3 同期の騎士様 その1
「あ、メリィちゃん、来てたんだね! いらっしゃい!」
「リリンちゃん! こんにちは!」
ベルを鳴らすと、見知った騎士様が注文を聞きに来てくださいました。
エナちゃんが今日一番驚いた顔をしています。
華奢な体躯に、透き通るような白い肌。大きな瞳に長いまつ毛。プラチナブロンドの長い髪を可愛くお団子にしてまとめ、メイド服をパンツルックにしたようなひらひらした制服をこれ以上ないほど完璧に着こなしています。
本人曰く、ファンのリクエストに応えていたら、一人だけこういう制服になったそうです。
「エナちゃん、こちらはリリン・セロニカ様……リリンちゃんです。このカフェの看板騎士様ですよ」
「えへへ、様付けって柄じゃないから、お友達みたいに呼んで」
見た目だけだと美少女ですが、声が元気な男の子なので脳が混乱してしまいますよね。彼もれっきとした男性騎士です。
生まれつき怪力らしく、戦いになれば片手で豪快に大斧を振り回しています。そのギャップにメロメロになってしまうファンが後を絶ちません。
「メリィちゃんがお友達を連れてきてくれたの初めてだねぇ。よろしくね、エナちゃん!」
その無邪気な笑顔に、エナちゃんがきゅんとしています。
「あ、よろしくお願いします。その、メリィと親しいんですか?」
「よく来てくれるからねぇ。まぁ、メリィちゃんのお目当てはボクじゃなくて、ボクの持つネロ情報だけど」
「そんなことないですよー」
「いいって、今更そんなフォロー。あ、ボク、ネロとは同期入団だから仲良しなんだ。第七期入団」
そう、私がカフェに通い詰める理由の一つが、リリンちゃんからのネロくん情報の供給です。同期は一緒に過酷な研修を受けたためか、絆が芽生えやすいのだとか。同じ平民出身ということもあり、ネロくんとリリンちゃんはとても仲良しなんです!
ほとんどネロくんと会えないのにカフェに通い続ける私を哀れに思ったのか、こうしてよく声をかけてくれるようになりました。
もっとも、リリンちゃんは誰にでも優しいです。私だけではなく、常連の姫君はみんな顔と名前と推し騎士を覚えて、楽しくお喋りしてくれます。
「メリィちゃんが来てくれてるんだから、ネロも恥ずかしがらずにホールに出ればいいのにねぇ。この前の功績授与で知名度も上がったんだし、ファンを増やすチャンスなのにな。あ、それはそれでメリィちゃんは複雑な心境になるのかな?」
「え、いえいえ、そ、そんなことは……」
ネロくんの安全と活躍のためにも、ファンが増えて譲渡される魔力が多くなるのは良いことです。私一人で支えるにしても、限界がありますから。
ホールに出てくれれば私もお目にかかれるチャンスが増えますし、ネロくんが働く姿をじっくり拝見したいという気持ちもあります。特に子どもにどのように接するのか気になります!
そんな気持ちとは裏腹に、私の表情筋は死んでいました。
私以外を姫君と呼び、微笑みかけるネロくんの姿を見て、嫉妬せずにいられる自信がありません。
人気が出てほしいし、ネロくんの魅力をみんなに分かってほしい。だけどやっぱり他の女の子とは関わってほしくないし、私だけが彼を分かっていたい。
私には心が二つあるのです。
「なぁんてね。大丈夫。ネロは厨房の主戦力だから、よっぽどの人手不足にならない限りホール担当になることはないよ。本人も消極的だし」
「それは残念ですね!」
私が満開の笑顔で答えると、エナちゃんが可哀想なものを見るような目をしました。言いたいことがあるのなら言っていただいて構いませんよ。正論で殺してください。
「えへ。じゃあ、ご注文をお伺いいたしますね、お姫様方」
「私は、星雲のパンケーキとスミレのお茶のセットをお願いします」
ほとんどの通常メニューを制覇した結果、この組み合わせが私の中の定番になりました。ふわふわのパンケーキはカロリーさえ気にしなければ、いくらでも食べられます。
「わ、わたしは……これを」
エナちゃんが恥ずかしそうにメニューを指さしました。読み上げることができないようです。
「はぁい、“アステル団長の情熱ティータイムセット”ですね。ふふ、エナちゃんは団長推しなんだ。格好良いもんねぇ。アレルギーや苦手の食材はありませんか? ……では、準備してまいりますので、少々お待ちくださいませ」
トップ騎士様がプロデュースした推しメニューの一つ――アステル殿下の好物のスイーツと、彼のイメージに合うお茶のセットです。推し騎士様の好きなものと概念ティーを味わえる贅沢なメニューです。
残念ながらネロくん専用の推しメニューはありません。推し色のお茶を飲むことしかできない身からすれば、エナちゃんがめちゃくちゃ羨ましいです。
ちなみに軽食の推しメニューもありますが、今回は我慢したようです。このカフェのことを気に入ってもらえたようなので、これからきっとエナちゃんも一緒に来てくれるでしょう。
それから推し騎士様と偶然街中で出会ったらどうするか、という議論をしながら注文した品が届くのを待ちました。
☆
ようやく入れた休憩中、俺はぼんやりとその紙を眺めていた。今朝の訓練で上層部から渡されたのだが、全然内容が頭に入ってこない。
今日はホール担当の先輩騎士が訓練中に捻挫して、こちらの仕事を休んでしまったから大変だった。ジェイ先輩が残ってくれたからなんとかなったが、こういう時に備えて俺も少しはホールの仕事を覚えておけば良かった。
厨房には騎士ではないプロの料理人も入っているので、俺が抜けても多分なんとでもなる。そもそも俺みたいに接客が苦手な騎士が厨房に回っているが、本当だったら全員ホールに出た方がいいのだろう。
平民出身や下級貴族の嫡男以外の騎士にとって、手当てがもらえるカフェの仕事は大変ありがたい。金が稼げるうえに、ホールで働けばお客さんに顔を覚えてもらえる。トップ騎士推しの姫君も、カフェでの交流がきっかけで下位騎士の握手会に来てくれるようになるらしい。
握手会で一定量の魔力を集められないと使い魔討伐の任務に選ばれない。高額な危険手当も騎士としての名誉も手に入らないとなると、星灯騎士団に入団した意味がなかった。
その死活問題を解決するためにも、カフェで働いて地道に知名度を上げ、握手会への動線にするのは重要だった。
ジェイ先輩や同期のリリンは、この店のおかげで着実に握手会の行列を伸ばしている。
一方俺は、二人のように上手く姫君をもてなす自信がなかった。どうしてもぎこちなくなる。店の雰囲気を壊したくないからホールには出ず、厨房で働かせてもらうことにした。
元々肉の解体は得意だったし、果物の複雑な飾り切りも覚えたので、今のところ重宝されていると思う。黙々と調理したり、皿を洗うのは、俺の性分にも向いている。
しかし、本当にこのままでいいのだろうかと最近悩んでいる。
功績授与で引き立てられたこともあって、やっぱりホールに出てみてはどうかと先輩方に言われたのだ。反射的に断ってしまったが、また使い魔討伐の任務に就くためにも、やっぱりメリィちゃん以外のファンを増やす努力をするべきだろうか?
手元の紙をぼんやり見つめて、ため息を吐く。
気が進まない。なんだか不誠実なことをしている気がする。
……もしも俺がホールに出たら、メリィちゃんは喜んでくれるかな。
ごく稀に、忙しくてホールの手が足りていない時に、テーブルの上を片付けたり、カトラリーを補充しに行くことがあった。そんな時、いつもメリィちゃんは目を輝かせて俺の姿を追っている。気づいていない振りをしているが、実はものすごく意識している。働いている姿を見られるのは恥ずかしいが、一目でも顔が見えるのは嬉しい。本当は話もしたい。
メリィちゃん相手なら接客したいという気持ちと、緊張して失敗しそうだからやりたくないという気持ちが常にせめぎ合っている。
……悩んでいるうちは出ない方がいい。他の騎士たちに迷惑をかけたくないし、メリィちゃんにだけ態度が違うと他のお客さんにバレてしまうかもしれない。
「おー、ネロ、戻ってたのか。俺、そろそろ上がるわ」
「ジェイ先輩、お疲れ様です。今日はありがとうございました」
休憩室にジェイ先輩が顔を出した。朝から働き詰めだが、全く疲れている様子がない。さすがの体力である。
ジェイ先輩はにやりと笑った。
「来てるぜ、あの子。メリィちゃん。初めて話したけど、近くで見るとやっぱりめちゃくちゃ可愛いな」
「!」
あの討伐記念感謝祭の握手会以来だ。たった数日前のことだけど、あのピカピカの笑顔を思い出しては、ドキドキしていた。メリィちゃんが初めて「大好き」だと言ってくれたから。
「もちろん自分のファンが一番可愛いんだけどさ、俺の周りにはいないタイプの子だから新鮮だった。いろいろすごいわ。お前の名前を出した途端、顔つきが変わったし」
「……そうですか」
いいなぁ、俺も会いたい。
ついさっきホールに出ないという結論を出したのに、すぐ覆したくなってしまった。
いや、ダメだ。やっぱり恥ずかしい。何を話せばいいのか迷って感じ悪い態度を取ってしまうかもしれない。
俺が行き場のない感情を持て余してもじもじしていると、ジェイ先輩が呆れたように笑った。
「せめてお前が作ったら? さっきリリンが注文取りに行ったところだ」
「そうします」
お疲れ様でした、と先輩に挨拶をして、持っていた紙をエプロンのポケットにしまい、俺は厨房に戻った。
手を洗っていると、ちょうどリリンが伝票を届けに来た。
「あ、ネロ。おかえり。これメリィちゃんの席の注文だからよろしく」
「ありがとう。……え!?」
俺は目を疑った。
メリィちゃんが、メリィちゃんが……アステル団長のティータイムセットを注文している!
まさか推し変? 団長が相手なんて絶対に勝てない……。
俺はその場に崩れ落ちそうになった。
「ああ、それはお友達の分だよー」
「……友達?」
「そう。同じ制服着てるけど、雰囲気的に外国の子かも。留学生なのかな? 背の高い美人さんだったよ」
友達、いたんだ……。
そんな失礼なことを考えながら、俺は安堵の息を漏らした。伝票をよく見たらちゃんと二人分の注文が書いてある。今日もメリィちゃんは紫色のお茶を頼んでくれていた。
「ほら、ニコニコしてないでさっさと作って」
俺はレシピの手順を頭の中で確認しながら、調理に取りかかった。二人分のスイーツとお茶を同時に完成させるのは結構難しい。
特に星雲のパンケーキは、綺麗に焼くのに苦労する。メリィちゃんはこのメニューを気に入っていてよく注文するため、たくさん練習した。
メリィちゃんは知る由もないだろうが、俺とリリンが揃ってシフトに入っている日は、大抵俺が彼女の注文を調理している。せっかく通ってくれているから、とせめてもの感謝の気持ちだ。
できれば直接この目で甘いものを食べる彼女の姿を見てみたいけど……。
「ねぇ、できたら一緒に持って行ってみない? メリィちゃんを驚かせたーい」
「え、でも」
「ボク一人じゃ一気に運べないもん。いいじゃん、口実があるときくらい。他の騎士よりネロの方が喜んでもらえるし、メリィちゃんのお友達、気になるでしょ?」
「…………」
それは確かに、どんな子なのか気になる。友達といる時のメリィちゃんの様子も見てみたい。
「お友達の影響でトップ騎士に詳しくなって、推し変する可能性も無きにしも――」
「分かった。行くから。十分後に取りに来てくれ」
メリィちゃんの心を引き留めるためにも、俺は今日も丁寧にパンケーキを焼いた。