57 新人騎士の夏
「クヌート、ネロ、リリン。お前たちには一週間南部の都市・リンピアに行き、海上訓練を受けてきてもらう」
その日、俺たち三人は団長室に呼び出され、そう告げられた。
エストレーヤ王国はかつて三度水生生物の使い魔に襲われ、かなりの苦戦を強いられた。
それを踏まえ、星灯騎士団では定期的に水上あるいは水中での戦闘訓練が行われている。特に、夏の盛りである八月の半ば、南部の騎士団支部で行われる海上での特別訓練はかなり大がかりらしい。
「これ、資料室で勉強したやつだ!」と俺はひそかに興奮していた。
今まで湖や川辺での訓練や魔物の討伐任務に就いたことはあるけれど、海上訓練は初めてだ。
……そもそも俺はずっと内陸で暮らしていたから、海には近づいたことがない。
天候が変わりやすく、ひどい時には大波が押し寄せて船すら飲み込むと父に聞いたことがあって、とても怖い場所だというイメージがある。あと、日焼けすると辛いとも言っていた。
大丈夫かな。迷惑をかけないようにしないと。
「足場の悪い場所では思うように力を出せず、無理をして怪我をすることもある。パニックになって溺れる危険もあるだろう。訓練だと思わず、気を引き締めて参加してきてほしい」
「はい!」
拝命の礼を取る俺たちに対し、アステル団長はぱっと表情を変えて、にこやかに頷いた。
「お前たちが入団してもうすぐ丸一年だ。契約満了を待たずに辞めてしまう者も多い中、三人ともよく頑張ってくれた。南部で過ごす一週間のうちの半分は特別休暇とする。同期三人で連携と親睦を深めつつ、日頃の疲れを癒やしてきてくれ」
一瞬の間の後、リリンが思い切り両手を突き上げた。
「わーい! やったー! リゾートで遊べるー!」
「おい、リリン。団長の御前だぞ。全力で喜びを露わにするな」
「えーいいじゃん。ここは喜ぶところでしょー⁉」
「限度がある!」
「二人とも落ち着いて。あまり大きな声を出すと……わっ!」
はしゃぐリリンとそれを窘めるクヌート、楽しそうな雰囲気を感じ取って昼寝から目覚めたポムテルに背後から飛びつかれる俺。
あっという間に空気が緩んでしまったものの、アステル団長に叱られることはなかった。
「親睦を深めるまでもなく十分仲良しみたいだが、南部でもお互い助け合うようにな」
「はーい! アステル団長、ありがとうございます!」
「必ずやこの一年の経験を活かし、実りある訓練にして見せます!」
「えっと、あの……頑張ります!」
「きゃん!」
俺はもう子犬とは呼べないサイズに成長したポムテルを抱き上げ、団長に引き渡した。
「ポムテルは俺と留守番だ。海にはいつか連れて行ってやるからな。今年は城の噴水で我慢してくれ」
「きゅうん……」
つぶらな瞳に後ろ髪引かれながらも、俺たちは団長室を後にする。
「ねぇねぇ、買い物に行こうよ。新しい水着がほしい。浮き輪とビーチサンダルも要るよね! サングラスと日焼け止めと、あとは――」
「我々は遊びに行くんじゃないんだぞ」
「団長も半分は遊んでいいって言ってたじゃん!」
「そもそも半分は訓練だ! そちらは気を引き締めろと言われただろう!」
また俺を挟んで口論を始めた二人を横目に、首を傾げた。
「水着……」
海には行ったことがないけれど、川や湖にはなじみがある。釣りや漁を手伝ったり、友達と泳いだり、村にいた頃の思い出が脳裏をよぎった。
その時は周りのみんなも普通の服を着ていたと思う。
だけどそうか、都会には水着というものがあるんだ。
リリン曰く、水を吸い込んでも重くならず、濡れても透けにくい特殊な生地が使われているらしい。
遊びはともかく、訓練で海に落ちる危険もあるだろうし、俺も一着は買っておいた方がいいんだろうな。
あんまり想像できないけれど、海辺で水着を着ていなかったら場違いかもしれないし……。
「俺も買い物に行きたいな。何も分からなくて……」
「任せて! 一緒に行こ! 期間限定のマリンショップがあるんだよー」
一人では水着がどこに売っているのかも分からなかったので助かる。
「クヌートはどうする? 水着持ってる?」
「……もうサイズが合わないだろうな。新調せねば」
「でもクヌートって平民が出入りするお店で身につけるものは買わないでしょー?」
リリンの言葉に頷きつつも、クヌートは「行かない」とは言わなかった。
「……貴様たちが公序良俗に反するものを選ばぬよう付いていこう」
「何それー?」
特別なマナーがあるんだろうか。
その辺りも予め聞いておかなくちゃ。
個人としても、騎士としても、初めての南部行き。
訓練発表会以来、射撃の技術訓練が停滞していることもあって緊張する。
何事もないといいけど……。
訪れたマリンショップで最新の女性用の水着を見て絶句してしまい、俺とクヌートはリリンにたくさんからかわれた。
南部のリゾート都市・リンピア。
エストレーヤ王国において、王都の次に栄えている要所。
貿易港、観光地、そして軍と星灯騎士団の南部の駐屯地としての一面もあり、多種多様な人々で賑わっているらしい。
「十二年前、シャチの使い魔が現れて港が壊滅的な被害を受けたこともあるんだけど、南部の有力貴族のオリゾン家とソレール家の尽力によって見事な復興を果たしたんだよ」
リンピアへ馬車で移動中、そう説明してくれたのはミューマさんだ。
彼は今回、俺たちの引率役として同行してくれている。
もしかしたらアステル団長が「年が近い騎士たちと休養してこい」と気を回したのかもしれない。
最近のミューマさんは俺から見ても働き過ぎだったから。
「ソレール家というと、リナルドさんの……」
「実家だね。僕らが来ることを聞いて、とても張り切って歓迎の準備をしているみたいだよ。先輩面できるのが嬉しいんだろうね」
今回の海上訓練を取り仕切るのはリナルドさんだ。
彼は出身地に近いということもあって南部支部に配属されることが多いそうだ。そしてトップ騎士になってから初めて大規模な訓練の総責任者になるということで気合が入っているらしい。
意外にもリナルドさんはまだ二年と少ししか騎士として活動していない。
本人は創設時から入団を希望していたが、家族から反対されて許してもらえなかったのだという。
十二年前のシャチの使い魔との壮絶な戦いを知っていたからこそ、ご両親はリナルドさんを戦地に送り出したくなかったんだろう。
星灯騎士団ができるまで、使い魔戦では多くの犠牲者を出していたから。
だけど今では、リナルドさんはアステル団長に次いで星灯騎士団で輝ける逸材と言われている。
俺も同感だ。
戦いのセンスも、華やかな容姿も、尋常ではないサービス精神も、全てが星灯騎士団への適性を示している。
「リナルド殿の天才的な槍の腕前を間近で拝見できる良い機会だ」
「訓練を頑張って、リンピアのオススメスポットたくさん教えてもらっちゃお」
クヌートとリリンは海上訓練と特別休暇をとても楽しみにしている。
俺もリナルドさんの指揮下だと聞いて、少しだけ安心していた。ジュリアン様やトーラさんが総責任者だったら、絶対もっと緊張していたと思う。
……いや、リナルドさんが鷹揚な人だからと言って、気を抜いてはいけない。
訓練をしっかり受けて、失礼なことをしないように注意しないと。
そわそわする俺を、気づけばミューマさんがじっと見つめていた。
「ネロは一週間も王都を離れて大丈夫だったの?」
「あ、はい。最近はずっと母の病状も安定していますし、王都勤務の希望を聞いてもらっているので少しは遠征しないと申し訳ないですし」
入院中の母はすっかり病院での生活にもなじみ、看護師さんや他の入院患者とも親しくなったらしい。
俺が一週間見舞いに来られないことを告げても、何も問題ないと笑っていたし、リンピアのお土産を買って帰ると約束をしたらとても喜んでくれた。
……これは言葉にできなかったけれど、無事に病気が治ったらいつか連れて行ってあげたいな。
「騎士にはそれぞれ事情があるんだから、ずっと王都勤務をしていることに引け目を感じなくていいんだよ」
「そう言ってもらえるとありがたいです」
「騎士カフェの方は? 夏休みは特に忙しいと聞いているけど、ネロとリリン、二人が抜けると大変なんじゃない?」
確かに、王立学校が夏休みに入ってからカフェは連日込み合っている。これは氷菓フェアを始めた影響もあるかもしれない。
「ジェイ先輩たちがたくさんシフト入るって言ってくれたし、無理そうなら一号店からヘルプが来てくれるみたいだし、一週間くらいは大丈夫! それに、ボクが一週間出勤しないことは前もってカフェの掲示板に書いておいたもん。むしろ帰ってからの方が忙しくなっちゃうかも」
リリンが悪戯っぽく笑う。
二号店の看板騎士であるリリン目当てに来店するお客さんは多いので、最初からいないと分かっていれば常連さんの来店は減るかもしれない。
「ネロがいないことは伝えてないの?」
「俺は基本的に厨房なので、特にお知らせは出しませんでした」
「ふーん、そうなんだ。じゃあネロがこの期間にリンピアに行っていること、ファンたちは誰も知らないってことか」
戦功授与や訓練発表会でだいぶ名前を知ってもらえるようになったとはいえ、俺の所在を常に気にしてくれるほどのファンはまだいないと思う。
……メリィちゃん以外は。
彼女と最後に会ったのはアステル団長の生誕イベントの屋台だ。あまり話す時間はなかったし、海上訓練のことも伝えられていない。
その後、カフェに来てくれていると分かっていた日もあったけど、なかなかタイミングが合わなくてホールには出られなかったのだ。その日はリリンもジェイ先輩もいなかったから、きっと俺が一週間王都を離れることを知らないと思う。
……やっぱりリリン不在のお知らせの端にでも、俺のことも書かせてもらえばよかったかな。
メリィちゃんが毎日カフェ通いしていたらどうしよう。申し訳ない。
自意識過剰なのは分かっているけど、でも、メリィちゃんなら――。
「ふふ」
ミューマさんが思わずと言ったように笑った。
「運命の導きがあるのか、楽しみだね」




