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天使の歌の秘密

 誕生日会から一週間後、セイラさんは故郷へと帰っていった。クリフさんは「マーシャの薬はよく効くから」と言って、彼女お手製の傷薬熱冷まし下痢止めその他をどっさり持たせたらしい。んー。まあセイラさんはできた子だから笑い飛ばしたろうけれど、相変わらず微妙にデリカシーに欠ける人だ。


 さらに一か月後、ルルは学校の紹介でカルテヒア大聖堂聖歌隊に入った。入る前には神学の筆記試験と歌の実技審査があり、ルルは筆記ギリギリ、実技満点だったらしい。喜んでいいのか微妙なとこだけど、まあいい。可愛くて歌上手くて頭まで良かったら、世の中不公平ってものだわ、うん。


 ルルは学校が終わると大聖堂に移動して練習するようになったので、友達と帰る時間がずれてしまった。夕暮れに一人で街を歩かせるのは心配なので、私が終業後に迎えに行っている。大変だけど、ルルは毎日歌えてご満悦なので、それでいい。


 そうやって、少しだけ変化した私たちの暮らし。そこへ、さらなる変化の兆しが訪れた。



「え、国王様がご退位?」

 城下町のギルド受付が集まって、三か月に一度行われている交流会。そこで聞いた話に、皆が目を丸くした。私も意外に思って、お茶を飲んでいた手を止める。教えてくれた商人ギルド受付のタリアは、皆の顔を見回しながら話を続けた。

「そう。こないだ王都から来た商人が言ってたんだけどね、半年後にご退位されるらしいわ」

「でも国王様はまだ五十代じゃない。何か御病気とか?」

 農業ギルドのマルタが聞くと、タリアはクッキーを手に取りながら答えた。

「なんかね、魔竜被害の後始末が大体終わったところでお疲れがでちゃったみたいで。一年前から議会にもほとんど出てこられなくて、王太子が代行してるって」

「ああ~ まあなあ。なんせ百年に一度のことに当たっちゃったからなあ」

 職人ギルド受付のハインリヒが気の毒そうに言う。数年前、東の国境にあるダルク山に魔竜が現れた。それを予言した聖女様の神託によって勇者と討伐隊が集められ、約五年くらいかけて討伐されたのだ。ダルク山から遠く離れたカルテヒア領にはあまり大きな影響がなかったけれど、登録していた傭兵の何人かが報酬目当てに討伐隊へ入って、亡くなったり大怪我をしたと聞いている。

 レンクロイ王国の王は代々あまり権力欲が強くなく、在位三十年くらいすると次の代に譲ってしまうことが多い。それなのに、よりによって自分の時にそんな大変なことが起こったのだから、国王様の心労も大きかっただろう。もちろん、一番大変だったのは被災者と討伐隊と、現場の役人なんだけど。

 そんなふうに思っていると、魔術師ギルド受付のシグルドが顎に手を当てて口を開いた。

「では政策にも少しずつ王太子色が出てくるんだな。なにか大きな変化があるんだろうか」

「でも、王太子様は割と大人しい方らしいじゃない。そんなに変わらないんじゃないの? 今の国王様、税金上げたりしなかったし、結構よかったから変えないで欲しいなあ」

「いや、それがさあ、王太子様が変に張り切ってるみたいで…。結構うちらにも影響ありそうなんだわ」

「ええ? どういうこと?」

「それが…」


 タリアが微妙な顔で話し出した内容。その影響は、すぐに仕事に現れた。


 ***


 数日後の傭兵ギルドの昼下がり。今日も今日とて、受付には長い列。午後から受付当番の私も、(スーパー)お仕事モードでさくさく依頼をさばいていく。

「はい、次の方どうぞ」

 前の傭兵が持ってきた依頼の契約をまとめたところで顔を上げた私は、思わず目を見開いた。

(え! さっそく来た!)

 目の前に立った女性は、人形のように整った小さな顔に、色素の薄い青の瞳。そしてその耳は、人間ではありえないほど長く尖っている。そう、エルフだ。

(ほわあああああ 本物のエルフさんだ! 超絶綺麗~~~!!!!)

 私が大興奮の心中を押し隠し、営業スマイルで「こんにちは。本日のご用は?」と言うと、彼女は淡々とした顔で口を開いた。すると。

「&%QM[]f?1&%$」

「え?」

 私も周囲の傭兵も、一瞬ぽかんという顔をした。そして彼らは『あっちゃ~ ご愁傷様』という顔で私を見た。

(えええ~? 人間の国で仕事するのに、言葉覚えてきてないのお?)

 当然の不満を即飲み込んだ私は、手をエルフの前に出すと『待ってて』とジェスチャーし、事務所へ翻訳魔術具を取りに行った。


 タリアの言っていた話はこうだ。王太子は大人しいけれど知的好奇心の旺盛な人で、人間以外の種族…エルフ、ドワーフ、獣人、その他もろもろの『異種人』の入国条件を大幅に緩和した。今まで国に居た異種人は遥か昔に人間の国へやってきた者の子孫か、異種人の中でも知識人で、人間を理解している平和的な者が多かった。でも、これからはそうでない色々な者が入ってくるだろうと。レンクロイ王国で仕事をするにあたって、一番最初に訪れるべきは各種ギルドだ。その受付である自分たちが、大変になることは間違いないだろうと…。


(話聴いてすぐ魔術具準備しといて良かったわあ。予備も追加注文しとこ)

 紐で二つのブローチをつないだような翻訳魔術具を持って受付に戻った私は、大人しく待っていたエルフに片方のブローチを渡した。私の持っている方のブローチの端についているダイヤルをまわし、エルフ語に合わせる。

『こんにちは。傭兵ギルドへようこそ。お名前は?』

 エルフは少しだけ目を細めて口を開く。

『…私は魔法使いだ。ここは魔術師ギルドではないのか』


 …こりゃ、先が思いやられるわ。


 ***


「…お母さん最近また疲れてるよね。仕事大変なの?」

「ええ、ああ、そう見える? うーんまあ、そうねええ。未知の体験が多くてねえ」

「みちのたいけん? …よくわかんない」

「…ルル、歌もいいけどちゃんと勉強もしなさいよ」

 もう日が暮れてしまった大通りを、ルルと二人で並んで歩く。最近は、大聖堂に迎えに行った帰り道、屋台で夕飯のおかずを買って帰ることが多くなった。さらには帰ってから皿に乗せるのも面倒になり、しょっちゅう食堂や屋台で食べて帰っている。今日も途中で、ルルが屋台を指さした。

「あ、お母さん。今日はあそこで麺食べて帰ろうよ」

「ん、そうねー。そうしよか」


 季節は秋のはじめ。夏の名残の空気の中、輝き始めた星の下で食事をするのは何となく心が躍る。屋台の周りに置いてある簡素なテーブルと椅子で、ズルズルと麵をすする。スープは獣の骨を煮込んだもので出汁をとっていて、クセがあるけど慣れると美味しい。

「…それでね、最近は異種人の人がよくギルドに来るのよ」

「えー、お母さんいいなあ。私も話してみたい」

 私が最近の疲れの理由を話していると、ルルは目を輝かせて乗り出してくる。

「そのうち商店街とかでみるかもしれないけど…。お話するにも、ちゃんと異種人のことを調べてからにするのよ。人間とは、考え方も行動も違う人たちなんだから。この間のエルフの人、魔術師ギルドに案内しても全然嬉しそうじゃなかったのに、別れ際にものすごく長い呪文みたいな言葉と、特大の疲労回復魔法かけてくれてね。実は相当嬉しかったみたいよ」

「良かったじゃん。でも、わかった。エルフさんは顔に出ないんだあ。帰ったら観察日記につけとくね」

 そんな話をして、しばらく麺に集中する。麺の上に乗った薄切り肉を食べていたら、再びルルが話しかけてきた。

「あ、そうだお母さん。聖歌隊の神官様が、お母さんとお話ししたいって言ってた」

「え? なんで?」

 私は顔を上げて箸を止める。毎月の寄付はちゃんとしてたと思うけど…。

「礼拝の時の服のことって言ってたよ」

「ああ、そうね。聖歌隊おそろいの衣装を作らないといけないんだったね。辞めた方のお古をいただいて、仕立て直せばいいんでしょ?」

「うん。お母さん、お裁縫苦手だけど大丈夫?」

「うぐ…が、がんばるわ」

「あはは、お母さんがんばれー」


 そんな会話をした数日後、仕事が休みの午前中、私は大聖堂に出かけて行った。聖歌隊指導をしている神官のスウィエル様が迎えてくださり、小さな客室に通される。スウィエル様は初老の男性だけど、歌の指導をしているだけあって、お声に深みと艶があって良い。とても良い。

「お母様、わざわざお越しいただいて申し訳ありませんでしたね」

「いいえ、いつも娘がお世話になってます。毎日歌えて嬉しそうにしています。ありがとうございます」

「はは、こちらこそ。ルルさんの才能には毎日驚かされていますよ」

(うんうん、そうでしょうそうでしょう)

 私が内心全力で首を上下させている間に、彼は戸棚から綺麗にたたまれた白い衣装を取り出した。

「前の隊員のお下がりで申し訳ありませんが、こちらを仕立て直してください。来月のミサではルルさんにも歌っていただきますので、それまでにお願いしますね」

「来月ですか、は、はい。わかりました」

 裁縫の手が遅い私が、はたして休みを費やすだけでできるだろうかと考えて衣装を見つめていると、コホンと言う咳払いが聴こえ、スウィエル様がお茶のカップに手を添えたのが目に入った。

「良かったらお茶をどうぞ」

「あ、すみません。いただきます」

 私が衣装をソファの脇に置いてお茶を飲んでいると、なんだか目の前のスウィエル様が何かを話したそうに私を見ているのに気づいた。今日は衣装のことで呼ばれたのだと思っていたけど、他にも何かあったんだろうか。ルル、割とのびのび育てているとはいえ、私もギルド長の奥さんも礼儀はちゃんと教えているし、聖歌隊ではお行儀良くしてると思ってたのに、何かまずいことでもしたんだろうか…?

 そう思って冷や汗をかき始めたところで、スウィエル様はやっと口を開いた。

「あの、お母様。今日はもう一つお話があって来ていただきました」

「は、はい」

「お気を悪くしないで聴いていただきたいのですが…。もしかしてルルさんには、ご血縁にセイレーンの方がいらっしゃいますか?」

「え?」

 私は全く想像していなかったことを聞かれてキョトンとした。

「セイレーンって…南の国の海に住んでいるっていう異種人ですよね? 半身半魚だっていう…」

 小さい頃、絵本で読んだことのあるその内容を思い出しながら私は話した。その南の国だって、内地にあるこの国からはものすごく遠くて、たぶん一生行かないようなところだ。当然、セイレーンなんてみたこともない。異種人として聞いてはいるけど、ほぼ御伽噺だと思っていた。

「少なくとも私の血筋にはいないと…」

 そう言った時、ハッと思考が止まった。スウィエル様が慎重に言葉を発する。

「…ではお父様は?」

「…ルルの父とは、ルルを妊娠してすぐに別れました。彼の家族のことは聞いたことがないのでわかりません。確かに歌の上手い人でしたが…。普通の人間に見えました」

「そうですか…。申し訳ありません。立ち入ったことを聞きました」

「いえ…でも、どうしてそんなことを? もしルルにセイレーンの血筋があったとして、何か問題が?」

 すると、スウィエル様はふう、と息をついてソファに背をもたせた。

「実はですね、最近、人間の神に興味を持って大聖堂を訪れる異種人の方が増えているのですが…」

「ええ…?」

 なんと、王太子の政策の影響がこんなところにも。まあ傭兵ギルドも、あれから数日に一度は異種人がやってくるようになったから、さもありなんといえばそうだけど。

「たまたま、聖歌隊の練習を奥の部屋でしていたところ、その声を聴きつけた獣人の方が神官に声をかけてこられまして」

「ああ、獣人の方って耳がいいですものね…」

 先日ギルドに来た獣人の傭兵はイヌ科の姿をしていたが、その耳の良さを生かして人探しの依頼を受けていた。人の声にも敏感なんだろう。そんなことを思いながら話の続きを聴く。

「彼は大陸の外海から船で南の国まで来たそうなのですが、海で聴いたセイレーンの声と似てる声が聴こえると。その時はちょうどルルさんに指導をしていましたので、あの子だろうと思ったのです。それでですね、その獣人の方が言うには、セイレーンはただ歌っている時は害がないのですが、ある特定の歌い方をすると、相手の思考を惑わし狂わせてしまうそうなのです」

「え…」

「どうも曲の音調によるらしいのですが、賛美歌はそうでないからいいようだと。また、成人になるにつれてその力は強くなるから気をつけないといけないと…そうおっしゃって」

「……」

「私も初めて聞いた話でどこまで本当かわからないのですが、お母様がご存じなかったらと思いまして。ルルさんの歌声はとても素晴らしいものですから、神の御心に沿う善きもののままで在れるよう、私としても気をつけてまいります」


 ***


 …ええ…? ルルが、セイレーンの血を引いてるって…? 

 …現実味がない。いやまあ、確かにただの人間とは思えないほど綺麗な声だけど…。


 私は混乱した頭を整理しようと、とりあえず近くのカフェに入った。一番奥の隅っこの席で、ボーッとお茶を飲みながらスウィエル様の話を振り返る。

(そりゃラファエルだって、この世のものとは思えないほど美しい声で、だから私だって夢中になったわけだけど…)

 だからって、半身半魚のセイレーンとは似ても似つかない、ちゃんとした人間の姿だった。まあ、子ども作ったくらいだし、身体の上から下の隅々まで見たことがあるけれど…。鱗もエラもなかったし、そんな魚みたいなとこなんて… 

「あっ!」

 思い出して、つい声を上げた。思ったより大きな声が出てしまって、周りの客がびくっとこちらを振り返る。私が「あ、すいません」と愛想笑いをすると、周りは呆れたように顔を戻した。それを確認して、改めて思い出す。…そうだ。足の指の間に、少しだけ水かきみたいな皮膚がついていた。そんなに気にするほどでもなかったから、尋ねたこともないけれど…。彼は、セイレーンと人間の間にできた子どもだったの? それとも孫? ううん、もっと昔に、セイレーンの祖先がいたんだろうか。確かに、その声も姿も、並外れて美しかったけれど…まさか異種人の血を引いていたなんて。曲の音調によっては、人を惑わせるような力を持つなんて…。ラファエルが歌っていた恋の歌や英雄たちの叙事詩には、問題の音調が含まれていたのだろうか。

 ―その時、私の脳裏にある可能性が浮かんだ。


( …まさか、私も、彼の歌の力に惑わされたの?)


 そう思った時、私の胸はとても不快になった。何だかわからない悲しみと怒りでモヤモヤし、いてもたってもいられなくなってカフェを出た。ひたすら前を睨み、家に向かって足早にガツガツと歩く。

(…嫌だ。それは、嫌だ)

 何がそんなに嫌なのかわからない。どうしてこんな気分なのかわからない。

 でも、私が当時彼の歌と存在に夢中になって身を滅ぼしたことが、セイレーンの力のせいだとは思いたくなかった。どうしても。

 バタンと家の扉を閉めて、台所で水をごくごく飲み干す。ハアッと大きく息を吐いて、やっと少し落ち着いてきた。

 …とにかく、今はラファエルや過去の自分のことを気にしている場合じゃない。大事なのはルルのこれからだ。本当にセイレーンの血を引いているかわからないけれど、ルルが安心して歌い続けられるように、セイレーンの歌や力について調べてみよう。


「うん、そうだ、よし。とりあえず昼ごはん食べて午後から仕事だ、うん!」


 あえて大きな声で言い、胸にくすぶる何かを打ち消した。

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