それが、出火の引き金になろうとは……
残虐な場面を、連想させるシーンがあります。
ご注意下さい。
受け取った便箋の裏側には、『アメリア=ネッカ』の記名がある。
「彼女が『リア』ね」
「女官長どの」
ウルスラは手にした物を、エルザに向ける。同時に彼女は、二人の元に馳せ参じた。
「母上から、興味深いことを聞いたんだ」
「リサデル様から?」
「この方が件の……」
「どうした」
エルザの説明に、マクシミリアンは合点した様子で頷いた。
「女性は元子爵令嬢だ。なんでも、学院卒業と前後して実家が破産したため、帝都から夜逃げしたらしい」
日記の内容とほぼ違いはない。事後の調査で該当者が見つからない理由も、実家の破産により貴族籍を失ったからだ。
「まず、これを読んでくれ」
ウルスラは隅から隅まで、手紙を丹念に読み込む。リサデルに宛てた手紙には、今までの苦労話が報われて、スヴェン侯爵家の紹介により、職を得られることへの安堵が綴られていた。
――希望に満ちた内容に反して、文字が微妙に歪んでいるような?
不意にわき起こる疑問。それを口にしないまま、手紙をマクシミリアンに返す。二通目は彼に促されて、ウルスラが直接中身を取り出した。
「これは、おかしくないか」
先に中身を改めていただろう、マクシミリアンの口から疑問の声がこぼれる。母からリサデルに宛てた手紙には、寄る辺のないアメリアたちを匿って欲しいと、切実に訴える内容だった。
「この二通だが、君が最初に読んだやつは、事件の起こる三日前に、母上が受け取っていたんだ」
問題は二通目の方だ。事件から一週間後、リサデルの元に届けられたそうで。
「一通目は、誰かに指図された内容ってところかしら」
「そうだろう」
――母は、彼女がウソの手紙を、何者かの命令で書いていたと察していた。だから、リサデルッ様の隠遁先に、母子を逃がそうとしたのね。
敷地内を一巡りした後、三人は館の出火付近に踏み込む。かつて、家族が食事を囲んだ場所だった。
「ウルスラ?」
全ての音が閉ざされると同時に、彼女の意識は時空の歪みを越えた。
見たことのない食堂の片隅に、いつの間にかウルスラは一人きりで立ち尽くす。
――バタン……。
食堂のテーブルの席に目を向ければ、老夫婦が仲よさそうに腰を下ろす。肖像陶板でしか知らない、祖父母の姿にウルスラは息を飲み込んだ。
――ギギギィ……。
再び開けられた扉の方から、真新しい服をまとう子供がやって来る。少し遅れて来た母親の顔は、まるで死人のように青ざめていた。
母と子の表情の違いに、ウルスラの背筋を嫌な汗が流れる。
『神と聖霊の祝福に感謝します……』
祖父の祈りを聞くように。テーブルに並んだご馳走を前にして、落ち着きのない我が子を母が窘める。彼女がおもむろに、我が子の背中を二度ばかり。軽く叩いた直後だった。
閃光と共に立ち上る火柱。天井を突き破る炎の渦。仰ぎ見るウルスラに向かい、赤い悪魔が雄叫びを上げて降りかかる。
「ウソでしょ」
両手で顔を抱えてしゃがみ込む。ウルスラの頭上から、マクシミリアンの呼び声がとどろいた。
「一体、どうしたんだ」
「しっかり、なさいませ」
エルザに抱えられて、どうにかウルスラは身を起こす。
「あれは、犬ではないのよ」
「何? まさか……」
男のマクシミリアンですら、口にするのもおぞましい事実。母子は何者かによって、『人造魔導具』に改造されていた。
「お……お待ち下さい。そんな、母親が」
母親が我が子に対して、愛情を示す仕草が『引き金』だったなど、誰が信じるだろうか。
「あり得るのかもしれない」
「えっ……」
マクシミリアンの何気ない一言に、二人は呆気に捕らわれる。
「母上は一度、アメリアどのの行き先を耳にしたことがあるそうだ。隣国の王都にある、質の悪い娼館に落とされたと……」
「あっ……それでは」
「子供はその折りの?」
父親不詳の子供を一人で育てる、理不尽に晒されていたならば、『邪法の引き金役』に我が子を差し出す可能性は、十分に考えられる。
「そんな……」
涙ぐむウルスラの予想を、悪い意味で裏切るように、
「例え金持ちに身請けされたとしても、娼婦とその子供の末路はよくないと、昔から相場が決まっている」
マクシミリアンはかすれ声を、しぼり出すように答えた。
鐘の音を数えるまでもなく、朝は果てしなく遠い。狭い部屋に並ぶベッドの隣では、エルザの寝息がかすかに聞こえた。
「お嬢様」
「わたし……」
おぞましい過去を垣間見たせいで、食欲がほとんどない。せっかく、エルザが用意してくれた麦粥も、手つかずに残してしまう。
侯爵家の大規模火災の謎。まさか、『人造魔導具』を使った遠隔操作だったとは。
――あれ、今では使うことの出来ない。邪法の筈なのよ……。
『宮廷魔術師』の試験でも、邪法の存在が消された背景しか、ウルスラは把握していない。何せ、『帝国法典』で禁止されてから、五百年以上は経過しているためだ。
――古の邪法の使い手……強敵だわ。
「シャルロッテ様?」
不意をつく寝言に、ウルスラは寝返りを打つ。エルザは夢の世界の母と会って、何を語らっているのだろうか。
『明日にでも、公爵家別荘に向かおう』
日が昇りきらないうちに、ラヴィリエ公爵家の別荘に赴かなければならない。
「皇太后陛下は、このことをご存知なのかしら」
主人が黒幕でないように、ウルスラは心から願った。