貴方が、お祖父様だったのね……
ヴァルブルカたちの皇籍離脱が、議会で承認されてから三日後のこと。ようやく、ウルスラは宮殿に入城を果たす。孤児上がりの女官が、今や帝位を推戴される身となった。
「皇太女殿下こちらを」
薄紫の絹地に銀糸の刺繍を施した、ドレスを若いメイドが差し出す。
「ええ、結構よ」
数名のメイドたちが、忙しなく歩き回る姿を横目に、ウルスラの心の中でため息が尽きなかった。
「髪飾りの用意はまだなの」
「ただいま」
尊大かつ横柄だと思われようとも、上に立つ者は下々相手に気取られてならない。養父の教えを胸に、ウルスラは気高くふるまう。
しかしながら、皇族らしい所作を維持することの、なんと難しいことだろうか。
最後の茶席で見せた、ヴァルブルカの屈託ない笑みを思い浮かべるたび、己を律することの難しさを、ウルスラは思い知った。
「こちらに、目を通して下さいませ」
筆頭侍女となったエルザから、分厚い羊皮紙の束を受け取る。
――エルザがついて来てくれなかったなら、今頃、窓から身を投げていたかも。
元貴族の身分だったとは言え、一介のメイドに過ぎないエルザが、皇太女付の筆頭侍女になれたのは、まだ見ぬ祖父の計らいである。名前もろくに知らぬ人々に、傅かれる生活に慣れるまで、まだまだ時間はかかるだろうか。
気を紛らわせようと、手渡された羊皮紙の束をめくる。ふと、ある一文でウルスラは手を止めた。
――アドルフどのの『病死』の公表時期ね。
前宰相の意向もあり、アドルフは下界と遮断された宮殿で、女官を相手に子供遊びにふけっていたと、ウルスラも人づてに聞いている。権力志向の強い前宰相による洗脳教育が功を奏して、臣籍降下も難なく済むとは。なんたる皮肉な結末だろうか。
――でも、これからが大変よね。
甘やかされてばかりの子供に、自立を促すなど並大抵のことではないが、あの女傑なら必ず成し遂げるはず。ヴァルブルカの苦労が報われると願い、ウルスラは羊皮紙をめくった。
「皇太女殿下の御成にある」
左右に別れた人の列を横目に、ウルスラは緋色の絨毯を踏みしめる。帝室恒例行事の一つ、春の美術展覧会に臨んだ。
「今年のアカデミー生は、俊才揃いで何より……」
「それは、結構なことですわ」
帝国画壇の重鎮とともに、ウルスラはギャラリーを巡り歩く。
のどかな田舎の日常を描いた風景画、麗しい貴婦人を写した人物画、古の神話の一場面を切り取った叙事詩に至るまで、様々な絵画がギャラリーの壁を彩る。これに加えて、帝都新進の画壇では、凡人の理解に苦しむような『前衛的画風』の絵画も、紳士淑女の批評に晒されていた。
喪中のラヴィリエ公爵家を除いて、帝室主催の展覧会は数多の貴族でにぎわう。貴族同士の談話の輪を遠巻きにして、やつれ加減の著しい男性が目についた。
「あそこに御座しますのは……」
エルザの耳打ちに、ウルスラは黙って頷いた。
――ブルーノ辺境伯がいらっしゃると言うことは、亡骸はまだ見つからないのかしら。
あの日、見かけた男の訛りが、耳鳴りのように甦る。それをふり払うべく、ウルスラの目が反対側へと流れた。
――あちらにいらっしゃるの、お義父様とリサデル様?
年を経たとは言え、帝国屈指の美男美女の並びに、ウルスラの目は釘付けになる。愛想笑い一つ出来ないダヴィッドが、リサデルの隣では穏やかに微笑んでいたからだ。
「そくぞ、この日に間に合わせて下さいました」
公の場をわきまえず、本音をもらすとは彼女らしくない。侍女の無礼を窘めるより余裕など、今のウルスラは持ち合わせていなかった。
女官長のイザベラも、旧友の社交界復帰を喜んでいるのか、ダヴィッド伯爵夫妻との歓談に夢中な様子。先ほどの場所に視線を戻せば、辺境伯から離れた壁際には、白髪の老人が恨めしそうに、養父たちを睨みつけていた。
「お聞きになられましたか」
「ええ、テンペランス伯爵夫人の不義にございますわよね」
どこからともなく、場違いな醜聞を噂し合う声が、ウルスラの耳にも届く。
彼女の立太子に際して、帝国議会は各貴族の血族鑑定を再度行わせていた。結果、幾つかの貴族において、系図の是正が行われることに。
テンペランス伯爵家も、紋章院の介入で是正した家の一つ。結局、不仲の先妻が生んだリサデルだけが、伯爵の実子だと認められたそうな。
「みなさまお静かに」
恰幅のいい老紳士が、ギャラリーに向けて静寂を取り戻すように促す。しばしの沈黙の後、それを打ち破る音が一帯を包み込んだ。
――マクシミリアン?
第二騎士団ではなく、第一騎士団の団長仕様の飾りボタンの制服をまとい、マクシミリアンはこちらにやって来る。彼の後ろには、身なりを整えた老人が続いた。
見覚えのある容貌に、ウルスラの目は大きく見開かれた。
――クロタールが何故ここに?
ザーリア伯爵家の家令の分際で、上位貴族の出で立ちとはなんたる不敬だろうか。訝しがるウルスラの予想に反して、参列者たちはうやうやしく頭を垂れる。
養父ですら同様のありさまに、ウルスラは呆気に囚われた。
――えっ? みながひれ伏すなんて……。
いつもと違う雰囲気に飲まれそうになりながらも、ウルスラは背筋を伸ばして身を正す。
「アランデル公爵閣下におかれましては」
マクシミリアンの発した言葉に、ウルスラは思わず身を乗り出す。マクシミリアンの挨拶もそこそこに、公爵は一歩二歩と彼女の座る方にやって来た。
「そなたに対して、祖父の名乗りを上げることが叶い、嬉しく思うぞ」
「お祖父様?」
想定外の出来事に、ウルスラの鼓動は激しさを増した。




