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わたしたちはまだ、言祝ぎの鐘を鳴らさずにいる  作者: 赤羽 倫果
第  二  幕   因果の糸は、未来にも続くのか、それとも……
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騒動から一夜が明けて、思わぬ喜劇が幕を開ける

 粗末な孤児院の食堂で、塩っ気のない冷めたスープを、ひたすら喉奥に流し込む。周囲の喧騒をよそに、淡々と手をうごかしながら。



「ウルスラ」


 

 不意に名を呼ばれて、ウルスラは面を上げる。


 泣きわめく子供たちの間を掻き分けて、表情の乏しい男性が、こっちにやって来る。養父との初対面こそ、ウルスラが覚えている、一番古い記憶だった。



 養父と交友のある貴族の家名を、ある程度把握するウルスラでさえ、『スヴェン侯爵家』の名は一度も聞いたことはない。己の出生の糸口を掴みかけたはいいが、もつれた糸は簡単に解けそうになかった。


 ベッドで寝返りを打つ。無為な時間だけが過ぎ去る。そんな眠れない夜も、突然の来訪者によって、呆気なく終わりを迎えた。




「本当にわたしの客人なの? お義父様ではなくて」

「左様にございます。さあ、早く支度なさいませ」



 メイド長が嘘をつくとは思えず、ウルスラは渋々、ベッドから足を下ろす。若いメイドたちによって、有無を言わさず、夜着を剥ぎ取られた。



「こちらのお召し物を」

「ええ」



 彼女たちの成すがまま、ウルスラは黙って身をゆだねる。人前に出ても恥ずかしくないと、したり顔のメイド長が呼鈴を鳴らすまで、彼女の機嫌は優れなかった。



 ――お相手は誰かしら。



 ドレスの裾をたくし上げて、回廊から大階段をぐるりと回る。手すり越しから眼下を覗き込めば、ロビーの隅で見知らぬ男性が頭を垂れていた。




「御用向きは何かしら」

「某、内務省秘書官の……」



 慇懃な挨拶はほどほどに、秘書官は携えた鞄の中身をあさり始める。公僕にあるまじき、要領の悪さに若い執事が空目した。


 この期におよんでの無作法に、ウルスラは見て見ぬふりしか出来ない。


 ――この御仁。自称文官ではないよね。


 身なりはほどほど整っているが、身分詐称の可能性は拭えない。ようやく、目当ての物が見つかったのか、秘書官は薄ら笑いでその場をごまかした。



「悪いけど、もう一度だけおっしゃって下さるかしら」



 ウルスラの問いかけに、秘書官の視線が泳ぎ出す。



 取りつくろうように、咳払い一つこぼして、

「女官長どの。これは、皇帝陛下からの勅命である」

 再度、広げ直した親書を、ウルスラの眼前に差し出した。



 ――生真面目だけが取り柄だから、『親書』の真偽も判別出来ないのよね。



 さえない風貌の文官の顔を眇めながら、ウルスラは唇をきつく噛みしめる。


 ――皇帝陛下はまだ、御年五つになったばかりなのよ。



「貴殿の働きは、陛下も重々承知されており……」



 ――そうじゃなくて……。



 文官の大半がコネでの起用だとしても、これほど使えない相手に、推薦状を出せた貴族がいたのかと、ウルスラは内心、呆れてしまう。


 手にした親書が、公文書としての体裁を成しておらず、また、ニセモノを掴まされたことに気づかないなど、普通ならあり得ないからだ。



 ――でも、何だかおかしくて……。



 秘書官の道化に等しい振る舞いに対して、ウルスラはひたすら笑いを堪える。相手を傷つけないためにも、汚辱に耐える、哀れな女官であるべきだろうと、己に言い聞かせながら。



「では、これにて失礼致す」



 下世話な茶番劇の幕引きに、見送りの列に並ぶ誰もが息を吐く。タウンハウスの大扉が、執事の手で閉ざされた。



「セバスチャン?」



 一分、二分と時間が経つにつれて、取っ手に寄りかかりながら、彼の肩がにわかにふるえ始める。どうやら、自分の責務を果たした安堵から、抑えつけていた何かが外れたらしい。



「そ……よね。ふふふ……」



 ウルスラの高笑いが、ロビー全体を包み込む。


「お嬢様っ! 如何なされました」


 異変に気づいた家令の咎めが入るまで、彼女の調子の外れた裏声が響き渡った。




「それで、君は高笑いが止まらなかったのかね」



 ジャム入り紅茶の香りを堪能する隙を突くように、目の前に座る相手が口を開く。


「……」


 ウルスラは恥ずかしさの余り、黙り込むしか出来ない。約束の刻限を前に、マクシミリアンが到来するとは。


 おかげで、ウルスラのあられもない高笑いを、聞かれる羽目になったのだから。



 嫌らしくほくそ笑みながら、マクシミリアンは小皿に盛られたスコーンをかいつまんだ。



「早速だが……」

「サンダース卿」



 ソーサーからカップを持ち上げて、

「いい知らせと悪い知らせ、どちらを先に聞きたい」

 マクシミリアンは、矢継ぎ早に質問する。


 ご多分通り、ウルスラが悪い知らせを先に選べば、

「皇太后陛下の急病により、療養のためラヴィリエ公爵領の別荘に移られた」

 伏目がちの相手が言葉をつむぐ。


 突然、降ってわいたような凶報に、彼女は言葉を詰まらせる。偽の親書に記された『出仕停止』は、あながち嘘ではないらしい。



「宮殿も、あらぬ憶測が錯綜している」



 突然の『皇太后宮』の閉鎖で、多くの働き手が解雇の憂き目にあったとか。



「彼らへの給金も、先の三月分しか保障されない。当分の間、内務省は大荒れになりそうだ」

「まあ……」



 ――だからと言って、幼帝の署名入り親書を持たせるって、どうなのかしら。



 『帝国法典』に照らし合わせるならば、幼帝を立てる際に『摂政』を筆頭公爵家の当主から選ばなければならない。しかし、筆頭公爵のアランデル家当主が行方不明のため、それを置くことは叶わなかった。


 故に、親書などの公文書の署名は、皇太后と宰相の連署となっている。ウルスラが『汚辱に耐え忍ぶ』ふりして笑いを堪えたのも、秘書官が余りにも無知だったからだ。



「そうそう、いい知らせを聞いていなかったわね」


 しれっと、ウルスラは次の話題をふる。


「これだ」



 マクシミリアンが、制服のベルトに挟んだ巻物をテーブルの上に置く。巻き紐をとじた封蝋は、確かにヴァルブルカの印章だった。



「教会に出発する前に、預かっていた」

「なんですって」



 手に取った巻物を、すぐさま紐解く。広げた羊皮紙上に躍る文字列は、まさしく主人の手によるものだ。


「陛下は、幽閉されることを予測されていたのね」

「十中八九はそうだろう。まあ、キツネ目が、実姉を手にかけるとは思わないが……」


 朝食を切り上げて、ウルスラは呼鈴を手に取る。



「早速、向かうとしようか」

「そうね」



 宰相の横槍が入る前に、侯爵家を探る必要がある。お気に入りのストールを肩にかけて、ウルスラはサロンを後にした。

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