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わたしたちはまだ、言祝ぎの鐘を鳴らさずにいる  作者: 赤羽 倫果
第  三  章   すれ違う二人に、悪魔は静かに忍び寄る
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それでも、わたしは進まなければならない

遅くなりました。

「我々はこれにて、お暇させていただきます」

「お気をつけて下さいませ」


 紳士の礼を受けて、女官長以下が裾裳を広げる。二時間におよぶ謁見も終わり、文官たちが扉の方へ歩き出す。ホッと一息つく間すら惜しんで、ウルスラはお役御免とばかり玉座から離れた。


 

「お待ち下さいませ。ウルスラ殿下」



 イザベラのすまし声に、ウルスラの足が竦む。悲鳴にも似たエルザのお小言が続く最中、彼女の視線が退路を求めて彷徨った。


「あら、あんな所に虫がいてよ」

「なんと……」


 慌てふためく彼女たちの隙をついて、ウルスラはテラスに向かって走り出す。開け放たれた大窓をすり抜けて、彼女は日射しの照りつける庭先に降り立った。



 今日は、週に一度ある祖父との茶会。辺境伯からの陳情が長引いたせいで、約束の刻限はとっくに過ぎている。


 真っ青な空の下、噴水に虹がかかる。水しぶきにゆらめく光の弧が、ウルスラの目に飛び込んだ。

「あら……」

 ほのかに漂う甘い香りに、ウルスラの頬がゆるむ。長い裾裳を払いつつ、彼女は白い小径を駆け抜けた。




「せっかくの紅茶だ。冷めてしまうぞ」

「申し訳ございません。お祖父様」



 給仕役の執事が頭を垂れて、四阿の隅に控える。小さなテーブルには、茶菓子とカップが並んでいた。

 

「ここからの眺めは、最高だろう」


 祖父の投げかけた言葉に、ウルスラは面を上げる。彩り豊かな花が、細波のように揺れていた。


「マクシミリアンだが……」

「はい」


 カップをテーブルに置いて、ウルスラは姿勢を正す。



「今週末にも、アントウェルペンの国境に赴いてもらう」



 祖父の発した言葉に、ウルスラの目が見開かれた。


「どうした。聞いていなかったのか」

「えっ……まあ」


 ウルスラも公務に追われているとは言え、マクシミリアンとの会話もおろそかなまま。書庫での遣り取り以来、ろくに顔もあわせていなかった。


「今月の初めに決まっていたからな。てっきり伝えたと思っていたわ」


 祖父の言葉に、ウルスラはぎこちなく笑う。



 ――あの折、それを伝えるために来てくれたのだとしたら……。



 真相究明を口実に、復讐を正当化したい。私情を優先する余り、マクシミリアンの言葉に耳を傾けなかったと、今更ながらの後悔に嫌気が差す。



「まあ、そなたをアントウェルペンの国境から遠ざけたかったのだろう」

「お祖父様?」

「あそこは、『フロワサール王党派』が幅を利かせているからな」



 祖父の言葉尻にはどことなく、『旧フロワサール』に向けた侮蔑が込められている。公爵家の当主である祖父と、フロワサールの王女だった祖母の政略結婚だが、王国の財政難につけ込んで、帝国側が属国化を目論んだ結果にすぎない。


「地味のない国を維持するのは、想像以上に困難であろう」


 祖母が公爵家に嫁いだ頃合いから、王国の所有する鉱山は資源が枯渇していた。『山繭』の養蚕を生業にする土地を、祖母の持参領としてむしり取ったのも、国力の低下した王国を平定するためだと、ウルスラは聞きおよんでいる。


 謀略に長けた祖父ではなく、ウルスラが帝位に推戴された理由も、王政復古を目論む旧王党派を牽制するためだった。



「あちらに、引導を渡す日も近いだろうな」

「左様にございますか」

「ふむ」



 現大統領は『独立維持派』の指示で、政権の舵取りを担っている。旧王国時代末期以上に産業の衰退した共和国は、存亡の危機に瀕していた。



「場合によっては、番犬どもに餌をくれなければならないだろう」

「間諜を……」

「そうだ」



 当然のことながら、共和国の内情を探るための『間諜』ではない。再びの革命を扇動し、混乱に陥れた後、首都平定を名目に軍を派兵する。


 避けられない未来を想像するだけで、ウルスラの心は悲鳴を上げた。 



「辛気臭い話はお終いだ。せっかくの紅茶が不味くなる」



 示し合わせた訳でもないのに、二人同時にカップに口を添える。


「中々の美味だ。もっとも、アデルお手製の生姜の蜂蜜漬けほどではないが」


 四阿から覗く空が、にわかに曇り始める。嵐の予感を脳裏からふり払おうべく、ウルスラは菓子に手を伸ばした。




 定刻の就寝時間まで、あと三十分。寝間着姿のウルスラは、ドレッサーの扉を左右に開く。声色を抑えつつ、呪文を唱えること数十秒余り。蝋燭の灯り越しの鏡が、古代文字を映した。



「こう言う時、魔鏡って便利よね」



 皇太女の身の上と言えども、禁書の持ち出しは許されない。法を定める者が権威を盾にして、法を犯すなどあってはならないからだ。



『人造魔導具の解除術式』



 日誌後半の黒塗り部分に、ウルスラの鼓動が早鳴る。術式の完成を目前にして、日誌の書き込みは途絶えているからだ。


『解除は、人道魔導具生成から七日間が勝負』


 最後の文字はかすれて見えないほどに、書き手の苦悩と恐怖心が滲み出ている。


『ウルスラの世界樹の新芽が手に入れば……』


 その文言を最後に、次の日付から白紙が延々と続くばかり。書き手の無念を思えば、身ぶるいが止まない。



「最後のウルスラって……。フロワサール由来の名前みたいだけど……」


 国が違えば法も違うように、霊木も例に漏れない。


「死者の霊を天に導く冬の女神にちなんだ?」


 不意の打音に思わず、ウルスラは柱時計を見やる。やるせなさを胸に秘めて、ウルスラはドレッサーの扉を閉じた。



「エルザ」

「明日は定例会議がございますので」

「そうね。早めに寝るわ」


 エルザの手によって、寝台の帳が閉ざされる。最後の灯火が消えた暗闇の中、ウルスラはまぶたを閉じた。

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