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わたしたちはまだ、言祝ぎの鐘を鳴らさずにいる  作者: 赤羽 倫果
第  三  章   すれ違う二人に、悪魔は静かに忍び寄る
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謎の帝位請求者が現る

 大窓から射す日の光を受けて、緋色の絨毛が彩りを放つ。硬いソファに座ること、ものの十分も経たないのに、ウルスラの腰は痛みを覚えた。



「殿下」

「何事です」



 不躾な咳払いとともに、宮廷画家の呼び声がウルスラの耳に届く。


 そばかす顔の若い画家は、視線を泳がせて迷いつつも、

「よろしいでしょうか?」

 ウルスラに対して、『お伺い』を立てる。


 己の置かれた立場を忘れて、彼女が身を乗り出すタイミングで、

「もう少しなごやかに。その……口角を上げて下さいませ」

 蚊の鳴くような声色を使い、申し訳なさそうに訴え出た。



「そう……」



 拍子抜けしながらも、ウルスラはすました面持ちで姿勢を正す。画家の困り顔を気にも止めずに。

「ふっ……」

 口をへの字に曲げる画家を嘲うように、ウルスラの背後から侍女たちの含み笑いがさざめいた。



「それと、肩の力も抜いて下さると助かります」

「お気遣い。ご苦労」



 二人のぎこちない遣り取りに、彼女たちの笑い声が、より一層木霊する。

「気が散りますから。どうか静粛に」

 宮廷画家のたしなめに、一帯が静けさを取り戻す。思いあぐねた結果、ウルスラは要求通りに口角を押し上げた。



「う……む。やはり」



 画家の気苦労など知る由もなく、ウルスラの表情に翳りが差す。


 ――作り笑いくらい、画家が想像で描けばいいような気もするけど。違うのかしら。


 宮殿のギャラリーにある、皇族の肖像画のどれもが優美に微笑んでいるとは言え、彼らが実際にふる舞えたのか、ウルスラには想像もつかない。



「ふふ……」

「あの、お静かに」



 彼女たちの嘲笑が気に食わないのか、若い画家はため息交じりに顔を歪ませる。 ウルスラの我の強さに呆れつつ、彼は絵筆を走らせた。




「本日は、ここまでとしましょう」



 画家は一礼の後、片付けを始める。誰からともなく、開けられた大窓から風がサロン一帯を一巡する。 

 それと同時に、画家はそそくさと扉口へと去って行った。



 肖像画を残すために、時間を裂くのもばかばかしい。芸術を庇護する立場にありながら、ウルスラは胸内で毒づいてしまう。


 疲労で項垂れたウルスラの鼻先を、甘い匂いが掠めた。



「殿下。今のうちに茶菓子をどうぞ」



 エルザの声とともに、一台のワゴンが目に留まった。


「次の職務が……」

「少しの間だけですよ」


 柱時計はすでに、昼の時刻を過ぎている。一杯分の紅茶と少しばかりのクッキー。不足ないと言えば嘘になるが、責務の重圧を忘れさせてくれる、エルザの心遣いが嬉しかった。


「次の謁見の相手は?」

「女子学院の総委員長にございます」

「珍しいわね」


 小首をかしげて、ウルスラはカップをテーブルに置く。


「そろそろ、卒業シーズンなので、成績優秀者を表彰するセレモニーがございます」


 忙しさにかまける余り、ウルスラはすっかり失念していた。先年までヴァルブルカがこなしていた職務を、ウルスラが引き継いだことを。



「本年は、学院創立五十周年にございますし……」

「そうね……」 



 五十年とは短いが、帝国が女子学院創設に至った道のりは、決して平坦ではない。 

 そもそもの発端が、有事に夫の留守を預かるべき貴婦人たちが、身分の低い男たちとの姦通に走ったため。 貴族出身女性の教育を徹底した結果、彼女たちの任官増加に繋がっている。


「セレモニーまで、あと、二月もないわね」


 ウルスラは自身の経験から、卒業シーズンを想起する。


 ――教授たちの中に、わたしが創立記念祭の主宰になるなんて、誰も予想していないはず。


 皿上のクッキーを一つまみ。頬張った直後のこと。


「何事にございましょう」


 扉の外がにわかに騒がしい。エルザの発する声に、侍女たちが不安げに顔を見合わせた。




「厄介ごとが起きたぞ」

「お祖父様?」



 先触れもなく現われた、アランデル公爵の険しい表情を見て、みなの緊張が一気に高まった。

 淑女の礼を示すべく、立ち上がるウルスラを制する。


「座したままでよい」


 切れ切れの息のまま、フランツのかすれ声に違和感を覚えたのだろう。



「人払いを……」



 ウルスラは退去を命じた。


「畏まりました」


 エルザを筆頭に、侍女たちが列をなして去って行く。


 バタンと扉が閉ざされると同時に、

「よいか……マクシミリアンが行方不明になった」

 突然の凶報がもたらされた。


 不足の事態にも関わらず、ウルスラは息を喉奥に押し込む。

 フランツも孫娘の覚悟を認めて、

「もう一つよいか」

「はい」

「先々帝の隠し子が、帝位を要求しおった」

 まさかの事態を、ウルスラに突きつけた。



「あの……」



 今更ながら、ウルスラの帝位継承に横槍を入れるなど、フランツの憤慨ぶりに彼女は言葉を失う。



「先々帝と言えば……」

「どうやら、病を得る前に隠し子がいたようで、帝位請求者とは、その孫に当たるらしい」



 ――マックスが行方不明なったタイミングで、現われたと言うことは……。



 脳裏を過る疑念を払いながらも、ウルスラは冷静を保つだけで精一杯。


「よって、議会が真偽を追求しようと決めおった」

「あの……」

「あやつのことは、騎士団が総力挙げて探し出しておる」

「はい」

「今は、請求者との対峙が優先だ」


 これも、復讐のために帝位を望んだ己への、神が下した罰なのだろうか。最愛の人の無事を祈る間もなく、ウルスラは難題と向き合わなければならなかった。

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