知らない何かを探す旅・2
出発の日。まだ夜が明けて間もない頃。私は大きなカバンを背負って、ルルと集合場所へ向かった。城門の前は、従者たちの乗る馬車や警護の兵、荷物を積み込む使用人たちでごったがえしている。
「うわあ~! きれいな馬がたくさんいる!」
眠そうにしてたのに、朝もやの中でいななく馬を見た途端、ルルは目を輝かせた。タタッと馬の方へ駆けだしたので、慌てて声をかける。
「あっ、こら! あんまり近づいたらだめよ、邪魔になるでしょ!」
「はーい」
適当な返事をして振り返りもせず駆けて行った割に、ルルは距離をとって大人しく馬を見上げている。騎乗した兵も、可愛い少女が楽しそうに馬を眺めているのをニコニコして見下ろしている。よかった、怒られなかった。私がふう、と一息ついたところで、後ろから声をかけられた。
「あれ? もしかしてアルテさん?」
「え?」
振り返ると、そこには行きつけの移動食堂の奥さん、フローラが立っていた。彼女は野菜をたくさん積んだ荷車をひいている。うわあ細い身体なのにすごいな、っと、そうじゃなくて。
「もしかしてフローラさんたちも行くの?」
近寄りながら尋ねると、彼女はうなずいた。
「今回、神官様と従者さんたちの食事責任者として、夫が雇われたんですよ。首席神官様の御指名で」
「えーっ すごいじゃない。でも確かに、移動中の料理のプロだし、ケインさんの料理美味しいもんね」
「えへへ。そう言ってもらえると嬉しいです。まあ、首席神官のシュレイン様と夫は元々ちょっとご縁もあって。あ、私も運営と給仕するんですよ」
さすがに領主夫妻のシェフは城専属で、兵士たちは領軍管理なのだそうだ。私の方も、即位式に参加するルルの付き添いで同行する事情を話すと、フローラは大きい目を輝かせて身を乗り出した。
「ええ~っ! すごいじゃないですか! 王都デビュー?!」
その声で夫のケインさんが気づいたらしい。前の荷馬車から大きな声が聴こえてきた。
「おい、フローラ何やってんだよ、早く積んでくれ」
「あ、ごめーん!! …じゃあアルテさん、また食事の時に会いましょうね!」
「あ、うん。っていうか荷車後ろから押しましょうか。重くない?」
「あ、大丈夫大丈夫、慣れてますから」
そう言ってフローラは荷車を引いて行った。…結婚前は割と大きい商店のお嬢様だったのに、逞しくなったなあ…若さかな。
(それにしても、知り合いが他にもいるっていうのは安心ね。ルルも喜ぶだろうな)
私は少しホッとして、まだ馬を熱心に見ている娘をみやった。
「じゃあルルちゃん、これ、そこの焚き火の辺りによろしくな」
「はーい!まっかせてー」
「アルテさんはあっち、お願いします」
「はいはい、了解しました」
出発してから二週間、今夜は野営だ。予想通り、フローラさんたちが一緒だと聞いて大喜びしたルルは、自ら給仕の手伝いを申し出た。始めこそ馬車から見る知らない景色に夢中だったけれど、基本はただっぴろい平原と遠くに山が見えるだけ。次第に移動に飽きてきていたのだ。それに、ケインさんが「手伝ってくれるんなら、まかないもあげるぞ」ってエサを吊るすもんだから…。食いしん坊のルルが食いつかないはずはない。
(私はどっちかいうと休んでたいんだけど、ルルをみてないわけにもいかないし)
そんなわけでルルを目の端に入れながら、私も今夜の夕食を配って歩く。
「はい、どうぞ~。今夜はこの辺りの郷土料理、猪肉の煮込みですよ」
「おお、うまそうだ。ありがとうございます」
座った人にかがんで皿を渡した後、あいたた、と腰を押さえて身を起こすと、少し離れたところに大きくて豪華な二つのテントが見えた。あれは領主夫妻と、首席神官様のテントだ。周りは大きな焚き火がたかれ、鎧姿の兵士が厳重に警護している。対してこちらの従者の方は、簡素で小さなテントが群れをなしている。でも焚き火の周りに皆が集まって、ワイワイと楽しい雰囲気だ。ルルも食事を渡したら、案の定引き留められてもてなされてるし…。あ、やだ、また何かもらってる。飴とかクッキーとかチョコとか、毎日どっかからもらってくるんだもの。あの子最高に楽しんでるわ。確かに大勢での旅は、思ったより楽しいけど。途中町の宿に泊まる時も、皆でご飯食べて、洗濯して…。
(…前に旅した時は、二人だけだったもんね…)
私はラファエルとの旅をふと思い出した。夜更けに乗った船の上。一番安い雑魚寝の客室の隅に、二人で身を寄せ合って眠って。扉から微かに漏れる光に目を覚まし、二人で見た朝陽の美しさといったら。甲板の隅、二人で小さく感嘆の声を上げて…。
(なのに)
次の瞬間思い出したのは、捨てられて帰郷するときに見た鈍色の海だった。つわりの吐き気と、楽しそうに笑う恋人たちとの差に泣いていた、あの時の気持ちも。
(…嫌だ。せっかくいい気分だったのに)
ラファエルのことを考えると、楽しい思い出の後に、すぐ苦しかったことを思い出すのだ、自分の愚かさと共に。…こういうの、いい加減どうにかしたいのにな。
「ルルちゃんのお母さん、どうかしました?」
ボーッと立っていた私をみて、女性の従者が声を駆けてきた。もしかしたら、しかめっ面でもしてたのかもしれない。私は苦笑して、チラッとテントの近くにいた馬車をみた。
「ああ、いえ、あとどのくらいで王都に着くのかと思いまして。遠出に慣れてないもので、ちょっと疲れてしまいました」
「ああ、そうですよね。でも、普通の馬車よりは楽で早かったでしょ?」
「ええ、ほんとに。さすがお城の馬車ですね」
今回使用した馬車の車輪には魔術具が使われており、普通のものより揺れが抑えられているのだ。馬も特別な魔法がかかった餌を食べているから、普通より早く、疲れずに走れる。おかげで、普通は片道ひと月半かかるのに、ひと月で着くことができるらしい。だから、あと二週間だ。
「お母さん! ケインさんがまかないくれたよ! 食べよ!」
ルルがボウルを二つ掴んで、零さないように早足でやってきた。そうね、と笑って皿を受け取り、一緒に焚き火の傍に座る。
「あと、向こうの人にもらったんだ。お母さんにも一つあげる」
ルルが宝物のように渡してきた飴を受け取り、ありがと、と言ってポケットに入れた。…そうだ。小さいことでも、旅の途中ではすごく特別に感じるものだ。
(…今回はルルとの旅、知らなかった多くの人と過ごす、楽しい旅なんだから。それがあの人との旅を全部、塗り替えてくれるかもしれないじゃない)
そう思いながら、ルルが隣で美味しそうに食べている料理を、できるだけ味わって食べた。この美味しさが、記憶にずっと残ってくれるように。
***
「うわあ!! すごい!」
(うわああ、すっごーーーーー!!)
王都の門をくぐった瞬間、ルルと私の心の声がシンクロした。即位式を四日後に控え、王都は完全にお祝いムード一色だ。至る所に国旗が掲げられ、高い建物の上から色とりどりの小さな旗がひらめき、街灯には花が飾られている。馬車で行く間にも、小さな広場があれば至る所で音楽が奏でられたり、大道芸が行われているのだ。道行く人は、屋台で買った食べ物を食べたり飲んだりしながらそれを楽しんでいる。カルテヒアでもお祭りはあるけど、全く比べ物にならないくらいの華やかさだ。
「お母さん、馬車降りちゃダメなの? 私も街を歩きたい」
窓から振り返ったルルに、隣に座っていた従者さんが笑って言った。
「ふふ、いったんお宿までいくからちょっと待ってね。たぶん夕方に少し時間があるわよ」
「やったあ、お母さん、街連れて行ってね!」
「はいはい、わかったから窓から身を乗り出すのやめなさい」
はしゃいでいる娘を嗜めつつ、私も窓からの景色に心が躍るのを止められない。さらに、馬車が宿につくと、ルルの興奮は最高潮になった。
「ここがお宿?! お城みたーい!」
各領主のもてなしは王都に館を持つ貴族たちが請け負っており、カルテヒア領はアルド伯爵という方の別邸が割り当てられたそうだ。従者も護衛の兵士も当然領主夫妻と首席神官につくので、同じ館で過ごすことになる。目をこれ以上ないくらい見開いているルルに、従者さんが笑った。同じ邸宅でも、使用人の部屋は地下なのであまり良くないらしい。そりゃそうよ。私はそう思ったけど、ルルはちょっとがっかりしたみたい。はっはっは。かわいそ可愛い。
とはいえ、使用人の部屋も平民用の少しいい宿くらいには整えられていて、私たちには十分以上だった。荷物を置いて、従者さんは領主夫妻のお世話に行ったけど、私たちは時間があったので街に出て、お祝いムードに満ちた王都の大通りを堪能したのだった。
次の日、ルルは即位式のリハーサルのために、シュレイン様と城へ向かった。馬車でずっと一緒だった従者さんが傍にいてくれるので、安心だ。この日のために仕立てた聖歌隊の制服を着て、少し緊張した、でも高揚した顔つきでルルは出かけていった。
(さて、私は私のすることをしなくっちゃ)
そう気合を入れて向かった、国立王都大図書館。その正面に立った私は、つい口をあんぐり開けてしまった。
「なにこれ、でか…っ」
城。もしくは要塞。国一番の図書館は、そのくらいのスケール感だった。レンクロイ王国ってこんなに知識を大事にする国だったんだあ、知らなかったあ…。圧倒されてぽかんと口をあけたまま中に入ると、さらに別の意味でびっくりした。
「えっ 本がない」
カルテヒア図書館の膨大な本棚を想像して入ったそこは、いくつかの扉の前にぽつんとアンティークの長机、その後ろに五人の受付が並んでいるだけの部屋だった。もちろん受付前に人は並んでいるのだけど、彼らは皆一様に何か用紙を持っている。あ、なるほど、傭兵ギルドみたいに依頼書書いて渡す感じね。そう思って周囲を見渡すと、依頼を書く書字台があった。そこで依頼書に『セイレーンの歌についての本』と書いて、はたと立ち止まる。
(王都にこれることとか滅多にないし、この際、調べられることは調べておかないと)
そう思い、『セイレーンと他種人との混血』『セイレーンのかかる病気とその治療法』と追加して書いた。受付の女性はそれを受け取り、何かキラキラ光る板に依頼書を載せる。すると、ふわっと光る文字が板に浮かんだ。それをみた受付がクイッと片眉を上げる。
「…多いですね。閲覧できる冊数は一回五十冊ずつですが、良いですか」
「ご、五十? え、ええ、はい、いいです。…ちなみに全部で何冊何ですか」
「四百です」
…まじですか。
渡された番号の扉を開けると、そこは広い閲覧室だった。指定された番号の机を探すと、そこには既に五十冊の本がどーんと置いてあった。読み終わったら机のボタンを押すと、次の五十冊が現れる仕組みなんだそうだ。さすが、王都の魔法技術。私は感心しながらも、目の前に積まれた大量の本をみてちょっとげんなりした。
(そもそも私、あんまり勉強好きじゃないんだったわ…)
でも、これはルルのため。ルルのためなんだから頑張れる。頑張るのよ、私!
パン、と両手で頬を叩いて気合を入れ、本に手を伸ばした。
***
『波間に浮かぶあなたの姿 もう会えないあなたの姿 もう一度会えるのなら 全てを捨ててかまわない
どうか私の傍にきて 生も死も全てを越えて 美しいものしかない世界 私のもとへ 海の王国へ』
悲恋の歌。一度だけ聴いたことのある曲。彼を初めてみた時、歌ってた。
でも、その後は一度も聴いたことがない。いくらなんでも、一度で聴いた人をずっと操り続けるなんてできるわけがない。それに、あの時はたくさんの人が聴いていた。
だから…
「あ、ほらアルテさん、ルルちゃん帰ってきたよ!」
「!」
ハッとして門の方をみると、ちょうどリハーサルから帰ってきた馬車が着いたところだった。図書館で得た溢れる情報に酔ったまま、ぼうっと過去の記憶にのまれていた私は、慌てて現実を思い出した。まず最初に馬車から降りた領主夫妻を迎えるため、頭を下げて待つ。目の前をゆったりした足取りで過ぎていく領主夫妻の服の裾が見えなくなって、館の扉がギイッと開いて閉まる音を聴いてから、頭を上げた。
「お母さん!」
途端にルルの笑顔が目に飛び込んできて、ホッとする。ルルは私の前まで駆けてくると、リハーサルがとても楽しかったと興奮して話した。各地から集められた聖歌隊員のなかには成人前の子どもも何人かいて、昼食は子どもたちで食べたらしい。神官様からもらった王国の地図を広げて、自分がどこから来たか、そこはどんなところかを互いに話して、住所を交換したそうだ。それは楽しかっただろうなあ。よかった。
「貴族のお子様はいた?」
「いたけど、優しかったよ。帰りにお花くれたの、ほら」
そう言って胸ポケットに差したピンクの花をみせる。おおっと、これは…
「…それって男の子?」
「え? うん」
「…他の女の子にもあげてた?」
「わかんないけど。なんか隠れてこっそりくれた」
「…そっかあ~。とりあえずお部屋の花瓶に差して、明日は置いていきなさいねえ~」
「? はーい」
ルルは恥じらうふうもなく返事をして、明日歌う聖歌のことを話し始めた。…この子、会う男の子皆にこういうことされるから、それが特別だってことわかんないみたいなんだよねえ~…。女の子の友達が時々言って聞かせてるみたいなんだけど、ピンと来ないらしいし…。ああ、可愛いって罪。
(でももう十二になるんだし、教養学校卒業したら婚約する子もいるんだし。普通の人間観察だけじゃなくて、そういうのも教えないといけないんだけど…)
当の私にろくな恋愛経験がないからなあ。そう思いながらルルの話に相槌を打つ。明日歌う聖歌はもちろん祝福の歌なので、明るい華やかな曲調らしい。さっき思い出したような悲恋の歌はない。よかった。まさか、図書館で調べたセイレーンの歌の中に、あの歌があるとは思わなかった。それに、今日は他にも多くの知らなかったことを知ることができた。書きとめてきた紙はおよそ二十枚になる。セイレーンと他種人の混血は意外に多く、しかしハーフの子はセイレーンの身体的特徴や能力がまだ多く残るので、差別や恐怖の対象になることが多いらしい。だから彼らは魔法などで自分の特徴を隠して生きており、配偶者にさえ出自を伝えないまま一生を終わることもあるという。病気になりにくい反面渇きには弱く、普通の人より多く水分を必要とすると…。
(…この子もけっこう、水飲む子だもんね…)
ルルはひととおりしゃべって満足したのか、ベッドに座ってうとうとしている。私がコップに水を注いで渡すと、嬉しそうに飲み干した。そのまま寝転んで寝息をたてだした娘に布団をかけて、ランプの灯りを少し落とす。
夕食まで寝かせてあげよう。どうせ明日が楽しみで、夜はあまり眠れないだろうから…。私も今日のことは一度忘れて、少し休もう。とても一日で整理できる量じゃない。心も頭も、ついてはいかない。どうせ帰りも一ヶ月かかるのだ。無理をせず、少しずつ振り返ればいい。そうしよう。
私の心にさざ波を起こす文字たちが並ぶ紙の束を紐でとめ、カバンの底にしまいこんだ。
オクトパストラベラーやってて、こっちはなかなか進みませんでした。
予定よりどんどん長くなってる…。