52 エナと推し騎士 前編
更新が滞っており申し訳ありません。
今回はエナ視点のお話です。
よろしくお願いいたします。
返ってきた答案の点数を見て、わたしは歓喜の声を上げる。
「成し遂げたー!」
苦手な数学の追試をなんとかクリアし、ようやく進級が確定した。
ただでさえ一学年の途中から留学してきて単位がギリギリだったのに、我ながら危ない橋を渡ってしまったわ。生きた心地がしなかった。
「おめでとうございます、エナちゃん! 本当に良かったです!」
親友のメリィが自分のことのように泣いて喜んでくれている。
しばらく追試対策に付き合わせてしまったし、先日の訓練発表会にも同行できなかったし、彼女には悪いことをしたわ。
「待たせてごめんなさいね。さぁ、楽しい夏季休暇の始まりよ!」
「ワクワクしますね! エナちゃんにはめいっぱいエストレーヤの夏を満喫してほしいです!」
憂鬱な学年末試験が終わると、二年生に進級する前に一か月ほど夏季休暇が与えられる。
とても目まぐるしい数か月だったけれど、ようやく一息つけそうね。
故郷を離れ、知り合いが一人もいない国で新しい学校に通うのはなかなかに骨が折れたわ。
だけど毎日楽しかった。明日からも絶対に楽しいと思う。
特に推し騎士様と出会ってからの日々の充実っぷりは凄まじく、時間がいくらあっても足りないくらい。
そもそもメリィと決定的に仲良くなったきっかけも推し活にのめり込んだおかげ。
ありがとう、推し騎士様。わたし、本当にこの王国に留学して良かったわ。
わたしの祖国――サンドーヌ王国は通称・慈悲深き女神の国と呼ばれている。
それだけ聞くと恵まれた国のように思えるけれど、実状は正反対。
国土の半分以上がカラカラの砂漠で、昼夜の寒暖差が厳しくて動植物がほとんど育たない。
そのくせ毒を持った魔物が頻繁に出現するから気を抜けないの。
わたしの祖先はそんな過酷すぎる土地を命懸けで開拓しようとしていた。
建国神話によると、開拓者の干からびかけた姿を哀れに思った女神が天から涙をこぼし、いくつかのオアシスが誕生したことで、国の礎が作られたらしいわ。
本来ならば人間が暮らせるような土地ではなかったのに、女神の慈悲によって生まれた王国。
女神の涙を浴びて莫大な魔力を手に入れた男が王位に就き、その子孫が今日まで統治を続けている。
身分階級はそこまで重んじられておらず、徹底的な実力主義。
どのような出身であってものし上がるチャンスが与えられ、賢い者、強い者、美しい者が引き立てられ、成果の分だけ出世することができる。
人柄どころか犯罪歴すら考慮しないせいで、クリーンとは言い難い国政だけどね。
……はっきり言って、わたしは祖国の王族が嫌い。
国で一番美しいオアシスを占領し、水に高い税金をかけて民に負担を強いておきながら、ハーレムを築いて好き放題して暮らしているから。
才能や実力がある者を引き立てるのも、自分たちが楽をするため。
反逆者への刑罰が重いから国民はみんな粛々と国王に従っているけれど、誰も敬愛の念なんて抱いていないんじゃないかしら。
女神が別の意味でまた涙を流しそう。
実は、かくいうわたしもサンドーヌ王家の血を引いている。
祖母が先代国王の腹違いの妹なんですって。まぁ、きょうだいは何十人もいたみたいだし、女に王位継承権は与えられず、祖母は平民に嫁いだから王家と関わることはもうないけどね。
ハーレムなんてものがあるせいで親類縁者が多すぎて、王族の血を引いている人間が国中のあちこちにいて何も恩恵はない。
それどころか下手に王家の血族だと口にすれば、大変面倒なことになるお国柄。
思い返せば、わたしが故郷で人間関係をこじらせたのも多すぎる王子や王女の派閥争いに巻き込まれたせいだった。
国を離れる決心をしたのは英断だったわ。
留学先として選んだのは、サンドーヌ王国から遠く距離を隔てたエストレーヤ王国。
たまたま出会ったエストレーヤの商人に話に聞いてから、ずっと興味があったの。
魔女に呪われ、定期的に巨大な使い魔に襲われる危険な王国。
画期的な紋章魔術を用いた美形の騎士団が存在する、大陸で一番奇妙で愉快な王国。
国民が一体となって騎士団を応援し、“推し活”なるものが盛んな王国。
「外国でエストレーヤ出身だというと未だに嘲笑われたり、憐れまれたりするんだけどね、『ウチの国には素晴らしい女王陛下がいらっしゃるしな……』、『アステル殿下と握手したことがないなんて可哀想に』と思うと、怒りが凪いでいくんだ。愛国心が止まらない」
何それ。
聞くところによれば、エストレーヤ王家への自国民の支持率は驚異の九十パーセントオーバー。
国民に愛されすぎている。
きっとサンドーヌ王国とは何もかもが違うのでしょう。
わたしは両親を全力で説得し、期待を胸にエストレーヤ王国へ単身乗り込んだ。
最初は安定した気候に感動して、次に新しい生活に慣れようと必死になって、最終的に狭い世界で生きてきた自分の至らなさにがっかりした。
学校で早々に浮いてしまった時には焦ったわ。
生い立ちや環境のせいにしていたけれど、故郷で上手く立ち回れなかったのは自分自身に問題があったのかもしれない。
何か根本的に普通の人間と違うんじゃないかしら、と悩んで眠れない夜もあったくらい。
だから、メリィが声をかけてくれた時は本当に嬉しかったわ。
メリィ本来の優しさのせいもあるでしょうけど、同じように孤立気味だった自分と重ね合わせてくれたから、一人ぼっちのわたしを目に留めてくれた。
あとは、猛烈に話し相手を欲していたのでしょうね。
「ネロくんは本当に優しくて! 私の手が少し冷たかっただけですごく心配してくれるんですよ! その後すぐに体温が急上昇して、もっと心配させてしまったんですけど――」
メリィは新人騎士のネロくんにメロメロで、その魅力を語り出したらなかなか止まらない。
ピカピカの笑顔を浮かべて早口で賛美をまくし立て、途中で我に返って必死に謝る姿が面白かった。
別に、メリィだけが騎士団にのめり込んでいるわけじゃない。
多くの同級生や町中の女性が騎士様たちを愛し、尽くし、推し続けている。
いえ、男性も例外ではないみたい。強くてかっこいい騎士様に憧れるのは当然か。
ふーん。やっぱりエストレーヤの民は国への帰属意識が高いのね。
それに、ここまで一つの物事に夢中になれるなんて羨ましい。
メリィの話を聞くうちに、どんどん星灯騎士団に興味を持っていった。
わたしだって、美しいものには心惹かれるもの。
ただし、王家が美男子を利用して無垢な国民から時間やお金や魔力を搾取しているのでは、という疑いも消えず、なかなか握手会に参加しようとは思えなかった。
それに、見ず知らずの美男子と握手をするために列に並ぶなんて……恥ずかしいじゃない。
エストレーヤの国民にとっては慣れたことかもしれないけれど、わたしには難しかった。
しばらくは少し距離を取って、冷静にこの国の推し活文化を眺めるだけだった。
留学して初めて使い魔の襲来が報じられ、わたしは満を持してアステル様の握手会に参加することにした。
人命、場合によっては自分の命にもかかわることだもの。
戦いに出る騎士様を応援するのは当然のこと。そう乙女心に言い訳をして列に並んだ。
写真や絵姿を拝見しているから、国民が自慢したがるくらい麗しい王子様なのは知っていた。
果たして実物は?
期待のハードルは上がり切っている。
長い行列はサクサクと進んだ。
一人三秒ほどしか与えられないというのもあるし、扉ほどのサイズのゲートをくぐるだけで凶器や毒物、危険な魔術の気配がないか鑑定されるみたいで、持ち物検査が行われていないせいもあるでしょう。
それでもアステル様の天幕の周辺では強面の軍人が列の整備と警備をしていて、妙な緊張感があった。
「…………」
並び始めてしばらくすると、わたしは安易に握手会に参加しようとしたことをすぐに後悔した。
泣き出す者、真剣な表情で祝詞を唱える者、不安を噛み殺して笑う者。
誰も彼も、本気でアステル様の身を案じている。
使い魔との戦いの歴史は、博物館を見学して勉強してきた。
星灯騎士団が創設されるまでは、たった一体の使い魔を討伐するためにたくさんの犠牲者を出している。
楽な勝利なんてあり得ない。いつだって命懸け。
握手会の天幕が近づいていくにつれ、わたしの心臓は嫌な音を立て始めた。
え、本当に?
本当にこの国の第二王子殿下が、使い魔討伐のために出陣するの?
サンドーヌ王国とは違って、エストレーヤ王国には直系の王子は二人しかいないのに。
後方で指揮を取るのではなく、最前線で第二王子が使い魔と戦うなんて信じられない。
いくら紋章魔術で魔力を集めて強化したって、何か一つでも間違いがあれば、命を落としてしまうかもしれないじゃない!
順番が回ってきた時には、わたしの緊張はピークに達していた。
他国の王子と握手できる機会なんてめったにない、と浮かれていた気持ちは消え失せ、ただ茫然と目の前の高貴な青年を見上げる。
色素の薄い金髪がほのかに光を帯びているように見えて、ひどく眩しい。
「あ……」
頑張ってください、応援しています、ご無事をお祈りいたします。
考えてきたありふれた言葉すら口に出せず、係員に促されるまま無言で右手を差し出した。
「笑って」
わたしの無礼を咎めもせず、返ってきたのはこの世のものとは思えない美しく柔らかい微笑み。
強張った手を、アステル様は両手で包み込むように握り締めてくれた。
「っ!」
アステル様の右手の紋章が赤く輝き、魔力が譲渡されたのが感覚的にわたしにも分かる。
笑うどころか返事をする間もなくわたしの持ち時間は終わり、放心状態のまま係員に誘導されて天幕を出た。
夢見心地とはまさにこのこと。
これから生きるか死ぬかの危険な戦いに向かうというのに、どうしてあんな風に微笑めるの?
どうしてわたしの笑顔を求めたのだろう。
理解できない。
だけど、得難い経験だった。
心臓が先ほどとは違う痛みを訴えている。
アステル様のぬくもりが残る自分の右手を左手で大切に包み込み、わたしは心の底から無事を祈った。
「本当に、よかった……。またみんなを家族と会わせてやれて」
そして、凱旋セレモニーでのアステル様の涙。
雷に打たれたような感覚が全身を駆け巡ると同時に、全てを理解したの。
彼は、人々の笑顔を守るために戦っていたのね。
それだけのために、命を懸けられる人。
あまりにも……尊い!
もっと知りたい。もっと近づきたい。もっともっと彼の役に立ちたい。
ただ恋に落ちるのとは少し違う、不思議な新感覚。
気づけば、わたしはすっかりアステル様の虜になっていた。
夏季休暇、初日。
わたしは入念に身支度を整え、制服を着て学校へ向かった。
講習でも補習でもない。今日は特別な日なの。
道行く人が歌って踊り、そこら中から祝福の声が聞こえている。
王都中が浮かれ切っていた。
そう、今日はお祭りなのよ。
アステル・エストレーヤ生誕祭。
推し騎士様の誕生日!




