嵐・1
カルテヒアの城下町に着いたのは、夜空に星が瞬きはじめた頃だった。旅の疲れで私もルルもぐったりだったけど、隣家のギルド長夫妻には挨拶をした。二人はニコニコと迎えてくれ、私たちがあんまりにも疲れた顔をしてたせいだろう、『今日は休みな』ってすぐ帰してくれた。ありがたい。
「よし、ルル。とりあえず今日は寝よう」
「うん、寝る。おやすみ」
玄関を開けた時には二人とも目がつぶれかけていて、荷物をドサッと床に落とし、そのままベッドに直行した。
そして次の日。
「皆さま、約三か月お休みいただいて、誠にありがとうございました」
傭兵ギルドで、今日当番のエリーとロベール君に深々と頭を下げる。エリーは輝く目で、ロベール君はホッとした顔で迎えてくれた。
「アルテさん、お土産お土産!」
「はいはい、ちゃんと買ってきたから」
正直、私には土産物を買うセンスなんかない。でも今回は即位式記念グッズがたくさん出ていたので助かった。エリーやセシリアには新王妃監修の髪飾りで、ロベール君や他の男性後輩には新王様監修のペン。どちらにも、今回だけ使用が認められた王家の紋が入っている。お洒落だなと思って買ったんだけど、二人とも喜んでくれた。良かった。ちなみに今日出勤してないギルド長と奥さんには、即位式映像とルルの写真がたくさんあるのでそれでいいはずだ。間違いない。
「まあああ ルルちゃん、なんて立派な…」
「……(感激して滂沱)」
「えっへへ。ありがとー」
すごい。予想通りの反応過ぎる。そしてルルも、屈託なく照れ笑いしている。私は彼らの様子に呆れつつ、内心だいぶホッとしていた。いつもの人たちとの、いつもの関わり。こうしてだんだん、全てが日常に戻っていくんだろうと思えたからだ。
だけど、王都から帰って以降、ルルは皆に『少し大人っぽくなった。立派な役割を果たした経験が、そうさせたんだろうね』と言われていた。私からすれば、父親のことを知って、複雑な大人の世界を垣間見たことが原因だろうと思う。それを知るのは私だけのようだ。もしかしたら、友達には何か話しているのかもしれないけれど…。私は、それ以上ルルの気持ちを知るのが怖くて聞けなかった。あの子からも、何も聞かれていない。そうして私たちは、心の中に消えない何かを抱えて、いつもの生活に戻って行った。
そんな一か月後の、ある日。
今日は午後からの受付担当だった。私は午前中が終わる頃に出勤し、事務所でお昼を食べる傍ら業務の準備をしていた。
(今日はギルド長もいないし、机辺りを掃除しとこ。ほっとくとすぐ食べ物のカスだらけになって、鼠がくるんだもんな~)
そんなことを考えていると、事務所のドアがギイッと開いた。
「あれ、ロベール君。もう交代の時間だった?」
あと少しはあると思ってたんだけど。そう言っている間に、彼はドアを静かに閉めてカツカツと私のところへやってきた。
(え、なんかすごく深刻な顔してるんだけど。やだ~、また面倒案件来た?)
私が内心身構えると、彼は小さく、でも断固とした低い声で言った。
「アルテさん、裏口から逃げた方がいい」
「え?」
「今さっき、アルテ・ビヨルドソンという女を探しているという傭兵が来たんです」
「…は?」
「ビヨルドソンという家名の貴族女性に心当たりはない、と答えておいたけど、もしかしてアルテさんのことですか。彼の言う特徴…黒髪に茶の瞳が一致していました。彼は今、依頼書を書いています。知り合いじゃなければ、とりあえず逃げて家に帰ってください」
「…わ、わかった。ありがとう」
(なんで? 私は死んだことになってるのに、なんで今さら昔の家名を知ってる人が来るの?)
混乱しながら、私はできるだけ静かに席を立ち、カバンを持って裏口へ向かった。慎重にドアを開けると、出たところにクリフさんが立っていた。彼も真剣な顔をしている。
「家まで送る」
「あ、ありがとうございます」
そう言って一歩踏み出したとき、私はハッとした。
(もしかして、ラファエル?)
王都であの貴族女性にルルのことを聞いた? ―それなら、まさか。
私は前を行くクリフさんの背中に呼びかけた。
「クリフさん、ルルを迎えに行きます!」
彼はチラと私を振り返ると、再び前方へ注意を向けた。
「…まあ待て。ルルは今まだ学校だろう。学校には護衛がいるから傭兵なんかは通さない。まずはお前を家まで送って、それから俺が迎えに行く」
「…そうですね。お願いします」
周囲を警戒しながらクリフさんと一緒に家まで帰りつくと、私は慌ててルルの部屋から帽子と髪ゴムを取ってきた。
「クリフさん、ルルの髪を結んで帽子の中に入れてください」
「わかった」
家で待っている間、私は何もできず椅子に座ってジリジリとしていた。
(ラファエルが私を探してる? …ううん、自分で私を捨てたくせに、今さら探すなんてありえない。探すならルルよ。ルルが歌が上手いとわかって探しに来たのよ)
カルテヒア聖歌隊にいたことは、貴族を通して調べればすぐわかるだろう。少しでも見つかりにくいよう、ラファエルとそっくりの飴色の髪を隠してもらったけど、ルルが誘拐されたりしたらどうしよう、どうしよう。焦りと不安で泣きそうになりながら、ただただ手を握り締めることしかできないでいると、玄関のドアがノックされた。ハッと顔を上げる。
「お母さん大丈夫?!」
飛び込んできたルルに逆に飛びつき、抱きしめた。
その後、ギルド長の家で、ギルド長夫妻とロベール君も含めて今後のことを話し合うことになった。ルルは自宅でギルド長の孫のロルフ君が一緒に居てくれる。彼は今、傭兵見習いをしているから、そんな人が傍にいてくれるのは心強い。
「で、アルテ・ビヨルドソンってのはお前で良かったのか?」
「はい…」
ギルド長の問いに対し、私は俯き加減に頷いた。私を雇ってくれて以来、十二年。ギルド長は私の過去を聞かないでいてくれた。私も聞かれなかったから、話さなかった。話したくもないことだったから。私の過去の全てを知っているのはマーシャさんだけだ。…だけど、ここまで迷惑をかけてしまっては…。
「傭兵は、長身で黒の短髪、頬に傷のある眼光鋭い男でした。獣人とのハーフなのか、犬みたいな耳がついていました。静かに話したつもりですけど、事務所での話は聴かれていたかもしれません」
「まあ、隠れてもいずれはわかるだろう。アルテは顔も名前も知られてるしな」
ロベール君とギルド長が話すのを聞き、私はため息をついて口を開く。
「…相手は、私というよりルルを探してるんだと思います。たぶん、ルルの父親が」
「ああ?!なんだと?!」
「なんですって?!」
ギルド長夫妻が鬼の形相になり、私は肩をすくめて私の出自やラファエル、さらに王都や帰りの馬車でのことを話した。三人とも黙って聴いてくれ、話し終わると、奥さんが私の背中をポンポンと叩いて慰めてくれた。私は泣かないように何とか苦笑いをする。するとロベール君がひとつ息をついて、顎に手を当てた。
「そうですか…。即位式で、ルルちゃんのことを父親に知られたかもしれないんですね。でも、ルルちゃんを隠すにしても、ずっと学校や聖歌隊に行かせないわけにはいかないでしょう?」
「心配すんな、傭兵をお前とルルにつける。だが堂々としてろ。こっちは何も悪いことしてないんだからな。むしろ悪いのは、逃げた上に十年以上もお前たちをほっといた父親の方だろ」
そうだ。私だってそう思う。ただ、私にとってはそうでも、ルルにとっては…。
(…まだラファエルと決まったわけじゃない。そうじゃなければいいのに)
ルルには、『なぜかわからないけど私を探してる人がいるみたい。でも大丈夫。傭兵さんたちがお母さんもルルも守ってくれるからね』と話をした。それで納得したとは思わないけど、ルルは心配そうな顔をしつつ、何も聞いてこなかった。セシリアにも魔術具で事情を話したら、心配して防御の魔術具を二人分転送してくれた。ありがたい。
次の日から、ルルにはクリフさん、私にはハキムさんが護衛につくことになった。ちゃんと依頼の形をとっていて、依頼人はギルド長だ。ルルは念のため外出時には髪を隠し、私はいつも通りに仕事をこなしていた。最初は緊張しながら仕事をしていたけども、予想に反して、しばらくは嘘みたいに何も起こらなかった。馴染みの傭兵も気にかけてくれていたけれど、頬に傷がある傭兵は、次の日以降、みていないとのことだった。彼が出した私を探す依頼は、誰も受けておらず掲示板に貼ったまま。なんだかんだいって、皆ギルドに対して義理堅いのだ。ありがたい。
(…でも、一日で諦めたってことはないはず)
警戒を緩めないようにしつつも、日が経つにつれ、少しずつ緊張感が緩んでくるのは否めなかった。ルルも最初は表情が固かったけれど、ロルフ君やカルロ君、さらにはクリフさんから事情を聞いたカイ君までもがルルを学校や大聖堂に送り迎えするようになって、段々表情が和らいでいった。
だけど一週間後、とうとうその人は現れた。よりによって新人が受付、私がヘルプで入ろうとしていた、その時に。
傭兵ギルドの正面扉が、ゆっくりギイッと開けられる。
「アルテ。探したよ」
ビクッとして顔を上げると、傍にいた傭兵があんぐり口を開けて、彼の方を見つめていた。―ああ、そうだろう。午後の柔らかな光を背に入ってきた、その人は。
美しく波打つ薄い飴色の髪。宝石のように輝く翠の瞳。少し中性的で彫刻のように整った顔と体躯。そう、まるで天使のような。ルルが成長して、男性だったらそうなるだろうというような…
「ラファエル…」
十三年経っているのだ。あの頃二十代の青年だった彼は、三十代半ばになっているはず。年を重ねて、でもその分男らしい艶が増して…なのに若い頃の面影も十分に残した、美しい男性だった。
私は呆然と彼を見つめる。彼の翠の瞳に、まるで時が巻き戻ったような感覚に陥りそうになる。その時だった。
「…こッ…個室へどうぞ…ッ!!」
隣にいた新人エイブの声で、ハッと我に返った。彼は必死の形相で個室を指さしている。
(い、いやまあ修羅場の時はそうしろって教育したけども! これは明らかに修羅場っぽいけども!)
エイブが汗ダラダラで今にも気絶しそうな顔をしているもんだから、私も真顔で業務モードに戻れた、助かった。気が付けば、ラファエルの後ろには長身短髪、頬に傷ある傭兵が控えている。この人が先日ギルドに来た人だろう。存在だけで威圧感あるし、エイブが固まるのもわかる。
運悪く、ギルド長は役場に行って留守だった。とりあえず私はラファエルとお付きの傭兵を個室に通し、傭兵にギルド長を呼びに行ってもらった。ギルド長が着くまでに、私もなんとか心の動揺をおさめたい。私はエイブに受付用紙を個室へもっていかせ、事務所に入ってお茶をがぶがぶと飲んだ。
(落ち着け、アルテ。過去に引きずられちゃいけない。ルルを守るのよ)
少しして、ギルド長と、なぜかロベール君まで息せき切ってやってきた。私が彼らと一緒に個室に入ると、ラファエルは紅茶を優雅に飲んでいた。後ろには傭兵が立って控えている。ギルド長もロベール君も、ラファエルを見て息を飲んでいた。ルルにそっくりのラファエルをみて、驚きの顔を隠せない。それでもすぐ厳しい顔になり、席に着いた。私もひとつ深呼吸して、ラファエルの前に座る。まずギルド長が口を開いた。
「俺は傭兵ギルド長のガランドだ。アルテがこの街に来てからの雇い主で、身元引受人になってる。あんたはアルテの娘の父親と聞いてるが、ここで話をする以上、同席はさせてもらう」
「そうですか…わかりましたよ。でもそちらは? 関係ないんじゃないかな」
ラファエルがロベール君をみやったが、彼は冷静に返した。
「私は受付副主任のロベールです。主任…アルテさんのご事情も伺ってます。受付用紙は白紙のようですし、どのようなご用件かわからない以上、業務の問題になった時のために同席をさせていただきます」
するとラファエルは、肩をすくめてクスリと笑った。
「男と女の話、なんだけどね」
「…ッ…」
俯いていた私は、キッと顔を上げて目の前の男を睨む。仮にも職場で、なんてことをいうのか。そんな私の様子にはお構いなしで、ラファエルは眉を八の字にして私を見つめた。
「アルテ、今までごめんね。きっと苦労をかけたよね」
低くて甘い、男の声で私に話しかける。まるであの頃のように。
「王様の即位式に、僕のお得意様の御婦人が出ていてね。即位式でのことを教えてくれた。僕も映像を見たよ。あの女の子、僕の子だよね。名前なんていうの?」
「……」
黙って答えない私に、彼は悲しそうに視線を落として続ける。
「あの頃は僕も若くて、子どもをもつ覚悟がなかったんだ。吟遊詩人としても駆け出しだったし、動揺して、逃げ出してしまった」
そして顔を上げ、今度は柔らかい顔で笑う。彼が笑うと、周りの空気さえ輝いてみえる。ああ、どうしてこの人はこうなのだろう。
「でも今は、王都でたくさんの貴族と契約できているんだ。貴族が催す茶会やなんかに出て、歌うのさ。もう金には困らない」
…もう、困らない。…そうだ。あの頃は、困っていたんだ。だから私のお金を当てにして…。きっと彼にとって私の価値はそれだけだった。
私は俯き、膝で手を固く握り締める。だけどラファエルは気にせず言葉を続けた。
「だからさ、あの子連れて、僕と一緒に王都へ行こう? やり直そうよ、僕たち」
「…」
優しいラファエルの声に反して、その場には重い沈黙が流れる。しばらくして、私はやっと口を開いた。
「…十三年よ」
「え?」
「十三年もたって、何を今さら…っ」
私は声を荒げた。我慢できなかった。覚悟がなくて、お金がなくて私を捨てたのなら、生活が安定して覚悟ができた時点で探しに来れたはずだ。なのに今まで、全くそんな気配もなかった。私はこの男に捨てられて、家族にも見放され、死のうとさえしたのに!
「ルルが目当てなんでしょ? ルルが歌の才能に恵まれたから! 今度はあの子を金もうけの道具にでもしようっていうの?! そんなの絶対許さないから!」
「ああ、ルルって言うんだ。可愛い名前だね」
「!」
激高した私にも全く動じず、ニコリと笑う。
「ルルのためにもいいんじゃないかな。歌が好きなんだろう? 王都で刺激を受ければ、きっともっと才能が花開く。僕から貴族に紹介できるし、聖歌隊になんていなくても、独立していろんな歌が歌える。きっと素晴らしい歌手になるよ、僕の娘なんだから」
「私の娘よ!」
耐えられず立ち上がって叫ぶ。悔しくて、悔しくて涙がでそうだった。貴方にあの子の父親なんて、言う資格はない。絶対に!
私がラファエルを睨み、彼も私をじっと見つめる。緊張した空気がその場に満ちて破裂しそうになった時、ロベール君が静かに口を開いた。
「…だいたいのお話はわかりました」
ハッとして、私もラファエルも彼を振り向く。
「アルテさんも動揺されていますし、本日はこれでお引き取りください」
すると、ラファエルは彼を冷ややかにみやった。
「…君、部外者のくせに失礼じゃないかな? …まあいいけど。確かに急な話だしね」
ラファエルは再び私を見上げると、優しい声で言った。
「アルテ、少し考えてみて。僕はしばらく城下町に滞在してるから。宿は陽光亭。じゃあまたね」
「ルルに接触しないで」
立ち上がった彼へ、間髪入れずに言い放つ。
「…さらったりしないから、安心して」
ラファエルは肩をすくめ、扉へと身を翻す。私はその背中を睨み付けた。…腹が立っているのに、それなのに。その美しい髪と背中を見ていたら、だんだん悲しくなってきて涙が出そうだった。何なの。一体何なのこの気持ちは。
私が複雑な感情の波に翻弄されないよう必死で立っているのに、彼は悠々と去って行く。そして部屋を出る間際でフッと立ち止まった。
「…ああ、そうだ」
半分振り返って、私を見る。
「ルル、悲しい恋の歌とか、歌ってないかい?」
「!!」
私は驚愕に目を見開く。
ラファエルは美しい唇を大きく弧にして、部屋を出て行った。




