八話 メイドは良いぞ、中作。
今回は別の意味で刺激が強いです。血に弱い人は閲覧注意ですよー。特に鼻血に弱い人。
「メイドは良いぞ、中作。じゃがな、女中というのも捨てがたいのじゃ」
「……へー」
それは在りし日の一頁。まだ鈴木中作少年の祖父が存命だった頃の会話である。
「そもそもじゃな、メイドというのはあくまでメイド。基本ビジネスマンなんじゃよ。婆も多いしのぅ。しかし女中は違う! あれは最早家族と言っても良い! 良いぞー。女中は良いぞー、中作。幼い女中は国の宝じゃあ!」
「……へー」
祖父は嬉しそうに語っていた。それを孫である中作君が冷めた瞳で蔑む。そんな記憶しか中作君には残っていない。
ま、それはさておき本編といこう。この話に特別な意味はない。
◇
「あれが例の『持ち主』か。しかもホモでハゲかぁ」
「……ホモでハゲで更に妖刀使いなのだな」
「え、両刀使い? 私の聞き間違い……いえ、両刀って聞こえたもん! ぶふー」
「……ホモでハゲで更にボーダーレスかぁ」
「まだ若いのに……世も末であるな」
こちら安倍真理亜サイド。木の陰からハゲをじーっと見つめる乙女な陰陽師とスリッパ、ヤカンの三人である。真理亜ちゃんの顔は狐の面で隠れているが、その下は鮮血で大変な事になっている。具体的に説明すると、顎からポタリポタリと胸部装甲に滴っている感じである。すごい鼻血ブーである。大丈夫? あとぶふーって流行ってるの?
その姿は、どう見ても妖怪。人を食ったあとのボインな陰陽師がそこにいた。
木の陰に隠れてハゲを窺う妖怪『ボインな鼻血ブー』が、そこにいた。
式である『スリッパ』と『ヤカン』も木陰からそっと覗いて、ため息を吐く。
あれが妖刀の主。
なんとも濃ゆい。
濃ゆすぎる。
というか眩しい。
これ以上、主の性癖を刺激しないでくれ。なんでそんなに属性を盛り込んでやがるのだ。
悪メイド曇天による悪ふざけは悪ふざけとして扱われず、この場にいるもの全てに何故か『真実』として捉えられていた。
とんでもない風評被害を受けている鈴木中作ボーダーレス。
その彼は突如として銀髪のメイドを抱き締め、耳元で何かを囁き始めた。
その光景もバッチリ見ているチーム安倍デバガメーズ。三人とも驚愕し、息を飲んだ。
え、ちょっ、こんなところで!? 両刀使いにしても相手は妖怪……河童だよ!? ぶふー!
乙女である真理亜ちゃんの顎から滝のやうに血が流れゆく。
あな、すさまじき。あな、貧血になるんじゃね?
そうこうしていると、メイドが膝から崩れ落ちた。ハゲの服を掴んだまま顔が真っ赤になっている曇天である。ハゲも地に膝を着けて優しくメイドの顔に手を添える。その光景はまさに『恋人』の如し。顔が近付き吐息が掛からんばかりである。チューまで三秒。そんな光景である。
「……うわぁ。曇天が堕とされた」
「流石両刀使い。女も楽勝であるか」
きゃー! きゃー! こんなところでやっちゃうのー!? きゃー! おかあさーん! 娘は大人の階段を登っちゃいますー!
むっつり真理亜ちゃんの興奮は最高潮であった。
さて、一応ハゲサイドに話を戻そう。
何故ハゲがメイドを抱き締めて腰砕けにしているのか。なんでチュー三秒前になっておるのか。
早く鬼婆全裸添い寝事件の説明をしたいのだが、ここを避けては通れない。ハゲは後に酷い目に遭うのが確定しているので我慢してほしい。
さて。いきなり始まった『鈴木中作女殺し劇場』
これは本当に『劇場』であった。
建物サイズの狐も、怒り狂うゆるふわお姉さんも、空気になってた金髪少年も、なんならハゲに投げ落とされたお椀すらもその光景に見入っていた。
何より一番驚いていたのは当事者となった、メイドの曇天である。
ハゲの少年がいきなり自分を抱き締めて甘い言葉を耳許で囁いてきた。
優しくも力強く抱き締められた曇天は胸が高鳴る自分に気付き、大変驚いた。
しかし驚いている暇はない。次から次へと甘い言葉が彼女を襲う。聞いてるだけで赤面するような恥ずかしい台詞が止めどなく耳に注ぎ込まれるのだ。
「僕の鼓動が聞こえる? こんなにドキドキしてるのは曇天さんが可愛いからだよ」
ぐふ! やめろハゲ。その頭でそれは死ぬっ!
曇天は物理系最強の妖怪である。これは『妖怪最強』という意味ではない。勘違いされやすいが、彼女が『妖怪最強』ではないのだ。しかし『最強』の看板は背負っているのでアホみたいに強い。それは事実である。
しかし妖怪とは『不思議パワー』を操るもの達である。
それを分かりやすく説明すると……ふむ。
妖怪とは『剣と魔法の世界』に登場するキャラクターと表現するのが一番しっくりくるだろうか。
剣も使えるが魔法も使える。
物理も魔法も大丈夫。器用でしょー、えへへー。
それが妖怪だ。
だがどんな世界にも変人はいるものだ。
この『剣と魔法の世界』で剣に全てを極振りしたド変態が曇天となる。
どんな魔法も物理で蹴散らす最強の剣。それが曇天だ。鍛えてあげたその実力は、間違いなく『最強』の名に恥じぬものである。
しかしこの極振り故に、彼女には致命的な弱点がある。
物理には滅法強いが精神的な攻撃にはすこぶる弱いという弱点が。
彼女も自分の弱点を理解しているので精神的な攻撃には備えているし、鍛えてもいる。だから弱点とはいえ、そこまで致命的でもない『苦手』ぐらいに収まっているのが曇天のすごい所だろう。
『物理系最強』の看板は伊達ではないのだ。
まさに『最強』
その看板に偽り無しの曇天である。
しかしハゲは意外なところを攻めてきた。
彼女がろくに鍛えていなかった『乙女ポイント』を集中的に突いてきたのだ。それは弱いなんてレベルではない。竜の逆鱗に相当する場所だったのだ。
……逆鱗あんまり手に入らんな。
「曇天さんは柔らかくてあたたかいね。ずっとこうしていたいよ」
がはっ!
「ふふっ。曇天さんが可愛い。顔が赤くなるともっと可愛くなるんだね」
げふっ!
なんて破壊力だ……このままでは俺も危ない。思い出してるだけでこの威力。洒落にならん。
曇天も『うぶなねんね』というわけではない。『隠形』せずに外を歩けばナンパされることもしばしば。泣かした男は数知れず。それに子供もいる。十六才の娘が。
そんな彼女でも、ここまで真っ直ぐに口説かれた事はない。逃げられないように抱き締めた上で、甘い言葉の濁流に溺らされる。
彼女の心は、すぐに蕩けてしまった。何せハゲの言葉には『嘘』がない。それが分かるぐらいには曇天も年を召している。
ハゲの甘い言葉に翻弄され、気付けば膝の力が抜け、地に膝を着いていた。足腰立たないほどに攻められたのである。そして目の前には少年の顔がある。互いの熱い吐息が掛かる距離。自分を蕩かした男が優しく自分に微笑んでいる。
もう胸のドキドキが止まらない。全身が熱を帯びているのが嫌でも分かる。
これで堕ちない方がおかしい……のか?
「ふふふ。僕はホモじゃない。これで納得してもらえたかな?」
既に曇天の耳には何も聞こえない。見えるものだけで脳みそ沸騰ゴボゴボドゥボーンである。
「……ぶふー」
曇天、脳みそが鼻から出る。いや、赤いので鼻血だ。銀髪メイドがまさかの鼻血ブー。発射の勢いが強すぎて頭が仰け反り、鮮血が空へと噴き上がる。それはさながら間欠泉。
人ならばあり得ない出血量と勢いである。
銀髪メイドの鼻から噴き上がる鼻血ブーは、空を血に染め、辺りに雨のごとく降り注ぐ。
曇天さん。弱点特効プラス魅了の状態異常。しかも今なら出血付き。
効果は抜群だ!
いや、そうじゃない。普通に大惨事だ。血の噴水と血の雨が辺りを生臭い鉄の匂いに染め上げる。妖異達はこの異常事態にみんな距離を取った。側にいた、というか、目前にいたハゲは……まぁとんでもない事になっていた。
「……ふっ。また一人、無垢な乙女を射止めてしまったか」
やめろハゲ。血まみれで何を抜かすのか。
さて、ようやくである。
この『頭皮血染甘言悪人』の登場で舞台は、ようやく整うことになる。鬼婆まであと少し。
鈴木中作が酷い目に遭う為に、本当に多くの犠牲が……ん?
……上の文字列の読み方が気になるか?
『頭皮血染甘言悪人』
これは『頭の皮が、血に染まりし、甘言を弄す、悪属性の、人間に見えて人間じゃないナニカ』と読む。
もしくは『とうひけっせんかんげんあくにん』でも良い。最後に『人』という字が当てられたのは、なんの皮肉であろうか。
それはともかく。
この場に居た巨大な狐、ゆるふわお姉さん、金髪紳士、お椀、スリッパ、ヤカン。
この『人でなきもの達』は揃って驚愕していた。
あの『最強』の看板を背負う曇天が破られたのだ。それも予期せぬ攻撃で。
まさかの色仕掛けであるが、それは妖異からすると珍しい攻撃ではない。
エロを主武器にする妖異は、ことのほか多いからだ。
曇天も若い頃はエロを武器にしていた時期がある。多くの男達を誘惑し、尻こだまを抜き取りまくった魔性の河童。彼女の黒歴史というか、自慢の種でもある。その曇天が堕とされた。それも割りと正攻法で。
決して一線は越えていない。
抱き締めて言葉責めしただけで、脇腹ツンツンもしていない。媚薬も使ってない。キスもしていない。
ただ抱き締めて囁いただけ。
それはまるで『中学生のラブ』であった。
中学生が好きな人と触れあうような、そんな微笑ましくも『子供』から一歩進んだ純粋な愛の形。
それに堕とされた。
妖怪達も一目置く『物理系最強』の曇天。その『最強』の看板が『中学生のラブ』によって、あっさりと落とされたのだ。
そして鼻血ブー。
地面に膝立ちしたままで後ろに倒れそうな、でも倒れない絶妙なバランス感覚を保ちつつ、頭が背中に着くほどにグキリと仰け反り鼻血ブー。
前衛的すぎる鼻血噴水オブジェである。
笑えない。
笑いたいのに、笑えない。
常の妖怪達なら大爆笑するところだろう。お椀もスリッパもヤカンも、なんならゆるふわお姉さんも笑ってしまう事態である。
常ならば。
「……あれ? なんか僕の背中がカタカタ動いてね?」
それに一番遅く気付いたのは血まみれのハゲ、鈴木中作少年だった。
まるで祈りを捧げるかのような姿で膝を着き、首が真後ろにまで跳ね上がったまま鼻血ブーファウンテンのオブジェクトとなった銀髪メイドの曇天。
その鼻血の雨が降り注ぐ中。
妖異達は『その時が来た』事を知った。
地面に池を作りつつある曇天の鼻血。それがひとつところに集まり始めたのだ。
それも血まみれハゲの背後で。
スライムみたいにアクティブに動いているわけではない。静かに流れ集まり、それは大きな円を描いた。地面に描かれた大きな血の円だ。
それの表面が緩やかに渦を巻き始める。
それは現世と幽世を繋ぐ門。
力ある妖異の血を媒介に作られた門である。
その表面が急にピタリと静まった。鼻血の雨が降っているのに波紋すら生まれない。
そして……来た。
血の池の中からジャボンとそれが現れたのだ。
「中作ぅぅぅぅ! ぎゃぁぁぁぁ!? なにこの血の雨は!」
門からイルカよろしくジャボンと地上に出たのは女だった。和装の女。しかし外に出た途端、女の大絶叫が響き渡った。然もあらん。なんせ外は血の雨であるからな。しかも鼻血。なんか変なオブジェから止めどなく噴出し続けているし。門の血は定着しているので体に着かないが、雨は別だ。
しかし我らが変態『頭皮血染甘言悪人』は血の雨を浴びながらも涼しい顔をしていた。頭も顔も、服すらも全てが血まみれ。どう見ても大量殺人鬼です。君は本当になんなのかね。
「……あれ? なんでマンゴス姉さんが……血まみれでこんなとこに?」
背後からザパーン! と突如として現れた女にも然程驚きを見せない中作少年。だからお前は本当になんなんだ。
「あんたはなんでこんな状況で落ち着いてんのよー! このバカー!」
「ごぶるぅあ!?」
血まみれのハゲ、血まみれの和服の女に殴られた。見事な右ストレートだった。
こうして妖刀マンゴスチンの本体は幽世から現世へと解放される事になった。封印が完全に解けた形になる。妖刀としての形は現世に残したままな。
だから我らも一緒に現世に出ることになった。
……鼻血の雨が止まるまで外に出るのは待ったがな。
◇
鼻血ファウンテンの始まりから大体五分後。流石に噴水のような鼻血は治まっていた。それでも地面は血でぬかるみ、広範囲で血の池が出来ていた。辺りに漂うは尋常ではない血生臭さ。鉄の匂い。
そしてこの人の怒号。
「中作! あんたがホモだったなんて初耳よ! そんな事、一言も言ってなかったじゃない!」
「ホモちゃうわ! なんで僕がホモ前提で話が進んでるのさ!」
「だって! ……なんかそれっぽいし? ほら、年のわりに体も小さくて顔も可愛いし。受けか攻めかで言うと間違いなく……受けよね?」
「風評被害ぃぃ!」
二人は共に血まみれで、血の池の上で騒いでいる。かなりの範囲で血の池が生まれてしまったのでこいつらがわざわざ立ち位置を血の池に選んだ訳ではない。
お椀達は、遠くからその騒ぎを見守っていた。血の池から逃げたとも言う。なんなら巨大な狐は既に遥か遠くまで逃げている。多分京都駅ぐらいまでダッシュで逃げてった。
そして残された妖怪達は、ヒソヒソと会話をするのだ。お椀とゆるふわレディと金髪紳士がこそこそと。
「……いやっべぇ。あれ、マジモンだ」
木の幹からこっそりと身を乗り出して覗くのはお椀である。血まみれのハゲと女をじーっと見ているお椀。その姿はどこぞのむっつりちゃんがやっていたデバガメと奇しくも全く同じものだった。
「……ぬえりんさんの口調が戻っているということは本格的にヤバイですね~。あの駄狐、肝心な時に役に立たないですー」
ゆるふわレディは怒りに震えていた。言葉は緩いが顔は般若である。『誰だこれ』と思うなかれ。
このゆるふわレディは、尼に変化していた狸の化生である。中作君が京都に来てオフ会をした『辛口』さんがこの人となる。
本物は妖刀が怖くてオフ会も無理だった。
なので彼女が影武者任務を無理矢理押し付けられる事になったのだが……まぁそれはどうでもいい。
「……国に帰りたい。あの河童が倒された時点で、もうこの世は終わりです。あぁ、可愛い姪もあのハゲに蹂躙され……ハゲしか愛せない性癖を植え付けられてしまうのですね」
絶望感を一番出しているのが実はこいつ。金髪少年の『紳士』だ。こいつは『奥の院』に来てから、ずっと空気になっていたが、それには勿論理由がある。
彼はかつて日本に侵略戦争を仕掛け、そのときの防衛担当になっていた妖怪に返り討ちにあった経験を持つ。
『ジパングに手を出すな』
それがシルクロードを経由遡上してきたジパング唯一の情報。マルコ・ポーロは彼等の尖兵だったのだ。
当時は彼も若かった。それでも血気盛んに遠征に出掛けたのだ。意気揚々と島国を蹂躙しようとして彼らは見事に返り討ちに遭った。
そして尻こだまを引っこ抜かれたのである。高笑いする河童にな。
彼にとっては苦いどころの話ではない忘れたい記憶である。
そう、彼にトラウマを植え付けた犯人が『奥の院』に居たので紳士は空気になって隠れていたのだ。
だがしかし。
だがしかしである。
西洋の妖異達に消えないトラウマを植え付けた化け物は、今現在、鼻血を噴出する謎のオブジェに変えられていた。
……凡人君、なにしてはるの?
異邦人が京都に染まる。それほどの驚きを彼は目にしたのである。
その犯人が今は『妖異を滅する妖異』と居る。
普通だと思っていたものが、とんでもなくヤバイものを打ち倒し、更に桁違いにヤバイものを召喚した。
冷静に見るとそんな流れである。
金髪紳士が絶望するのも当然といえば当然か。
別に誰彼構わず被害をもたらす奴等ではないのだが、血の池の上で血まみれのハゲと血まみれの和服レディがぎゃーすか騒いでいるから……うーむ。
『大量殺人を犯した現場で痴話喧嘩しているカッポー』
そんな風に見える……うーむ。堅気ではないな。
「まーちゃんも鼻血ブーして気絶したから脱落。安全な所に運んでからこんきち達が来る。戦力が圧倒的に足りねぇなぁ、おい」
お椀が舌打ちと共に拳を握りしめる。そう、圧倒的に足りない。それは正しい判断だ。シリアス成分が皆無だ。
そもそも事の発端はこいつの悪ふざけから始まったのだ。曇天がそれに乗っかり鼻血ブー。
お前らバカだろ。
だがしかし。
だがしかしなのであーる。
それが妖怪クオリティなのだ。
それこそが『妖怪』なのだ。
分かっていても踏み込まずに居られないのが彼等の『性』である……と言えたら良いのだが。だから真面目なゆるふわレディはこう言うのだ。
「……鼻血って伝染するものでしたっけ?」
曇天の鼻血ブーは確かにファンタジーだろう。天を染め上げる血の噴水と地を染める紅き雨。それも最強の看板を背負う力持つ妖怪の鼻血ブー。人間に対してどんな影響が出ていてもおかしくはない……と真面目な狸は考えた。
「まーちゃんの方が先に鼻血を噴いて出血性貧血だと」
お椀はゆるふわレディに目を向けることなく答えた。こいつも真面目にやっているのは違いないのだが……まぁそれでもいい加減なのが妖怪と思って間違いない。
「……こんなときまで安倍は何をしてるんですかー!」
根が真面目な狸としては怒らざるを得ないだろう。まさに妖怪界の苦労人である。
「刺激が強すぎたんだよ。あれもまだ乙女だし。そんなことよりあれはヤベェな。封印が全部解かれてる」
猛るゆるふわと、焦るお椀がじっと見据える先。血の池で騒ぎ続けるカッポーがいる。ホモだ、ホモちゃうわ、受けだ攻めだ、んなわけあるか、等々言い合っているが、お椀が見ているのはそこではない。
お椀はハゲの背中に注目しているのだ。正しくは『ハゲの背中にある竹刀袋』をだ。
血の池で騒ぐカッポーとは、違う種類の緊張感に満ちているお椀。いや、カッポーに緊張感は皆無か。
すごく真面目な雰囲気を出しているお椀であるが、彼の本性は獰猛な獣である。悪知恵の働く暴虐の化身。そんな風に呼ばれていた事もある伝説の妖怪である。つまり古参という事になる。だから彼は『妖刀卍護朱鎮』の生まれた経緯をよくと知っている。
「…………無理だな。あれはもう無理だ」
そんな彼が出した結論がそれであった。分かるが故に、結論は早かった。
「諦めるのが早すぎますぅー!」
ゆるふわレディが叫ぶも紳士は既に全てを諦めて地面に座り込み、ハミングしながら空を見ている。末期も末期だ。
しかしこれこそが『絶望』なのだ。
ある意味でこの紳士の態度こそが『妖刀卍護朱鎮』を前にした妖異の取るべき正しい姿だ。いや、だったと言うべきか。
かつて日本の妖怪全てを震え上がらせた妖異を滅する妖異。
たとえ鞘に納まっていても決して油断してはならない『化け物』は、封印されていて尚、その脅威が衰えることは無かった。だからこそ京都の寺で厳重に保管された経緯がある。
お椀は知っているから分かってしまったのだ。その封印が全く動いていないことを。
妖刀の本質はその『刃』にある。『妖刀卍護朱鎮』は鞘であり、柄なのだ。
何を言っているのかと思われるだろうが『妖刀卍護朱鎮』は鞘と柄。容器を指す名前なのだ。それは刃本体を指す名前ではない。
そもそもだ。
妖刀なのに『まんじ、まもりて、しゅにて、しずめん』なんて変な名前が付くだろうか。
妖刀だぞ?
卍とはインドの神の胸毛である。翻って吉兆や神仏の加護を表す。
仏の力で『護りて』
更に『朱にて』
止めに『鎮めん』
それは名前からして封印そのものなのだ。
妖刀卍護朱鎮を妖刀卍護朱鎮足らしめるのは、刀身ではない。その紅い鞘と柄なのだ。
その昔、数多の妖異を無差別に消滅させていった暴威に対抗するため、大妖がその身を変じて作り出した鞘と柄。
妖異を滅ぼす為だけに生まれてしまった『刃』を収納するための鞘であり、動きを封じる為の柄。
二体の大妖怪が苦心の末に編み出した、自身を使った封印機構。
それが『妖刀卍護朱鎮』の真の姿となる。
つまり俺と母だな。
鼻血の雨も止んだので我らも現世に出ることにした。
妖刀女はともかく、俺も母も血まみれになる趣味はない。そしてイルカのように飛び出る必要もない。普通に出た。普通に。血の門からぬるりとな。
「中作……ここ、インターネットが繋がらん」
「ひゃっひゃっひゃっ! 久し振りのシャバは随分と血生臭いじゃないか」
久方ぶりの現世は……まぁ血生臭さがすごかった。
「ばーちゃん! 鬼ぃ! 姉さんに言ってやってよ! 僕はホモじゃねぇって!」
「はっ! ま、まさか! あ、あんたたち……私の知らない所でピーしてプーしてペッペッチーンしてたのね!? 不潔よ中作! このポコポンティン!」
「伏せ字がひでぇ!」
こうして我らは現世に出た。
あの『刃』がここまで人間味を取り戻すとは母も俺も予想していなかった事態である。だからこそ『封印』は解かれた。その必要は無いと二人で判断した。
だがな、ペッペッチーンってなんなんだよ。
◇
鬼が出た。血の池からなんか出てきた。すごく大きな鬼だった。すごいイケメンでムキムキでパンツ一丁だ。
その横には鬼婆もいた。なんかとっても鬼婆だ。襤褸を纏った白髪の婆。山姥って言いたくなるくらいの見事な婆だ。
それが血の池からにょろりと生えてきた。不思議と体の何処にも血は着いてない。血の中からにょろりと出てきたというのに。
なんかずるくね?
それが中作君の最初の感想である。
なんでこんなところにいるの? とか。なんで血の池から出てくんの? とか分からない事が多いけど、中作君は心の広いナイスガイである。
「ばーちゃん! 僕はホモじゃないよね!」
まずはこれをどうにかするのが先決であった。
「ひっひっひ。誰しも表に出せないような秘めた欲望を持ってるもんさね」
「そんな一般論は聞きたくねぇ!」
鬼婆は笑っていた。いつも夕日に照らされる顔ばかり見ていたので、なんか新鮮。なんか……普通に婆だ。いや、襤褸の下は何も着てないから普通じゃないけど。
「……遊ぶのもその辺にしておけ。奴等には説明が必要だ」
今度は渋い声が上から降ってきた。鬼だ。巨躯のマッチョから渋い声が降ってきたのだ。こいつもパンツ一丁だ。もう諦めてるからいいんだ。そこはね。
でも、いつもゲームしてる駄目な鬼が『遊ぶな』だと!?
「……鬼がまともな事を喋ってる。ばーちゃん、なんか変なもん食わせた?」
鬼はでかい。それはもう中作君からすると見上げるほどの巨漢である。体も分厚いのでその分、大食漢でもある。意外な事に肉よりもジャンクなお菓子を好むので、鬼の筋肉は糖分と油で出来てると中作君は思ってる。
「ひゃっひゃっひゃっ。中作が買っておいた生八つ橋は全部食ったねぇ」
「マジかよ! 僕も食べたかったのに!」
「おかわりが欲しいわ。買ってきて中作。とりあえず食べながら話を聞かせてもらうから。ペッペッチーンよ、ペッペッチーン」
「俺は京都名物の湯葉が食いたい」
「あたしゃ酒が飲みたいねぇ」
「……そっすか」
なんかいつもの流れになっていた。夢の中とほぼ同じ。違うのは夕日じゃない事だけだ。僕とマンゴス姉さんは血まみれ。鬼はパンイチ。ばーちゃんは履いてない。
でも、ここは夢じゃない。その証拠にまだ鼻血を出してるメイドがいるし。
「……ぶふー」
あ、ついに倒れた。血の池にべしゃりと倒れちゃったよ。メイド服が……まぁ全部真っ赤だから今更ではあるけれど。妖怪とはいえ大丈夫か、これ。
「……目があっただけで」
「……ちょいとやり過ぎだねぇ」
「不潔よ中作! 浮気したことも許さないからね! 抹茶パフェよ、抹茶パフェ! あと生八つ橋も!」
「……へーい」
こうして僕らは血まみれのまま下山することに……
「まてーい! 普通に帰ろうとするんじゃねぇ!」
なんか江戸っ子っぽくなったお椀に怒られる事になった。うん。
とりあえずあれだ。
次話に続く!
ここでようやく本編のヒロインが参戦っ! そう! 鬼婆のばあちゃんだ! いや、巨漢の鬼でも良いんですけどね?