知らない何かを探す旅・1
(うっわー 久しぶりに来たけど、やっぱ壮観だなあ)
大きくて重厚な扉を開けると、そこは見渡す限りの本棚。私は圧倒されて、ドーム型の内部をぐるりと見回した。そう、ここは、カルテヒア領の大図書館だ。私はまっすぐ前に進んで受付カウンターへ向かう。カウンターには左右に二人の受付がいて、左は図書館利用の受付、右は学者ギルドの受付になっている。学者は知識の番人であり、学者ギルドは調査や研究を請け負うので、職場に本があるのは自然なことだ。彼らは毎日図書館に出勤し、地下の専用研究室にこもって仕事に励んでいる。私なんかは、外の光も音も入らない地下で仕事とか、辛くてとても耐えられないと思うのだけど…本があれば幸せという彼らには、静かで落ち着く最高の職場なんだそうだ。
「こんにちは」
「おや、アルテさんじゃないですか」
ギルド受付に声をかけると、本を読んでいた男の人が顔をあげた。細いふちのメガネを少し直した彼、モーリスは、不思議そうに手帳を取り出す。
「わざわざどうしたんですか? 今日、ギルド関係で何かありましたっけ」
どうやら業務連絡で来たのかと勘違いしたらしい。私は苦笑して手を振った。
「あ、いいえ。今日は依頼に来たんですよ」
「あ、そうなんですね。じゃあちょっと待ってください。…よいしょ」
モーリスは席を立って、机の下から小さなボードを取り出した。そこには、『ただいま席を外しています。ご用の方は後ろの椅子でお待ちください』と書かれている。彼はそれを机の上に置くと、受付からよいしょと出てきた。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
歩き出した彼について図書館の奥へ歩いていく。
(…相変わらず、学者ギルドの受付はのんびりしてていいなあ)
学者への依頼は役所から文書で送付されてくることが多く、民からの飛び込み依頼があまりない。だから受付の交代要員を決めていないし、しばらく席をはずしても問題ないのだ。いつも大忙しの傭兵ギルド受付とは大違いである。羨ましい。
奥の小部屋に通された私は、モーリスから依頼書を受け取って、机で用件を書き込んだ。モーリスへ渡すと、彼は意外そうに目を見開いた。
「へえ、セイレーンについての情報収集依頼ですか。なんでまたセイレーン? この辺りではあまり関わりがあると思えませんが…」
「あー、最近、異種人の人が増えているでしょ? とりあえず、受付としては全種の基本情報をまとめ直しておこうと思って…最新の情報もあるだろうし。他の種はよく来るし資料も多いんだけど、セイレーンのは少ないし見る機会もないからね。専門家にお願いしたいのよ」
「なるほど、道理ですね」
昨晩頭をひねって考えた言い訳を仕事モードでしゃべったら、モーリスはうんうんと頷いてくれた。不審に思われなかったみたいで、ホッとする。ちなみに、傭兵ギルドでそんな話はまっっったく上がっていない。自慢じゃないが、『当たって砕けろ。やってみなけりゃわからない』が傭兵ギルドの信条である。
「じゃあ、依頼費用は経費で落とします?」
「あ、いやいや、今回はあくまで私個人の依頼だから」
「真面目ですねえ、アルテさん。ギルド受付の鏡ですよ」
「アハハ…」
尊敬の目でみるモーリスに苦笑して、私は部屋を出た。
図書館の出口に向かっていると、受付の待合椅子に見慣れた顔を見つけた。
「あれ、ロベール君?」
ひとりごちた声が聴こえたようで、ふっと彼もこちらをみて、軽く目を見開く。
「偶然ね~。図書館に用事? 今日休みだったかな」
前まで歩いて行って声をかけると、彼は私を見上げて応えた。
「休みです。アルテさんこそ、調べ物でも?」
「ああ、うんまあね。ロベール君は?」
すると、彼は少し困った顔になって軽くため息をついた。
「それがですね。うちの息子が学者になりたいと言いだして」
「ええー すごいじゃない」
「すごいかどうかわかりませんが、僕の人生には縁のなかった職業だし、どうしたものかと。それで、学者になるにはどうしたらいいのか、ギルドに聞きに来たんですよ」
「なるほどねえ。さすがロベール君、いいお父さんだわ」
「それはまあ、アルテさんを見習ってますからね」
「はいはい、お上手ですね」
そんな会話を交わして、ではまたギルドで、と挨拶して別れた。最近、ロベール君と子育ての悩みを話す機会が多い気がする。まあお互い、子どもの進路を考える時期になってきたからっていうのもあるだろうけど…。なんにせよ、近くに同じ悩みを共有できる人がいるっていうのはありがたいものだ。
(しかし、これで少しはセイレーンのことがわかるといいなあ)
そう思いながら数か月を過ごしたある日。モーリスから『調査が終わった』と連絡があった。午後休みのときに大図書館へレポートを取りに行くと、受付でモーリスが申し訳なさそうな顔をしていた。
「すいません。この図書館にある関連資料は全部さらったみたいなんですけど…」
受け取ったレポートは三、四枚。思ったよりも少ない。そんなもんか…。私は内心少しガッカリしながら笑って手を振る。
「いえいえ、この広い図書館全部からなんて、ホント大変だったでしょう。ありがとうございました」
「王都の国立図書館だったらもっと詳しくわかると思うんですけどね…」
「そうなんですか」
「各領地の図書館にある資料は、魔術具で全部複写されて国立図書館に収められているんです。だから南の領地…インパネ領とかの資料には、セイレーンのことが載ってるんじゃないかと思いますね」
「そうですか…」
ゆっくり読みたかったのでいったん家に帰り、テーブルに座ってじっくりレポートの文字を追っていく。だけど書いてあるのは、生息域、身体的特徴…そんなことが多くて、唯一その歌の力に触れていたのは『海で哀れを誘う歌を歌って船員たちの思考をかき乱し、渦の中心へと船を誘い込む』ということだった。
(哀れを誘う歌…あんまり悲しい歌を歌わなきゃいいのかな?)
でも、大聖堂でも葬送曲とかを歌うこともあるかもしれないし、そういうときはメンバーから外してもらえるようスウィエル様に伝えておこう。…これ以上のことは、王都の国立図書館に行かないとわからなさそうだ。
(王都かあ、遠いなあ。片道でも馬車で一ヶ月以上かかるし、そんな休み、とれないよねえ…。王都に行く商人さんとかに頼む? それとも、魔術師ギルドから遠隔で王都の学者ギルドに頼むか…いくらかかるんだろ。高そう…)
そんなことをうだうだと考えること数か月。なんとチャンスが意外なところからやってきた。
「ええ、王都の即位式に?! うちのルルを?!」
再び呼び出された大聖堂の応接室。今度こそ何か怒られるんじゃないかと冷や汗かいて向かった私は、すっとんきょうな声を上げてルルと顔を見合わせた。向かいに座ったスウィエル様は、ニコニコして事情を説明してくれた。
四か月後、国王の退位と王太子の即位式が王都で行われることになった。即位式には、王国の各領地から領主、首席神官が出席する。それと共に、式で祝いの聖歌を合唱する聖歌隊員を、各領地から一人ずつ連れて行くことになったらしい。なんとそれにルルが選ばれたのだ。
「誰が行くかについては聖歌隊内で投票をしたのですが、ダントツでルルさんが一位だったのですよ。皆もっと自分で行きたがるかと思ったんですが、それよりルルさんを王都にお披露目したい気持ちが強いらしくて」
「えへへ。嬉しいです」
ルルは頬を染めてもじもじしている。おお、天使がもじもじしてるすごい可愛い。聖歌隊の服着てると、見かけからしてまさに天使で最高。まあうちの隊の子ですってお披露目したい気持ちもわかるわ、うんうん。私は内心鼻を高くして得意げに頷きながら、努めて冷静に娘に尋ねる。
「ルルは行きたいの?」
「うん、王都ってところに行ってみたい。いろんなところから来た人と一緒に歌うのも楽しそうだし」
無邪気に目を輝かせたルルに笑みを返した後、私は少し首を傾げてスウィエル様に向き直った。
「スウィエル様、私も娘が行きたいなら行かせてはやりたいですが…。ただ、ルルはもうすぐ十二歳と言ってもまだ未成年ですし。神官様と一緒といっても、往復だけで三か月かかる旅に一人で出すのは不安です」
「それはもちろんそうでしょう。ですから、親御さんも同行してよいと首席神官シュレイン様がおっしゃってます」
「え、私も?」
「ええ。従者の列の最後列の馬車になると思いますが…領の兵士が護衛していますからね、安全には心配ないと思いますよ。宿もお二人で一部屋になりますから、余計な出費がかかるわけでもないですし」
「そうですか…ありがとうございます。私も休みがとれればそうしたいので、職場に話してみます」
そういうわけで、私はさっそくギルド長と、受付副主任のロベール君に相談することにした。
「そりゃお前、行くしかないだろ! 王様の前で歌えるんだぞ、俺たちのルルちゃんが! こっちはどうにかするから絶対行ってこい!」
普段からルルにメロメロのギルド長はすごい勢いで身を乗り出してきた。まあそう言ってくれると思ってはいたけど、私がいなくて困るのはギルド長じゃなくて受付の皆だ。ギルド長に「ありがとうございます」と言った後、ロベール君の顔色をうかがう。
「でも、本当に大丈夫かな、ロベール君。私、全部で三か月半くらいはいないことになるんだけど」
すると、ロベール君は肩をすくめて口角を上げた。
「まあ正直大変ですけど、何とかするしかないですね。その代わり、出発までにエリーさんとマイクに難しいケースの対処方法指導して、三か月分の担当表の仮案、作っていってくれますか?」
「う、それはもちろんです…」
「あと、ギルド長。これを機に、もう一人受付雇いませんか。今のままでアルテさんが抜けたら、病欠がでたとき対応できません」
「ああ? うーん。あんまり懐寒くなるのは困るんだがなあ。うちのが機嫌悪くなるし…」
傭兵ギルドの財務は、ギルド長の奥さん…ヒルダさんが管理している。彼女は元々ギルドの受付だったので、ギルドのことをよくわかっているのだ。今までも時々新人採用お願いしていたんだけど、なんだかんだで却下されている。その辺は現実的でしっかりした人なので…。
(私もルルの子育てで散々お世話になってるから、ヒルダさんには頭上がらないんだよねえ)
そう思って肩をすくめていると、ロベール君はにっこり笑って続けた。
「今回は大丈夫ですよ。なんせルルちゃんのためですから」
「あ」
「お…」
ギルド長と私は目を丸くして彼を見つめた。そうだ。そうだった。赤ん坊の頃からルルを世話してきたヒルダさんは、当然ルルを孫同然に可愛がっている。むしろ、受付増員予算を通してもらえる、今以上の好機はないといっても過言じゃない。
「さすがロベール君、それでいこう! ギルド長、いいですか? 私も今夜、ヒルダさんに事情を話しに行きますので!」
「おお。まあ確かに、ルルの晴れ舞台のためってんならいけんだろう」
やった!私が喜びに顔を輝かせてロベール君を振り返ると、彼は一瞬フッと目元を和らげて、ニッと口端をあげた。
「じゃあアルテさん、新人採用の手続きと面談準備、お願いしますね」
「ぐ…は、はい…」
さすが頼りになる副主任…ってかもう、あなたが主任でいいと思います…。
私は感謝と共に、心の中で白旗を上げた。
***
そうして二ヶ月半後。通常の仕事に加えて後輩たちの集中指導と担当表作り、新人採用をこなした上にルルと自分の旅支度をし、ついに王都への出発の二日前となった。
「あ゛~… 何とかなったか~…」
私は三か月後の担当表の仮案を作り終え、事務所の机にばたりと突っ伏した。
「お疲れ様ですアルテさん~!」
受付が終わって終業近く、エリーが後ろから冷たいお茶を差し入れてくれた。私はお礼を言って受け取り、ごくごくと飲み干してもう一度突っ伏す。しかし、集中指導のおかげでエリーも割とどんな想定外にも対応できるようになったし、いい機会だったかもしれない。担当表作りも、結局ロベール君が半分くらいは手伝ってくれたし…。新人は傭兵の兄がいるっていう男の子を採用したけど、マイクが指導してくれた。そういうわけで、残業は毎日一時間くらいで済んでいた。皆に感謝だ。そんなことやってる間に私は三十代になったんだけど、自分の誕生日何してたか全く覚えてない。
「明日お休みで、明後日出発って言ってましたよね。旅の準備は終わったんですか?」
エリーが隣でお菓子を食べながら聞いてくる。私は顔だけ彼女の方に向けて答えた。
「うーん、まだ…。ルルの分は終わったけど、私の分は明日やるしかないかな」
ルルはこの二ヶ月、週に一度の休み以外、ほぼ毎日スウィエル様の個人指導を受けていた。歌だけではなく、もし偉い人に会った時のための受け答えの仕方とか、貴族の合唱隊員との付き合い方とか…。カルテヒアは割とのんびりしてて貴族と平民の仲は悪くないけど、他の領ではもっと殺伐とした関係のところもあるらしい。私の故郷のコルテスは…うん、まあ。それなりに平民差別はあったかな。うちは底辺貴族だったので、平民の子と普通に遊んでた。今はどうなってるか知らないけど…もう記憶の中では遥か昔だ。
「いいなあ、王都。私、隣の領地までしか行ったことないんですよね~。しかも従者さんと一緒とはいえ、領主様の旅の列に加わるなんて一生に一度ですよ~」
「うーん、よく考えたらそうよねえ。どうなるかわからないけど、とりあえず私はルルの付き添いだからね。ルルの面倒だけ見てればいいのよ」
即位式が行われる城の中までは入れないので、私は前日リハーサルが行われている間に、王立図書館に行ってセイレーンのことを少しでも調べてこようと思っている。そのために、学者ギルドからの紹介状ももらってある。
「おいアルテ! 録画の魔術具持ったか!」
ギルド長が後ろから大声だしてきた。私はつい耳を塞いで振り返る。
「はいはい、ちゃんと魔術具店で買ってきましたよ。でも直接は観れなくて、遠隔映像を間接的に撮るだけですからね」
「それでもいいから撮って来い! ルルちゃんの晴れ姿、見逃すわけにはいかねえだろ! うちのにも見せてやらねえとへそ曲げるぞ」
「おっとそれは困りますね。ちゃんと撮ってきますからご心配なく」
「アルテさん、お土産もお願いしまーす♪」
「はいはい、でも食べ物は無理よ、長旅なんだから…」
そんな会話を交わして、旅の前の最後の仕事が終わった。
そういえば、ここで働きだしてからこんなに長くギルドを離れるのは初めてだ。
(なんだかちょっと不思議な気分。第二の故郷を離れるって、こんな感じなのかな)
そんな感慨を覚えながら、ルルを迎えに大聖堂へと歩いて行った。