42 番外編 特別な誕生日・後編
メリィちゃんは誕生日のデザートプレートを、一口ずつ味わって食べている。
先ほどまでは「崩すのがもったいない……」とフォークを持つ手が震え、悲壮感を漂わせていたのにな。くるくる変わる彼女の表情に、目が離せない。
特に、俺がホールの制服を着て現れた時、今日一番の笑顔を見せてくれた。
『メリィちゃんの誕生日を祝うのに、いつものエプロン姿なんて絶対にダメでしょ。他のお姫様の目もあるんだから、接客するならホールの制服着てよね!』
リリンのもっともな意見に従い、俺はロッカールームの予備の制服を借りた。ちょっと気恥ずかしかったけど、ホールで悪目立ちせずに済むならその方がいい。その程度の感覚だった。
想像をはるかに凌駕して、メリィちゃんはそれはもう、めちゃくちゃ喜んでくれた。これは、たまにはこの格好でホールに出た方がいいのかな……?
だとしたら、特別扱いしていると他のお客さんに思われないように、メリィちゃんがいない日も給仕をすることになる。
ずっと躊躇ってきたホールの仕事。最近はますますカフェのお客さんも増えてきて人手が足りないこともあるし、やっぱり俺も覚えるべきか。緊張するけど、頑張ろう。
定期的に様子を見に来てくれるお城の執事さんに、しっかり指導してもらわないと……あと、クヌートが来た時に、練習させてもらおう。
「…………」
俺は制服のポケットに忍ばせたものをこっそりと確かめた。
あとは、タイミングを見てメリィちゃんにプレゼントを渡せたら完璧。
でも、今日は店内が落ち着いていて静かだから、会話が筒抜けになりそう。帰り際にこっそり渡せればいいんだけど……。
そう思っていたところ、新しいお客さんの来店を告げるドアベルが鳴り、直後に店内にいる女性たちから凄まじい悲鳴が上がった。
一瞬、強盗でも入ってきたのかと思ったけど、多分クヌートが来たんだろう。
厨房にいると分からないけど、いつの間にかこんなにも声援を受けるくらい人気になっていたんだな。さすがだ。
奥まった角の席にいた俺とメリィちゃんたちは、みんなよりもワンテンポ遅れてその一行を見た。
「え!?」
珍しい男性客が二人。
「ふん、ホールの制服もなかなか似合っているではないか」
「あれ、ネロは厨房担当じゃなかったっけ?」
一人は予想通りのクヌート。しかし、もう一人は……。
「ミューマさん? どうして……」
最年少のトップ騎士であり、最近本部でもよく喋るようになったミューマさん。
もちろん今まで騎士カフェに来店したことはない。
「クヌートに誘われたし、アステルに視察を頼まれたし、甘いものが食べたい気分だったから……悪いけど、今日は一応プライベートだから静かにしてくれる?」
興奮でざわつく店内をぐるりと見渡してミューマさんがそう言うと、「はーい!」とお行儀のよい返事があった。声のトーンも含め、ここまで綺麗に返事が揃うなんて姫君たちはどこかで合同訓練でも受けているのかな?
「ご来店ありがとうございます、主様。こちらの席へどうぞ。はい、メニューでーす。……クヌートはいつものでしょ? ミューマくんは何にするか決めてきた?」
俺が驚いて動けないでいる間に、早速リリンが案内してメニューを説明しに行った。
「甘いものが食べたいな。何があったっけ?」
「じゃあ自分の推しメニューにしたら? 激甘だもんねぇ」
「それもいいけど、自分で頼むのは恥ずかしい。リリンのオススメは?」
その様子に、静かなどよめきが起こる。メリィちゃんとエナちゃんも小さく息を呑み、二人を注視した。
「どうしたの? あの二人がどうかした?」
「あ、すみません。リリンちゃんとミューマ様は、新旧可愛い騎士様ランキングの王者なんですよ。夢の共演です!」
「そんなランキングが……?」
ずっとミューマさんが可愛い騎士様ランキングで一位をとり続け、殿堂入り後にリリンが入団してぶっちぎりの一位だったらしい。誰がどこでそんな投票を募っているのか。きっと俺が知ってはいけないんだろうな。
「天使と天使が邂逅してる……」
「え、このカフェって天界? わたし死んだ?」
「クヌート様、両手に花じゃん。よくやってくれました」
「はぁ、かわちい、ありがてぇ……!」
各テーブルから漏れ聞こえる声が危なっかしい。ミューマさんたちの席を拝んでいる人もいる。今にも召されそう。
「騎士様たちが仲良くしている姿でしか採れない栄養素があるんです」
「そうね。決して腐った目で見ているわけではないけれど、美味しいものは美味しい」
メリィちゃんとエナちゃんも「良いものを見た」と微笑を浮かべて頷き合っている。俺にはよく分からないけれど、表面上の平和を尊ぶことにしよう。深入りするなと本能が言っている。
……と、他人事のように思っていたら、ミューマさんが俺を見て手招きをした。
「わっ、ネロくん、呼ばれてますよ。こちらのことは気にせず行ってきてください!」
なんとなくあの輪に入るのは抵抗があったけど、拒否するわけにもいかないし、メリィちゃんも目を輝かせている。
俺は断りを入れてから、彼らの席に向かった。自意識過剰かもしれないけど、なんだか店内中から見守られている気がして落ち着かない。
ミューマさんは口元を隠し、盗聴防止の魔術を展開してから言った。
「ごめんね、急に来て。アステルがきみたちのことを気にしていて、代わりに様子を見てきてって頼まれたんだ。ものすごくそわそわしていて、見ていられなかった」
「団長……」
視察って、カフェじゃなくて俺とメリィちゃんに対してのもの?
予想外のところからやってきた羞恥心に襲われ、俺は非常に動揺してしまった。顔が熱い。
「余計なお世話で鬱陶しいかもしれないけど、許してあげて。アステルに悪気はないんだ。あ、今日のことも、他の騎士には広まってないよ。安心して」
基本的に毒舌なミューマさんも、アステル団長に対してはどこか優しい。
うん、分かってる。心配してくれてるんだって。無下にはできない。
「あと、クヌートが拗ねてた」
「す、拗ねてなど! しかしネロ、貴様! ジェイ先輩やリリンには協力を仰いだくせに、なぜ私には黙っていた!」
そうだ、結局クヌートには相談していなかったんだ。
「ごめん。なんだか照れくさくて」
「そんなことだろうと思ってはいたがな! 本来ならば特定のファンを優遇する行為は褒められたものではないが、まぁ、団長が許可を出していることに口を挟むようなことはすまい」
「あ、ありがとう」
許されてほっとした。
「僕たちに視線が集まっている隙に、頑張ってね」
「せいぜい姫君の成人を全力で祝ってやるんだな!」
そうか。
これは陽動作戦。二人は店内の姫君の視線を釘づけにして、俺がメリィちゃんにプレゼントを渡す隙を作るために来店してくれたんだな。
「なるほど。じゃあボクも今日はいつも以上に元気よく働くね!」
リリンもそれを察して意気込んでいる。
助かる。俺は本当に仲間に助けられているな。
……でも、とんでもなく恥ずかしい思いをし続けているから、今度また似たような状況が発生したら、極力自力で頑張ろう。有り難いし、決して嫌なわけではないけれど、好きな女の子を喜ばせるのにみんなを頼ってばかりでは情けないようにも思えるから。
盗聴防止の魔術を解くと、ミューマさんは神妙な表情で言った。
「今日はバルタの推しメニューにするよ。巨大プリンパフェ。一人じゃ完食は無理だから、クヌートも手伝ってね」
その一言に、店内は大いに盛り上がった。
☆
推し騎士様ができて初めての誕生日。
素敵なことばかりが起きます。
ネロくん直筆のバースデーカードをもらい、ネロくんのホールの制服姿を拝み、ネロくんお手製のデザートプレートを堪能し、ネロくんがトップ騎士様や同期の騎士様と戯れる姿を拝見できました。
もちろん、両親たちやエナちゃんからのお祝いも嬉しいです。
こんなにも一人の騎士様に情緒を狂わされてハッピーになっている私を、温かく見守ってくださることに一層感謝しなくちゃ。
「くっ、この苦めのキャラメルソース、いい仕事をしている!」
「この前バルタに会った時、お酒の締めにパフェを食べるのにハマってるって言ってたけど、本当かな」
「まだ折り返しって感じだねぇ。頑張れー!」
ミューマ様のお席では、滅多に注文されないというバルタ様の推しメニューで盛り上がっています。
大柄なクヌート様が小さなパフェスプーンを握っている姿、ミューマ様が無表情で巨大なプリンを切り崩して召し上がる姿、それを無邪気に応援するリリンちゃん……すごい光景です。
ネロくんはと言えば、少し前に厨房に引っ込んでしまいました。
たくさん注文が入ってお忙しいみたいですから、仕方がありませんね。
「完食まで見届けたいところですが……」
「そろそろ帰らないとね。ちょっと待っていて」
エナちゃんは颯爽と伝票を手に会計に向かいました。格好良いです。
本日はご馳走していただく約束でした。本当にありがたいことです。来年のエナちゃんの誕生日は、さらに盛大にお祝いしましょう!
「メリィちゃん」
「はっ」
帰る支度をしていたところ、気配もなくネロくんが現れました。
すごい。狩人の隠密スキルはこんなときにも発揮されるのですね。しかし不覚です。この私がネロくんの気配を察せられないなんて……。
「本当に、今日は来てくれてありがとう。メリィちゃんの誕生日を祝えてよかった」
「え、そんなっ! お礼を言うのは私の方です。本当に本当に、嬉しくて幸せでした!」
一生忘れられない誕生日になりました。
ネロくんは優しく微笑んで、小さな包みを差し出しました。その頬にほのかな赤みが差しています。
包みには淡いピンクのリボンがかかっています。こんなの、どこからどう見ても……。
「これ、もらって」
「え!?」
私がアワアワしつつも、それを受け取って手のひらと体で隠しました。
だって、他の姫君の目があります。もたもたしていたらネロくんが叱られてしまうかも。
幸いにも、ほとんどの姫君がミューマ様たちのお席に注意を傾けているので、隅の席にいる私たちのやり取りには気を配っていないでしょうけど……。
「今日のお祝いと、今までのお礼と、あと、俺の気持ち……全然足りないけど、少しでも返したくて」
「ネロくん……」
「見つからないように早くしまって」
とても恥ずかしそうに、人差し指を立てて口元に持っていく仕草に、私は今日一番ドキドキしてしまいました。
「あ、ありがとうございます……本当に、ああ、言葉になりません……」
ネロくんからのプレゼントを、私は通学鞄に入れて大切に持ちました。
心臓が激しく脈打って、体も震えてきました。平静を保てません!
「できれば、一人の時に開けて。恥ずかしいから」
「はいっ」
そのままネロくんに見送られ、私とエナちゃんは帰路につきました。
エナちゃんは私のおかしな様子に何かが起こったのを察したようでしたが、「また明日聞かせなさい」と寛大な対応でした。
私もまだ消化しきれず、言葉を選ぶ余裕がないので助かります。
夕食時、両親たちに改めて祝ってもらいました。
二人からのプレゼントは、オーダーメイドで作ってもらったドレスや靴だったので、驚きはありません。
と思いきや、サプライズで紫色の万年筆とインクをもらいました。
早速、日記や推し騎士様の記録を付ける時に使わせていただきましょう。
「…………」
夕食が終わり、お風呂も済ませ、後は寝るだけ。
誕生日ももう終わりが近づいています。
私はベッドの上で一人、ネロくんからいただいたプレゼントと対面していました。
まさか、誕生日プレゼントを贈ってもらえるなんて、全くの予想外でした。数時間を経ても、心の準備が終わりません。
「…………」
私は深呼吸の後、おずおずと手を伸ばしました。
リボンを解く手が震えます。なんだかセンシティブな気分です。
現れたのは、手のひらに載るサイズの木の箱。丸みと温かみがあって、蓋にはワンポイントで花が彫られています。可愛い。
側面には、ネジが……ここまで来れば何か分かります。オルゴールです。
私の動揺はひどいものでした。
なんてロマンチックなプレゼント。オルゴールなんて、家族や好きな人以外に贈らないと思うんですけど、私の感覚間違ってますか?
甘い痛みを伴う鼓動の音に急かされて、私は慎重にネジを巻いてから、蓋を開きました。
「――――」
キラキラとした音色が流れ出しました。
これは、エストレーヤ王国では平民から貴族まで広く耳にする機会がある楽曲ですね。
タイトルは『星影の祈り』―― 祝い事の席でよく演奏されます。もちろん誕生日にも。
じぃんと温かいものが込み上げてきて、瞳に涙が溜まりました。
繰り返されるメロディ。動力を失って止まってしまっても、ネジを巻く度にまた聴こえてくる。いつでも何度でも、変わらない音色。
『俺の気持ちは永遠に変わらないから、信じて待っていて』
私のポエミーな脳が、ネロくんの想いを勝手に捏造しました。
こんな解釈、図に乗りすぎですか?
でもでも、今日は特別な誕生日なので許してほしいです。
私は枕元のチェストにオルゴールを置いて、限界までネジを巻いてから横になりました。
推し騎士様からの祝福を浴びながら、眠りにつく。最高に幸せです。
おやすみなさい、ネロくん。




