックの音がした。数秒後、ギイッとゆっくり扉が開く。
「…失礼します…」
入ってきたのは、真っ黒な前髪が両目を覆った一人の少女。慌てて来たのだろう、少し息があがっている。肩で切り揃えられた髪が少し乱れて、フリルのついたピンクの服に茶色のマントをぞんざいに羽織っていた。
「ロミア、移動魔術も上手くなったじゃないの。ほら座りなさいよ、お茶入れるわ」
セシリアがニッコリ笑って空いた椅子を示すと、ロミアと呼ばれた少女はおどおどしながら歩いてきて、向かい合う私とセシリアの間に座った。つまり私からは斜め前にロミアの顔がみえるのだけれど、私がまず思ったことは…
(うっっわ~~!! 肌きれ~~い!! 若っか~~い!!!)
私は目を輝かせてその姿に魅入った。これは十代の成人したてに違いない。先ほどのセシリアの言葉の通り、あまり外にでないのだろう、肌が白くて、頬が緊張のせいかちょっとピンクに染まって、それに濡れ羽色の真っ直ぐな髪が映えて、まるでお人形さんみたいだ。
「アルテ、仕事、仕事」
「はっ!」
ガン見していた私に、セシリアが苦笑して声をかける。私は我に返って、軽く咳払いをした。メガネをくいっと上げて仕事モードになり、ニコリと営業スマイルをする。
「初めまして、ロミアさん。私は傭兵ギルド受付のアルテです。今日は傭兵ギルドに来た依頼について、魔術師ギルドで請け負ってくれる方を探しに来ました。セシリアさんがあなたを紹介してくれたのだけど…」
そう言ってセシリアに視線を向けると、彼女はうんうんと頷いてロミアに説明しだした。最初は不安そうに聞いていたロミアの青い瞳は、話が進むにつれてキラキラと輝いてきた。セシリアが話し終わって「どう?」と聞くと、ロミアはほう…と熱っぽい吐息を吐き、夢見心地でつぶやいた。
「貴族のお屋敷でメイド…綺麗なドレスがたくさん…こっそり魔術使ってお役に立てて…しかも無期限…魔術具の納期に追われない…最高…」
「な…なんだか気に入ったみたいだけど…あなたの魔術で依頼人の役に立てそうですか?」
私は少々戸惑いながら問いかける。一番大事なのは、『護衛をしつつ、犯罪にならない程度に嫌がらせをし返す』という難題をこなせるかどうかなのだ。すると、ロミアはフッと我に返って私の方を向き、こくこくと頷いた。
「わ、私…あまり多くの魔術は使えないですけど、反射の魔術だけは得意なので…」
「反射の魔術?」
それはその名の通り、対象のしたことが本人に跳ね返る魔術だという。それは単に行動というより、もっと広い意味で。
「実際みてみる方が早いと思うので…。セシリアさん、ご協力お願いしていいでしょうか」
「いいわよ~ どんと来なさい」
セシリアがウインクして頷くと、ロミアが何やら口の中で小さくつぶやき、マントの中の手を少し動かした。
「はい、反射の魔術をかけました。セシリアさん、アルテさんに何かしてみてください」
「待ってました♪」
そう言うと、セシリアは立ち上がってガバッと私の頭を抱きしめた。
「⁈ ちょっ…ちょっと⁈」
「アルテはいつもお仕事頑張ってえらいわね~ よしよし」
「お、おお…それはありがとう…」
戸惑いながらそう答えた私だったが、そうこうしているうちに、隣のロミアの身体がぶるぶる震えてきた。口までモゴモゴしだして、具合でも悪いのかと心配しだした次の瞬間。
「セ、セシリアさん…! 本当に…すごいです…!!」
ロミアが感極まった顔と声で両手を組み、セシリアを尊敬のまなざしで見上げた。
「わ、私みたいなド新人を憶えてくれてただけじゃなく、傭兵ギルドの受付様ともそんなに仲良くできるなんて…!! さすがのコミュニケーション能力…!!」
「おっほっほ。そうでしょうそうでしょう」
セシリアは得意げに胸を張る。すると、フッとロミアの表情が元に戻った。少し息をついて、不安そうに私の方を振り向く。
「…と、こういうことです。おわかりいただけたでしょうか…」
「え、えっと…?」
私は首を傾げながら先ほどの状況をまとめようとする。反射の魔術をかけられたセシリアが私を盛大に褒めたら、今度はセシリアがロミアから賞賛を受けた。つまり反射を受けた、と。しかし…
「ということは、された側がし返すわけではないのね。そして、した行動と同じものが返ってくるわけではないと」
「そ、その通りです。行動の…意図や主旨の方が大事で…いろんな行動が返ってきます。あと、された人がするわけじゃないので… えっと、今回の依頼主が疑われることは、ありません。嫌がらせをした人を、捜す必要もありません」
「逆に言えば、捜さなくても自ずと明らかになるというわけね。素晴らしいわ」
私は思わずメガネのふちをくいっと上げた。これはまさしく今回の依頼にピッタリだ。私が感心しているのをみて、セシリアも満足そうに頷いた。
「そうでしょう? ただ、反射だと嫌がらせを防ぐことはできないんだけど、そこは魔術具で補えるから」
ロミアもこくこくと一生懸命頷く。彼女は普段、危険探知の魔術具を作っては魔術具店に納品し、生計をたてているそうだ。私は焼き菓子と紅茶を彼女にも勧めてさらに話を聴く。ロミアは現在十八歳。お金がなくて魔術院に通えず、魔術も魔術具制作も本を読んで独学で覚えたんだそうだ。不特定多数の人と話すのが苦手で、本当はギルド所属でなく貴族のお抱えになりたかったけれど、自己アピールができずどこにも受からなかったという。
「…あと、私…今着てるみたいな、フリルとかレースのついた服が好きで… だから貴族からの依頼、嬉しくて…。 私、頑張りたいです。メイドの仕事も…覚えます」
膝の上で手をギュッと握って私を見てくるロミアに、なんだかジーンと来てしまう。
(はわああ~ なんて一生懸命な良い子なの~ 依頼人の希望する年代からは少し下だけど、他の条件がピッタリだし、これは是非プッシュしてあげたいなあ~!)
そう思い、数日後に傭兵ギルドでアイリスさんに会ってもらうことにした。個室の中にはギルド長、私、セシリア、そしてロミアとアイリスさん。ロミアはガッチガチに緊張していたけれど、ちゃんと反射の魔術の説明ができた。すると、アイリスさんは目を軽く見開いて興味を示した。
「ふうん、それはいいわね。実際に嫌がらせに使えるのかみてみたいわ。ギルド長さん、協力して頂ける?」
「お? おお…そりゃ構わないですが…」
戸惑うギルド長にお礼を言って、アイリスさんはロミアに、ギルド長に反射の魔術をかけて欲しいと頼んだ。次に、私を伴って事務所のキッチンで人数分の紅茶を入れ、ポットとカップを載せたカートを押して個室に戻ってきた。アイリスさんは、私たちにみえないように全員分の紅茶を注ぎ、一人一人の前に置く。傭兵ギルドにそぐわない良い香りが、ふわりと個室に漂う。
「実家から持ってきた最高級の茶葉なんです。どうぞお飲みになって」
「は、はあ…」
皆がカップに口をつけた途端、ギルド長が眉をひそめた。
「苦え」
まあ嫌がらせだからね、そういうことね、と横目で見てそう思った次の瞬間。アイリスさんが自分の紅茶を飲んで目を丸くした。
「冷たい」
「あ、それ私のせいです」
セシリアが手を上げる。
「なぜか冷却魔術使いたくなっちゃって…」
こうして見事に反射の効果を証明した次は、危険探知の魔術具を試すことになった。ロミアが小さな懐中時計に似た形の魔術具を私に渡した。
「スイッチは入れてあるので…。ポケットに入れておいてください。危険を探知したら、振動します」
「いったん外に出て、しばらくしたら入ってきてくれます?」
アイリスさんの指示に従い個室を出て、扉の前でしばらく待つ。
(うう、何が待ってるんだろ~…怖いなあ。 でも防ぐためにこの魔術具があるんだし、大丈夫、大丈夫!)
そんなことを思って何回か深呼吸し、再び個室のドアを開けた。中では皆が先ほどと同じようにお茶をしていて、変わった様子はない。そちらの方に二、三歩歩いて行ったところで、スカートのポケットに入れた魔術具がブルブルッと震えた。
「!」
私がそこで足を止めると、アイリスさんが感心した声を上げた。
「あら、すごいわね。あと二歩進んでいたら滑って転んでいたと思うわ。床にロウを思いきり塗っておいたから」
「は、はは…そうですかあ…」
「ちなみにさっきのお茶も今の床も、私が実際されたことだから。この三倍は酷かったけどね」
「お察しします…」
床のロウを拭っておかないとな…と思いながら、私はその場所を大回りに避けて自分の席に着いた。
「さて、おおむね条件は満たしているのだけど、最後に…」
アイリスさんは優雅に紅茶を飲んでカップを置いたあと、真顔で正面のロミアをみた。
「…あなた、ニヤッと笑ってみて」
「は、はい?」
「いいから。ほら、少し顔を俯かせて、口だけでニヤッと笑うのよ」
「こ、こうでしょうか…」
俯くと、黒い前髪が目を完全に隠してしまう。その下で、ロミアの薄い唇がひきつった笑みの形を作った。…うん、だいぶ怖いぞ? しかし、アイリスさんは手をぽんと合わせて満足そうに笑った。
「いいわね! いかにも何かしたって感じだわ」
「あ、あの…?」
「脅すのだから、明らかな証拠は残さず、でもこちらが仕掛けたことが相手にわかるようにしなきゃいけないでしょ。反射が起こった後にあなたがそうやって笑えば、義姉にもさすがにわかるでしょう。ふふ、義姉の反応が楽しみだわ」
(うわあ~ 言う通りなんだけどこのお嬢さん怖~ 敵に回したくな~い)
そう思ってひきつった笑みを浮かべていたら、正面に居たギルド長は遠い目をしていた。そうですよね~ 裏工作とか苦手だもんねギルド長~ ついてけないよね~。
傭兵ギルド組がドン引きの一方、セシリアは機嫌よくアイリスさんと話し始めた。
「じゃあアイリスさん、うちのロミアと契約するということでいいかしら?」
「ええ。歳が少し若いけど、許容範囲よ。契約後、しばらく私の実家でメイドの仕事を覚えてちょうだい。兄には話を通しておくから」
そうして、アイリスさんとロミアは皆が見守る中で契約書を交わした。私は、無事に紹介ができてホッとしつつ、二人がうまくやれるか心配しながら見守る。でもなんだか、ロミアはアイリスさんをキラキラした目で見上げている。私はそれを少し不思議に思いつつ、依頼人に対し悪感情を持っていなさそうなことに安堵して、ふう、と息をついた。
その後、私は依頼の経過が気になりつつも日々の生活に手一杯で、魔術師ギルドに問い合わせをできずにいた。ところが。
―依頼を受けてから、三か月後。
アイリスさんが突然、ロミアを伴ってギルドへ依頼達成の報告&お礼に訪れたのである。
しかも、なんと― 夫婦で仲良く!!!
(ええ~っ!!! これはいったいどういうこと⁈ 何があったの⁈)
私は内心大騒ぎしながら、メガネのふちをくいっと上げて、営業スマイルをした。
アイリスの依頼は次回で終わりです。