37 番外編 二十歳剣士組の緊急食事会・後編
「ネロはどうっすか? トップ騎士のお二人から見て、ちゃんとやれてます?」
団長はすぐに大きく頷いた。
「ああ、もちろん! ネロには本当に驚かされてばかりだ。王国にこんな逸材がいたんだって、いつもワクワクさせてくれる!」
確かにネロは意外性の塊だ。
優しくて控えめで一見して戦いには向いていないのに、あいつは生粋の狩人なんだよな。時に無慈悲に弓を引き、戦況の風向きを変えてくれる。任務の度に緊張して顔色を悪くしているものの、その動揺は決して弓矢に伝わらない。
初めての使い魔戦でも、変異種の魔物や悪魔との戦闘でも、仲間のために危険を冒して前に出ていき、きっちりと結果を残してきた。
……結果オーライで許されたけど、先走った命令違反行為もしていた。普段はそういうことしそうにないのに、実は心に熱いものを宿した強い男なんだ。
「そうだな。あいつの弓の技術は認めてやる。俺も助けられたし、国のためにも引き立てるべきっていうのは分かってんだ……」
トーラさんも少し悔しそうに頷いた。
本当、弓術に関しては既に騎士団トップレベルと言っていいだろうな。ほぼほぼ外さない。
いや、まぁ、できる奴だと思っていたけど、まさかあんなにも活躍するとは……想像以上だった。きっとネロも“持っている”側の人間なんだろう。
先輩騎士としては鼻が高いような、立つ瀬がないような、複雑な気持ちだ。
ネロが出世していくことに関して嫉妬心は全くない。剣士と射手では役割が違うし、俺は戦いや強さなんかに思い入れがないからな。年下に負けても全然悔しくない。
ただ、俺なんかじゃ戦場でネロの力になってやれないだろうと感じて、居心地が悪くなるんだ。いつか足手まといになっちまうんじゃないか。それはさすがに格好悪いから嫌なんだけど。
もちろん、戦場以外ではまだまだ先輩風を吹かす。
ネロには世間知らずなところがあるし、自己主張が苦手だ。背中を押してやらないと行動に移せない時がある。
そういうところ、後輩としては可愛いんだけど、損しているのを見ると心配になる。カフェでもホールに出ればもっと人気が出るだろうに、いつも裏方に回りたがるんだよな。ネロがみんなのやりたがらないことを、気を利かせてやってくれるのは助かってる。でも、ゆるふわな俺が偉そうに言うのもなんだけど、もっといろいろワガママに挑戦してみてほしい。
案外、向いていないと思っていることもできちまうんじゃないか。父親がやったことのない経験を積み重ねれば、ネロの自信にも繋がるかもしれねぇし。
「あれだけの腕があって、周りのこともよく見えてる。結果も残してるんだから、普段から堂々としてりゃいいのに、謙遜のし過ぎでたまに鼻につく。意識が高すぎてムカつくんだよ。本当に生意気だっ」
トーラさんが分厚いベーコンをつつきながら、面白くなさそうに言った。
お前が言うな、という言葉は俺もアステル団長も口に出さなかった。これでもきっと褒めているんだろうから。
一応、ネロがあんなに謙虚なのには理由がある。
「なんでも、ネロの亡くなった親父さんは、めちゃくちゃすごい狩人だったらしいっすよ。風の動きが目で見えるとか、天気予報が百発百中とか、死期を悟った森のヌシが最期に決闘を挑みに来たとか……自分なんか足元にも及ばないってよく言ってます」
「何者だよ、その父親。英雄か?」
同感だ。世界観が違わねぇか?
「はは、今年の新人騎士は将来有望で面白い奴ばかりだよなぁ」
アステル団長が何杯目かのワインを飲み干して、幸せそうに頷いた。
だいぶ酔いが回っているみたいで、にこにこしながらふわふわ体を揺らしている。意識はまだはっきりしているけど、そろそろ止めるべきか?
「でも、ネロが契約延長してくれないのはやっぱり残念だ……本当は引き留めたいけど我慢してる!」
「ああ、二年契約ってのは、ちょっともったいないっすよね」
ネロの入団動機は母親の治療費を稼ぐため。そして、契約が終わったら好きな女の子に交際を申し込むためにすぱっと騎士を辞めるつもりでいる。
これは引き留められねぇよな。命懸けの仕事だし、恋愛もできない仕事なんて、そうそう続けられない。
……テキトーに生きてる俺だって、たまには辞めること考えるもんな。使い魔討伐の後は特にそう思う。
「星灯の騎士を辞めたら、軍か王宮騎士団にでもスカウトしろよ。弓の指導係でもいい」
「もちろん声はかけるつもりだけど、困らせてしまうんじゃないか? 母君とメリィちゃんは、ネロにもう危険な仕事をさせたくないだろうし」
躊躇うアステル団長に対し、トーラさんは鼻で笑った。
「選ぶのはネロ自身だろ。つーか、一年もあれば、心変わりするかもしれねぇぞ」
「心変わりって……ネロとメリィちゃんが別れるってことか?」
「付き合ってねぇだろ、まだ。気持ちが冷めるってことだ」
ネロとメリィちゃん……付き合っていなくても両想いだってバレバレだもんな。詳しいことはまだ騎士団内でも発表されていないが、先日の誘拐事件でも二人にはいろいろあったらしい。リリンが妙にはしゃいでいた。ネロがきつく口止めをしたようで、何があったか教えてもらえないんだよなぁ。
それにしても、団長やトーラさんまでメリィちゃんのことを認識してるのはすごいな。トーラさんは、あまり二人の仲を祝福していないみたいだけど。
「あのネロに限って、簡単に気持ちが変わったりはしないと思いますよ。メリィちゃん、普通に可愛いくて良い子っぽいし」
年齢が離れているから微笑ましく思うだけだけど、俺の目から見てもメリィちゃんは美少女だ。色白で小顔で女の子らしい格好がよく似合う。あと、これを言うとネロは不機嫌になるが、ウエストが細くて胸が大きく見える……スタイルもいいってことだ。
あんな子に甘い声で名前を呼ばれ、熱烈に推され続けたら、初心なネロでなくても陥落するだろう。何年も待たせられないと焦るのも無理はない。
「そうだな。ネロとお似合いだと思う! ほら、帰ってきた後、意識を失ったメリィちゃんがネロの服の袖を握り締めて離さなくて……本当に全然離さないから、結局ネロが服を脱ぐしかなかっただろ? すごい愛だと思った!」
「その執着が恐ろしいんだよ。本当に意識を失ってたのか? 正直俺は引いた」
トーラさんは真顔で言う。
確かにちょっと怖い。愛が重すぎる。
「ま、まぁ、ネロはたくさん想われて嬉しいみたいですし」
付き合う前からもう結婚を意識しているみたいだからな。母親の治療費以外に、結婚資金の積み立ても始めるみたいで、効率よく稼ぐ方法はないかと相談された。ネロも大概重い。
アステル団長はうんうん頷いている。
「ネロに騎士を続けてほしいと思うのと同じくらい、あの二人には幸せになってほしいから……俺は見守る! なんか、羨ましくなった。あの二人を見てると甘酸っぱくて胸がきゅうっと苦しくなるんだ。すごく可愛い。俺にはもう恋愛は無理だけど、その分二人には――」
どうやらネロとメリィちゃんはアステル団長の推しカプのようだ。いろいろ夢を見てる。
それは良いんだけど、そろそろ酒を取り上げよう。発言がだいぶ危うくなってきた。
そう思った間に、またボトルからワインを注いでしまった。団長ならちゃんと自制してくれると思ってたんだけど、完全に羽目を外してるな。
「おい、アステル。飲み過ぎだ」
「だいじょーぶ。だって楽しいし、美味しいし、夜はまだまだ長いだろ?」
グラスを掲げて悪戯っぽく笑っているのは、この国の第二王子様である。へべれけでも麗しいことこの上ない。
こんなに無防備で無邪気な姿、姫君が見たら鼻血を出すだろうな。今この瞬間を最高に楽しんでくれているのに水を差すのは躊躇われて、俺もちょっとどうしていいのか分からない。
「いい加減にしとけ。二日酔いで泣くぞ」
さすがだ。トーラさんは容赦なかった。アステル団長から素早くグラスを取り上げる。
「えー、まだ飲みたい。あと一杯だけ」
「ダメだ!」
アステル団長はさして怒りもせず、しかしグラスを取り返そうと腕を伸ばした。トーラさんは舌打ちをした後、取り上げたグラスの中身を一気に飲み干した。
ボトルに残っていたワインも、そのまま口をつけて豪快に飲んでしまった。俺も察して、自分の分を飲み干す。これでテーブルの上から酒が消えた。
「あ……」
しょんぼりする団長の姿に胸が痛むぜ。
そして、ごん、と無慈悲な音を立てて、額から机に突っ伏すトーラさん。予定調和だなー。
「素朴な疑問なんですけど、なんでそんな無茶しちゃったんすか?」
「う、うるせぇ、今日こそ大丈夫かと思ったんだよ……っ」
苦手なアルコールが一気に巡って、トーラさんは眠気と戦い始めた。その間もアステル団長は悲しそうに空っぽのグラスを見つめている。
「めそめそすんな、面倒くせぇな。酒以外なら飲んでいいから! ……ジェイ、リンゴジュース!」
「はいっ」
これは迅速な対応が求められると判断し、俺は厨房の近くまで行って、直接リンゴジュースをもらってきた。
「わぁ、ありがとう。リンゴジュースも美味いなー。子ども頃からずっと好きなの、覚えててくれたんだな!」
一方、アステル団長の機嫌は簡単に直った。子どもみたいに喜んでいる。隣で唸るトーラさんの肩をちょんと叩く。
「トーラ、大丈夫か? ジンジャーエールもらってこようか? 好きだっただろ?」
「誰のせいだと思ってるんだ……要らねぇよっ」
げんなりしつつも、何度も首を横に振って、トーラさんは必死に意識を保とうとしている。しかし次第に船を漕ぎ始めて――。
「弱いのに無茶するから」
「――俺は弱くねぇっ!」
突然起き上がって、ぎろりとアステル団長を睨む。
弱いっていうのはもちろん酒の話だ。しかしアステル団長の口から「弱い」と言われてトーラさんに変なスイッチが入った。
「よ、弱くねぇ、はずなんだ……お前と、たまにリナルドやバルタに一本取られるくらいで、他の騎士には負けてないっ」
「ああ、もちろんトーラは強いぞ。いつも頼りにしてる!」
「だったら!」
トーラさんは机の上の拳をぎりりと握り締めた。
「一人で落ち込んで周りに心配かけるんじゃねぇよ! 魔女と悪魔を取り逃がしたのは、あの場にいた全員の責任だろっ。俺なんか、二回も悪魔と戦ったのに……っ!」
アステル団長は息を呑んだ。
ここでその話題に突っ込むのか。団長には楽しい時間で憂鬱を忘れてもらおうと思ってたんだけど、これはもう全てを吐き出す方向にシフトするしかなさそうだ。
俺の出る幕はない。存在感を消して、皿に残っていた料理を平らげることに集中した。うん、冷めても美味いな、このレバニラ炒め。
「全部自分の責任だって思うなら、俺たちはいないのと一緒じゃねぇか。王族だからってお高く留まりやがって、俺たちはモブ扱いか? ぶっとばすぞ!」
数時間前に俺に不敬がどうのと言っていた口から、とんでもない暴言が飛び出している。酒の力って怖いな。
しかしこんなことで怒るアステル団長ではなかった。むしろ目をぎゅっと瞑って、悔しそうにしている。
「違う! 確かに最近落ち込んでたけど、全部自分のせいだって思ってたんじゃなくて……悔しかったんだ! “あんなの”に王国が長年苦しめられてきたんだと思ったら、腹が立って仕方ない! もっとこう、向こうには向こうなりの大切な理由があって、譲れないものを賭けて戦っているんだと思っていたのに、全然そんなことなくて……ああいうの嫌いだ! 許せない!」
あんなの。
基本的に誰のことも褒めるアステル団長がここまで貶すくらいだ。魔女と悪魔は相当に残念な奴らだったんだろう。ネロとリリンも「最悪だった」って憤慨してたもんな。
「もう少しでみんなの仇をとれて、全部終わるはずだった! 絶対大した奥の手なんてなかったのに、警戒して仕留めそこなった俺が馬鹿だった! 自分が情けない!」
「だから、そんなの俺も同じだっつってんだろ! お前だけが悔しいんじゃない! 仕方ねぇだろ! 人質を取り戻すことが最優先だったんじゃねぇのか!? いつものお前ならさっさと切り替えて、確殺するために何ができるか考えるだろうが!」
アステル団長はしばらく呻いてから、肩を落とした。
「……ああ。そうだよな。ちゃんと前には進んでる。せっかくジュリアンやミューマがいろいろ用意してくれてるんだから、俺もこれからのことを考えないと」
それから大きく深呼吸をして天井を仰いだ。フラストレーションを吐き出し終わったらしい。
……トーラさんは叫んだことで眩暈を覚えたみたいで、途中からまた机に突っ伏していた。今もむにゃむにゃ何か言ってる。
「トーラ、叱ってくれてありがとうな。話したらすっきりした……誰かのことこんなに嫌ったことってなかったから、もやもやして、どうすればいいのか分からなかったんだ」
「ああ、そうかよ……幸せな奴だな」
トーラさんは吐き捨てるように言って、うつらうつらとまた船を漕ぎ始めた。
「ああ、俺は幸せだ。大好きな家族がいて、心配してくれる仲間がいて、国民にもたくさん愛してもらえて……今夜は本当に楽しかった。二人と話せて良かったよ。気を遣ってくれたジュリアンにも感謝しないとな」
団長は俺にも微笑みかけてくれた。胸のつかえがとれたなら良かった。これでジュリアン副団長の不興を買わずに済む。
だけど……。
「団長、あの」
少し迷ったが、やはり言わずにはいられなかった。
俺は真剣な表情でメニューを指さす。
「締めにスープパスタ食いたいんですけど、まだ時間いいっすか?」
「え、俺も食べる!」
なんかお開きの空気を出されていたけど、まだそんなに遅い時間じゃない。それに真剣な話で締めくくるよりも、もっと楽しい雑談で和やかに終わらせたいじゃん?
いつの間にかトーラさんは力尽き、健やかな寝息を立てていた。お疲れ様でした。マジ頑張ってました。
そして俺とアステル団長がポムテルの可愛さと成長について語っているうちに、夜は更けていった。
翌日、騎士団本部でキラキラの笑顔を振りまくアステル団長を遠巻きに眺め、俺はほっとため息を零した。これにはジュリアン副団長もにっこりだ。
……ちなみに、トーラさんはいつにも増して不機嫌だった。触れるもの皆傷つけそうなほどギラついている。
なるほど、よく分かった。幼い頃からずっとアステル団長の言動に振り回されて苦労してきたんだろうな。団長自身は何も悪くないし、悪気もないし、文句を言っても海よりも広い心で受け止められて、喧嘩にすら発展しなさそう。これではトーラさんばかりが疲れてしまう。
まぁでも、昨日はトーラさんも少しは楽しかったんじゃないかと思う。たくさん喋ってくれたし、食も進んでいた。きっと、二人きりじゃアステル団長とも気楽に話せないんだろうし。
王族と貴族と平民。生まれも育ちも性格も全く違うけど、今は騎士として剣を手にする者同士だ。どこか通じるものがあるのかもしれない。
またいつか誘ってみよっかな。俺もめちゃくちゃ楽しかった。
 




