誰が敵で味方かわからなくとも、わたしは進むべき道を迷わない。
お待たせしました。
サロンの外は、濃い霧が立ち込めている。白いクロスが二人を引き裂いている訳でもないのに、ありきたりな挨拶以外、会話が全くない。近頃、すれ違い気味の二人を取り持つべく、用意された会食にも関わらず、食器の擦れる音だけが虚しく響いていた。
「最低、十日はかかるだろうな……」
婚約者の素っ気ないまでのつぶやきに、ウルスラは伏目がちに面を上げる。
普段と違う、彼女の眼差しに気づくことなく、
「使節団の移動期間も含めると、それ以上かかるかもしれない」
マクシミリアンは淡々と言い放った。
政情の安定しない、共和国使節団の護衛ともなれば、文官たちとの折衝も一筋縄ではないはず。苦境に立つ婚約者を労うべきなのに、相応しい言葉が上手く見繕えない。
「そうなのね……」
変わり映えのない返事しか出来ず、己の不甲斐なさを持て余すように、ウルスラは苦味の濃い紅茶を飲み干す。彼女の手放したカップから、か細いゆらめきが立ち上った。
二人の間を引き離すような、沈黙にも飽きた頃、
「二人で休暇を取ろう。半日でもいいから」
婚約者からもたらされた提案に対して、ウルスラは両目を見開いた。
「あの……マックス?」
「どうだろうか」
「そうね……」
新たに注がれた紅茶を見つめて、
「市中のバザーで買い物はダメかしら」
ウルスラの口から、身分にあるまじきわがままがこぼれ落ちた。
イザベラやエルザがこの場にいたなら、咳払いだけですまない事態に、マクシミリアンの眉間にシワが寄る。
わざとらしいため息とともに、
「警備の手配が難しいだろうが、善処する」
口角を上げて、ウルスラの要求に答えた。
ささいな歩み寄りに、ウルスラは希望を見いだす。好物のゆで卵のピクルスをつまみ取り、口いっぱいに頬張るが……。
――えっ……味が全くないのはなぜ。
咀嚼すればするほど、ウルスラの味覚が消え失せる。そればかりか、嗅覚を含めた五感の全てが、数回の瞬きと同時に虚無と化していた。
「わたしは……」
暗闇の渦から脱したウルスラの視線の先には、見慣れた帳が垂れ下がっていた。
「お目覚めになりましたか」
「オールセン夫人……」
イザベラの呼びかけに応じようと、ウルスラは首だけを傾ける。青ざめた表情の相手が、安堵の息を忍ばせる。
「わたしったら……」
「無理をなされてはいけません」
婚約者の安否を憂う暇もなく、降ってわいた災難に、ウルスラの体は限界に達したのだろう。思いの外、こめかみが激しく脈を打つ。
「驚くのも無理はありません」
イザベラのなぐさめに、ウルスラは黙り込んだ。
マクシミリアンの音信が途絶えた直後、計ったように現われた帝位請求者。誰が見ても、偶然などあり得ないだろう。
「女官長。よろしいでしょうか」
席を立ったイザベラの元に、侍女の一人が耳打ちする。
「ラヴィリエ公爵夫人の見舞いですって」
予定外の出来事に、みなの緊張が高まる最中、
「支度を急ぎなさい」
目まいに耐えて、ウルスラはベッドから起き上がる。
硬直したまま立ち尽くすばかりの侍女を余所に、イザベラがよろめくウルスラの体を支える。
「すぐ、準備に取りかかりなさい」
「承知いたしました」
イザベラの一声とともに、侍女たちが持ち場に向かう。
知恵者の公爵夫人が、相手方の『間者』とも限らない。脳裏を過る疑念をふり払おうと、ウルスラは一歩を踏み出した。
喪に服す公爵夫人に合わせて、ウルスラは色味の抑えたドレスをまとう。夫人の来訪を告げる文官の背中を見送り、彼女は背筋を伸ばした。
「皇太女殿下に、ご挨拶申し上げます」
ヴァルブルカの威厳に満ちた礼に、側に控える侍女たちが身を強ばらせる。帝室から退いた身の上なれども、彼女の影響力は決してあなどれたものではない。
「堅苦しい挨拶はほどほどに。そちらの席に座りなさい」
女官長の目配せ通りに、執事が椅子を引く。メイドたちの所作に目を光らせながら、ウルスラは主人らしくあろうと身を引き締めた。
「実は、先々帝が身罷り、三年が経ちました」
先手を打つような、ヴァルブルカの発した言葉に、ウルスラは思い巡らせる。
――そう言えば、皇帝の死後三年の後に。
帝室総出で霊廟を拝殿しなければならないと、法典にも明記されている。
こちらの虚を突く、ヴァルブルカの物言いに、みなが感嘆の息をもらした。
――確か、皇帝の霊廟には遺髪が納められているはず……。
隣に立つイザベラも同じことを思い至ったのか、
「左様にございました」
相手に気取られない返事をつむいだ。
「実はね」
「如何なさいました」
優美な所作で紅茶をたしなみながら、
「例の件について、議会から当家にも問い合わせがありましたのよ」
客人の物言いに、ウルスラはイザベラの方を見やる。
「先々帝陛下の霊廟の鍵は、わたくしが預かっていますので」
帝位の系譜が変るため、直系の存在しない霊廟は捨て置かれるのも珍しくない。公爵家と直接の血縁がなくとも、縁づいた相手を無碍に扱いたくないのだろう。先々帝の霊廟は、ラヴィリエ公爵家の管理下にあった。
「議会主導の血縁鑑定が、公平に行われる保証をお考えですの」
「なんと……」
ヴァルブルカの懸念はもっともだが、穿った見方をすると、彼女も何かしらの意図をもって、鑑定の不正をウルスラにそそのかしているのではないだろうか。例え相手の申し出が、善意によるものだとしても。
「ならば、神殿の長老方も同席の上、霊廟にて鑑定を行えばよろしいのではないでしょうか」
「あら、少しは駆け引きを覚えられたのね」
「はい。わたしには成し遂げなければならない、責務がございますので」
ヴァルブルカの冷やかしに臆することなく、ウルスラは帝位にあるべき者として答えた。
引き続き、よろしくお願いいたします。




