60 遠泳訓練
南部支部が所有する屋外の訓練場の一つに移動して、俺は示されるがまま弓を引いた。
指定された的はどんどん遠くなり、最大の距離でも外すことなく射抜くと、的板を割ってもっと小さなものが用意された。
ガエル侯爵が厳しい視線で俺を見ている。
それ以外の騎士団の面々はなんだかリラックスしているし、なんなら雑談していた。
「なーんだ。調子崩してたの、直ってるじゃん。良かったー」
「ふっ、ネロならこれくらいできて当然だ。私は何も心配してなかった」
「攻撃魔術じゃピンポイントでここまで小さな的は狙えない。職人芸って感じがするね」
「はっはっは! どうだガエル! ウチのネロはすごいだろ!」
集中力が削がれることなく、むしろ緊張が適度に解れてよかった。
調子も悪くない。ぴたりと照準が定まるし、体も思い通りに動く。
王都を離れたことで気分転換になったのかもしれない。
用意された最後の小さな的に向けて、俺は矢を放った。
「っ」
指から離れた瞬間、ちりりっと焼けつくような嫌な感触が首筋を撫でる。
完璧な射撃ではあったけれど、この一矢は当たらない。
……その予感だけが当たって、矢は的から外れる。
突如うねるように逆に吹いた風によって矢の軌道が逸れてしまったのだ。
「あー、惜しい!」
拳一つ分逸れて訓練場の壁を貫いた矢をみて、俺は血の気が引いた。
「す、すみません、風を読み違えてしまいました……」
「風を読むって何!?」
リナルドさんが驚きつつも、励ますように俺の肩を叩いた。
「あんな強風、誰にも予測できないさ。連続命中記録は途切れてしまったけど、十分な精度だ。ガエルの百倍上手いって!」
「百倍は言い過ぎだ。だが、まぁ、私の十代の時と比べれば三倍は良い腕をしている。素直に誇るといい」
侯爵様が面白くなさそうに言う。
「ところで、お前は普段、風速まで計算して射っているのか?」
「計算というほどではありませんが、感覚でなんとなく……だから強風の時は命中率が下がります」
「それは当たり前だろうが」
「でも父は、いつでも百発百中だったんです。どんな暴風雨の中でも獲物の急所を確実に仕留めていました」
落雷で興奮した巨大なイノシシを少しも苦しませず、食べられる部分を傷つけず、たった一矢で仕留めて見せた父の姿は今でも鮮明に思い出せる。
「出た、ネロパパ伝説。いつも言ってるけどネロパパがすごすぎるんだよ?」
実は、そんな気がしている。俺の父は普通じゃない。
だけどリリンの言葉に素直に頷くことはできなかった。
「父さんがすごいのは分かってるけど……でも『いつかネロにもできるようになる』って言われて育ったんだ。その『いつか』が少しでも早く来るようにしたい」
俺の呟きが聞こえてしまったのか、ガエル侯爵様が鼻を鳴らす。
「偉大な父親を持つと苦労するものだな。その気持ちは痛いほど分かるが――」
そしておもむろに壊れた的の木片を手に取り、俺に見せつけた後、勢いよく投げた。
くるくると回転しながら流線形を描いて飛んでいく木片。
俺はとっさに矢を番えて放った。
「…………」
ほっと息を吐く。
木片の真ん中を射抜くことはできなかったけど、なんとか撃ち落とすことはできた。
鳥と違って物理法則通りに動く的なんて、当てられて当然かもしれないけど。
訓練場が静まり返る。
「ネロ、これは謙遜すると嫌味になっちゃうレベルだよ」
ミューマさんに苦笑され、俺はなんと言葉を返せばいいのか分からなくなった。
「今の自分を卑下する必要はない。誇りのない者に風は味方しないし、仲間も自信のない者に背中を預けたくないだろう。難しく考えるな。リンピアにいる間、風と海を存分に楽しむといい」
ガエル侯爵様はそう言って去っていった。
「俺よりカッコいい去り際の一言を残すな!」
リナルドさんは憤慨しつつも、侯爵様の姿が見えなくなるとぽつりと呟いた。
「ああ見えて、ガエルも父親にコンプレックスを持ってるんだ。前侯爵様はリンピアの英雄だから」
前侯爵様は、十二年前のシャチの使い魔戦の時に亡くなったという。
ほとんど部下を連れず一艘の船で沖に出て使い魔と戦い、戦場を都市から遠ざけ、民が避難するための時間を稼いだ。
愛する伴侶を持つ者は使い魔を狂乱させ、狙い撃ちにされる。その性質を利用したのだ。
ガエル様は十六歳で爵位して、それからずっと偉大な父が守った都市を再建するために尽力している。
……境遇を重ねるなんて失礼だと分かっているけど、俺もほとんど同じ年頃で父親を亡くしているからそのすごさがよく分かる。
俺は病の母一人を守るだけでも精いっぱいだ。ガエル様は領地と領民、他にもたくさんのものを守ってきたのだろう。
そんな立派な人でも、劣等感を抱くことがあるんだな。
もう会えない父親の背中が大きすぎて、いつまでたっても追いつけない。
この感覚は一生続くのかな。
「ガエル侯爵、貫禄があってかっこいいよね。リナルドのお姉さんが長年想い続けて逆プロポーズするのも納得だよ」
「ぐぅ!」
ミューマさんの言葉に刺されて、リナルドさんが苦悶の表情を浮かべて膝をついた。
なんとなく察していたけれど、やはりリナルドさんのお姉さんとガエル侯爵は結婚しているらしい。正真正銘、義理の兄弟だ。
「なるほど。大好きなお姉さんを取られたような気がして悔しいんだねぇ」
「お二人が結婚されたのはもう何年も前の話だぞ。未だに引きずっているとは……」
リリンとクヌートにも遠巻きに見つめられ、リナルドさんは頭を抱えてしまった。
「それだけじゃないぞ。リンピアじゃ、星灯騎士団と同じくらい侯爵の指揮下にある海軍も人気でな。思い切り妬んでるんだ」
「まぁ、オレたちよりもたくましい男が多いし仕方ないな! ほら、海の男ってかっこいいじゃん!」
「最近じゃあウチを辞めて役者になったヴィジュナくんにも嫉妬してるんだよ。ほら、あそこの劇団の新作、めちゃくちゃ評判いいから。リナルド推しだった僕の妹も夢中になってる」
南部の先輩たちもここぞとばかりにリナルドさんをからかう。
「こ、こういういじり方よくないと思いまーす! ……ぐすっ」
「大丈夫だって。リナルドの人気も健在だ。頑張っていこうな。海上訓練でかっこいいところをみんなに見せよう」
結局、支部を取り仕切っている最年長の騎士に慰められ、リナルドさんは泣き止んだ。
先輩たちに南部滞在中はリナルドさんとリンピアを盛り上げてほしいと言われ、俺たち新人は黙って頷くのだった。
翌日。
空は快晴で波も穏やかだったため、予定通り遠泳訓練が行われた。
水平線の彼方に薄っすら見える島はジャルダンガーデン王国。
通称・神が試練を与えた国。
なんでもダンジョンという遺跡が定期的に自然建設されるらしい。
その遺跡は魔物に守られていて、一定期間以内に誰かが最奥にある秘宝を手にしないと魔物災害が起こるとか。
恐ろしい話だ。
魔女に呪われ、巨大な使い魔に襲われる国であるエストレーヤ王国とは仲が良い。
海を隔てているとはいえ、下手をしたらお互いの国難が迷惑をかけるため、情報交換や貿易が盛んに行われて国家の防衛に役立てている。
「いつかボクもダンジョンに挑戦してみたいなぁ」
「その前にやるべきことがあるだろう。気を引き締めろ」
俺たちはジャルダンガーデン王国ではなく、手前にある小島まで泳いで向かう。
海に溶け出さないという特別な日焼け止めを全身に塗るように言われ、準備体操を念入りに行った。
「……落ち着かない」
早朝、海に入って泳いでみた。
本当に水がしょっぱいし、波のうねりが容赦なく顔にかかるし、体が浮く感覚があるし、肌に無数の生命の気配を感じる。
正直に言って、少し怖かった。
泳ぎは問題なくできると思っていたけれど、川や湖とはだいぶ勝手が違う。
何より俺が戸惑っていたのは……水着だ。
ダボっとしたデザインで、膝丈の無地のものを選んだ。
機能的には普段着よりも圧倒的に泳ぎやすいのだが、なんだか頼りなく思えて恥ずかしい。
「え!? 星灯の騎士様!」
「嘘! リナルド様もいる! 超かっこいい!」
今回の訓練は実施日が非公開なのだけど、偶然スタート地点の浜に居合わせた女性たちに見つかってしまった。
リナルドさんはものすごく嬉しそうに手を振り返してファンサをしているけれど、俺は気が気ではなかった。
地元ではなんとも思わなかったんだけど、上半身を晒していることに羞恥心を覚える。
一応俺も鍛えてはいるけれど、先輩たちと比べると男らしい体つきとは言えないから……。
「あれ? 女の子がいる」
「知らないの!? 新人騎士のリリンちゃんだよ! はぁー超かわいい……」
リリンも声をかけられてご機嫌に手を振り返している。
南部でも知名度が高いなんてすごいな。
ちなみにリリンの水着は上半身も覆われたセパレートタイプのものだ。男性用のはずだけど、ひらひらした装飾がついた可愛らしいデザインで全く違和感がない。
クヌートは何とも言えない苦々しい表情でリリンを見ていたけど、結局黙っていた。似合っているのだから仕方がない。
「溺れそうになったらすぐに紋章を光らせるように! 絶対に無理はするな!」
「はい!」
地元の漁師や軍人の協力の元、遠泳訓練は始まった。
南部所属の騎士の一部と、王都と北部から出向した十人ほど。
やはり南部出身の騎士たちは海に慣れていて、打ち寄せる波をものともせずに進んでいく。
俺に速さを競う余裕はない。
とにかく完泳を目指そう。
ペース配分が大切。
張り切りすぎると足をつるかもしれない。かといってゆっくり泳いでいたら体力が減っていていくばかりだ。
焦っちゃいけないのに、波に押し戻されるのがもどかしくて体に力が入った。
それに、なんだか嫌な気配が……。
「――よく頑張ったな!」
後半はまとわりつく違和感から逃げるように手足を動かし、なんとかゴールまで泳ぎきることができた。
小舟で並走して励ましてくれた漁師さんに礼を言って、俺は小島の浜辺でうずくまる。
夏なのにすっかり体が冷えてしまっていた。呼吸が乱れ、悪寒が止まらない。
「ネロ! 大丈夫か!? 顔が真っ青だぞ!」
先にゴールしていたクヌートが手を貸してくれて、医療班のところまで連れて行ってくれた。
「治癒魔術はあまり得意じゃないんだけど」
「水? あ、白湯がいいかなっ? 風通しの良い木陰で横になる?」
毛布にくるまれ、ミューマさんの魔術で体温調整をしてもらうとだいぶ楽になってきた。リナルドさんもおろおろしつつ、世話を焼いてくれる。
「あ、ありがとうございます……もう大丈夫です」
情けなく思いつつも、優しさが胸にしみた。
俺の記録は後ろから数えたほうが早いくらいだったけど、海に慣れないなりによく泳いだと思う。
先輩たちが励ましてくれたおかげで、そこまで落ち込まずにいられた。
リリンは制限時間ギリギリにゴールの浜辺にたどり着いて、同じように医療班に運ばれてきた。かなり悔しかったようで、珍しく不機嫌だ。
「もうちょっと泳げると思ったんだけどなぁ」
「お疲れ様」
俺がやってもらったのと同じように労わった。
夕方。
遠泳訓練の総括の後、小島の浜辺で浜焼きバーベキューが行われた。
騎士団と協力者たちの貸し切り状態である。
その時間にはみんなすっかり回復していて、新鮮な魚介類を味わいつくした。
俺はぼんやりと夕焼けに染まる海を眺めた。
今はあまり嫌な感じはしないけど、なんだかやはり体がおかしい。
「坊主、お前はあまり海に近づかないほうがいいかもしれないな」
「え?」
地元の漁師と思われる老人に突然話しかけた。
「何か見えなかったかね?」
「えっと、何か、とはなんですか?」
老人は曖昧に笑い、それ以上何も教えてくれなかった。
……とても気になる。
不安に思って俺はいつもの癖で胸元に触れた。しかしそこにはメリィちゃんにもらったお守り石はない。
泳いでいる時に失くしそうだったから、今日は宿舎に置いてきたのだった。
「…………」
打ち寄せる波の音が急に大きく聞こえ、賑やかな気配を探した。
リナルドさんが焚火を前に元気に歌っているのを見て、心底安心したのだった。




