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わたしたちはまだ、言祝ぎの鐘を鳴らさずにいる  作者: 赤羽 倫果
第  三  章   すれ違う二人に、悪魔は静かに忍び寄る
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誰が敵で味方かわからなくとも、わたしは進むべき道を迷わない。

お待たせしました。

 サロンの外は、濃い霧が立ち込めている。白いクロスが二人を引き裂いている訳でもないのに、ありきたりな挨拶以外、会話が全くない。近頃、すれ違い気味の二人を取り持つべく、用意された会食にも関わらず、食器の擦れる音だけが虚しく響いていた。



「最低、十日はかかるだろうな……」



 婚約者の素っ気ないまでのつぶやきに、ウルスラは伏目がちに面を上げる。


 普段と違う、彼女の眼差しに気づくことなく、

「使節団の移動期間も含めると、それ以上かかるかもしれない」

 マクシミリアンは淡々と言い放った。


 政情の安定しない、共和国使節団の護衛ともなれば、文官たちとの折衝も一筋縄ではないはず。苦境に立つ婚約者を労うべきなのに、相応しい言葉が上手く見繕えない。



「そうなのね……」



 変わり映えのない返事しか出来ず、己の不甲斐なさを持て余すように、ウルスラは苦味の濃い紅茶を飲み干す。彼女の手放したカップから、か細いゆらめきが立ち上った。


 二人の間を引き離すような、沈黙にも飽きた頃、

「二人で休暇を取ろう。半日でもいいから」

 婚約者からもたらされた提案に対して、ウルスラは両目を見開いた。



「あの……マックス?」

「どうだろうか」

「そうね……」



 新たに注がれた紅茶を見つめて、

「市中のバザーで買い物はダメかしら」

 ウルスラの口から、身分にあるまじきわがままがこぼれ落ちた。


 イザベラやエルザがこの場にいたなら、咳払いだけですまない事態に、マクシミリアンの眉間にシワが寄る。


 わざとらしいため息とともに、

「警備の手配が難しいだろうが、善処する」

 口角を上げて、ウルスラの要求に答えた。


 ささいな歩み寄りに、ウルスラは希望を見いだす。好物のゆで卵のピクルスをつまみ取り、口いっぱいに頬張るが……。



 ――えっ……味が全くないのはなぜ。



 咀嚼すればするほど、ウルスラの味覚が消え失せる。そればかりか、嗅覚を含めた五感の全てが、数回の瞬きと同時に虚無と化していた。



「わたしは……」



 暗闇の渦から脱したウルスラの視線の先には、見慣れた帳が垂れ下がっていた。




「お目覚めになりましたか」

「オールセン夫人……」



 イザベラの呼びかけに応じようと、ウルスラは首だけを傾ける。青ざめた表情の相手が、安堵の息を忍ばせる。


「わたしったら……」

「無理をなされてはいけません」


 婚約者の安否を憂う暇もなく、降ってわいた災難に、ウルスラの体は限界に達したのだろう。思いの外、こめかみが激しく脈を打つ。


「驚くのも無理はありません」


 イザベラのなぐさめに、ウルスラは黙り込んだ。



 マクシミリアンの音信が途絶えた直後、計ったように現われた帝位請求者。誰が見ても、偶然などあり得ないだろう。



「女官長。よろしいでしょうか」



 席を立ったイザベラの元に、侍女の一人が耳打ちする。



「ラヴィリエ公爵夫人の見舞いですって」



 予定外の出来事に、みなの緊張が高まる最中、

「支度を急ぎなさい」

 目まいに耐えて、ウルスラはベッドから起き上がる。



 硬直したまま立ち尽くすばかりの侍女を余所に、イザベラがよろめくウルスラの体を支える。

「すぐ、準備に取りかかりなさい」

「承知いたしました」

 イザベラの一声とともに、侍女たちが持ち場に向かう。



 知恵者の公爵夫人が、相手方の『間者』とも限らない。脳裏を過る疑念をふり払おうと、ウルスラは一歩を踏み出した。




 喪に服す公爵夫人に合わせて、ウルスラは色味の抑えたドレスをまとう。夫人の来訪を告げる文官の背中を見送り、彼女は背筋を伸ばした。



「皇太女殿下に、ご挨拶申し上げます」



 ヴァルブルカの威厳に満ちた礼に、側に控える侍女たちが身を強ばらせる。帝室から退いた身の上なれども、彼女の影響力は決してあなどれたものではない。


「堅苦しい挨拶はほどほどに。そちらの席に座りなさい」


 女官長の目配せ通りに、執事が椅子を引く。メイドたちの所作に目を光らせながら、ウルスラは主人らしくあろうと身を引き締めた。



「実は、先々帝が身罷り、三年が経ちました」



 先手を打つような、ヴァルブルカの発した言葉に、ウルスラは思い巡らせる。

 


 ――そう言えば、皇帝の死後三年の後に。



 帝室総出で霊廟を拝殿しなければならないと、法典にも明記されている。


 こちらの虚を突く、ヴァルブルカの物言いに、みなが感嘆の息をもらした。


 ――確か、皇帝の霊廟には遺髪が納められているはず……。


 隣に立つイザベラも同じことを思い至ったのか、

「左様にございました」

 相手に気取られない返事をつむいだ。


「実はね」

「如何なさいました」


 優美な所作で紅茶をたしなみながら、

「例の件について、議会から当家にも問い合わせがありましたのよ」

 客人の物言いに、ウルスラはイザベラの方を見やる。


「先々帝陛下の霊廟の鍵は、わたくしが預かっていますので」


 帝位の系譜が変るため、直系の存在しない霊廟は捨て置かれるのも珍しくない。公爵家と直接の血縁がなくとも、縁づいた相手を無碍に扱いたくないのだろう。先々帝の霊廟は、ラヴィリエ公爵家の管理下にあった。



「議会主導の血縁鑑定が、公平に行われる保証をお考えですの」

「なんと……」



 ヴァルブルカの懸念はもっともだが、穿った見方をすると、彼女も何かしらの意図をもって、鑑定の不正をウルスラにそそのかしているのではないだろうか。例え相手の申し出が、善意によるものだとしても。



「ならば、神殿の長老方も同席の上、霊廟にて鑑定を行えばよろしいのではないでしょうか」

「あら、少しは駆け引きを覚えられたのね」

「はい。わたしには成し遂げなければならない、責務がございますので」



 ヴァルブルカの冷やかしに臆することなく、ウルスラは帝位にあるべき者として答えた。

引き続き、よろしくお願いいたします。

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