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わたしたちはまだ、言祝ぎの鐘を鳴らさずにいる  作者: 赤羽 倫果
第  一  幕   過去の『白い結婚』の因縁により、わたしたちの運命が静かに回り始める
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今日の災難は、まだ、終わりそうにもない

「今の聞いた?」

「うそよね」


 ざわめきが増す、周囲の反応をよそに、

「聞いていないのか」

 でっぷりした腹を突き出して、高慢な面持ちの彼が声高に訴える。



「コリーナ、どうしたの」


 目の前にいる彼女だけ、明らかに反応が違う。


 呆然と、遠くを見定めて、

「そんなはず、あり得ないのよ。絶対、違うから……」

 意味深な言葉をつむぎ出した。


「まさか」

「冗談じゃないわ」


 この場面に居合わせた誰もが、彼の言動に驚きを隠せない。


 ——人を外見で判断してはならない、とは言うけれど


 それは、ウルスラも理解しているつもり。行方不明の婦人の顔を知る訳でなくとも。



「妻との離縁は、ぼくの母が受け継ぐはずだった財産を、離縁時の財産分与に加えていただければ、受け入れる所存だ」

「そのように申されましても、当方で手続きを承る訳には……」



 遠くから彼らの応答を伺う限り、ここで管理する『登録肖像陶板』との『血縁鑑定』の必要性を、彼は理解していないようだ。


「かなり、厄介な案件よね」

「ところで、件の女性の肖像陶板は、うちにあるのかしら」


 騎士団総出の捜索が行われたなら、肖像陶板もそちらに移されたはず。一層のこと、近衛に話をつけて、入婿の身柄を引き取ってもらうべきか。


 ウルスラが考えを巡らせている間、事態に変化が生じる。騒ぎを聞きつけた衛兵が、尚も喚き続ける入婿の身柄を確保したからだ。



「覚えていろよっ」

「大人しくするんだ」



 受付の担当の署員も、想定外の苦行から解放されて、そそくさと己の持ち場へと戻る。すでに、部外者となったウルスラの出番はなかった。



「絶対に違うわよ」

「何が」

「だって、リサデル様と言えば、皇太后陛下と『帝国一の美女』の座を争った間柄よ」



 席について、二人は紅茶の残りを飲み干す。


「まあ、詳しいのね」

「叔母が、女子学院の同期だったから。当時のこと、色々、聞かされていたのよ」


 今は亡き皇帝が皇太子だった頃、お妃候補の一人だったと、一言を添えて。



「仮に、辺境伯が不男だとしても」



 当事者がいなくなり、コリーナの遠慮ない物言いに、ウルスラは苦笑いする。



「婦人の面影のない子供ね」



 本来の目的を、今更ながら思い出して、ウルスラは置き去りにした名簿を手繰り寄せた。




「それで、その入婿は引き下がったのかね」



 黒い駒を盤上に置く音が、コツンと響く。思いもよらない人物相手に、ウルスラの視線が空をさまよう。この国の事実上の支配者は、宰相の地位を預かる彼に相違ない。


 主人と実の姉弟だけあって、二人はよく似ていた。とらえ処のない、怜悧なアイスブルーの眼差しも、陰を帯びた低めの声色も。



「どうぞ」

「ああ」



 客人の給仕を終えたメイドの、安堵の表情に加えて、なんと足取りの軽やかなことよ。



「衛兵が来て、外に連れ出して下さいました」



 胸の内を悟られぬように、ウルスラは差し障りない言葉で答えた。


「ハハハ……。それは、災難だったな」


 南の辺境にある属州からの貢ぎ物。緑色の実を焙煎させた、黒い飲み物を宰相が喉奥へと流し込む。

 確か、『コーヒー』と言っただろうか。苦いだけの味はウルスラの好みではないが、沸き立つ湯気から漂う匂いは、心地よさを覚える。



「実は、姉上と君のお義父上から頼まれていてね」

「あの……」



 婚約の打診なのかと、ウルスラは身構える。己の出自の複雑さ故に、その手合いがこの年になるまでほとんどなかった。


「相手も、君の出生に関して好意的に捉えている」

「左様にございますか」


 帝都から離れた地方では、近年まれに見る気候不順のせいで、作物の不作が続いている。帝都のタウンハウスを手放して、社交を控える貴族も少なくない。



 幸い、ウルスラの養家のザーリア伯爵家の場合、所領が天候不順に見舞われていないため、安定した領地経営に預かっている。おかげで、豊富な資産に恵まれていた。



 つまり、宰相の言葉の裏を読み取るならば、こちらの持参金目当ての縁談と言ったところだろうか。



 ——宰相の肝入りとなると、厄介でしかないのだけど……。



 目の前で次の一手を待ち構える相手に、こちらの本音を悟らせてはならない。ウルスラはやるせなさを抱えたまま、白い駒をそっと突き立てた。




「足元に、気をつけて下さいませ」

「ええ」



 御者の手を借りて、ウルスラは皇太后宮の所有の馬車に乗り込む。扉が閉まるまでの間、己を偽るように姿勢を正さなければならない。


 ——いつまで、かかるのかしら。


 ようやく扉が閉まり、ウルスラは重い息を一気に吐き出す。体をほぐしたついでにと、目をやった帳の隙間に映る空は、朱色から藍色に変わろうとしていた。



「あのキツネ目ったら、絶対、わざと負けたのよ」



 肩を回しながら、御者に届かない小声で、ウルスラは勝つつもりのなかった勝負を思い出し、尚も愚痴をこぼす。空しいだけの行為に、彼女が抱える嫌悪感は消えそうになかった。


 夕闇が刻一刻と迫る中で、宮殿を囲む城壁の門扉も完全に閉ざされる。ここでまごつく猶予は、あまり残されていない。




 御者の放った鞭が、乾いた音を上げて空を裂く。けたたましい嘶きの後、馬たちは蹄を蹴り上げた。


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