こうして、彼らの野望は静かに崩れ去った
帝国の未来を左右する、血縁鑑定の日を迎えた。夜半からの雨脚が、ようやく峠を越えたものの、頭上は分厚い雲におおわれていた。
「お足元に、お気をつけ下さいませ」
「わかっておる」
地下の霊廟に続く通路は、壁際の燭台がかすかに点るばかり。階下に向かう誰もが、季節外れの寒さに身を震わせていた。
「天上の女神のご加護を賜りし、我らの父祖とともに……」
鼻をつく香油の匂いに、参列者たちが顔を曇らせる。蝋燭の炎が不気味な陰影を映す中で、神官長の祈りだけが朗々と響いた。
眠気を誘う祈りの文句が途切れて、参列者のため息が一帯を包む頃、
「こちらが、先々代陛下の遺髪にございます」
修道士の一人が、筆頭公爵の元に差し出す。
「ふむ……これを」
フランツの目配せを受けて、
「しかと、承りました」
直ちに遺髪は、紋章院の文官にゆだねられた。
銀色の光をはじく皿が、エリオットの眼前に捧げられた。
「ここに、血を数滴垂らして下さいませ」
「わかった」
修道士の指示通り、エリオットは短刀で指先に傷をつける。好奇の目にさらされながら、彼は自らの血を皿の上に垂らした。
「こちらの準備は、整っております」
紋章院の文官の合図を受けて、フランツが杖を床に打ちつける。コツンと響く音に、一同が居住まいを正した。
公平を期すため、鑑定はその場で行われる。
列席者の顔を一巡りした後、
「始めよ」
フランツの号令を機に、文官は鑑定作業に入った。
文官の魔法の詠唱に呼応して、銀の皿が光を放つが、それもほんの一瞬のこと。突然、巻き起こった突風に煽られて、蝋燭の炎がかき消えた。
――バンッ!!
静寂を打ち破る轟音に釣られて、みなが一斉に後方に顔を向けた。
「殿下の御前にあるぞ」
ウルスラの前に立つ女官長を庇おうと、エリオットが颯爽と身を翻す。
「衛兵ども、何をしている」
クラレンス侯爵の怒声が飛び交う中、これに応じるべき衛兵たちが現われる気配が全くない。参列者たちが立ちすくむ一方で、鉄仮面をつけた無頼漢は、あろうことか剣の切っ先を突きつけた。
「そなたたちは逃げるのだ」
フランツの意をくみ取り、エリオットは賊を討ち取らんと討って出る。うろたえるばかりの神官長から聖杖を奪い取って。
彼が賊と打ち合う間に、フランツは女たちの退路確保に動いた。
「閣下」
「危のうございます」
フランツの頭上に、賊の凶刃が降りかかる。
「ウルスラ……なんと」
身を挺して祖父を庇った結果、ウルスラの肩口から鮮血が吹き出した。
「えっ……殿下」
床に倒れたはずのウルスラだが、衆目の前で霧散する。
「賊も消えた?」
エリオットの一撃は、的確に賊の鳩尾を打ち据えていた。手応えの余韻の残る手を、彼はまじまじと見つめる。響めき立つ傍観者たちも首を傾げつつ、互いの顔を見合わせた。
「一体、何が起きたのだ」
「殿下は何処に……」
突如、壁際の燭台が煌々と燃え上がる。あれだけ寒かった霊廟が、やわらかな陽気に包まれた。
「わたくしなら、ここにおりますわよ」
開け放ったままの扉口から、ウルスラの声が響いた。
「マクシミリアン?」
婚約者のエスコートを受けて、ウルスラは裾裳を引く。
「長きにおよぶ不在。誠に申し訳ございませんでした」
第一騎士団の正装をまとい、マクシミリアンが頭を垂れた。
「妾を忘れては困るぞ」
「女公に、まさか……」
呆気に取られながらも、フランツは片膝を折る。ヴァルブルカすら淑女の礼を執る前を、一人の修道女が過ぎ去った。
「久しぶりだなアランデル公爵。そして、神官長よ」
「ミカエラ殿下……」
思わぬ人物の到来に、クラレンス侯爵の表情が強ばった。
『帝国の白い魔女』
膨大な魔力を示す髪と瞳の色故に、ミカエラは『忌み子』の扱いを受けていた。彼女は物心つく前に『神籍』入りしたため、存在を知る王侯貴族は少なかった。
「そなたの野望は、潰えましたな」
ヴァルブルカの皮肉を受けて、クラレンス侯爵はグッと奥歯を噛みしめる。
フッとミカエラはため息交じりに、
「先々代……最初から存在しないものを」
まさかの一言をつぶやいた。
「存在しないとは?」
察しの悪い文官のオウム返しを呼び水にして、動揺の輪が一気に広がる。己の存在意義が崩れ去る恐怖におののきながら、エリオットは侯爵を見つめた。
「何を申される。エリオット殿は……」
クラレンス侯爵の言い訳を否定するべく、ミカエラは首を横にふった。
「私は長年、弟の影武者として傀儡の役目を果たして参りました。そのせいで、ヴァルブルカに苦労を強いたこと、とても心苦しく思っていましたの」
黒いベールを翻して、ヴァルブルカが前に踏み出す。
「公爵閣下のみ、ご存知だったかと……」
「先々代陛下が十歳のみぎり、長患いの果てに崩御されたと」
したり顔のフランツとは違い、神官長は視線を泳がせた。
「エリオットと申したな。そなたは、そこの不届き者に騙されておる」
「あの……」
ミカエラは、哀れむような視線をエリオットに向けて、
「まさか、白い結婚の潔斎を利用して、『ホムンクルス』を錬成するとは、思いもしませんでしたわよ」
予想だにすらしない言葉を言い放った。
「それは……」
ハッと、口をふさいだ神官長の姿に、エリオットは目を見開く。
「前宰相の悪行を引き継いで、帝国の政を操るなど許す訳に参りませんわ」
ウルスラの宣誓を聞く側で、エリオットは膝からゆっくりと崩れ落ちた。




