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一話 そうだ。修学旅行に行こう。

 妖異絵巻シリーズの二作目開幕です。



 少年は高校二年生だった。


 そう、高校二年生。


 それは盗んだチャリで走り出しちゃうお年頃。


 というわけではなく。


「そうだ……来週修学旅行じゃん!」


 鈴木中作、修学旅行に行く。


 だって高校二年生だもん。



 ◇



 本編の主人公である鈴木中作は高校生である。


 普通の高校に通う普通の男の子。それが鈴木中作である。


 学校の偏差値はそこそこ。


 中作少年の顔面偏差値もそこそこ。


 なんなら本人の成績もそこそこである。


 中作少年は、何事においても『そこそこ』という、パッとしない少年だったのだ。


『鈴木? あー……あ、うん。そんな生徒も居たかしら』


 それが鈴木中作という少年が受ける担任教師からの評価である。これは『そこそこ』ではない気もするが、教師というものは毎年100人以上の生徒の顔と名前を新たに覚える必要がある。


 だからすぐに忘れるのも無理はない。それも『そこそこ』の生徒なら尚更である。


 だからであろうか。


 少年は本気で悩んでいた。


『個性をもっと前面に出すべきか?』


 なんて殊勝なことを中作少年が思うはずもなく。


 彼の本当の悩みはこれであった。


「修学旅行……ボッチ決定だよ」


 三泊四日の修学旅行。鈴木少年は修学旅行なのに一人で行動することが決定した。


 修学旅行とはいえ学校の行事なので団体行動が基本である。それがボッチ。


「なんでやねーん」


 そう鈴木少年が一人教室の隅で黄昏るのも無理はない。しかしこれには深めの理由があったのだ。



「……鈴木君。本当に大丈夫なの? まだ頭が凹んでるって聞いたけど」


「うん。頭蓋骨が完全に治るまで半年は掛かりそうって医者は言ってたね。でも日常生活を送る分には問題ないってさ」

 

「……ふーん。じゃあ、頭の包帯は飾りなの?」


「……治療で剃ったんだよ。ハゲてんだよ。隠してんだよ」


「……ごめんなさい……ぷぷっ」


「なに笑ってんだこのアマー!」


「きゃー!」


 ということがあり、鈴木君はクラスの中で孤立したのである。


 絶対に、このアマ、修学旅行中に風呂覗いてやる!


 そんな不埒な想いに囚われる。それも高校二年生の男の子であろう。


 そんなわけでターバン鈴木中作。


 修学旅行、一人旅の始まりである。



 ◇



「ここが京都……なんかハイカラだなぁ」


 中作少年、京都に降り立つ。新幹線でひとっとびである。


 京都駅が、あまりにも開発されてて超びっくりしている中作少年。


 なんなら京都駅自体が『ほへー』である。


 流石京都。駅の構内ですら、お洒落全開である。なんて広大な空間が広がっているのだろう。駅の改札を出たら、そこはまさに異世界。


 あまりにも広い空間と目の前に広がるファンタジー丸出しの光景に中作君は田舎人よろしく固まっていた。


「これが……はんなりどすえ?」


 中作少年が京都駅の大空間で見たもの。それは漫画やゲームに出てくるキャラクターのコスプレをしたオタク達の群れであった。


『陰陽師フェス・イン京都』


 京都駅を中心として京都全体がコスプレイヤーでごった返すオタクのお祭りがこの日、丁度修学旅行に被るようにして開催されていたのである。なお、祭りの期間は一月という『京都、大丈夫?』と心配になるような大冒険でもあった。中作君の修学旅行と被ったのは本当に偶然となる。


「京都……すげぇなぁ」


 中作少年もびっくり仰天である。コスプレイヤーのお姉さん達の過激な衣装に、鼻の下が思わずビローンと伸びてしまうのも高校二年生として致し方ないのだ。過激。青少年にとっては、あまりにも過激な衣装のコスプレイヤーが、多すぎた。


 よっこちちっ! よっこちちっ!


 そんな天使の歌が中作少年の脳に聞こえてくる。和服ってエロカスタムの幅が広いよねぇ。


「横っ乳! 横っ乳!」


 それだと『よこっちち』じゃね?


 意外と冷静な中作少年は思った。


 中作少年は何となく仲良くなれそうな気配を醸す声の主を探してみた。気持ちは分かる。でも口に出せるほどの度胸は少年にはない。きっと先達として数々の荒波を越えてきたお方なのだろう。少年は声の主をキョロキョロと探した。


「よこっちちっ! うぇーい! みほうだいっ! うぇーい!」


 声の主は意外な所に居た。


 肩である。


 コスプレイヤー達から少し距離を置いた場所に立つ女性。それも紫の僧衣を着た尼の肩に、それは居た。


「……流石京都。お椀を肩に乗せるのがトレンディとは」


 お椀である。尼の肩に乗ったお椀がスピーカーよろしく叫んでいたのだ。そして何故か動いてる。というか、踊ってる。


「ぬぬっ! したっちちっ! うぇーい! したっちちっ! うぇーい!」


 最近のコスプレって過激すぎるよねー。


 ところで、うえっちちもあるのかな、そんな埒も無いことを中作少年は考える。驚きが限界を越えると人は冷静になる。少年は賢者となっていた。京都ぱねーっす。なんでお椀が踊ってるの?


 そしてついでに考える。『どうして戦争は無くならないのだろう』かと。


 そんなことも考えてしまった中作少年。まさに賢者。まさに聖人である。しかし思索の時は唐突に現実で破られる。

 

「旦那様。そろそろ集合の時間です」


「……はい」


 中作少年はうんざりしながらも側に立つ女性の言に応えた。


 鈴木中作は普通の男の子である。旦那様と呼ばれる年ではないし、身分でもない。そして当然独身でもある。


 中作少年は横を見る。見上げる。自分よりも頭半分、身長の高い女性、黒のヴェールを頭にすっぽりと被った黒ジャケット、黒シャツ、黒パンツ、黒靴の女性を。


 頭から足元まで真っ黒ずくめの女。顔は黒のヴェールでうっすら見えるだけ。なんとも不審な人物である。その女の名は『かおるたん』と言った。アスリートのような均整のとれた肉体をもつ女性である。

 

「柊さん、二度と会わないって言ってなかったっけ?」


「私は『かおるたん』です。さ、団体行動は時間厳守が鉄則です。行きましょう」


「……さいですか」


 少年はため息ひとつ。諦めながら駅ビル内の集合場所に向かうことにした。無論、彼の手はきっちりと黒ずくめの女に繋がれている。手汗がすごいけど握力もすごいので諦めるしかないのだ。


 少しドキドキ、いやさ、かなりドキドキしているのは仕方ない。何故なら鈴木少年は高校二年生の男の子。顔が見えない黒ずくめの女性が、実は美人であることを知っているし、なんなら美人であることが綺麗にぶっ飛ぶほどのド変態であることも知っているから。あと一応殺し屋だし。

 

 なので、少年の頭に去来するのは『なんでやねーん』という突っ込みのみ。


 つい先日まで死の運命と戦っていた鈴木中作少年。その最中に出会った死神、いや、下手人筆頭がこの女性だった。


 なので鈴木少年の心中は複雑である。


 未だ鈴木少年の頭には包帯が巻かれている。ターバンにも見えるそれは死と引き換えに得た勲章でもある。


 少年は大体一月ほど前、暴漢に襲われ木刀で殴られた。それは壮大な物語の一幕に過ぎなかったが、鈴木少年の命が掛かった場面である。


 その時に柊薫……少年の手を握る黒ずくめの『かおるたん』が……少年を殺すはずだった。


 それが彼女の所属する組織『警視庁公安特務六課』に与えられた任務であったからだ。


 しかし少年はそれを知り、自身の運命を塗り替えた。望まぬ未来を変えたのである。


 その代償が側頭部のハゲ。頭蓋骨陥没全治半年である。


 脳に障害は出なかったが、思春期の男の子には致命的なダメージである。ま、脳みそ出るよかマシだけども。


 鈴木少年を襲った暴漢は、恐らく黒ずくめの女『かおるたん』によって斬られたと鈴木少年は思っている。


 一歩違えば暴漢と共に自分の首をはねていただろう女性。それが『かおるたん』なのである。


 それが何故か自分の側にいる。


 いや、何故なのかは鈴木少年も分かっている。


 それは鈴木少年が二週間の入院生活を終え、病院を出た時の事であった。



 ほわほわほわわーん。



「旦那様とハネムーン……今夜は眠らせませんから」


 ぼそりと隣の真っ黒女が呟いた。ヴェールが微かに揺れる。回想に入ろうとするその瞬間を潰されたのだ。その本気の声音に鈴木少年は背筋が寒くなる。


「……僕はクラスメイトと相部屋ですよ?」


 だから無理っすよ。そう伝えたかった。無論そんな事で退くような甘い変態でないことは百も承知である。


「既に変えてあります。問題ありません。二人部屋にチェンジ済みです」


「……あの、流石にそれは……」


 ほら、若い女と男がさ、二人部屋に一緒にいるとかさ。ましてや、恋人でもねぇし? 過ち犯しちゃうじゃん?


 それを言外に伝えてみた。


「ここに婚姻届がありますので大丈夫です」


「大丈夫じゃねぇよ!」


 鈴木中作、インド人にも見える頭なのに、実に真面目な男の子であった。



 ◇




 二週間とちょい前。鈴木宅にて。



「ただいまー」


「おかえりー」


「……なぬぅ!?」


 この日は鈴木中作が二週間に渡る入院生活から自宅に帰った時の事である。


 中作少年は独り暮らしである。両親は息子が入院しても海外から帰国することなくメールで一言。


『生きてんなら問題ないな』


 それだけだった。それは別に中作少年も気にしていない。両親の性格をよく知る彼なので、そうなるとは思っていた。


 問題はそこではない。


 誰も居ないはずの家に『ただいまー』と挨拶する中作少年も少年なのだが、習慣というものは中々抜けないものだ。


 誰も居ないと思ってたのに『おかえりー』と返事があったので中作少年は『なぬぅ!?』となったのである。


 普通は不法侵入の犯罪者を疑うところだろう。帰宅の挨拶を返すところを見るに、随分とフランクな犯罪者だが。


 そして勿論、誰も居ないはずの鈴木家に居たのは犯罪者ではなかった。


「……お姉さん達、なんで居るの?」


「違うわ。私達はメイドの妖精。キキーモラちゃんズよ」


「……そっすか」


 鈴木家には何人ものメイドが居た。いや、鈴木家にそんなものは居ない。でも居るのだ。居ないはずなのに。


 鈴木中作は混乱した。そしてメイドって良いなって本気で思った。でも4人は多い。幸せで溶けてしまうよ、と。


 しかし幸せな時間はすぐに終わった。


「おっほん……お腹空いたー」


「ごはーん!」


「マジかよ」


「パパーごはーん!」


「ダーリンごはーん!」


 己が定めを翻すため、敵を餌付けしていたツケがこのような形になろうとは……いや、本当になんでこんな事に?


 気分は雛にせっつかれる親鳥である。鈴木中作ターバン少年は天を仰いだ。


「……ちなみに……食材は?」


 買ってあったら嬉しいな。そんな希望を持つのも子供ゆえ。ここで不法侵入メイド達を家から追い出すという選択肢は存在しない。何故なら彼女達はメイド衣装を着ていても『特務六課』の人間である。


 それが理由もなく家に居るわけがない。もしや謀がバレたのか。まだ危難は乗り越えられていないのか。中作少年は緊張する。ここで囲まれてる時点で彼の死は確実だと。


 でも現実はもっと残酷であった。


「冷蔵庫は空っぽですわ! 残ってたものは全て片付けておきましたの! だからパパご飯作ってー!」


「……さいですか」


 メイド達がここに居る理由。それは純粋な欲。食欲であった。


 うん。冷蔵庫の中身を処分してくれたのは正直助かった。二週間の入院で一番の悩みごとだったけど、それが解消してたなら、まあいいや、うん。牛乳とか捨てなきゃと思ってたし。


 懐の深い男。それがナイスガイ中作である。


「裏のお爺様にも、みんな嫁であると紹介しておきましたの」


「なにしてんだー!」


 全てにおいて優しい男なんて存在しない。そういうものである。


「あと、結婚してくださいませ」


「だからなんでだー!」


 死相は消えたが、実は女難の相は消えてなかった中作君。


 こうして二週間ぶりに家に帰ってきたターバン男はすぐに近所のスーパーに買い物に出掛けるのであった。


 デザートまで綺麗に平らげ、肉食系メイド達の食欲が落ち着いた頃に、ようやく中作少年は彼女達の本当の目的を知ることになるのだが……まあ押し掛けメイド達のお陰で寂しい思いをせずに済んだことも事実だったのは間違いない。

 

 とりあえず……メイドってええな。


 そういうことにしておいた。



 ◇



 

「……で、のっけからボッチになったわけですが」


 とりあえず集合場所に行き、無事に辿り着いていることを確認された鈴木中作。普通ならここから班行動となり、京都観光を友達と楽しむ所なのだが……少年は教師にも冷たくあしらわれ、一人、コスプレイヤーで賑わう京都駅に放り出されたのであった。


 うぇーい! よこっちち! よこっちち! うぇーい!


「ご主人様。わたくしが側におりますので一人ではありません」


「……うん。ありがとう」


 たとえ黒づくめでも側に人がいる。それはとても心強いものであった。特に今の鈴木中作にはまさに女神である。


 ちょっとコスプレの誘惑に負けてたが、すぐに現実に引き戻されるほどには女神である。なんせ黒づくめの女神ゆえ。


「感謝……それはプロポーズですね」

 

「違うと思うなぁ!」


 今度の黒づくめは別の人。『椿桜姫』である。大和撫子であるが首斬りが得意というおしとやかな美人さんである。


 女神って基本的に血生臭いんだよね、アルテミスとか。


 今は黒のヴェールで分からないが、美人であることは間違いない。本当に目が覚めるような美人なのだ。その手が豆だらけなだけで。


「して、ご主人様のこれからのご予定は?」


 ここでさらっと話題を変えてくるのだから特務六課は本当に怖い。


「……実は人と会うことになってるんだけど」


 少年はどうしたもんかと思案しながら口を開いていた。


 ボッチの修学旅行が決定した時点で、彼は掲示板に救いを求めた。


 以下がその流れとなる。かなり長いので◇をぶちこむとする。



 ◇



『今度修学旅行で京都に行きます。なんか見所ってありますか?』


 鈴木中作少年はボッチワールドという辛い現実を諦め、電子の世界に逃げ出した。癒しを求めた結果である。


『来んなー! 絶対に京都に来んなー!』


『京都かぁ。もう長いこと行ってないから様変わりしてるんだろうなぁ』


『良いですねぇ。京都。私も観光に行きたいです』


 ここは妖怪、妖異の集まる掲示板。そんなところに中作少年は癒しを求めていた。


 末期である。


『班から一人追い出され、ガチの一人旅になりました。お陰で自由に京都を楽しめます。三泊四日もあるんです。予定してたルートは全てダメになりました。数の暴力に負けました』


『……不憫ね』


『だね』


『日本では村八分でしたか。いや、どこの世界にもあるもんですねぇ』


 なお、ここの住人達は鈴木少年を『まともではない人』として認識している。だからそこに突っ込みはない。


 そもそも妖怪、妖異の集う掲示板にアクセスしている時点でまともではないのだ。しかし鈴木少年は思春期の坊やである。ここぞとばかりに調子に乗った。


『夜は女子のお風呂を覗くつもりです。なんか良い作戦とかありますか?』


 うぇーい! 修学旅行で、はっちゃけるぜーい!


 そんな想いが行間に現れていた。


『……学生でも、それは犯罪よ?』 


『むむむ。高校生のおっぱい……まだ未熟だけど……そこが良いよね』


『いっそ混浴に誘ってみてはどうでしょう。泊まるところにあればの話ですが』


 掲示板は意外と冷静である。



 恐らく女性である『辛口』


 おっぱい大好き『おっぱい』


 頼りになります『紳士』



 この三人がこの掲示板の常連だ。かつて鈴木少年が死神から逃れようと躍起になっていたときに彼らと知り合った。そして彼らの人知を越えた知恵を借りて見事死神を騙くらかしたのである。


 鈴木少年にとって、彼らは戦友であり師匠であった。


『壁ドンして誘ってみます。多分泣かれますけど、男は度胸ですよね』


『ちょっとあんた、いきなり男っぽくなりすぎよ。死線を乗り越えたからって調子に乗ってると痛い目に遭うんだから』


『そーだよー。こういう時は、しばらく精進潔斎しないとー』


『日本的な風習ですよねぇ。しかし正論ですよ』


 ぐぬぬぬぬ。鈴木少年は唸った。


『了解です。というか背後で日本刀の素振りをする音が聞こえるので浮気はしません。最初から冗談です』


『……そこに居るの?』


『居たんだ』


『うちの魔剣もすぐに嫉妬するんですよ、可愛いですよねぇ』


 掲示板はサクサクと進んでいく。妖異もポチポチと打ち込んでる様を想像すると愉快になる鈴木君。以前は命が掛かっていたのでそんなことを思う余裕すらなかった……と思う。


 とりあえずポチポチを続けた。


『うちの妖刀も可愛いです。でも最近距離を取られてます。なので色々と策を講じてるのです。やはり壁ドンですか?』


『それは斬られますねぇ。うちは刺されましたよ。はっはっは』


『多少斬られてもいいんですけど嫌われるのは辛いですね』


『そうなんですよねぇ。泣いてる顔も可愛いのでついつい』


 紳士さんは紳士だなぁと鈴木少年は感じた。わりと変態な紳士っぽい気もするが紳士な事に変わりなし。


『妖刀に斬られたら普通に死ぬわよ?』


『うん。多分死ぬ。かすり傷でも致命傷になると思う』


『私も大変でしたから人間の貴方は尚更斬られない方が良いでしょう』


 マジで? え、魔剣ならまだしも妖刀も毒属性? 


『了解です。とりあえず落ち着くまで待つとします。んで、京都なんですけど、陰陽師関連で大変な事になったばかりで、正直不安です。また襲われたりしますよね、きっと』


 実はこれが鈴木少年の本題である。これがあるから、あえてボッチになるように彼は動いてきたのだ。流石イケメン中作君。ナイスガイ過ぎて頭の包帯が風に揺れてしまうね。素振りのね。近いのね。怖いのね。


 なお、クラスの女の子を泣かしたのは彼にとっても想定外である。まさか脇腹をつついただけであんなことになるとはイケメン中作君も読めなかったのだ。


 しかし誤解してはならない。いつもの鈴木君であれば、そんな無体な事はしない。決して女の子には手をあげない男、それがジェントルメン中作なのである。


 しかし彼の脳裏で悪魔が囁いたのだ。


『へっへっへ。奴の脇腹をくすぐってやんな。これはお仕置きだぜ、ベイビー』


 やけに軽い悪魔であるが、鈴木少年はその声に身を任せたのだ。


 そして彼はボッチになった。


 あれ以来、泣かした女の子は鈴木少年の近くに寄ることすらなくなった。


 むしろ非難する男女が沢山寄ってきた。クラスメートの面々である。おや? ボッチ解消か? そんな考えは甘かった。


『へっへっへ。こいつらもやっちまいな。なぁに、仲間外れは良くねぇだろ? ベイビー』


 またしても悪魔が囁いた。そして少年はその声に従った。


 彼は、つつき、つついた。


 限界を越えてつつきまくって、気付けばクラスは大惨事。


 彼の教室は地獄の様相となった。まさに死屍累々である。


「何してるのっ! えっと……鈴木君っ!」


 担任の教師にも責められた。少し間があったのは何故だろう。


『へっへっへ。この新任教師も以下略だぜ、ベイビー』



 そして少年は孤高の存在となった。



『ターバンを巻いた両刀使い』



 それが鈴木中作が得た字となった。


 ま、それはどうでもいい。


『なんなら一緒に京都を回るー? 少しくらいなら力になれると思うし』


 この『おっぱい』さんからの誘いで少年の物語は始まったのである。


 


 ◇




「随分と長考されてますが……大丈夫ですか?」


「……ほぁ!?」


 鈴木君、ようやく現実にお戻りである。そして目の前に黒ヴェール。まさに間近に椿さんである。すぐそこに唇があった。なんなら吐息も感じる距離である。


 ヴェール越しにチュー。


 出来る。この位置ならばいける! というか良い匂いですー!


 中作少年の悪魔は更に畳み掛けた。


『いや、止めとけって。そいつはヤバイって。結婚は人生の墓場って言うけど、それよりもヤバイぜ? 少しでも触れたら一生そいつの夫なんだぜ? もっと人生楽しんで行こーぜ? ベイビー』


 え、お前悪魔だよね? そんなに? そんなにこの人、ヤバイの?


「……大丈夫です、椿さん」


「……左様ですか」


 少年は踏み留まった。死線の上で立ち止まれたのだ。露骨にがっかりした黒づくめの椿桜姫であるが、すぐに気を取り直したのか、少年の手を握る。


「人に会うとの事ですが……まさか女性ではありませんよね」 


 そして少年の瞳を真っ直ぐに覗いてきた。ヴェールが少年の鼻に触れるほど近付いてのガン飛ばし。少年の吐息でヴェールが揺れる。


「……近いです」


「女ですか?」


 それは平坦な声音。怒りの熱も、嫉妬の炎も感じない。だが怖い。ひたすらに怖い。


 椿桜姫が特にヤンデレというわけではない。


「あなたが背負うもの。それを知っている相手ですか?」


 椿の瞳はヴェール越しではあるが、真面目な色を宿していた。そこには『心配』があった。


 男、鈴木中作はずっと悩んでいた。特務六課を信じて良いものか。信じて殺されるのは御免である。だが信じなくても結局は殺されそうなので、ここで賭けに出ることにした。


「……椿さん。あなたは……僕の……なんですか? それによってこたえ……」


「夫婦間に内緒はよくありません」


「いつ結婚したのかなぁ!」


 鼻先三センチの突っ込みは危うく事故を起こすところであったという。


 

 チキンな中作君にやきもきするだろうが、次話に続く。



 今作はコメディ色が強くなっています。シリアスな展開を期待してはなりません。

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