表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
わたしたちはまだ、言祝ぎの鐘を鳴らさずにいる  作者: 赤羽 倫果
第  三  章   すれ違う二人に、悪魔は静かに忍び寄る
30/31

亡き祖母の願いが、虚構の世界を打ち破る

 ピタリ、ピタリ……。


 しずくのこぼれ落ちる音にまぎれて、

 ――……。

 涼やかなささやきが、ウルスラの耳奥を震わせる。


「もう少しだけ……」


 時々、ほほをかすめる吐息が気に障るものの、深い微睡みから浮上する気にはなれない。



「ウルスラさまッ!! 起きて下さいませ」



 怒気を含んだ声色に、ウルスラの両まぶたが開かれた。


「やだ………わたしったら」


 三、二、一と胸の内で数えながら、ウルスラは恥じらいもなく間延びする。


「殿下ッ」

「そんなに怒らなくても……」


 あきれ顔のエルザから目をそらせば、メイドたちが燭台に火を点そうと、忙しなく駆け回る。帳のかからない窓の外は、茜色の雲がなびいていた。


 

「そう言えば」

「如何されたのですか」

「よかったわ。無事……」



 突然の目まいと耳鳴り。ウルスラは、否応なしにうずくまる。


「誰か、薬湯を用意しなさい」

 

 普段と何ら変らない、彼女たちの働きぶりを目の当たりにしながらも、ウルスラは違和感を拭えなかった。



「これを、お飲み下さいませ」



 手を伸ばそうにも、尚も続く不協和音せいで面を上げるのもままならない。こめかみを手で抑えつつ、ウルスラは首を横にふった。



「議会での聴講が終わってから……」

「急に如何されました。本日、そのような予定は組まれておりませんわ」

「そんなはずは……」



 皇宮に戻る途上の車中で、未知の襲撃を受けたはずが、どう言う訳か『なかった』ことにされている。記憶と現実の齟齬に、ウルスラは呆気に取られた。



 ――まさか……。



 ウルスラの視界に入る限り、侍女から末端のメイドに至るまで、顔ぶれが入れ替わった様子はない。うろたえてばかりの主人をよそに、エルザはメイドからドレスを受け取った。


「よもや、宰相閣下との夕食会。お忘れになられていませんわよね」


 朱色の裾裳が波打つ側で、ウルスラは息を飲み込む。



 ――わたしを『別次元』に堕とすなんて、相当な手練だわ。



 ウルスラは努めて冷静を装い、ソファから腰を上げた。


「約束まで残りは……」

「わかっています」


 定例の夕食会は、六時と定められている。置き時計の針が上下に開ききるまで、四半時もなかった。




「シュミット卿。こちらにございます」

「ご苦労」



 長い銀髪が光を弾くたび、メイドたちの感嘆の息がもれ伝う。身に覚えのない『婚約者』を横目に、ウルスラは席についた。


 髪と瞳に色の違いがあれども、養父ダヴィッドによく似たの面差しのためだろうか。イザベラを始め、みなが当たり前のように、彼をウルスラの『婚約者』として受け入れている。



 ――敵に気取られてはダメよ……。



 ぎこちない笑みを称えて、ウルスラは金色のグラスに手を伸ばした。



「気分でも優れないのかね」



 『偽りの婚約者』が、ウルスラの耳元でささやく。



「どうして……」

「お互いを気遣うくらい。当然ではないか」



 甘やかな声色に、思わず頷きそうになるが……。



 ――いいえ、違うわ。



 ウルスラの体調が優れていいない時、マクシミリアンならばさりげなく、周りの注意を自身の方に引きつける。



「貴方の目的は何かしら」

「そうだね」


 

 冷ややかな視線に囚われて、ウルスラの思考が上手く回らない。



「私の目を拒むな!! ウルスラ」



 米神が鋭利な刃物で切り刻まれるような、激しい痛みに苛まれる。ウルスラが抗う気力を失いかけた。ほんの一瞬だった。



「なんだ」



 前触れもなく、円卓に添えられた花瓶がはじけ飛ぶ。



 ――ここは、現実と迷宮の境界?



 いつの間にか、己の視界が暗闇と同化する。過ぎ行く時の流れが、感じ取られないほどに。



「あら、またいらしたのね」

「へ?」 



 ウルスラの身にまとうドレスは、馬車が襲撃された時のまま。風のさざめきと小鳥のさえずりが交差する中で、見覚えのある風景が彼女の目の前に広がっていた。




 ――ここ、アランデル公爵家の四阿よね?



 パタンと空を切る音につられて、ウルスラが顔を向ける。

「あの」

「確か、あなたとお会いするの。二度目になるわよね」

 肖像画でしか知らない、祖母が小首をかしげて言い放つ。



 彼女はおそらく、この世の存在ではない。歪んだ時空であるが故に、邂逅を果たしたはいいものの、自らの正体を打ち明けるべきか、ウルスラは思いあぐねる。


「わたしと同じ名前を付けてもらえたのでしょ」

「えっ……」


 呆然と目を見開くウルスラを余所に、祖母は詩集をベンチに置く。



「何故、それを」



 季節外れの花々が咲き誇る、中庭を見据えて、

「これも、罰なのかもしれない」

 祖母がか細く答えた。



「お祖母さま」

「彼らに許しを与えても、いい頃合いかなと」



 祖母の幼少期は、決して恵まれたものではない。父王に疎まれたばかりか、故国で交わした婚約も一方的に破棄されたと、ウルスラはフランツから聞いている。


「フロワサールの草民に恨みはないから、彼らの暮らしが立ち行かない真似だけはしたくなかった。決して嘘ではなくてよ」

「はい」


 旧フロワサール王侯に対して、帝国内では婚姻から職業選択に至るまで、あらゆる制限を課したのも、筆頭公爵の権限でフランツが、祖母の遺言にむくいた結果にすぎない。


「あなたが大切な人を失わないように」


 祖母は手提げ袋から、愛用の小さな鏡を取り出す。彼女に促されるがまま、ウルスラはそっと覗き込む。



「マクシミリアン?」



 彼女の視線の先には、荒野を彷徨うマクシミリアンたちが映し出されていた。



「フランツに伝えて。これ以上の復讐は望んでいないと……」



 言づてが余韻を残す中で、祖母の姿が木漏れ日とともに消え去る。



 ――リンゴンリーン……。



 三日月が浮かぶ夜空の下、何処からともなく教会の鐘が鳴り響いた。





「ウルスラか?」



 松明の炎が、群れを成してゆらめく。黒い影がゆっくりと、ウルスラの方へやって来た。



「戻れたのか? オレたちは」



 一斉にわき起こる歓声に臆することなく、

「マクシミリアン」

 ウルスラは、差し出された手を求めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ