謎の帝位請求者が現る
大窓から射す日の光を受けて、緋色の絨毛が彩りを放つ。硬いソファに座ること、ものの十分も経たないのに、ウルスラの腰は痛みを覚えた。
「殿下」
「何事です」
不躾な咳払いとともに、宮廷画家の呼び声がウルスラの耳に届く。
そばかす顔の若い画家は、視線を泳がせて迷いつつも、
「よろしいでしょうか?」
ウルスラに対して、『お伺い』を立てる。
己の置かれた立場を忘れて、彼女が身を乗り出すタイミングで、
「もう少しなごやかに。その……口角を上げて下さいませ」
蚊の鳴くような声色を使い、申し訳なさそうに訴え出た。
「そう……」
拍子抜けしながらも、ウルスラはすました面持ちで姿勢を正す。画家の困り顔を気にも止めずに。
「ふっ……」
口をへの字に曲げる画家を嘲うように、ウルスラの背後から侍女たちの含み笑いがさざめいた。
「それと、肩の力も抜いて下さると助かります」
「お気遣い。ご苦労」
二人のぎこちない遣り取りに、彼女たちの笑い声が、より一層木霊する。
「気が散りますから。どうか静粛に」
宮廷画家のたしなめに、一帯が静けさを取り戻す。思いあぐねた結果、ウルスラは要求通りに口角を押し上げた。
「う……む。やはり」
画家の気苦労など知る由もなく、ウルスラの表情に翳りが差す。
――作り笑いくらい、画家が想像で描けばいいような気もするけど。違うのかしら。
宮殿のギャラリーにある、皇族の肖像画のどれもが優美に微笑んでいるとは言え、彼らが実際にふる舞えたのか、ウルスラには想像もつかない。
「ふふ……」
「あの、お静かに」
彼女たちの嘲笑が気に食わないのか、若い画家はため息交じりに顔を歪ませる。 ウルスラの我の強さに呆れつつ、彼は絵筆を走らせた。
「本日は、ここまでとしましょう」
画家は一礼の後、片付けを始める。誰からともなく、開けられた大窓から風がサロン一帯を一巡する。
それと同時に、画家はそそくさと扉口へと去って行った。
肖像画を残すために、時間を裂くのもばかばかしい。芸術を庇護する立場にありながら、ウルスラは胸内で毒づいてしまう。
疲労で項垂れたウルスラの鼻先を、甘い匂いが掠めた。
「殿下。今のうちに茶菓子をどうぞ」
エルザの声とともに、一台のワゴンが目に留まった。
「次の職務が……」
「少しの間だけですよ」
柱時計はすでに、昼の時刻を過ぎている。一杯分の紅茶と少しばかりのクッキー。不足ないと言えば嘘になるが、責務の重圧を忘れさせてくれる、エルザの心遣いが嬉しかった。
「次の謁見の相手は?」
「女子学院の総委員長にございます」
「珍しいわね」
小首をかしげて、ウルスラはカップをテーブルに置く。
「そろそろ、卒業シーズンなので、成績優秀者を表彰するセレモニーがございます」
忙しさにかまける余り、ウルスラはすっかり失念していた。先年までヴァルブルカがこなしていた職務を、ウルスラが引き継いだことを。
「本年は、学院創立五十周年にございますし……」
「そうね……」
五十年とは短いが、帝国が女子学院創設に至った道のりは、決して平坦ではない。
そもそもの発端が、有事に夫の留守を預かるべき貴婦人たちが、身分の低い男たちとの姦通に走ったため。 貴族出身女性の教育を徹底した結果、彼女たちの任官増加に繋がっている。
「セレモニーまで、あと、二月もないわね」
ウルスラは自身の経験から、卒業シーズンを想起する。
――教授たちの中に、わたしが創立記念祭の主宰になるなんて、誰も予想していないはず。
皿上のクッキーを一つまみ。頬張った直後のこと。
「何事にございましょう」
扉の外がにわかに騒がしい。エルザの発する声に、侍女たちが不安げに顔を見合わせた。
「厄介ごとが起きたぞ」
「お祖父様?」
先触れもなく現われた、アランデル公爵の険しい表情を見て、みなの緊張が一気に高まった。
淑女の礼を示すべく、立ち上がるウルスラを制する。
「座したままでよい」
切れ切れの息のまま、フランツのかすれ声に違和感を覚えたのだろう。
「人払いを……」
ウルスラは退去を命じた。
「畏まりました」
エルザを筆頭に、侍女たちが列をなして去って行く。
バタンと扉が閉ざされると同時に、
「よいか……マクシミリアンが行方不明になった」
突然の凶報がもたらされた。
不足の事態にも関わらず、ウルスラは息を喉奥に押し込む。
フランツも孫娘の覚悟を認めて、
「もう一つよいか」
「はい」
「先々帝の隠し子が、帝位を要求しおった」
まさかの事態を、ウルスラに突きつけた。
「あの……」
今更ながら、ウルスラの帝位継承に横槍を入れるなど、フランツの憤慨ぶりに彼女は言葉を失う。
「先々帝と言えば……」
「どうやら、病を得る前に隠し子がいたようで、帝位請求者とは、その孫に当たるらしい」
――マックスが行方不明なったタイミングで、現われたと言うことは……。
脳裏を過る疑念を払いながらも、ウルスラは冷静を保つだけで精一杯。
「よって、議会が真偽を追求しようと決めおった」
「あの……」
「あやつのことは、騎士団が総力挙げて探し出しておる」
「はい」
「今は、請求者との対峙が優先だ」
これも、復讐のために帝位を望んだ己への、神が下した罰なのだろうか。最愛の人の無事を祈る間もなく、ウルスラは難題と向き合わなければならなかった。




